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2010年1月

2010年1月31日 (日)

僕らの時代を取り戻さなければならない

自分の職業を客観的に見ると、正直いろんな感慨にふけることがある。生まれて初めて先生と呼ばれたのは、19歳の時に家庭教師のバイトを始めた時だ。あれから30年の年月が過ぎた。ボブ・ディランの歌じゃないけれど、時代は変わった。

日本という国家が世界をリードする時代は終わった。太平洋戦争から蘇った奇跡の国JAPANは、豊かさを享受しそして沈静化し迷走を始めた。その原因は様々だろうけれど、僕は日本という国が、良くも悪くも大国アメリカに追従しすぎてきたことが一端にあるのではないかと思っている。

自由という空気感が教育の現場にもたらせられた結果、戦後の我が国の教育は自由と放任を取り違え、民主主義の平等主義や多数決主義のなかで、大事な声を聞き逃して気がしてならない。かつて僕は多数決は嫌いだという記事を書いたことがある。数の論理ほど弱者をないがしろにするモノはないと思っている。

流行やファッションが服装や言葉に留まっているうちはいいのだけれど、教育や思想に軽々しく便乗させてはいけない。時代が変わっても変わってはいけないものがある。

この歌の中でディランは、第3次世界大戦に夢の中で行ったと歌っている。日本は戦後60年間戦争こそ回避してきたが、真の幸福を歩んできたかどうかは疑問である。第二次世界大戦で亡くなった方々の数に、戦後の自殺者の数が迫っている。僕らの時代を取り戻さなければならない。

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2010年1月30日 (土)

僕のブログの検索ワードベスト3

2009年度の僕のブログの検索ワードベスト3を今日は発表したい。

第3位は菊池雄星である。昨年の夏は本当に岩手の野球は熱かった。地元紙に花巻東の菊池雄星くんの名前が載らない日はなかった。彼の一球一球が注目を浴びた夏だった。そして今、今度は全国版のスポーツ紙に雄星くんの名前が載らない日はない。

今や西武菊池雄星は同年代の石川遼や浅田真央と共に、日本のスポーツ界を代表する10代アスリートの代名詞である。今後の彼の活躍が本当に楽しみである。

第2位は一関一高附属中学校である。特に昨年、願書受付が始まり入試の合格発表までの間は、僕のブログに入ってくる検索ワードの7割が一関一高附属中学校関連だった。

ブログ解析を眺めてみると、2年前に僕がしたためた一関一高附属中学校設立に対する私見に、多くのみなさんが入ってこられているのだが、何百人もの方々が読まれているにもかかわらず、一つとしてコメントもメールも入らない静寂さが、不気味な感じがするかねごんである(・・笑い)。私塾のオヤジが何かわけの分からないことをほざいているなと思っていただければ、幸いである。

そして第1位は当然ながら大験セミナー関連の検索ワードであるが、実に様々な検索ワードが打ち込まれていて笑わせてくれる。きっと塾生のいたずらだと思うのだが、例えば「大験かねごん教」とか「大験ハゲオヤジ」とか「大験セミナー宇宙人説」、はたまた「大験セミナー閉鎖!?」などという、え!うちの塾が終わるの的な検索ワードまで、様々である。

ここまで塾ブログのネーミングが浸透してしまうと、さすがに「寺子屋金さん物語」などという懸案のネーミングに変えることは難しいだろうなと思うわけで、来年度も「大験セミナーわくわく日記」という陳腐でベターなタイトルで続投となるのだろうと思う。

サブタイトルに「かねごんハゲオヤジの独白」なんていうのも自虐的でいいかなと思うのだけれど、きっと社長の許可が下りないだろうなと思う、恐妻家のかねごんであった。

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2010年1月29日 (金)

エネルギーが錯綜する

塾には様々な子供たちがやって来る。それぞれが個性の塊だ。ひたすら黙々と問題を解きまくる生徒。3分毎にため息をついて時計を見上げる生徒。「先生肩こっていない」と言って、勉強を中断して僕の肩をたたいてくれる生徒。なんだかしらないけれど、20分ごとにトイレに行く生徒。いろんな息遣いと、いろんなエネルギーが毎日塾という空間の中で錯綜する。

中には勉強が好きじゃないけれど、塾は好きという生徒がいる。先生ちょっとちょっとと僕を呼んでおいて、勉強の質問ではなく、学校でのいろいろな鬱憤(うっぷん)を永遠と語る生徒がいる。

僕はそれでもいいと思っている。大人である僕との会話のキャッチボールを通じて、彼らは何かを模索しているのかも知れないし、ちょっとクセのある大人の世界を覗いているのかも知れない。

うるさいと怒鳴ってしまえば、萎縮して子供たちは縮こまってしまうけれど、彼ら彼女らが気さくに語りかけてくる言葉に耳を傾けてみると、その言葉の中に子供たちの本音が垣間見えてくる。

時に僕の塾はうるさいのだけれど、その喧騒の中で僕は、子供たちの元気な声とは裏腹に、子供たちの声なき声を聞くことがある。子供たちのつかの間の喜びも、一瞬の不安も、そして悲しみも、子供たちは隠そうとしない。

もし子供たちを理解することができないのだとしたら、それは僕ら大人が子供たちをすくい上げる言葉を失っているからだ。

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ブログを書き始めた動機

「毎日ブログを書くのは大変じゃないですか」 よく聞かれる質問である。ブログを書き始めたのは2007年の5月。当セミナー社長である僕の家内の勧めであった。日記を毎日更新するようになったのは、神奈川県のとよ爺先生の骨太のブログに触発されて、2年前からである。

とよ爺先生のように情熱のある記事を一日4稿とはいかないけれど、どうにか塾ブログとは程遠い雑文を週に10稿ほど更新している。そして今日のこの日記が1011稿目である。

ブログを書き始めた動機は、塾生の保護者の皆様に、塾を営み教えている僕自身の考えやスタンスを知ってもらおうというのが当初の目的であったが、あまり塾とは関係ない方向に暴走してしまうことが度々で、節操がない塾ブログになっている。本音は書くことが楽しいので書いている。

1日に何千アクセス何万アクセスという途方もない塾ブログもあるのだが、僕のブログは昔も今もそれほど変化はなく、毎日読んでおられる方が50名ほどで、検索ワードでたまたま入ってこられる方がその2倍ほどいらっしゃる。1ヶ月に一万アクセス弱のごく一般的なブログである。

よく同業者の先生から、ブログで生徒が一杯入ってくるんじゃないですかと言われるが、とんでもない。正直申し上げて、直接ブログがきっかけで入塾してくる生徒は年に10名前後である。入塾生の殆どが卒塾生の保護者の方々のご紹介による入塾である。

毎年この時期になると、学習塾はチラシ原稿や宣伝戦略に頭を悩める季節ではないだろうか。僕の塾はいっさいチラシを出さないし、広告も出さない。よく塾の問い合わせで、どうして個別指導なのにこんなに安いんですかと尋ねられることが多いが、宣伝費をいっさい使わないことで維持できる低料金なのである。それ以外のカラクリはない。

従ってこの時期、宣伝戦略に頭を悩ませないで済むぶん、受験生の指導に専念集中できるかねごんである。毎年ご紹介頂くご父兄の皆様のおかげで、いい指導の流れができるわけで、本当に感謝である。こういった感謝の意を伝えることができるのもブログのおかげである訳で、またまた感謝である。

実は先日学び舎の小林先生とブログ談義をした時にも話したことなのだが、ブログを始めて間違いなく変わったことがある。それは退塾する生徒がいなくなったことである。

コメント欄やメールボックスができたことで、塾に対する意見等を保護者の方が言いやすくなったという要因もあるだろうし、この塾屋は何を考えているのだろうという疑心暗鬼がなくなったことも大きな理由ではないだろうかと、勝手に分析をしている。

僕の塾はクチコミの評判がなくなった時が終焉を迎える時だと思っている。まだまだ頑張らなければならない・・・・・。

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2010年1月28日 (木)

節操のないオヤジ

僕の塾ブログはたまに不可解なスピリチャルな事を書くものだから、時に宗教関係の方々が「神様」や「キリスト」「聖書」などという単語にヒットして入ってこられる方々がいる。

僕の塾はシュタイナー教育を取り入れた幼児教室(風と虹の教室)をやっているものだから、確かにキリスト教系の匂いがプンプンするが、家は曹洞宗の檀家であるし、僕個人は地元の神社の総代を引き受けている節操のないオヤジである。

塾もそうだ。聖母マリア像の写真の横に龍神の置物が鎮座する混沌とした塾である。ということで今日も節操のない話をしたい。

国籍や人種や民族や宗教に関係なく死後の世界に天国があるとしたら、地球上でいがみ合っている宗教問題や民族問題は全く愚かなことだ。

僕は天国があると信じた方が絶対生きやすいと思し、結構まじめに存在を考えているオヤジである。死んでハイさようならオシマイ、と言う人生はやっぱり辛い。

お金持ちが行ける天国なんてないだろうし、高学歴の人達が行ける天国などと言うものもあり得ないだろうと思う。それと同じ理由で、何かの宗教や神様を信じたから行ける天国なんていうのもないはずだ。・・・・と勝手に思っている。

