未来が誰にでも来るように
遠ざかって行く日々の思い出が、残された時間を惜しむように押し寄せそして去っていく。
最後にかわしたさようならが、今生の別れになる時があるように、目にした風景が人生の最期の思い出となることもある。
子ども達は未来に横たわる多くの時間を、時にあくびをしながら夢想し、時に鼻をほじくりながら妄想することがあるのだろうけれど、決してその未来が限られたものだとは思わない。
道端の石ころを蹴飛ばすように、子ども達は大人が抱くだろう不安を蹴飛ばして行く。
宿題プリントをやることも,やらないことも自由だ。
勉強机の上にある計画表が、書かれてからゴミ箱に捨てられるまで、一度も実行されないことも自由だ。
プリントをやることで人生の何かが変わるわけではない。計画表のその先に明るい未来がいつも待っているわけではない。
しかし子ども達よ。
実は人生は限られた営みであることを知っているだろうか。人生とはいかようにも変化するものだけれども、それは努力なしではなされないことを知っているだろうか。
誰もが素晴らしい能力を秘めている。しかしそれは努力という二文字で開花するものであることを知っているだろうか。
未来が幸福であるために、鉛筆を握りしめて机に向かおう。
未来がやさしさで満たされるように、物語に涙しよう。
未来が誰にでも来るように、そっと祈ろう。
子ども達よ。君たちが大人になる日、それぞれの未来が問われるのだ。
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