先生?
二階の教室の西向きの窓から、毎日のように晴れた日には夕日の美しさを堪能することができる。桜の並木越しに真っ赤な夕日が奥羽山脈に沈んでいくさまは、毎日飽きることのない感動的な光景である。
夕日が沈むと世間の人たちは家路につく時間であるだろうが、私にとっては忙しい時間の始まりだ。夕暮れのあまりの美しさに、川土手にあがり夕日を見つめていると、突然高校生の集団が「先生さようなら」と元気な声をかけて過ぎていく。時に私が教えに行っている高校の生徒達であったり、塾を卒業して行った高校生だったりする。
それにしても30年近く先生と呼ばれる仕事をしているが、「先生」という呼ばれ方にはどうも馴染まない私である。街中で突然先生と呼ばれたりすると、本当にまじにドッキリしてしまう。教室や職員室以外で先生と呼ばれることになぜかたじろいでしまう。
自分ながらに理由を考えてみるのだが、私の心の中に先生と呼ばれる着陸点みたいなものがまだまだ完成していないのかと思ったりする。ある種の職業人として、自分というものを固定してしまう呼ばれ方になれていないのかも知れない。
家ではぐうたらオヤジで、田んぼに出ているひげ面の自分の姿は、まったくもって土着の百姓人そのものである。軽トラックで塾に向かう私と言えば、カーラジオもCDもついていない車なので、かってに自分の作った曲をがなりたて歌っているへんな中年のおじさんというか、初老のおやじである。
そんな私が街中でふと先生と呼ばれたりするわけで、正直「自分は先生だっけ?」というクエスチョンマークが点滅する。
子供たちの勉強を助けてやっているちょっと変わったおじさん、それが私かねごんの偽らない自分の職業的本質であるような気がする。
それにしても夕日が今日も美しい。そんな美しい風景の中、子ども達に勉強を教えられる私は幸せものである。塾をやってきて良かったな~と思う瞬間でもある。
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