世の中のために何が出来るのか
母親は毎日ご飯を作り、父親は毎日仕事に出かける。至極当たり前の日常ゆえに子供たちもそして家族も改めて感謝することもないのだけれど、忍耐と努力の日々が続いていく。
一方受験生たちは、「あなたたちは受験生なのだから勉強しなさい」と言われる。本当は死ぬまで勉強の日々なのだが、数限りない大人たちの欺瞞(ぎまん)のひとつに翻弄され、必死さを演じながら受験生たちはいつもと変わらない勉強を繰り返す。
人生で大切なものは何ですか。高校生たちはなかなか答えを返しては来ない。何のために生きるのですか。2,3人の高校生がようやく口を開いてくれた。「食べるためにです」 「死ぬためにです」 「眠るためにです」。それなりの本音が返ってくる。
無作為に選択した人生のサプリメント。その中に必ず入っているのが、希望だ。好きな人を抱きしめたいという希望。好きな人のために頑張りたいという希望。人はそれを愛と呼ぶ。
僕ももちろん考えてみた。何のために生きるのかを。10代の頃は自分の夢のためだった。20代の頃は、愛する人のためだった。30代の頃は家族のためだった。そして40代に入ってからは、世の中のために生きている。
「うそつけ、かっこいいことを言うんじゃないよ」と言われるかも知れないが、本当に世の中のために生きている。厳密に言えば、世の中のためになりたいと思って生きている。だからこそこんな僕でも、逆境がやってくるたびに、多くの人に助けられるのだと思っている。
体調を崩したときも、お金に困ったときも、本当に多くの方々に助けていただいた。感謝で一杯である。
謙虚さとそして感謝の心を失わなければ、人はきっと確かな人生の歩みを進めることが出来ると信じている。大変な時代だからこそ、世の中のために何が出来るのか、自分の持ち札を考えてみるといいのではないだろうか。
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