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2009年10月18日 (日)

人生は楽しむためにある

基礎力がない子どもたちの共通点は語彙力がないことと、文章の読解力がないことである。文章の読解力は言わずもがなすべての学問の基本である。

小学校4年生以降の漢字がまったく読めない中学生に毎年のように遭遇する。教科書や新聞を読まないし、読めない。漫画すら読もうとしない。家ではゲームのみである。

発する言葉は、「うざい」や「きもい」などの原始的感情を表す言葉ばかり。自分を表現する言葉が見つからないゆえに、すぐ感情的になり、激昂する。大人との会話がまったく成り立たない。

「あのよ」「あのさ」などのため口を使い、断片的な単語をぶつけてくるのみで、脈絡のない会話が続く。幸運にも拾ってくれる高校があっても、残念ながら勉強が続けられないのが現状で、彼ら彼女らは、社会の裏道にさ迷いだす。

さ迷える子羊たちはどこへ行くのだろう。塾を去り、学校さえも去り、うつろな眼差しで夕暮れの町を徘徊している若者たちを見ると、僕は心が痛い。

僕も年を取った。生活することの厳しさはいやと言うほど経験してきた。ただご飯を食べて、寝て一日が過ぎていく生活とて大変なことである。

努力をせよと言われても、何をなすべきかを知らない若者たち。小さい頃から目標を持つことがなく、与えられたことのみを消化してきた子どもたち。残念ながら彼らを再教育する場はない。

家族が教育をあきらめ、学校も見放し、自分が自分さえを信頼できない状況で、何が出来るというのだろうか。

多くの若者たちが自分の存在価値を見つめることが出来ないでいる。テストや成績で差別され、知らぬ間に存在さえも差別されてしまっている。

仕事がない、夢がない、お金がない、家庭がない、それでも人間は人間として尊厳に値する存在なのだ。人間は確かに不公平にできている。しかしだからこそ人生はおもしろいんじゃないだろうか。

人生は楽しむためにある。僕の信条だ。学歴がないことが一番の不幸なら、もう一度教科書を開けばよい。どの学年から始めたっていいじゃないか。仕事がないことが惨めならば、仕事がありませんかと、街のはじからはじまで尋ね歩けばよい。

何もやらずして人生の扉は開かない。もう一度言おう。人生は楽しむためにある。努力をしても大変な人生はある。努力をしない人生ならもっと大変なことになるのではないだろうか。考えること、そして行動すること。必ず道は生まれるはずだ。

人生は楽しむためにある!

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