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2009年6月 7日 (日)

天才たちは気まぐれだ

先日6月5日の「早期英才教育」という私の記事に対し、塾屋のオピニオンリーダーであるブログ『とよ爺のつぶやき』http://toyojie.jugem.jp/の執筆者であるとよ爺より賛同のコメントを頂いた。

早期英才教育は近年の教育のトレンドであり、若い親御さんの大きな関心事でもある。視聴率もいいのだろう、テレビ等も頻繁に取り上げるテーマである。コメンテーターに登場する多くの有名人も諸手をあげて英才教育に賛成の方が多い。

しかし前回私は反対の趣旨の記事をしたためた。今回とよ爺先生の後押しをいただき再び幼児教育について私の私見をのべさせていただく。

実は私の塾でも『風と虹の教室』という幼児教育を行なっている。親子で参加していただき、一緒に歌を歌ったり、お遊戯をしたり、ぬらし絵をしたり、おにぎりを食べたり、代表の私が言うのもなんだが、とても楽しい教室である。

私の妻が室長で指導にあたっている。経費とガソリン代を引くとほぼ彼女の給料は無給になってしまうのだが、元気な幼児や児童の輝きと、お母さん方の楽しそうな顔に支えられ、がんばっている。

シュタイナー学を10年ほど前から学んでいる彼女は、自然の風と天使と、食べ物が大好きなようで、いつも子どもたちを公園や川辺に連れ出し、タンポポを採ってきてはおひたしにして食べ、ヨモギを摘んできてはヨモギもちにして食べ、時に、はつか大根の種をプランターに蒔き、一緒に子どもたちと食べようと張り切っている。そんな教室である。

プリント学習を強要することもしない。漢字の練習がやりたくないと言えば、急遽桜のスケッチに出かけていくようなアバウトな指導である。私はそれでいいと思っている。

本来子どもたちは気まぐれだし、我儘だし、うるさいものだ。そして天才教育をせずとも、大人が振舞うことが出来ないことを平気でしてしまう天才たちである。

100年ほど前、ドイツで産声をあげたシュタイナー教育は、イギリスや日本、アメリカをはじめ今多くの国で静かなブームである。天才教育とは対極にある教育かも知れない。シュタイナー教育を施したからと言って、東大や早稲田や慶応に入れるわけではないけれど、シュタイナー学校の卒業生は、健康で、純朴で、自然と融合し、仕事を楽しんでいる方が多い。

日本では北海道や神奈川を中心に、いくつかのシュタイナー学校がある。しかしこのシュタイナー教育とてもちろんさまざまな欠点があるに違いない。宗教色が強いとか、自由すぎるという批判もあるようだ。

一方早期英才教育に於いては、子どもたちが早いうちから文字や音楽やスポーツを習得することは、確かに同世代の子どもたちの中で抜きん出るという点に於いて、子ども時代を生き抜いていく強いツールであると思う。しかし、幼児期にしか感じられないもの、幼児期にしかゆるされない感情や行動というものが多くある。それらを削り取ってまで、小学生や中学生がやることを強いることはいかがなものだろうか。

昨日も風と虹の教室に通ってきている小学2年生の女の子が、突然泣き出した。何事かと思いきや、花の絵がうまく自分だけ描けないと泣いていたのである。教室の外でトマトの苗をプランターに移植し始めたとたん、さっきまで泣いていた顔をニコニコさせながら、赤いシャベルを一生懸命動かしていた。

え!これって農業の英才教育!・・・そんなわけないよなと、自問自答し苦笑いのかねごんであった。

やはりうちの塾では、英才教育は無理なようである・・・・。

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コメント

こんにちは、拙ブログにリンクまで貼っていただき、有り難うござ
いました。
私も早期英才教育を否定するのではありませんが、もっと大事なこともあると思います。
偏った教育を子どもたちから施して、偏ったものの考え方を育んでもこまります。
東大、早慶に進学するのは確かに大変ですが、卒業してどう生きるかの方が遙かに重要です。

これからの世の中、自分の事も大事ですが、周りに配慮することも大事です。
いまの世の中の数々の問題点はそこから生まれているのかもしれません。
教育においては、絶対に偏った考え方を持つ人を育ててはいけないと思います。


(かねごん)
多忙なところコメントいただき恐縮です。
とよ爺先生がご指摘の通りです。我々教える立場の大人が、いろんな可能性を模索するのは悪いことではないのですが、人間としてのバランス感覚というものが大切であると思います。
教育においては、絶対に偏った考え方を持つ人を育ててはいけないと言うのは本当に肝に銘じなければなりません。

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