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2009年6月19日 (金)

脳死と臓器移植

脳死を人間の死とする判断が下された。日本国内に於いての子どもの臓器移植に対して一つの光明が出来たわけであるが、人間存在の根源をいろいろ考えさせられる案件であり、単なる法改正という手続き上の問題ではない。

心臓移植や腎臓移植でしか生きる道がないと我が子が宣告をされた時、自分が親であったならもちろん移植を望むであろう。しかし、その心臓なり腎臓を提供してくれるドナーが子どもであり、心臓が鼓動し呼吸をしている尊い命であることを考えるとき、きっと大きな葛藤を抱えるだろうと思う。

私は脳死は人間の死ではないと思っている。間違いなく生きている個である。生命維持装置を外すという行為は、単なるスイッチを切る動作ではない。脳が止まっていても行き続ける命は奇跡の命である。間違いなく家族にとって意味のある大きな大きな存在であるはずである。

脳死を宣告されても生き続ける選択をしているのは、何を隠そう本人自身なのだ。本人の魂と言ってもいいかも知れない。

父親や母親が、この我が子の命を他人の命のために提供したいと願ったときのみ、奇跡のバトンタッチが行なわれるのだろうけれど、想像を絶する愛の輝きと、壮絶なまでの祈りが、救われる命と与える命の間に結実するのである。

脳死の子どもの命をささげていただく家族のケアーが、これから進展して行くであろう臓器移植の一番の問題点であるだろうと思う。

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