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2009年12月16日 (水)

経験知だけでは生きていけない

僕の拙いブログを教え子の先生をはじめとし、多くの学校の先生方に読んで頂いているが、今日はちょっと厳しい意見を言わせてもらいたい。あくまでもごく一部の先生に対してであるが・・・・・。

僕の勝手な極論かも知れないが、得てしてスポーツの天才プレーヤーが良き指導者であるとは限らないように、あるいはお坊ちゃん育ちの政治家のセンセイが、庶民感情を理解出来ないように、勉強をすることが苦でなかった先生方の中には、勉強の出来ない生徒の気持ちを、実は理解出来ない方がおられるのではないかと感じる時がある。

小さい頃から家庭環境に恵まれ、良い学校を出て、挫折を味わうことなく教職に就かれた先生の中には、勉強が出来ない子どもの心理というものを、心の深い部分で咀嚼出来ない方がおられる。

毎年保護者の皆様からの相談を承るにつけ、子ども達からの不満や嘆きの相談を聞くにつけ、僕はそのことを強く感じるのである。

「なんでそんなことを言うかな~」と,耳を疑いたくなるような発言が学校の先生から生徒に発せられている。本来先生というものは、生徒の能力をけなす立場ではなく、激励し勉強なり部活動なりを応援する立場の人間であるはずである。

生徒をバカ呼ばわりしたり、どうせあいつは努力しないダメなやつだと決めつけて指導の箍(たが)を緩めてしまうのだろうか。経験知だけで物事や事象を判断してしまうと、人間は進歩をやめてしまう。

失礼だが、お年寄りを見て頂ければわかると思うのだが、「オレは長年の経験で言っているんだ!」という頑固爺を見かけたことが誰でもあるかと思うが、迷惑この上ない。世の中は日進月歩流動し進化している。経験知だけで生きて行けるのならば、誰もこんな不況の時代で苦労はしないのである。

例えば1000人の子ども達を指導してきたとしても、その一人一人を理解してきたとは当然のことながら言えない。その子どもの持っている指向性や魂の抱えている闇のようなものまで見てきたわけでは決してない。表面だけの考察で、まるでその生徒の人格をすべて理解したような態度をとることは、先生としてではなく、人間対人間として失礼ではないだろうか。僕はそんなふうに考えている。

問題を抱えている生徒の顔を思い浮かべながら、じっと意識をその生徒の心の中に降ろしてみる。そしてなぜこの生徒と自分が関わりを持っているのか、なぜこの生徒の問題が自分に押し寄せてきたのかを、5分でも10分でもいいから静かに考えてみるといい。もしその生徒に対して、感謝の心が湧いて来るようならば、もう問題は解決に向かうはずだ。

これは僕が経験知から得た対処法などではない。日常の感覚知だ。

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