いわゆるなんちゃって校長である
僕には嫌いなものが3つある。権力者と支配者とそして差別だ。権力ある者にペコペコしている者に限って、弱い者に対してふんぞり返っている。
僕は極端に腰の低い人間はあまり信用しない。従って初対面で、保護者の方でも教え子でもないのに「先生、先生」と手もみをするがごとく自分を呼んでくる人間も信用しない。僕は非常に疑い深い人間である(・・笑い)。だいたい僕はその人の先生などではない。
世の中には僕ら塾教師を含め、先生と呼ばれる職種の人間がいっぱいいる。しかし学校外や、職場以外の全く普段着のプライベートの場で、先生と言われふんぞり返っている人間はどうかと思う。政治家が○○先生と呼ばれるのも僕はすごく違和感を覚える。
部活を指導していると、たまに中学生が僕を間違えて先生と呼ぶことがある。「僕は君たちのコーチであって先生ではないよ」と僕が言うと、あ!間違えたと言って笑っている。
僕は学校の先生(正しくは教諭)を見ていて、おもしろいなあと思うことがある。面識がなくとも、お互いに学校の先生だと知ったとたんに、プライベートでもどこでも○○先生と呼び合うが、塾の先生に対しては決して○○先生とは呼ばない(・・笑い)。
僕はそのことが不快であるとか、差別だとか言っているのではなくて、ただ面白いと思っている。
僕は名刺に、ちっちゃなちっちゃな塾の代表なのだが、校長などという役職名を記している。これにはちょとした訳があって、かつてのブログ「校長先生になったの」にも書いたのだが、権力指向を好む方々に対しては非常に効果がある(・・・笑い)。実は自分でも楽しんでいるところがあって、僕のちょっとした遊び心のつもりだ。いわゆるなんちゃって校長である。
そのなんちゃって校長である僕は、一昨日講師に行っている高校での成績つけが終わった。実はこれが僕の大の苦手とするところである。点数で人間の評価をすることが嫌で、教職を選ばず塾屋になった男ゆえ、苦悩と言えば大げさだけれども、なんとか5段階評価の数字を埋めてきた。
一度も僕の授業を休まず、しっかりノートを取り、真面目に授業を受けている生徒には全員5を付けたいところだが、そういう訳にもいかず、粛々と成績を付けてきたかねごんである。
話は戻るが、権力と支配があるとおのずと差別が生まれる。過去の歴史がその全てを物語っている。富を持つものとそうでないものの差が激しい世の中になった。その格差が教育の場にも如実に現れている。
公立高校の授業料無料化が実施されるが、公立高校に入れず、私立高校に通う子供たちの支援こそが、僕は優先課題だと思っている。
高校の卒業式である。毎年全国の私立高校では、成績が原因ではなく、授業料未納のため卒業式に臨めない高校生がいっぱいいる。親の経済力のなさを、自己責任だと片付けられない状況が今の日本にはある。
時代が作り出した新しい差別に、僕らは鈍感であってはならない。
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