どれだけ自分を信じ、自分という存在をいたわったのか、どれだけ他人を認め、協調し助け合ったのか、そのことがやがて究極の愛に繋がっていくのではないだろうか。僕らの行き着く場所は僕ら自身が決める。神の采配でもなければ、閻魔様が決めるわけでもない。

受験も同じだ。親が決めるわけでもなければ、担任が決めるわけでもない。自分の能力や自分の指向性を一番知っているのは実は自分であるという単純な真実に気付いていない生徒が多い。

結構他人の能力は批評するのだけれど、自分の評価はやれないのが人間である。好きなことや大事だと思っていること、そのことに対し真摯に考えればおのずと自分の最終決定は見えてくるはずだ。

死後に地獄などない。あるのは後悔する自分の姿だ。受験も同じだ。

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2010年1月27日 (水)

言い訳の心理学

勉強をしない理由、仕事をしない理由、努力をしない理由をすべて言い訳をして逃れてきた人間がいるとすれば、もったいないことであるし、きっと辛い人生だったのではないだろうか。

仕事柄勉強をしない言い訳というのはずいぶん聞いてきた。部活が忙しい。時間がない。勉強部屋がない。親がうるさい。学校の授業が分からない。メールが頻繁に来るのでできない・・・等々。書き連ねていけば、数十枚の原稿用紙が埋まるほどの言い訳集が出来上がる。

でも・・・、だって・・・・、毎日毎日多くの言い訳が創造され、語られていく。

言い訳の深層心理は、自分の弱い立場を擁護することにあるのだろうけれど、自分の怠慢をなんとか正当化したいというのが本音だろうと思う。「ゴメンなさい。次は頑張ります」と言いつつ、同じ誤りを繰り返すのも同じ心理の源泉だろう。

僕のような頑固ジジイもよく言い訳をする。「年をとって物忘れが激しくて」とか、本当は読めない字や書けない字があるのに「最近は老眼がひどくて・・・」などなど。

はっきり言ってしまえば言い訳は嘘の一種なのだが、自分の欠点をカモフラージュするクッションなのだろうと思う。自分を見捨てないための自己防衛であるのかも知れない。

子供たちのたまにつく言い訳は微笑ましい時もあるのだが、さすがに毎回となると堪忍袋の緒が切れる。言い訳で思い出したが、昔務めていた塾の女性講師が仕事を休む度に、「急に叔父が亡くなりまして」 「急に叔母が亡くなりまして」 「祖父が亡くなりまして」などと、言い訳の理由として死んでもいない身内を何人も葬った強者がいたが、笑ってしまう。

やらなければやらないことはやる。とてもシンプルな倫理だけれども、人生を生きていく上でとても大切な行動哲学である。

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2010 一関一高附属入試問題雑感

一関一高附属中学校の合格通知が先週の土曜日に発送され、入学手続きが昨日26日より始まった。今年は男女それぞれ40名の定員に対し、男子97名、女子78名が受験した。

当初予想された倍率とは裏腹に、附属の受験に対しては慎重な保護者のみなさんの対応が伺われる。僕の塾でも附属の受験を希望し例年にない数の小学6年生が入塾して勉強に励んでいたが、最終的には学区内の通常の入学を選択した児童がほとんどで、受験者数は数名にとどまった。

昨年の受験に於いて様々な弊害が露呈したことも受験者数が伸びなかった原因ではなかったかと思う。

各小学校に於いて児童はいざ知らず、心ない保護者の方々が、どの子が受験し誰が受かり誰が落ちたという情報を事細かにしゃべる方々が多く、非常に後味の悪さを感じた保護者の方々も多くいたようだ。

やはり小さな町のことだけに、避けられない状況のようだ。県庁所在地のような地方都市であれば、匿名性もある程度守られるのだろうけれど、一関のように学年児童数が30名ほどの小学校が点在する地域に於いては、誰が受験するのだろうという興味がおのずと話題にあがる。配慮に欠ける言動も多いのだろうと思う。

自分がどれだけの力があるのかを客観的に模索することは小学生にとっては難しい。今回の一関附属の入試問題にしても、知能指数を見るような入試問題で、国語力のウエイトが高い入試問題となれば、数カ月の塾通いではなかなか対応できるものではなく、まさに幼児からの読み聞かせや読書量、そして作文力が合格の鍵となる。

今年度の一関一高附属入試の問題を分析するならば、すぐに効力を発揮する計算力や暗記力を試す入試ではなく、潜在能力をみる入試だったと言えるのではないだろうか。その点では出題者の意図は評価できるのではないかと思う。

しかしこの入試傾向が続くならば、間違いなく塾通いの低年齢化が進むことも懸念される。一関という小さな町で、受験という競争心を煽る風潮は育って欲しくない。

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暴力に愛は存在しない

法政大学中学高等学校(東京都三鷹市、牛田守彦校長)の教諭2人が今月中旬、北海道の修学旅行中に宿泊先のホテルで、参加者の高校2年の男子生徒を軟禁して暴行し、うち2人に大けがを負わせていたことが26日、分かった。2人は警察に被害届を提出した。
 牛田校長は同日、同校で記者会見し、「生徒を傷つけ大変申し訳ない。再発防止に取り組みたい」と謝罪した。同校は暴行を加えた2教諭を含む引率者4人を自宅謹慎とした。懲戒処分も検討しているという。
 同校によると、けがを負わせたのは28歳と36歳の男性教諭。北海道の修学旅行は14~18日で、高校2年の男子生徒107人が参加した。
 2教諭は16日夜から18日にかけ、宿泊先のホテル食堂で、同校で禁止している携帯ゲーム機やスノーボードを持ってきたといった理由で、9人の生徒を正座させたという。9人は期間中、外出できなかった。教諭は没収したゲーム機を折るなどして壊したという。
 さらに殴るけるの暴行をし、没収したマージャン牌を入れたみそ汁を飲ませたり、自分の髪を強制的に刈らせたりした。夜から朝まで半日間眠れず、断続的に暴行を受けた生徒もいた。
 うち2人の生徒は頭やひざなどに2~3週間のけがを負い、登校できない状態が続いている。暴行を見たため、不眠や食事ができないと訴える生徒もいる。

1月26日21時46分配信 時事通信

修学旅行の楽しいはずの思い出が、教師にとっても生徒達にとっても非常に後味の悪いものになってしまった事件である。

指導ではなく単なる暴力行為と化してしまったその背景には何があったのだろうか。修学旅行における生徒の単なる悪ふざけに対してならば、教師のとった態度は決して許されるべきものではない。

推測でものを言ってはいけないのだろうけれど、今までの蓄積された事情があったのだろうか。それにしても子どもを預けている親御さんにしてみれば、たまったものではない。暴力はいけない。恫喝やきつい激高でさえも情緒不安になる子供たちが多くいる。ましてや軍隊のような指導や暴行は絶対やってはいけない。

今の子どもは根性がないから気合を入れてやるという教師がいることは事実だ。僕も高校生達とは30年近く指導を通じ付き合ってきたが、確かに反抗的な生徒はいる。しかしそれは一過性のもので、子供たちの内面や現行の不安やストレスを理解してあげれば、必ず生徒達は僕ら教師を理解してくれるものだ。

教師対生徒と言う図式で構えるのではなく、一個人の人間として対等に向きあってみてはどうだろうか。

僕は生意気なのが高校生だと思っている。自己顕示欲と性欲とそして大人社会への遺恨の塊のような存在だ。そして僕もかつてはそうだった気がする。

殴られた生徒ももちろん気の毒であるが、殴った教師も気の毒である。お互いに想像力が足りなかっただろうし、お互いの信頼が築けていなかったことが痛恨の失態だったように思う。

暴力に愛は存在しない。そのことを先生と呼ばれる人間は心に銘じるべきである。

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2010年1月26日 (火)

選ばれた責任が親にはある

東京都江戸川区のアパートで長男に暴行を加えたとして、電気工岡本健二(31)、妻の無職千草(22)の両容疑者が傷害容疑で逮捕された事件で、搬送先の病院で死亡した同区立松本小1年岡本海渡君(7)の全身にやけどなどの古い傷が残っていたことが警視庁小岩署の調べでわかった。

 また、昨秋に海渡君を診察した歯科医が虐待をうかがわせる傷を見つけ、同区子ども家庭支援センターに通報していたことも判明。同署は岡本容疑者らの暴行が海渡君の死亡につながったとみて、26日、両容疑者を傷害致死容疑で送検する。

 同署幹部によると、司法解剖の結果、死因は不詳だったが、海渡君の全身に以前受けたとみられる打撲ややけどの傷跡があり、同署は今後、病理検査などで詳しい死因を調べる。

 一方、同センターによると、昨年9月、同区内の歯科医から「海渡君の顔や両足などにあざがある」と通報があった。歯科医は、「『パパにぶたれた。ママは見ていて何も言わなかった』と話した」などと説明し、同センターは、この内容をただちに松本小に伝えたという。

1月26日5時51分配信 読売新聞

また尊い命が親の手で奪われてしまった。子どもを愛するという人間の究極の本能が崩壊した悲劇が、後を絶たない。

人と人が出会い、愛が育まれ奇跡の命が誕生する。地球という星に生まれた新たな命は、何億何百億という気の遠くなる人類の愛のバトンタッチで繋がれてきた命だ。海を超え、山を超え、大陸を横断し、人類のDNAは愛によってその存在を維持してきたと言ってもいいだろう。

