親であることは全てに優先する
昨日卓球の指導に体育館に入っていくと、ツバメのヒナが迷い込んでいた。前回はこうもりが迷い込んでいたが、壁や物にぶつかることなく見事な舞を見せていたのでほっておいたが、さすがにようやく巣から飛びだったばかりのツバメだったので、外に出してあげようと悪戦苦闘した。
最後は僕が手でそっと抱えて、校庭に放してあげた。心配していた親鳥がすぐさま飛んできて、小雨が舞う空に子どもと一緒にうれしそうに飛び去っていった。
僕のうちの庭には大きなケヤキの木があって、そこに吊るされている巣箱に毎年野鳥が卵を産み、ヒナが孵る。時にすずめであったり、ホオジロであったりするのだけれど、母鳥の献身的なえさ運びにはいつも感動を覚える。
それは本能だからと言われてしまえばそれまでだが、鳥や動物たちの子育てに見る愛情はすさまじい。時に自分の命を顧みないその子育ての使命に、僕はただ脱帽する。
50度近くにもなる車内に子どもを置き去りにして、死に至らしめてしまう親。泣き止まないからといって折檻をして、子どもの命を奪ってしまう親。
本能が壊れてしまった人間の悲劇といって済ますことは出来ない。全身全霊でこの世に生まれてきた命に対し、あまりにも悲しすぎる結末である。
子どもを生み育てるという神聖な行為。自然界の動物から学ぶまでもなく、命の尊厳や命を育むことの喜びを我々は忘れてはならない。
母親である前に女であるとか、父親である前に男性であるとか、そんな言葉に乗せられて、子育てをないがしろにする親がいるが、子の親であることは全てに優先するものだ。子どもは親に全てをゆだね生まれてくる。
ツバメの親子は今日の晴れ渡った空を、楽しんでいるだろうな。
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