自己決定
このブログを書き始めた頃、5000円で買った自動巻きの腕時計が今日壊れてしまった。もともと自動巻きなのか手巻きなのか微妙な時計だったが、ゼンマイが巻けなくなってしまった。2年と半年の寿命だった。
壊れた時計を机に置いて、この2年半の自分というものを振り返って見たりした。一見何の変化もなく淡々と繰り返されてきた日々ではあったが、2年半前私立の高校の講師を引き受けてから、僕の塾教師としてのスタンスが間違いなく変わってきた気がする。
ネクタイを締めるようになったとか、早起きをするようになったとか、物理的な変化もさることながら、中学生や高校生と言うものは、当たり前と言えば当たり前なのだが、自らの意思で自分の生き方を選択して行くものだという実感を得たことである。
部活も恋愛も進学も就職も、親や教師が外野でいろいろうるさく言っても、結局は子どもたちが自分の意思で決めていく。
それが試練の道であっても、順風な道であっても、運命のような誘いに子どもたちは自らの人生を駆けていく。
時に捨てぜりふを残して学校を去っていくものがいる。喜びの歓喜に涙するものがいる。そのそれぞれのドラマを演じるシナリオは結局は本人たちが決めるのであって、僕ら他人が関与するものではない。最後の最後は自己決定である。
若い頃、教職課程も取らず、音楽にばかりに明け暮れ、塾教師の道を選んだ僕に、実に多くの方々がアドバイスをくれた。「今からでも遅くない、学校の教員になりなさい」と。時に親戚の方であったり、勤めていた塾の先輩であったり、恩師の先生だったり。
27年の間の塾教師生活、これも僕の自己決定である。この仕事に僕は僕自身の運命を感じる。2年半僕に付き合ってくれたゼンマイ時計を眺めながらそんなことを考えていた。
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