なぜに自分の子どもを死に至らしめるのだろうか。僕は自分の子どものためならばいつでも命を捨ててもいいと思っている。普通の親はそうではないだろうか。

もし仮に自分たちの愛欲や仕事の鬱憤晴らしのために子どもを虐待するのならば、残念ながら彼らには親の資格がない。それどころか、人間として生きる資格がない。

子どもは親を選んで生まれてくる。僕はそう信じている。選ばれた責任が親にはあるのだ。

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2010年1月25日 (月)

経験を共有してみる

僕はゲーム感覚でいろんなモノになってみる。猫はどんな感じだろう。犬はどんな感じだろう。テーブルの上に置かれたコーヒーカップはどんな感じだろう。道路に捨てられたジュースの空き缶はどんな感じだろう。

するとおもしろい感覚に包まれることがある。すべての存在の意図することが、じわ~と僕の体内にあふれ出す。

これはいろんな立場の人間になってみる時に、非常に役に立つ感覚だ。正負の計算が分からない中学生はマイナスに対してどんな感覚だろう。江戸時代の次が何時代か分からない高校生の時代感覚はどんな感じだろう。自分の名前をローマ字で書けない中学3年生は、どんな意識を英語に持っているのだろう。

僕は指導中に、子供たちの心にそっと降りて行って経験を共有することがある。長年教師をやっている方ならばきっと同じような経験があると思うのだが、例えば数学が全然分からない生徒の前でじっと文字式を見ていると、数式が意味をなくし、わけの分からない暗号のように見えてくることがある。

逆に理科が得意な生徒に指導をしていると、自分が気付かなかった原理公式の意味がすっと入ってくることがある。不思議なものだ。

この子はこんな感覚なんだなと、閃くことがある。同調とでも言うのだろうか。波動のキャッチとでも言うのだろうか。きっと僕だけの特殊能力ではないだろうと思う。多かれ少なかれみんなが持っている能力に違いない。

総合病院に行って検査などを受けると思うことだが、若いお医者さんはパソコンの画面に写しだされる血液検査やCTスキャンのデーターを眺めるだけで、僕の喉を見ることもなく、胸に聴診器をあてることもななく、脈を取ることもない。

学校教育もしかり、実力テストとのデーターと通信表の点数を武器に進路指導をこなす先生がほとんどだ。

人間は暗記力とデーターの分析力は、数字ではパソコンにかなわないかも知れないが、人間には機械など追従できない感知能力が秘められていることを忘れてはいけない。想像力と、感性のほとばしりをおろそかにしてはいけない。

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僕の思い

受験の季節が訪れた。県内の新聞には毎日のように私立高校の入試問題が掲載されている。

少子化の時代、私立大学もさることながら、地方の私立高校も生き残りに必死である。地方の経済危機がそのまま教育費の確保に影響を及ぼし、生徒の流れは公立指向に傾いてきている。

一方就職難の時代、私立高校の就職指導は公立高校のレベルの比ではない。寝食を忘れ担当の先生方は必死である。僕の住んでいる市内の某公立高校では、就職の斡旋が困難と見るな否や生徒を自衛隊に斡旋しているが、やめてフリーターになる若者も多いと聞く。

生徒の能力や性格を考えながら、最善でないにしろ選択肢の中で一所懸命子どものことを考える私立高校の先生方の態度は、頭が下がる思いだ。

僕自身も高校も大学も私学にお世話になったが、若かった当時母校に行けば、かつての担任の先生がいて、相談にのってもらえるという安心感は、私学故の最大の利点だった。本当にお世話になった。(今もお世話になっているが・・・)

僕はブログでは書きたいことを書いているが、どちらかというと気の弱い人間である。髭面の強面(コワオモテ)を装っているのも、実は内面の弱さを隠すための偽装なのかも知れない。いやきっとそうだろうと思う(・・苦笑い)。

そんな僕が私塾という現場で唯我独尊の境地でがむしゃらに自分の道を進んでこれたのは、私学の先生方の情熱を体験したからに他ならない。社長である女房によく言われる。「あなたは受験に失敗することなく、順風満帆の青春時代を過ごしていたら、今のような子供たちとの出会いは無かったでしょうね」と。まさにその通りであると思う。

僕は塾教師をしていることに最近運命を感じる。時にそれは厳しい運命であったと感じた時もあったが、これが僕の人生であり、僕の思いの形なのだろうと思う。

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2010年1月24日 (日)

ブログ思考

ブローガーの先生方の多くがそうだと思うけれど、書きたいけれど書けない記事というものがたくさんあると思う。ご多分に漏れず僕もそうである。

とある方々の窮状を訴えたかったり、人の生き血を吸って生きているような連中を実名で公表したいという衝動に時に駆られるのであるが、それを書いちゃおしまいよという良識がなんとか理性を保っているのが正直なところである。

学校の教育現場に於いても、何を間違って教師になったのか、耳を疑いたくなるような愚行をしでかす輩が後を絶たない。一方で物言わず誠実に全身全霊を教育に傾けていらっしゃる先生もいる。

中身も実力もないのに、やたら口だけは達者で、お金と人脈作りにたけた人間はどこの世界にもはびこるものだ。

政治でも学校でも会社でも、トップに立つ人間の影響力は計り知れない。発言の一つ一つ、決断の一つ一つが、一人の人間の生き死にを左右しかねないことを常に肝に銘じるべきである。

僕は高校で授業をしているだけでなく、塾の保護者の方にも現役の学校の先生方が多い。故に、現場での苦労や様々な軋轢を眼にする事も、話を伺うことも多いのだけれども、学校に於いて一番問題なのは、先生方に精神的自由がないことである。

これは会社勤めの方も同じだと思うが、管理というなのエゴイズムが日本の社会にはびこっている。パソコンが普及したがために、作らなくてもいいようなマニュアルが作成され、事あるごとに報告書の作成が命じられ、ほとんどの人が眼にすることもない会報が打ち込まれていく。

学校の先生が、生徒と話をする時間などない。生徒と向かい合うときは、何かのっぴきならない問題が生じた時か、生徒を叱る時ぐらいである。

僕らが小学校の頃は、先生がよく野山に僕らを連れ出してくれた。地層の単元に入れば、山に行き、しゅう曲や泥岩の地層を手で触り、体で学習した。今それを若い先生方がやろうとしたならば、数カ月前から計画書を提出し、主任や教頭、校長の許可を得なければならない。しまいには安全面が確保されないからやめろと言われることも度々で、やんごとなき状況である。

事なかれ主義は、管理社会が生み出した一番の負の遺産だと僕は思っている。個人の裁量を優先できない社会や組織は間違いなく衰退する。

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時代

人生に於いて一番嬉しかったことはなんだっただろう。人生に於いて一番悲しかったことはなんだったろう。

年を取ってくるとそんなことをふと考えることがある。人生に於いて嬉しかったことは思い出すといっぱいあるものだ。初めて自転車に乗れた時や、ランドセルを買ってもらった時、そして運動会で初めて1等賞をとった時は、天下をとった気分だった。

初めてデートをした時はドキドキだった。結婚式の日は完全に舞い上がっていた。一番嬉しかったこと。やはり息子たちが生まれた時だった。新しい命を授かることほど感動的なことはない。

悲しかったこと。これも一杯あったはずなのにあんまり多くを思い出せない。もちろん家族との別れはとても悲しかった。友人との別れもそうだ。塾生を合格させることができなかった悲しみも、もちろんあった。その悲しみや辛さを乗り越えてきた時代と共に、自分がもがき苦しんで生きてきた自負もある。

やはり悲しみは忘却の彼方にそっとしまっていた方がいい。そう言えば、冬枯れの風景の中にほんの少し春が感じられるようになってきた。日が少しずつ長くなってきた。

ちょっぴりメランコリックな週末の夜、僕はこの歌を聴きたくなる。中島みゆきの時代だ。

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2010年1月22日 (金)

1001稿目の話

昨日の塾は、翌日に私立高校の入学試験を控えているとは思えないようなリラックスムードが中3生に漂っていた。まあ冬期特訓も、例年にないハイペースで乗り切った生徒達だけに余裕があったのかも知れない。

突然何かの話題からか、ゴキブリの話になった。実は岩手の子供たちの殆どが生きているゴキブリを見たことがない。寒さの厳しい岩手にはゴキブリが生息しないのである。例外的に1年中エアコンが入っているマンションやデパートなどには生息しているようであるが、通常の生活の中では眼にすることがない生き物である。

かく言う僕も東京に出るまで、一度も生ゴキブリを見たことがなかった。もちろん町のスーパーなどでゴキブリとりなども売っていなかった。ゴキブリそのものがいないわけだから、誰も買う人などおらず、店に並ぶはずもない。ゴキブリ独特のあのイラストを目にすることも殆どなかった僕である。

昨日僕が塾生にした話の始まりである。

東京の私大に入った僕はアパートで一人暮らしを始めたのであるが、しばらくして黒い虫が部屋に現れた。僕はその虫を100%コオロギの一種だと信じた。捕まえようと頑張ったが岩手のコオロギのようには捕まらない。さすが東京、人の歩く速さも速いが、コオロギもメチャ速いものだとひとり感心をしていたのもつかの間、その後大学の友人の進言により事実を知るのだが、愕然とするかねごんであった。

