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2009年9月 8日 (火)

AO入試に思う

かつて日本の大学生のレベルの高さは、先進国の中でも引けをとらないものだった。その礎を作ったのは間違いなく大学入試のための受験勉強である。

難問奇問が出題される中、巷にあふれる受験参考書を直感と忍耐でなめまわし、狭き門の栄冠を勝ち取ったものである。

僕らの世代は、大学の数が今の半分であったし、もちろん高校生の数も今よりはるかに多かった。俗に言う3流の大学に入るのにも、僕のような頓珍漢の高校生にとっては至難の業だった。

大学に入りたいという意思が、過酷な勉強を可能にさせたし、大学を出たらいい生活が待っているかも知れないという幻想が、今の高校生よりもはるかに強かったような気がする。

今の時代は、大学進学率が50パーセントに達している。国民の2人に1人が大学に入る時代になった。昔より若者たちの学力が向上しているかと言えば、確かにPCやIT関連の知識や技術には僕らの世代は彼らの足元にも及ばないが、しかしリーダーシップや人間関係を構築する力は、僕らの世代の方が上だったような気がする。

そしてさらに言わせてもらうが、大学生の文系の知的レベルが明らかに下がってきた。僕の日本語も誤字脱字だらけで偉いことは決して言えないのだが、外国語重視の教育の結果、文章が書けず、論点をはっきり言えない学生が巷にあふれてしまった。

文科系の私大は受難の時代を迎えた。就職に於いて文学部系は即戦力にならず、企業から敬遠され、大学も定員割れを起こしている。

そこで苦肉の策にAO入試が生まれた。面接力とちょっとした作文力があって、成績が中の上以上であれば今や大学は誰でも入れる。実施大学は400を超え、定員のほとんどをAOでとる大学まで出てきている。難しい英語の長文も、漢文の素読も、過酷な年号の暗記も必要ない入試である。

はじめからAO入試のみの受験を考えている高校生が増え、定期テストは頑張るが、独自の入試勉強をする高校生が激減してきた。

僕の塾も20年前、進学校の英語とは別個のカリキュラムを作り、受験対策の指導をしたものだが、現在高校生は、学校から出される多量の宿題をこなすことで一杯一杯で、塾は宿題の解答を助けてくれる所という認識が定着してしまい、独自に新しいことを教える隙間はどこにもない。

世界で戦える若者を育てる意味でも、AO入試は曲がり角に来ているのではないだろうか。

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コメント

おはようございます。

大学生の基礎教養のレベルが下がっているというのは、その通りだろうと思います。

当方の教室に来ている水高生を見ても、先生の記事にあるように、学校から出される多量の課題をこなすのにいっぱいいっぱいの状態です。まさしく同じ状態で、宿題分の解説で時間を使い、独自にやらせたい演習ができません。

自分で納得して前に進む時間が抜けてしまっているので、知的好奇心をはたらかせる余裕も無いのかもしれません。面白いと感じる部分をできるだけ増やしてやれたらいいのですが。


(かねごん)
小林先生コメントを頂きありがとうございます。
確かに「自分で納得して前に進む時間が抜けてしまっている」高校生が増えていますね。自分で創意工夫し学ぶ態度を、学校教育が奪ってしまっているように感じるのは僕だけでしょうか。

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