努力をして何になるのですか
我々は努力することで必ず前進できることを、小さい頃から頭に叩き込まれ育てられてきた。学校でも、家庭でも、部活でも、本を読んでも、努力は大切だと教わってきた。
お金を得るために、家族を養うために、しいては自分の幸福のために、がんばれと励まされ続けてきた。しかしある時期を境に、がんばれとか努力をしなさいと大人は言われなくなる。ひょっとしたら、その時から我々はようやく本当の大人になるのではないだろうか。
塾の仕事をしてきて、「努力をして何になるんですか」こんなフレーズを生徒にたたきつけられたことが2度、3度あった。「普通に楽して、いやなことはやらずに生きてちゃダメですか」 私はそれが生徒たちの本音だろうと思う。
しかし、たいていの人は学校を終えると働く。眠い目をこすりながら起きだし、満員電車に乗りどうにか会社にたどり着き、8時間働き、帰りにちょっと街をぶらついて、時に酒を飲み、パチンコなどをし、アパートや自宅に帰る。そんな日常がずーと続く。
誰かの心のささやきが聞こえてくる。「こんな生活のために自分は生まれてきたんじゃない」 「こんなことをするために自分の人生があるんじゃない」
しかしである、自給680円のコンビニの仕事も、自給2500円の家庭教師の仕事も、一銭にもならないボランティアも、全部尊い労働であることに間違いない。自分の人生の価値をどこにおいて生きていくのか、それが全ての幸福感の根底にあると考える。お金なのか、好きなことが出来る時間の確保なのか、学問を学ぶことなのか、愛する人と一緒にいることなのか、一人一人の生きる目的があるのだろうと思う。
「努力をして何になるんですか」 それはきっと学校の勉強に対する不満なのであって、生きていく努力に対しての反抗ではないのだろうと信じている。きっと恋人とデートするときは、ばっちり化粧をきめるだろうし、欲しいブランドもののカバンを買うために、飲みたいお酒やタバコを我慢するかも知れない。
どんなに哲学的思考を駆使しても、勉強をやっても、人生が楽しいものだと感じなかったら、子どもの頃のように、「努力しなさいよ」なんて言われる、ダメ人間に立ち返ってみるのも面白いかも知れない。
家内や友人から「あんまり無理をしないでね」という言葉をもらう時、努力をしろよと言われた昔がほろ苦くもあり、この人生の先にあるだろうまた幾たびかの壁が何か楽しみでもある。若い頃のような無茶な登りかたはもう出来ないが、壁を壁と感じない老獪さは少しは身についたような気がする。
それが若い頃の努力の成果なのではないだろうか。
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