それにしてもいくら東京といえ、4月にコオロギがいるわけがないだろうし、冷静に判断すれば分かるようなものだが、そうじゃないところがピンとハズレの僕である。

地球の温暖化が深刻な問題になっているが、日本におけるゴキブリ生息の北限はどこなのだろうか。気になるかねごんであった。

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2010年1月21日 (木)

今夜は1000稿目

今夜の記事は記念すべき1000稿目である。2年半の集大成と言いたいところだが、冬期特訓の疲れがここに来て出たのだろうか、ここ2,3日ちょっとグロッキー気味である。

今年の冬は、クリスマス前後と正月の2,3日雪が降ったぐらいで、雪かきによる体力の消耗は少なかったのだが、寒暖の差が激しく老体にはこたえる冬である。

毎年のことであるが、この時期はかなり気合を入れないと起きるのが辛い。この時期僕はだいたい夜中1時頃に眠りにつき、朝は7時過ぎに布団から這いずりでるのであるが、寝室のストーブにスイッチを入れるために起き上がる気力が年ごとに衰えてきた。

どんなに寒くてもかつては股引(ももひき)をはかなかったが、3年前から股引なしでは冬を過ごせなくなってしまった。急に外気温に対する抵抗力が衰えてきたようだ。

それにしてもこの厳冬の時期、タイツをはかない女子高生や中学生を見かけるが、あれは体に良くないような気がする。きっと格好を気にして生足を維持しているのだろうが、30歳を過ぎ、40歳を過ぎたあたりから、関節痛や神経痛などの原因になるような気がする。

見た目よりも健康維持の方が大切である。外気温がマイナスの季節に、生足でコートも身にまとわない高校生は、将来のためにも寒さ対策をしっかりすることをお勧めしたい。よく寒さに慣れると言うが、慣れることと実際に肉体が受け取るダメージは別物のような気がする。

ズボンを二重にも三重にもはき、背中にホカロンを貼付け、マフラーをし厚いコートを着ても、僕は寒い。なにせ僕の22年物の軽トラックは、10キロも走らないと暖まらない。息子の自動車の車検が終わったと思ったら、今度は女房の車の車検の通知が舞い込んだ。

パソコン代に車検代、僕の車を買う日はまだまだ遠い・・・・・・。

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パソコン物語

パソコンがWindows 7に替わって1週間近くが過ぎた。残念ながら使い切れていない。セキリュティーがしっかりしているのはいいのだけれど、Windows XPに慣れ親しんできた僕の脳みそはパニック状態にしばしば陥ってしまう。

光通信が届かない山暮らしであるが、フレッツ回線でも光並みの速度がある。すごい!パソコンがあまりにもコンパクトになりすぎてなんとなくて液晶テレビに向かって打ち込んでいる感じなのだが、画面の鮮明さは驚きの世界だ。

実は僕の使っているブログの画面が紙の折りたたみの模様がついていたことにパソコンが替わってZFRGdyhyっっっっっっっっっっっっっっっy6う76う76う76う76う76う76う76う76う76う76う76う76う76う76う76う76う76う76う76う76う76う76う76う76う76う76う76う76う76う76う76う76う76う76う76う76う76う76う76う76う76う76う76う76う76う76う76う76う76う76う76う76う76う76う76う76う76う76う76う76う76う76う76う76う76う76う76う76う76う76う76う76う76う76う76う76う7

ここに来て猫がパソコンのキーボードの上を歩いていった。僕がPCに夢中になりかまってあげないものだから攻撃をくらってしまった・・・・・・トホホホ

話を戻そう、自分の使っているブログの模様が2年たってようやく認識出来るとは、僕はいったいどんな化石のパソコンを使ってきたのだろう。世の中の進化はすごい。

ケータイを持たず、ブログを始める前まではパソコンに触ることもほとんどなかった僕だが、20年間使ってきたパナソニックのワープロが壊れて以来、塾の文章作成をPCに頼らざるおえなくなり、仕方なくパソコンを使い始めたかねごんであった。

それにしても僕の世代のおじさん達は大変である。頭の柔軟な時代にいっさい経験しなかったパソコン関連の処理能力を、中年を過ぎて要求されるわけだから過酷だ。僕の塾もそうである。受験勉強や生活面での相談事はほとんでメールで入ってくる。塾の問い合わせも然りである。

僕はPCが苦手なものでなどと、手を染めていなかったならば、きっと塾の存続は厳しかっただろうと思う。かと言ってやはり本来PCはあくまでも補助的な手段に過ぎない。PCの前に塾生を座らせて、指導と称することだけは僕は決してやりたくない。PCに指導を委ねなければならないときは、僕が塾を閉じるときである。

それにしてもWindows 7の講習会にでも出かけた方がいいかねごんである。

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僕たちは人工物じゃない

子供たちは教科の学習や友達との付き合い方を学ぶ機会は多いが、生きることの意味を学ぶ機会は少ない。

生き方を学ぶということは、別の視点で考えれば死に方を学ぶということである。なぜ自殺がいけないのか、なぜ殺人がいけないのか、その根本を分からない人間が増えている。原因はそれをしっかり教える大人がいないからだ。

例えば人間は平等なんかじゃない。足の遅い子もいれば、速い子もいる。暗記力が優れている子どもがいれば、そうじゃない子どももいる。集中力がある子どももいれば、情緒の安定しない子どももいる。決して能力は平等などではない。しかしそれにもかかわらず、みんな頑張ればできるんだとハッパをかける大人が多い。

それは生きる気力を失っている人間に、ただ希望を持てと言っているようなものだ。それでは救われる命も救えないだろうし、子供たちの才能を引き出すこともできない。

人間は生まれてくる目標がそれぞれ違うのだという視点が必要だと、僕は考えている。つまり人生をどう生きるのか、何を経験するためにこの世に生まれてきたのか、そのことに思いを馳せない限り、必ず壁にぶち当たる。

「自分の人生の目的なんて分かるはずがないじゃないか」そんなふうに答える若者も多いだろう。僕は断言する。各人の心(魂)は、実は生まれてきた目的をわかっているのだ。なぜみんなは思い出せないのか。それは自分との対話をしないからだ。

ケータイやゲームやPCやテレビに夢中になり、じっくり本を読むことをしない。日記を書くこともない。自然の中で鳥や動物達の声を聞くこともない。風を感じ、虹の美しさに感動する機会を持つことも減った。

自分の魂の声を聞くアンテナが麻痺してしまっているのが現代人の現状ではないだろうか。利益優先の情報に振り回され、自分の指向性を見失っているのではないだろうか。

自然の醸し出すダイナミックな波動に身を預けて見ると良い。きっと自然体の自分の姿がイメージできるはずだ。

現代社会に於いて、躁鬱が増えてきたのも、自殺が増えてきたのも、経済状況の悪化だけが原因ではない。あまりにも人工的な環境に身を置きすぎるのだ。人間のエネルギーが補充されなくなってしまっているのだ。だから生きる目的を見失い、自分を追い詰めるのだ。

僕たちは人工物ではなく、自然児なのだ。テクノロジーに依存しすぎてはいけない。そしてお金に使われてはいけない。

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2010年1月19日 (火)

塾はサービス業

20年前自宅の裏庭の藪の中から、風雨に晒されたケヤキの板を見つけた。父が生前裏庭のケヤキの木を伐採したときに、放置されたままになっていた板だったろうと思う。

僕はその板をやすりで磨き、なれない筆を手にし、塾の名をしたため看板とした。そのケヤキの板の看板を、15年間平屋の塾の玄関上に飾っていた。

5年前新しい塾を建て替えた際に取り外し、塾の文字を削り取り、There  is  a  will, there  is  a  way! と新しく文字を書き記した。この言葉は塾を始めたときにパンフレットにしたためた僕の塾の座右の銘である。

そしてそのケヤキの板は、現在「風と虹の教室」をやっている自宅の玄関に鎮座している。20年の歳月を経て、自宅に舞い戻ってきたことになる。

努力の先に何があるのかを、残念ながら実感できない子供たちが多い。努力の先に神の栄光が待っているなどと、どこかの胡散臭い宗教団体のようなフレーズを言うつもりはないが、頑張れば必ず道は出来ていくものだ。

金持ちになりたければ、金持ちになることを一生懸命想えばいい。イケメンになりたいなら、そうなることを想えばいい。その思い続ける力が現実を作り出すのだ。僕はそう思っている。だから僕も塾を続けてこれたと思っている。20年間で700名近くの塾生たちが巣立っていった。

僕は塾という所はサービス業だと思っている。究極的には二つのことがサービスできればいいと考えている。一つ、塾生を志望校に合格させること。二つ、運の良い人生を送れる感性を育んであげること。この二つのことが提供できれば、塾というサービス業は未来永劫職種から消えないと思っている。

いくら学歴があっても、運に恵まれなければ人生を楽しく歩むことは出来ない。子供たちが運に恵まれ、幸せな人生を送っていくためには、自分を信じる力を育てなければならない。僕はそのために塾をやってきたし、今後もやっていくつもりだ。

