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2009年11月 7日 (土)

命のバトンタッチ

僕は人間は誰もがサイキッカーだと思っている。だいたいにしてこの地球に無事生まれてきたこと自体が奇跡であるし、このようなすばらしい星に存在し生活していることが奇跡だと思っている。まさに感謝なくして僕らの存在を語ることは出来ない。

僕の塾は人智学をベースにしたシュタイナー教育を取り入れ、家内が幼児の指導をやっているものだから、時に何かの宗教をやっているかのごとく世間様に見られる傾向があるのだが、無宗教である。

ごく世間一般的に曹洞宗の檀家であるし、僕は現在地元の神社の総代を引き受けている。学校はキリスト教系の大学を出てはいるが、クリスチャンではもちろんない。家内もしかりである。

ただ50年近くの人生の中で、サイキッカーな方々から、かねごんさんは見えているんじゃないですかとよく言われるが、僕は霊やお化けのたぐいはいっさい見えないし、見たいとも思わない(・・・笑い)。自称宇宙人などと塾生の前でオチャラケているが、もちろん宇宙人にあったこともない(激爆)。

ただかつてブログでも何度か書いたが、年に数回、人と話をしていると脈絡もなく、その方の前世なのか、過去生なのかは定かではないが、違う時代に生きている光景が見えてくるときがある。インドのガンジス川の川べりでの光景であったり、アンデスの山中で糸を紡いでいる光景であったりする。

しかしそれは、僕の想像が作り出した単なる幻想かもしれないし、疲労から来た幻覚だったかもしれない。何も確信もない。しゃべってもいいかなと思われる方には僕が垣間見た光景をお話するのだが、思い当たるふしがあるのか、驚かれる方が多い。

実はこのブログにリンクを貼らせて頂いている先生方の中には、きっと僕のソウルメイトだろうなと僕が勝手に思っている先生方いる(勝手に思っているだけですのであしからず)。

僕は人間は果てしない久遠の旅人だと思っている。今生の人生が終わって向こうの世界に帰り、また人間としての輝きを増すためにいつの日かこの地球に生まれてくる、魂の旅人だと思っている。

僕らは悲しむためや、苦しむために生まれてきたのではない。今生の人生を謳歌するために生まれてきたのだ。だから人を傷つけたり、自分を否定してはいけない。豊かで幸せな人生を送ることが我々の使命であると思う。

気の遠くなるような命のバトンタッチが繰り返されてきた。人と人が出遭い、愛を育み、命が生まれる。その偶然と感動を奇跡と呼ばずして何を奇跡と呼ぶのだろうか。

日々大切な子どもたちをお預かりしている僕は、そのことを一番強く感じるのである。

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コメント

素敵な記事です。

>僕らは悲しむためや、苦しむために生まれてきたのではない。今生の人生を謳歌するために生まれてきたのだ。だから人を傷つけたり、自分を否定してはいけない。豊かで幸せな人生を送ることが我々の使命であると思う。

>気の遠くなるような命のバトンタッチが繰り返されてきた。人と人が出遭い、愛を育み、命が生まれる。その偶然と感動を奇跡と呼ばずして何を奇跡と呼ぶのだろうか。


すべてに感動を覚えます。
僕も無宗教の一般的な日本人ですが、命の尊さとそれが繋がれていく過去と未来について、いつも考えています。

ありがとうございます。


(かねごん)
本田先生コメントありがとうございます。
共感いただきとてもうれしいです。本田先生が作る歌もそうですが、ひとは励ましあい助け合い、そして勇気をもって生きていくものですよね。
自分という存在や、他人という存在が、いかに多くの人達の命に支えられ育まれてきたのか、そのことを子どもたちに伝えることが、大人の使命だと思います。
本田先生の著作や、歌がそういった力になっていることに僕は感動します。

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