言葉をすり替えてはいけない
近郊で有名デザイナーの作品展があれば、数万円もする服が飛ぶように売れる。一方リサイクルショップでは、500円の服を何度も試着して買っていくお母さんがいる。芸術会員の方の陶芸展が開催されれば20万円もする茶器を嬉々として買っていくおばさんがいれば、ダイソーの100円の茶碗をいろいろ手に取り、思案顔のおばさんがいる。
持つものと持たないものの格差がこれほど激しくなった時代もまれだろうと思う。自動車の買い換えの頻度がめっきり減り、自動車産業は火の車であるが、3ナンバーの高級車は以前と変わらず順調なのだという。
確かに月4000円ほどの学校の給食費を払えない家庭が増える一方、土日の高級食材を扱う回転寿司などは待ち時間が出来るほど家族連れでにぎわっている。
昔一杯のかけそばという貧困と家族愛をテーマにした作品が売れたことがあるが、一杯1000円近くする天そば屋さんが、連日大賑わいのお店が市内にはある。一日500円の小遣いの私などは、こういった状況にいろいろ考えさせられることが多い。
貧富の差という言葉を、経済格差などという言葉にすり替えることで、何か一過性の社会現象のような錯覚を与えられてしまうが、現実はかなり深刻である。
県立高校へ子どもを通わせることが困難な家庭が出始めている中、月謝が6万もする私立高校に、月5万円の新幹線代をかけて通わせるご家庭も市内では増えている。
終身雇用制の崩壊により、雇用不安定なアルバイト社員を派遣社員などと言い、これまた言葉のすり替えによって、何か特別技能を持った人材のような呼称にしてごまかしている日本社会は、どう見ても病んでいる。
そしてこういった状況に、ただ愚痴を言って、何もしない若者たちも病んでいる。
子どもの頃、大学生の安保闘争などをいやというほどテレビで見せつけられて育った私たちは、世の中に反抗するとはどういうことかぐらいは知っている。ゆえにそれなりの反抗をして生きてきたつもりだ。
私はこれほどまでに貧富の差が激しくなり、職がなく、無能な政治に対して、なぜ若者たちが、苦渋に満ちた忍耐をしているのかが不思議でならない。ゲバ棒をもって戦えと言っているのではない。精神を鼓舞せよと言っているのである。
頼むよ、若者たち!
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