There  is  a  will, there  is  a  way! 僕の道は子供たちと共にまだまだ続く。

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2010年1月18日 (月)

富士の御来光

昨日のブログ「再び文明論」がブログを開設以来、ニュース記事を除いて最高のアクセス人数を記録した。世の中の人たちがいかに宇宙人や文明論に興味があるかが如実にわかる結果である。それにしても入ってきて「何だ塾ブログか」と、思われた方も多かったのではないだろうか。残念ながら当方は塾ブログなのであります。

巷では2012年地球滅亡説が囁かれているが、地球はあと数億年は滅亡しない。ただ消滅する国や文明は幾たびかはあるだろうが、地球は消滅しない。

朝焼けのなかに、ゆっくり昇る大きな太陽に照らされる地球の大地を見ていると、僕はこの星に生かされていることを本当に実感する。水と太陽のエネルギーとそして大地のぬくもりが、しんしんと僕の体内に注入されて来るのが感じられる。

社会の雑念が気になってしょうがない時は、地球という大地を吸い込んでみるとよい。きれいな空と広大な大地に横たわり、深呼吸してみるとよい。新たな希望が湧いてくるはずだ。きらきらと輝く真っ白な雪原に大の字になり、空を吸い込んでみるとよい。生きている感動が湧いてくるはずだ。

朝日と言えば、富士山から眺める日の出ほど壮大で綺麗なものはない。ご堪能ください。

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2010年1月17日 (日)

再び文明論

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僕が塾や高校での添削に用いてるGOODサインである。このサインが100個たまると宇宙旅行ができる。・・・・・という噂である。もちろん妄想や夢の中での話であるが。

最近、というか昔からであるが僕は宇宙人に大いなる興味がある。お化けやインチキ超能力などのあほらしい話には全く興味はないが、 こと宇宙人の事となると熱くなるかねごんである。

本屋さんに行くと本当に多種多様な宇宙人とのコンタクトの本が置いてある。カルト集団まがいの本があれば、どう見ても胡散臭い詐欺集団の匂いがプンプンするものまで、様々である。

基本的にETのような宇宙人はいないと思うのだが、僕なりに宇宙人に対する考えというものがある。

大学等で天文学を専門とする先生方はことごとく宇宙人を否定している。地球という星は人間のような生命体を生み出す唯一の奇跡の星だ、と言うのが彼らの主張であるが、僕もその意見にはある程度賛成である。

仮にある種の宇宙人が存在して地球にやってきているとしたならば、なんの目的があってこの銀河系宇宙の端っこにある僕らの星、地球にやってくるのだろう。好奇心からだろうか。観光だろうか。地球の支配だろうか。侵略だろうか。

侵略と言えば、よくアメリカの映画では、地球人と宇宙人のドンパチを目にするが、何万光年も離れた星からやって来れる高度な文明をもった彼ら宇宙人が、地球を乗っとろうと思えば一瞬にしてできることだろうと思う。何も鎌倉時代の武士のように、一対一で戦う必要はないだろうと思う。笑ってしまう。

実は僕は宇宙人は地球人だと思っている。日本の2000前を考えて頂きたい。卑弥呼や古墳時代からわずか2000年で、ネット社会が構築され、世界の情報が一瞬にして入ってくる世の中になった。過去の数十万年がずっと縄文時代だったとは考えられない。と言うかあり得ない。

現代を凌ぐ文明が何度も地球上に誕生したと考える方が、自然なのではないだろうか。そしてそんな進化を遂げた僕らの祖先のうちの幾つかの文明人が、地球を離れ、他の星に永住の地を求めた時があったのではないだろうか。

時間の制約を突破できた文明もあったかも知れない。フリーエネルギの開発に成功した文明があったかも知れない。残念ながら核戦争などで古代に滅亡した文明もあったかも知れない。僕は地球の歴史をそんなふうに考えている。いや妄想している。

もし宇宙人に合ったと言う方々が嘘を言っていないとしたならば、その宇宙人は、古代の地球に於いて別の進化の道を選択した我々の祖先の末裔ではないだろうか。

真冬の厳冬にそんな事をひとり夢想するかねごんであった。

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2010年1月16日 (土)

ブログ談義

昨日の15日は、午前中の高校の授業が終わった後、奥州市水沢区に向かった。毎年いつも合格祈願に行っている駒形神社のどんと祭に行き、昨年のお札や正月飾りをお焚き上げさせて頂いた。そしてその後友人の個別指導学び舎の小林先生に新年の挨拶を兼、旧交を温めるべく先生の塾にお邪魔した。

1時間半ほどよもやま話に花が咲いたが、なんといっても一番盛り上がったのはブログ談義である。小林先生は昨年の暮れに、長年の大望であった「陸奥話記」の現代語訳を世に出した。ひと仕事を成し遂げた安堵感と達成感がそこはかとなく感じられ、午後の日差しのせいばかりではなく、オーラーが輝きを放っていた。

小林先生の塾はビルの3階にあるのだが、教室からの奥羽山脈の眺めが素晴らしい。奥州市水沢は、僕のいる一関市から国道4号線を50分ほど北上した街だが、雪の量はいっきに増え、気温も2,3度違うだろうか。山の風景も凛とし、背筋を思わず正したくなるような張り詰めた感覚だ。

僕の塾の教室は、指導室が狭く10人も入ると窮屈な感じだが、小林先生の教室は広くて羨ましい。高校や中学校の普通教室のスペースがある。以前お邪魔した時と内装も照明も変わっていないはずなのに、明らかに教室が明るく感じられた。小林先生のエネルギーが放射し、空間さえも変わってしまったのだろうと思う。

僕はいつも思うことだが、会社や組織のトップのエネルギーは建物や看板にさえ反映される。不思議なものである。

実は小林先生の塾の前に、大手フランチャイズの塾が挑発するかのごとく昨年の暮れに開校した。僕も今回初めて目にしたが、良識ある経営陣ならばあのような礼儀知らずのことはしない。大手フランチャイズさんには失礼だが、全体にオーラーは感じられなかった。地元の生徒さんや保護者のみなさんの選択肢はおのずと決まって行くだろうと思う。

小林先生には美味しいコーヒーとどら焼きをご馳走になった。おっと忘れてたクッキーも美味しかった(・・・笑い)。次回はちょっと遅い新年会を居酒屋でやりましょう!ご馳走様でした!

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2010年1月15日 (金)

人生の旅人

飄々と人生を生きて行くことはたやすいことではないかも知れないが、物にこだわらず、外面にこだわらず、心の軸がブレない生き方をしたいものだと思う。

弱い立場の人間を余力のある人間が支えなければ、社会は崩壊してしまう。今の日本社会はその危機に直面している。他人の不幸を自分の幸福でもあるかのように振舞う現代人の姿に、僕は寒気を覚える。

その最たるものが政治家だ。マニュフェストだかマニュアルだか知らないが、名前を体のいいカタカナに変えただけで、実態は旧態依然とまったく変わらない。失望である。結局はお金と人脈の多いところに人が集まり、その甘い蜜を吸おうとする輩がセンセイと呼ばれる方々だ。

貧すれば鈍するという至言があるが、富めば貧するという社会構造が、僕には一番厄介な社会病理のような気がする。

黒塗りの高級車に乗って東京の街を走るセンセイ達には、ずだ袋を肩にかけ歩いているホームレスの人達の姿がどのように写っているのだろうか。彼らは運がなかったとか、時代に取り残された哀れな人間のように思っているのだろうか。

お金持ちの人間が、そうじゃない人間を見下す心理も、頭のいい人間が、そうじゃない人間を軽んじる心理も、根っこにあるものは同じもの。それは愛の欠如と傲慢さだ。

人生を生きるということは、旅そのものだ。袖振り合うも多生の縁と言うが、人生に於いてかかわるすべての人間は、偶然に目の前に現れるわけではない。全て理由があり、深い縁で結ばれている。

愛を持って接することなくして、僕らの旅は続けられない。

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明日はセンター試験

明日はいよいよセンター試験。そして市内では一関一高附属中学校の入学試験である。今日試験前最後の指導が終わった。全員合格を掲げ今年度も多くの山や峠を超えてきた。

親に感謝し、家族に感謝し、そして学校の先生に感謝し、受験会場に向かって欲しい。ここまで育ててくれた親への感謝を忘れずに、頑張ってきて欲しい。

ここに父親に感謝を捧げた若者の文章を紹介する。受験生諸君読んでもらいたい。

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2010年1月14日 (木)

ネット社会

先日めざましテレビから塾に取材の問い合わせがあった。いよいよかねごんシンガーソングライターが全国区デビューかと思いきや、残念ながら違う企画の取材申込であった。

1月13日録画撮りで16日のオンエアーとのことであったが、1月13日はセンター試験と一関一高附属中学校入試3日前である。さすがの出たがり屋かねごんも、受験直前の大切な時期であるゆえ丁重にお断り申し上げた。めざましテレビのスタッフの方ごめんなさい

実はテレビ取材の申し込みの話は年に何度か頂く。教育に関する取材ならば喜んで引き受けるのであるが、バラエティー企画は塾生のプライバシーもあり、お断りしているかねごんである。

