先生の進化論
教える側の人間が、「先生、勉強したくない」と生徒に言われたなら、ようやく対等な人間として認められた証だ。
「先生、何で勉強しなくちゃならないの」と言われたならば、ようやく大人として認められた証だ。
「○○先生むかつくんだよ」と生徒が他の先生の悪口を言ってきたならば、ようやく先生として認知された証だ。
そして「先生結婚してんの、子どもいるの?」と言われたならば、ようやく先生として興味を持ってもらった証だ。
「先生やってておもしろい?」と尋ねられたなら、一人前の教師だと僕は思っている。
「先生って楽しそうだね」と言われているうちは愛される教師ではあるが、一流の教師ではない。
僕は先生であることは、修行であると思っている。修行だと思っていないから、酒飲み運転をしたり、教え子を誘ってみたり、警察のお世話になってしまうことをしてしまうのだ。そうではないだろうか。
昨日の岩手日日新聞に、市内の小学校教諭が密漁で逮捕された記事が、実名入りで大きく報道された。児童やご父兄からは指導熱心で人望が厚い先生だったという。ちょっとした軽いのりでやったことだろうけれど、あまりにも大きな代償である。
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アワビ密漁の話には全くあきれました。昭和30年代なら教員もそんなことをしていた?かもしれませんが、今は飲酒運転で即免職の時代です。子どもがたわいもないウソをつくだけでも、怒りまくる教師が、なんたることでしょうね。最近も、お菓子のことで体罰を加えた教師の記事が載っていましたが、お菓子ぐらいでキレルな、と思います。
かねごん氏は愛されていてしかも一流の先生ですね(*^ω^*)ノ彡
(かねごん)
セナじいさんお久しぶりです。コメントありがとうございます。
や~僕は一流なんてモンじゃありません。変わりものなだけです。
ただやっぱり、先生と言われる立場の人間は、自分の生活全てが先生であることを自覚して欲しいと思います。
投稿: セナじい | 2009年8月 6日 (木) 09時13分