自己洗脳
世の中の常識に反して、目に見える富や、目に見える学力などに囚われてはいけないと僕は思っている。お金は数字という形で給料明細書や通帳に表れるし、財布の中身もしかりである。学力も学年順位や偏差値表に表れ、それが人間の評価になってしまっている。
悲しいかなその結果で、いわゆる自己洗脳され、自分の人間としての地位を過小評価してしまう人達が多い。その逆もしかりである。
意識的にあるいは無意識的に力強い願望を持っていても、なかなかお金が手に入らない、学力が身につかないという人が多くいる。それは行動力の違いであると思う。
数学が嫌いならば、せめて早起きをして読書をするとか、頼まれたことは都合がつく限りやってあげるとか、困っている人がいれば相談に乗ってあげるとか、そういった日常の行動が幸運なり強運を呼び込んでくるのだと思う。
人を助けることもなく、お金にならない事には指一本動かさないという態度では、いくら願望ばかりが強くとも女神は微笑まない。
僕は名刺に校長などという肩書きを冠しているが、生徒のため家族のため一日500円の小遣いで頑張っている中年のはげ親父である。一見風采が上がらないよぼよぼメタボジジイであるが、実はその通りなのである(・・笑い)。
いつも女房に叱られるのだが、学歴もない、お金もない、髪もないなどと言う自虐トークをやっているものだから、「あなた言葉は言霊よ。自分を卑下した発言はたとえ冗談でもやっちゃだめです」などと厳しくお叱りを受けるのである。
しかし女房は僕の心を読み取っていないと思うが、そんなジョークを言っている時こそ、行動し心は情熱に燃えているのである。いつも塾生たちに言うのだが、僕が自虐ネタを連発するときは、世のため人のため働いて疲労困憊している時なので、どうか僕を励まして欲しいと懇願するのだが、「十分ハゲが増しているよ」と上手のギャグを食らってしまう。
三日前に紹介したNSPの『あせ』の歌詞じゃないけれど、人生で大切なものは、お金でも勉強でもなく、生きることに専念することだと思っている。名誉や地位や、そして欲望渦巻く人間関係にがんじがらめになってしまうのは、人それぞれが持つ「生きる」という意義を失ってしまっているからではないだろうか。
「生きる」とは、今の仕事を全力で行って、強い意志を持ち、その日出来ることをその日にこなし、人を思いやり、対価以上の仕事をし、前向きに生きることだと思う。
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