岩手県はいろんな意味で中央のネタになりやすいのかも知れない。きっと頬が真っ赤で鼻をすすりながらインタビューに答えてくれる、なまり丸出しの純朴な生徒像を求めてくるのだろうが、昨今の岩手の子供たちは垢抜けした子供たちが増えている。我が家は別として、都会的な暮らしをするヤングパパママ世代が増えてきたからだろうと思う。

昨年も書いたけれど、岩手県の塾長さん方は控えめの方々が多いようで、ブログ等のホームページを立ち上げている方が少ない。岩手県南の広大な地域において、おそらく70件近くの塾があるはずであるが、ブログを公表しているのは、友人の個別指導学び舎の小林先生を含め、数人だけである。一関市に於いては僕の塾ぐらいだ。

必然的に、毎日駄文を書き続ける僕の拙いブログにヒットし、テレビ局の方が入ってくると思うのだが、ネット社会の世相を感じてしまう。

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2010年1月13日 (水)

タヌキ猫

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僕の家にはこんな猫がいる。名前はキラ。メス猫である。年齢は不詳。2軒先の家から、飼い主がいなくなり僕の家に引越してきた。早い話がプチ野良猫である。居候歴2年が過ぎた。

ご飯はキャツフードと鰹節。たまに気まぐれにネズミを捕ってきては食らいついている。家での定位置は、主電源を切っていないブラウン管式のテレビの上か、天井近くの神棚の上にいつも陣取っている。つまりは暖かいところが好きな猫ちゃんだ。

最近は喉が乾くと、水道の水が冷たいようで湯沸かし器の暖かい水を要求し飲んでいる。大チャクな時は、神棚に置かれた水を飲んでいる。自分が神様になった気分にでもなっているのかも知れない。

毎日食っては寝、食っては寝をしているものだから、猫というよりは太ったタヌキである。血筋にペルシャ猫の血が入っているらしく、それなりの洋風の佇まいをしているのだが、残念ながら歩く姿はタヌキ以外の何者でもない。

実はこのタヌキ猫、僕の母のいい話し相手になっている。最近は僕の嫁にも息子にもうとんじられているので、猫を相手に余生を送っている。よく見かける老人と猫の光景が我が家でも垣間見られるのである。

このタヌキ猫、人間の言葉が分かるのか、僕がタヌキ猫の悪口を言ったりするとじっと睨んでくる。時に知らぬ振りをし近づき猫パンチをしかけてくる時さえある。猫と言えども侮れない。

それにしても僕に体型が似てきた猫を見ているとなんとも複雑な気持ちではある・・・・。

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2010年1月12日 (火)

高校入試の受験地図が変わる?

久しぶりの雨が降っている。この季節には珍しい。気圧の変動が激しい毎日が続いて僕の偏頭痛がまた始まった。今年はストレスが少ないのか、胃痛と口内炎はどうにか収まっている。腰痛のほうもどうにか沈静化している。

一方今年の受験生は逆にストレスが多いようだ。インフルエンザの後遺症もさることながら、ストレスから体調を崩す生徒も多い。原因は今年の入試の動向が見えないことにある。巷の噂に不安が募っているようだ。                                             
15年前ほど前までは、12月の県下一斉テスト(校長会テスト)によって各校の倍率が発表され、ある程度の予想ができた。その後、志望校の偏差値がでる業者テストが学校現場から排除され、具体的な倍率は公立高校の願書締め切り後まで公表されなくなった。

岩手県では白ゆりテストが志望校順位がでる実力テストであるが、塾生を中心に行われるテストゆえ、全体の5分の1程しか受験しない。したがって残念ながら正確な偏差値が出てこないのが実情だ。

今年は4月より公立高校の授業料が無償化になる。高校入試の受験地図がきっと変わる。例えば、今まで旧市内の高校に通いたくとも、毎月の交通費が大変なので地元の高校に進学するケースが見られた。授業料が無償化になる分、それを交通費に当てられるということで、旧市内の公立高校を受験する生徒も増えるだろうと思う。

あるいは志望校が危ないと言われれば、家計の事情で私立高校に入れない生徒は、安全な高校に変えてきたが、今回私立高校も年収によってはほぼ授業料が無償になるため、思い切った志願も増えるかも知れない。

故に今年は、志望校倍率が新聞紙上に発表される2月上旬まで、僕らプロフェッショナルも数字が読めないのである。受験生たちも情報が錯綜し大変であるが、僕らも大変である。

兎にも角にも努力あるのみである。

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2010年1月11日 (月)

一握の砂

24年も前のことだが、僕は石川啄木の家族が眠る函館の立待岬を訪れたことがある。5月だったが津軽海峡から吹き上げる風は冷たく、潮風がやけに寂しく感じられた。

啄木の歌集を初めて手にしたのは中学1年の時だった。センチメンタルでそしてどことなくすねていて、やんちゃな感情と成熟した二面性を持った不思議な大人として中学生だった僕は啄木を感じたものだった。

石川啄木の歌集では「一握の砂」が一番心を動かされた。岩手の風土を懐かしく思いつつも、どこかで田舎者であることを毛嫌いし、都会派を装うとする啄木の気持ちは、岩手に住んでいる僕には痛いほどわかる。女性と酒を愛し、時に家族をないがしろにした啄木であったが、彼の短い人生は本当に文学と詩を愛した人生であったと思う。

研ぎ澄まされた言葉の感性は、時に両刃の剣となって彼の精神を追い詰めたこともあっただろうと思う。20代になって次々と歌壇に作品を発表した啄木は、後に天才歌人と称されるが、実は何度も推敲を重ね、緻密な構成を模索する努力家であった。

文語体を意図的に用いることで、風景の静寂さを醸し出し、激情的な心情をストイックに表現する彼の歌は、その静けさとは裏腹に、作者の持つ強烈なエネルギーを読み手に放射する。

宮沢賢治の詩が重厚なバロック音楽ならば、啄木の歌はリズムand ブルースだ。時代を超え世代を超え、愛され続ける啄木の歌は、現代人が持つ刹那的な感情と共鳴し、新たなる時代を構築して行く。

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若者たちへ

僕はいつも生徒達に言っていることがある。「希望しないことは実現しないよ」と。受験合格も仕事も結婚も遊びもそしてお金も、望んで初めて手に入るものだと思っている。いや確信している。

そしてその希望を手に入れる方法は、一見矛盾するように思えるかも知れないが、競争心を捨てることだ。感謝をすることだ。僕がブログでこのことを何度も繰り返してきたのは、実は簡単そうに思えて難しいことだからである。

他の国を搾取して富を得ることも、他人を打ち負かして地位を得ることも、決して長続きはしない。真の幸福はやって来ない。聖書にも書いてあるように、願えば必要なものは用意されるのである。資源も食料もお金も仕事も、実は地球上にあふれるほど満ち満ちている。それなのに常に不安を煽られ、物を独り占めしようとする人間がいるために、多くの悲しみが地球に満ちている。

野に咲く一本の草花でさえ、光や水や空気をあたえられ完璧な姿で存在し、生を全うする。ましてや人間がそれをできないはずがない。

全ての人間は無限の能力を持っている。それを否定し、ブレーキをかけてしまったのは近代の学校教育であり、夢を忘れた大人の無責任な戯言だ。小中学校では必要以上に将来の職業希望を生徒に尋ね書かせる。あれは希望を与えているのではなく、現実を直視させる習慣を与え、子供の夢を奪い取っている行為だ。

現実を見なさい。いつまでも夢を追っているんじゃない。好きなことで飯が食えるとでも思っているのか。年を考えろ。そんな残酷な言葉に耳を傾けてはいけない。人生は楽しく豊かになるためにある!

人は限りない能力を持っている。全ての人間が豊かに幸福になる素質を持っている。もしそうなれないとしたならば、それはそうなりたいという想いが足りないだけだ。

競争心を捨て、感謝を持ち、豊かさを呼吸しよう。必ず夢は叶う。人生を生きるということは、いばらの道を歩むことではない。喜びに満ち、愛を育み、わくわく生きることだ。だから努力と行動力が必要なのだ。そしてその一番の原動力が希望を持つことだ。忘れてはいけない。

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2010年1月 9日 (土)

成人式

明日は成人式だ。我が息子もようやく大人の仲間入りだ。長男は神奈川の北里大学病院で生まれた。20年前の1月16日だったが、関東では珍しく朝から大雪が降った。車が混んでいて、残念ながら出産には間に合わなかったが、ガラス越しに見る我が子の姿は神秘的だった。

自分が父親になった実感は、その時は正直湧いてこなかったが、この子のためにしっかり生きていかなければという想いだけは心にずしっと降りてきた記憶がある。

前にもブログで書いたけれど、その息子の誕生から1年を待たずして父が他界し、そして僕は一関の花泉の実家に戻った。家内と息子と母と祖母の5人の山暮らしが始まった。僕は今の塾を始め、父の仕事である農業を継いだ。僕が30歳の時だった。

息子は今年の正月、伯父や神奈川の祖父母に成人式のご祝儀を頂いた。懐があたたかいようだ。かと言ってパソコン代を少し貸してくれとは言えず、ちょっと羨ましい父かねごんである。

