生きていれば間違いなく年を取る
長年夢見ていることがある。夕陽が山脈に沈んでいくその一瞬一瞬を眺められる場所で、ジャズ喫茶を営み、日々ジャズを聴く老後を送ることだ。
塾教師を続けることが体力的に厳しくなったならば、人生の余生をジャズ屋の親爺として送ることが僕の夢である。アートペッパーのすすり泣くようなサックスやコルトレーンの深遠な息遣いを聴きながら、残された時間を思い出とともに過ごす人生。そんな老後を送れたら最高だろうなと考えている。
秋が色濃くなってきたこの季節、僕の妄想は凝り性もなく膨らむ。
中学時代の同級生たちが20数名天国に旅立ってしまった。280名ほどの同級生なので、10人に1人が50歳を前に亡くなったことになる。
様々な人生模様を生きたであろう青春の同胞たちに、かける言葉もなく途方にくれる僕である。中学、高校を卒業して一度も逢うことなく天国に行ってしまった同級生も多くいる。彼ら彼女らは、いつまでも卒業アルバムの中の少年少女のままだ。
彼らの分まで僕らは生きて、生き抜いていかなければならないと思っている。中学生の頃、40歳や50歳になった自分の姿など想像するすべさえなかった。
しかし生きていれば間違いなく年を取る。100メートルを15秒で走ることも、まる二日徹夜することも、もうかなわない年になった。でも、年を取ることで身についてきたことも多い。それはある種の諦観であったり、冷静さであったり、そして肉体が衰えたからこその心の情熱だったりする。
60歳があと10年ほどでやって来る。先生と呼ばれる仕事を30年近くやってきた。いや、やらされてきたと言ってもいいかも知れない。何か見えない力に背中を押され生きてきたような気がする。
あと10年、子供たちの感性について行けるように、頭と心を鍛え続けていかなければと思っている。そして60歳になったなら、あらためて自分の夢と相談しようと思っている。
10年後長男も30歳、次男も24歳になる。僕も好きなことをやってもいいだろう。駆け込み寺みたいなジャズ屋の親爺をやってみたいな。
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