暗黙の意思疎通
14歳になる我が家の老犬ボブが、2週間前から食欲なくなり、歩くのもおぼつかない状態になった。命も長くないなと覚悟した僕は、自分のなけなしの小遣いで、上等な肉の缶詰を買ってきて与えた。
日頃食しない肉を食べて、元気を回復し、散歩も何とかできるまでになった。元気なときは番犬として庭のはじに繋がれていたのだが、体調を崩してからはその場所を嫌がり、今は座敷の前に寝そべっている。家族が居るところがいいのだろう。
我が家ではキラという名前のメス猫を飼っているのだが、老犬のボブはやきもちで、キラをかわいがっていると自分もかまってくれと騒ぎまくる。かと言って仲が悪いわけではなく、2匹仲良く日向ぼっこなどをしている。
我が家のペットたちは、僕より大切にされているかも知れない。ちょっとでも猫の姿が見えないと僕の母などは心配するし、犬の咳が止まらないと言っては心配している。僕が咳をしたくらいでは誰も心配してくれない。悲しきかな一家のあるじである。
かく言う僕も動物は大好きで、一緒に居ると本当に癒される。僕の姿を見つけて擦り寄ってくるボブやキラを見ていると、ほっとする。ストレスも消えて行く気がする。
14年も一緒に暮らしていると、暗黙の意思疎通みたいなものがペットとの間に生まれる。僕が心配事があったりすると、わかるようだし、いつもより帰ってくる時間が遅いと、心配げに寄り添ってくる。
ペットはかわいいけれど、やはり別れは悲しい。10代の頃は、飼っていた猫が死んだりすると、1週間も食べ物が喉を通らなかった。
大人になっても愛するペットとの別れはつらい。すでに14歳を過ぎた老犬のボブは、厳しい今年の冬を越せるだろうか。持病の喘息も辛そうで痛々しい。そんな状況でも家族の顔を見ると尻尾を一生懸命振っている。
先日の土砂降りの時、紐が絡まって軒下に入れず濡れている老犬のボブを、メス猫のキラが鳴きながら教えに来てくれた。麗しいペット同志の愛に感動するかねごんであった。
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