塾を始めた頃、狭い教室をよちよち歩いていた長男が、最近はバイトで僕の指導を手伝っている。20年という歳月の流れをしみじみと感じる今日この頃である。

20歳の頃僕はビリージョエルを口ずさんでいた。息子は部屋でヒップホップを聴いている。僕と息子の音楽の感性が妥協する余地は今のところないようだ。

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飛翔

不況の中、サラリーマンをやめ独立をしたいと思っている方が世の中には多いことだろう。

しかし独立の二文字を言葉にしたとたん、反対を唱える声が多いのも事実だ。収入が安定しないぞ。資金繰りは大丈夫なのか。生活ができるのか等々、独立をするリスクについてまわりは言い放つ。実は僕も20年前そうだった。

人脈もなく、お金もなく、そして生徒が集まる確信もなかった。あったのはやる気と情熱だけだったような気がする。若さと体力だけで突進した日々だった。

そのスタンスは今もほとんど変わっていない。365日ほとんど休みはなく、寝不足とストレスとの戦いがずっと続いてきた。塾生が合格して喜ぶ顔と、そして自分の好きな仕事で食べていけることの幸せがすべてを超越してきた。

僕は言わば、独立するリスクよりも独立しないリスクを危惧した人間かもしれない。

人生を自由に、思うままに行きたいと誰もが願うものだ。しかしそのためには努力が必要だ。時に命がけのこともある。ひとり悔し涙にむせぶこともある。自分が選択したことへの責任はすべて自分が背負うこと、その当たり前の覚悟がなければ独立はしないほうがいい。

「かねごんさんは、自由そうでいいですね」と最近言われる。僕のスケジュール表を見たならば、きっと自由の自の字もないことが判明するだろうけれど、確かに心だけは自由である。

なにせ妄想癖だけは誰にも負けない(・・笑)。毎日楽しいことがあるような気がする人生、それだけでも僕の心は飛翔する。

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2010年1月 8日 (金)

粉雪

今日で中三生の冬期特訓が終わった。手前みそだが、特訓が終わり、明らかに生徒たちの意識が変わった。塾生たちの受験生としての意識がさらなるステージにシフトアップした。

内部生の9割が受講した特訓であったが、それぞれが入試に向け何をやるべきかを掌握したようだ。今回は心配されたインフルエンザも流感することなく、全員順調に日程を終えることができた。感謝である。

来週からは冬期特訓とチェンジするかのように、今度は午前中高校での授業が始まる。2010年の幕開けもおかげさまで多忙である。1月16日はセンター試験。そして同日市内では一関一高附属中学の入試である。1月22日は一関学院高校の入試、1月26日は一関修紅高校の入試、そして1月28日は県立高校のスポーツ推薦選抜検査が行われる。いっきに入試モードに突入だ。

やり残したことがまったくないかと言われればたじろぎは少なからずあるが、今年度も僕なりに体力知力が続く限り頑張ってきたつもりだ。途中体調が崩れかかったものの、伊庄整体院の伊藤先生のケアーのおかげで、なんとか持ちこたえることができた。本当に感謝である。

自宅教室の風と虹の親子幼児コースも昨日スタートした。昨年暮れ廊下や水回りをリホームしたので、自宅教室の環境も昨年よりは少しましになった。トイレ前の洗面台にようやくお湯が出るようになった。水道が凍ることもないだろう。

何せ外気温も廊下の気温も変わらない。我が家は寒い!そう言えば、もの心ついた頃、僕の家の暖房は炭を燃やす囲炉裏だけだった。雪がふぶく日は、かやぶき屋根の煙出しから雪が舞い降りた。家の中の囲炉裏に粉雪が落ちてくる風景を想像してみて頂きたい。江戸時代の話ではない。50年にも満たない前の話である。

さすがに今は家の中に粉雪は舞ってこないが、ストーブがなければ命がけの冬である。温かい生活に感謝である。

粉雪はいろんな方がカバーしているが、僕はこれが一番好きだな・・・・・。

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別れそして出会い

2010年も早いものであっと言う間に1週間が過ぎ去った。正月休みも終わり、ほとんどの方が日常の生活に戻ったことだろうと思う。

今年頂いた年賀状を前にして、僕はさまざまな感慨に耽っていた。年を追うごとに毎年頂く年賀状の枚数が増えていく。年を重ねていけば、おのずと出会う人も増え、縁を持つ方々も増えて行く。賀状のやり取りも必然的に増えて行くわけだけれども、それとは裏腹に、何十年も年賀で近況を報告しあっていた方が突然いなくなる悲しみは言葉に言い表せられない。

過去の年賀状のファイルを眺めながら、そんな彼らとの遠い日の出会いを思い出しては、天国に召されて行った方々の笑顔や言葉をかみしめる僕である。

歌の文句ではないけれど、人は出会いと別れを繰り返す。さざ波のように引いていく人生の別れ。その波は決して二度と戻ってくることはない。

新年早々別れの話でもないだろうと思われるかも知れないけれど、これから僕ら塾教師は多くの別れを経験する。中学校や高校のような卒業式は塾にはない。一人一人との最後の授業がそれぞれの別れになる。今年もそんな季節が近づいてきた。

教育の大切な目的の一つに、子供たちの自立心を育てるという大きな使命がある。生きていくための糧をどうやって得ることができるのかを、教えることが教育の原点でもある。

言葉、感性、そして夢や希望。塾生との別れの時、もう彼らは大丈夫だと思う反面、不安が脳裏をかすめる生徒がいることも事実だ。人生の成功の是非は、テストの順位や偏差値ではかれるものではない。だから生きることはわくわく感があり、不安でもあるのだ。

幸多かれと願う子どもたちの未来。その未来に輝きをもたらすために、若者たちは多くの別れと出会いを繰り返して行くのかも知れない。

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2010年1月 7日 (木)

頑張れ受験生!

毎年中3生は受験が近づくこの時期、それぞれのストレスがいろんな形で症状に現れる。おさまっていた小児喘息が再び出てしまった生徒、アトピーが辛い生徒、脱毛症が現れた生徒、とても気の毒ではあるが、僕はそれが受験生だと思っている。

本人はもちろんのこと、その痛ましい様子を目にする親御さんや家族も辛いだろうけれど、受験勉強とはそういうものである。毎年受験が終わり桜が咲く頃には、ほとんどの生徒がケロリと治っている。

僕もこの時期になると、持病の腰痛が頻繁に襲ってくる。それが悪化すると今度は胃痛が始まる。受験指導がうまくいかなかった年などは、それが完治しないまま猛烈な花粉症が始まる。ストレスである。

精神や肉体の限界を超えて無理をすると、体の弱い部分に「君はちょっと限界にきていますよ、休みなさい」という信号がストレス性のさまざまな症状だと言われているが、僕はちょっと違う考えを持っている。

自戒の意味も込めて言わせてもらうと、努力の方向性や心の指向性のあり方が、ちょっと違っているよというのがストレスの原因だと思っている。

デスクワークはいいのだが、肉体労働は苦手という人いる。単純作業は苦にならないが、パソコンの前に座っただけで具合が悪くなる人もいる。同じように受験勉強も十人十色なはずだ。

暗記科目に七転八倒する生徒がいれば、書くことが大好きな生徒もいる。一方本を読むことが全く駄目だという生徒もいる。14年ないし15年生きてきた生徒の、それぞれの癖や好みの受験勉強スタイルがそれぞれある。

長い人生に向けて、自分の癖や特性を知ることも受験勉強の大いなる学びであるはずだ。頑張れ受験生!

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2010年1月 6日 (水)

ようやくパソコンが・・・

ようやく新しいパソコンが入り日常の生活が始まった。僕の塾の高校生いわく、パソコンの寿命は平均5年から6年なのだそうだ。

確かに僕のパソコンも6年目でドライブデスクが壊滅した。交換をし、だましだまし使ってきたが、先月から文字の変換がままならなくなり、ブログやら仕事の文章作成が厳しい状況だった。今使っているパソコンは本当に軽い。雲の上をすいすい進んでいく感じである。

二日前までは、朝起きてPCにスイッチをいれ、トイレに行き、ひげを剃ってパソコンに戻っても、画面がまだ起動していないことがあったが、新しいFMVのパソコンは20秒足らずで立ち上がる。素晴らしい!感激である。

市内の電気屋さんに家族総出でパソコンを買いに行った。僕が思うに、女房や息子達が、僕が安いとんでもないPCを買うことがないように監視するために同行したような気がする。

セブンが出たので在庫のビスタが安くなっている。僕のお勧めは、すぐにセブンに変えられるビスタである。

それにしても今日の冬期特訓は眠かった。しゃべってないと眠りに落ちそうだった。ブログを読んできた塾生より、「先生、自分で古いパソコンからの情報のインストールできたの?」というドキッとする質問をいただいた。実は息子にやってもらった。

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眠い

8年間使ってきたPCが限界を迎え、新しいパソコンに買い換えたのはいいのですが、あまりにも進化しすぎていて戸惑っています・・・・・。

昨夜、夜中に帰ってきて新しいパソコンと格闘していました。今朝ようやくブログを書ける状況になりました。眠いです。

お金を使ったことのストレスと、眠いストレスでふらふらです。これから仕事に行ってきます。

こんな記事で申し訳ありません。

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2010年1月 4日 (月)

