蒼ざめた馬
ふとしたことで人は元気になったり落ち込んだりするものだ。空を流れる雲の速さや、公園に注ぐ陽の光、そして手にした書物などで心のバイパスが変わることがある。
毎年この季節になると手に取る一冊の本がある。萩原朔太郎の詩集である。「青猫」のなかに収められている『蒼ざめた馬』は僕の好きな詩だ。
私の「意志」を信じたいのだ 馬よ!
因果の宿命の定法のみじめなる
絶望の凍りついた風景の乾板から
蒼ざめた影を逃走しろ
詩の最後に怒涛のごとく繰り出される言葉の重厚さは圧巻だ。朔太郎の苦悩や重荷がいっきに瓦解し、意識の本流が読み手を圧倒し元気付ける。
時に言葉は抽象的なほど読み手のイマジネーションを掻き立てるものだが、朔太郎の詩は自分の内面の私的さを曝露すればするほど、その心情が痛いほど伝わってくる。
従って彼の詩は、時に閉鎖的でもあるのだが、その閉鎖性が奔放な朔太郎の飛翔感を逆に強調しているような気がする。
浮遊する多くの言葉を、がんじがらめにされた呪縛から開放させようとした朔太郎の詩は、時に欲望であったり、生きる疑念だったりするのだけれど、いつも僕に生きる勇気を与えてくれる。愛することやそして憧憬を失わないためにも、詩はいいものだ。
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お元気ですか?学び舎です。
稲刈りの終わった田んぼがあちこちに広がり、秋が日一日と深まっている感じがします。
金田先生も朔太郎がお好きでしたか。実は、私も「青猫」が好きです。今手元に朔太郎の詩集が一冊もなくて読むことができませんが、ときどき朔太郎の詩を読みたくなります。
どういうわけか萩原朔太郎の詩集と中原中也の詩集を手放してしまい(その事情が思い出せません。古本屋に売ったのか、それとも誰かに貸してそのままになったのか記憶があいまいです)読みたいと思うときに手近にないのは、残念なものですね。
この時期になると詩や短歌がやたらに沁みます。吉井勇の「あだ名して樊會と呼ぶ極道もしみじみとして遊ぶ秋の夜」なんかもいいですね。(會は正しくは口へんなのですがうまく変換できませんでした)
(かねごん)
小林先生コメント頂きありがとうございます。
やあめっきり秋色ですね。何がなんだか多忙な日々が流れています。こんな時期だからこそ詩が読みたくなるんですかね~。
そう言えば小林先生も詩人でしたね(うふふ・・・)。先生の詩読んでみたいです。
投稿: 学び舎主人 | 2009年10月 3日 (土) 11時02分