きっと道は見えてくるよ
先日中学生の息子を学校まで送って行った時のことである。いつもながらの遅刻ぎりぎりのタイミングで校門前に到着したのだが、ワンボックスカーの中で頭を抱えて動かない男子生徒がいた。
お母さんは腕組みをして仁王立ちである。会話は聞こえなかったが、察するに学校に来たくないのを無理やり車で連れてこられたようだった。僕らが来るまでどれくらいの時間が過ぎていたのか知る由もないが、結局は子どもを乗せて家に帰ったようだ。
息子はちらりとその様子を眺めていたようだが、他人事ではない。最近こそ何とか休まずに学校に通っているが、小学校の時と中1のときにはプチ不登校を決行された。一週間ほど休んだろうか。
実は僕にも前科がある。高一の時に高校に行くのが嫌で、ずいぶんと休んだ。しまいには退学届けを持って行った。幸いにも当時の担任の先生に説き伏せられ、辞めずに3年間を終えた。ゆえに今の僕がある。
あれから35年の月日が流れた。先生は今仙台にお住まいになっているが、いまだに年賀状のやり取りは続いている。わざわざ僕の山の中の自宅まで来ていただいた、若かりし頃の先生を思い出すことがある。こんな我がままの僕のために、一生懸命励ましてくれた先生に感謝しても感謝しきれない気持ちである。
若さゆえのどうしようもないやり場のない気持ちと、有り余るエネルギーのはけ口を求め、僕は尾崎豊の歌の世界を地で行くような生活を送っていた。真夜中にバイクを乗り回し、友人とギターをかき鳴らし、当てのない光を求めていた。
それが今、何をどう間違ったのか、先生などと呼ばれている。塾どころか高校まで行ってずうずうしくも教科指導をしている。人生は不思議なものだと思う。さすがにもうバイクは乗らないが、相変わらず音楽とやんちゃな性格はやめられない。
頭を抱えていた少年を見て、僕はそんなことを一人考えていた。
だいじょうぶ、きっと道は見えてくるよ。
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