寒いものは寒い

今年最初の冬期特訓はテストで始まった。動詞の活用100問と漢字200問のテストである。例年になく高得点が多かった。正月を無為に過ごした生徒がいなかったことに一安心である。

年頭の塾の恒例行事として、受験生一人一人に駒形神社の合格鉛筆を手渡した。そして絵馬に一人一人が名前を書き受験合格を祈願した。いよいよ今年も始まった。

昨年の暮れの暖冬とは打って変わって、新年の始まりとともに雪が降り積もり、厳しい寒さが続いている。さすがに自転車でやって来る生徒はいない。親御さんやご家族の送り迎えも雪道で大変である。

かく言う僕も、通常ならば8時半に家を朝出るのであるが、この雪道では8時には出ないといけない。この30分の違いが老体にはなかなか厳しい。雪原の光の放射が目にまぶしい。サングラスが雪道の必需品であるが、年末の大掃除とともにどこかへ行ってしまった。

横浜生まれの家内は、いまだ岩手の冬の寒さにはなれず、「寒い寒い」を連発している。しかし、岩手に生まれた僕だって寒い。こうなってくると,どこの生まれだとか関係なく寒いものは寒い。

お昼時でも0度を下回る日々が続くと、だんだん不機嫌になってくる。寒くて血液の流れが滞り、血の巡りが悪くなるせいかも知れない。北海道の旭川に住んでいた教え子が言っていたが、マイナス25度を経験すると、岩手の冬は春の雪溶けのような暖かさだそうだが、でもやっぱり寒いものは寒い。

近年は頭の毛がなくなってきたものだから、すうすうしてしょうがない。僕の自宅も僕の頭も、北国なのに何故か夏向きである。困ったものである。

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夢の3億円

やっぱり今回も3億円の年末宝くじは当たらなかった。残念である。全国の多くの宝くじファンが僕と同じ思いだったのではないだろうか。

誰もが思うことだろうが、3億円が当たったならば多くの人は何に使うか迷うだろうと思う。僕は間違いなく軽トラックを1960年代のアメリカ製のクラシックなトラックに乗り換え、ジャズをかけまくり疾走するだろうと思う。

昼間は新幹線で通える大学に入って心理学を学びたい。そんな夢を持っている。それで後は、残ったお金は老後の貯めに蓄えることにでもしよう。

そんなことを考えて数十年が過ぎた。御気楽人間である。一関市では昨年3億円が出た。全くもって羨ましい。実は今年は宝くじが当たるような気がする。根拠はない。気がするだけである。

そんなことを言うとまた女房や息子たちに馬鹿にされそうであるが、人間幾つになっても夢は大切である。少なくとも僕が宇宙人と遭遇する確率よりはジャンボ宝くじの高額宝くじが当たる可能性があるような気がする。

車を運転していると,宝くじ資金で購入されたがん検診のバスとすれ違うことがある。間違いなく一台分のタイヤ代ぐらいは、僕が今までに出資しているはずだ。従ってそろそろ宝くじの神様が僕に微笑んでもいいかと勝手に思っている。

神様!どうか宝くじが当たりますように!かねごんの今年の初夢である。おっと忘れていた。その前に塾生の志望校全員合格である。う~僕としたことが・・・・・

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2010年1月 3日 (日)

冬期特訓再開

箱根駅伝は史上6校目となる東洋大学の2連覇で幕を閉じた。柏原竜二くんが箱根の山を登る姿は、まさに竜が箱根の芦ノ湖を目指すようなパワーとオーラーを感じた。

信じられない脚力である。かつて塾の教え子が東洋大学で箱根路を走った。教え子も今回の後輩の走りに歓喜を覚えたことだろうと思う。20大学の出場枠を獲得することが大変な箱根駅伝。しかもレギュラーで箱根路を走る幸運を得ることもままならない厳しさの中、長距離ランナーにとって箱根路はまさに憧れの花である。

母校の大学が箱根駅伝に出ている方々が本当に羨ましい。僕の友人や教え子たちの中には駅伝の常連校の出身者が多く、よく話題に上がる。早稲田大学、東京農大、帝京大学、中央大学、上武大学、明治大学、そして東洋大学。今年もテレビの前で母校の応援に燃えたことだろう。本当に羨ましい。

僕の母校は、高校は駅伝の全国大会の常連校で,箱根路を毎年走る後輩がいるのだが、残念ながら大学は駅伝はなく、箱根路とはまったく縁遠いのだが、どこの大学であれ必死に走る大学生の姿は感動の何ものでもない。

今年僕が涙した場面は、第9区でわずか10秒足らずでタスキを渡せなかった亜細亜大学の選手の涙であった。同胞の汗と涙の染み込んだタスキを最後に渡すことが出来なかった無念さはいかほどであったろうか。僕の新年の泣初となった。

さあ箱根駅伝も終わり、明日の朝から中学三年生の冬期特訓が再開する。僕もタスキを締め直し仕事に復帰である。やるぞ!

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大切なもの

新年が明けてから、ずっと雪が降り積もっている。東北自動車道も吹雪のために通行止めが断続的に起きている。

元日は家族で神社に参拝し、今日は箱根駅伝をテレビで観戦し、町に買出しに行き、一日が過ぎて行った。冬期特訓のつかの間の休息である。正月が終わると3月の県立高校入試までノンストップの日々である。

世の中に様々な変革が起ころうとも、価値観が変遷しようとも受験は決して無くならない。競争社会を生き抜くために人は頑張ろうとするのだけれども、本当は戦う相手などいないのだ。

一人一人が生きて行くための糧と希望は、十分用意されている。それを阻害してしまうのは、欲望と言うなの暴走である。

足ることを知らず、限りない欲望の渦に巻き込まれ、幸福であることも忘れ、感謝を失い、疾走して行く。そしてその先に待っているのは失望だ。

僕はいつも思う。毎日食べるものがあり、寝る場所があり、自分を心配してくれる誰かがいる。それにまさる物はない。毎日陽が昇り、一日が終わっていく。生かされることの感謝と、生きることの喜びが常にある日々、最高ではないだろうか。

受験勉強が大変だと言うけれど、実は受験勉強が出来る日常が素晴らしい人生の日々であることを、将来気づく子供達は多いだろうと思う。合格という二文字に向かってエネルギーを費やせる幸福をかみしめてもらいたい。

努力の先に必ず栄光は待っているものだ。若さと希望と、そして限りない夢を持つ特権がある時代、なんと素晴らしい時代だろう。この時代に輝かないでいつの時代に輝こうと言うのだろうか。

吹雪の後に、新年の日差しに輝く雪景色を見ながら、僕はこの風景がなぜこれほどまでに美しいのかを考えていた。その光景に人生の風景を重ねていた。

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2010年1月 1日 (金)

その先に感動が待っている

今年はどんな年にしたいのか、僕は自分に問いかけた。今年は着実な1年にしたい。奢ることなく、ひるむことなく、実績を残せる1年にしたい。

生きていれば幸運な年もある、不運な年もある。しかしたゆまぬ努力はいかなる不運も帳消しにしてくれると僕は信じている。

「運がなかった」という言葉は、35年前の高校入試失敗という経験以来封印した。努力なき者に栄光なし、僕は今までの人生に於いて常にこの言葉を座右の銘にしてきた。

誰かが道をあけてくれるわけでも、誰かが道を作ってくれるものでもない。自分の道は自分で作っていくもの。それが人生だと思っている。

失敗した人は言う、「誰も助けてくれなかった」と。甘えてはいけない。自分を救うのは間違いなく自分だ。多くの人達の協力があったからこそ普通に生きてこれたのだ。それを忘れてはいけない。

2010年、僕はここまで生きてこれたことに感謝するとともに、新たなステージに上がることを吹雪の中、神社の参拝で誓った。

  その先に感動が待っている!

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喜びに満ちた1年でありますことを

2010年明けましておめでとうございます。

本年もかねごんのわくわく日記をよろしくお願いいたします。

大験セミナーわくわく日記もおかげさまで3年目に突入しました。毎日ボヤキばかりを書きしたためてきた日記のような気がします。ストレス解消のようなブログで、なかなか気の利いたことが書けない日々ですが、忙しい折私のブログにアクセス頂いている皆様には本当に感謝でいっぱいです。

昨年は人生の中で一番多忙な年だった気がします。「こんな老体になって何で皆が僕に仕事を持ってくるんだろう」と、愚痴ることも多々あったような気がします。しかし頼られるうちが花なのではないだろうかと、時間が許す限り全力で駆け抜けた1年でした。

今年も塾の代表として、高校教師として、卓球のコーチとして、二人の息子の父親として、一歩一歩生きて行きたいと思います。時に歌を歌い、田んぼで汗を流し、怒り,喜び、涙し、多くの子ども達と人生の大切な大切な一瞬を共有して行きたいと思います。

正月明けから、センター試験、附属中学校の入試,私立高校の入試,県立高校の推薦入試と、1月は受験ラッシュです。受験生の緊張感が伝わってきます。今日は水沢の駒形神社に行って合格祈願をしてきます。塾の受験生に恒例の合格鉛筆を渡します。

今外は粉雪が舞ってます。目が覚める頃には真っ白な元日の朝でしょう。今年1年、皆様に悲しみがなく、喜びに満ちた1年でありますことを!

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