人柄は人間力
中間テストが終わった。中学1年生にとっては生まれて初めて学年順位がつくテストになるわけだが、本人達もさることながら親御さんがドキドキではないだろうか。頭の中ではテスト順位がすべてじゃないと分かっていても、やはりこの時期家庭で一番気になるイベントであることは間違いない。
しかし冷静に考えるならば、わずか13歳の子ども達に、学年全員の中で何番にいるかを告知するのは過酷な話であり、自分の下にほとんど誰もいない生徒にとっては、発奮材料になるどころか意気消沈しギブアップ状態になってしまう生徒も実際は多い。
それでも今は、私達の頃のように廊下や教室に順位の名前を張り出されることはないわけで、まだ救いはあるかも知れないが、新入生にとっては厳しい洗礼だと思う。
テスト順位は学校側の進路指導上なくてはならないものであるが、やる気を出すのは上位陣の常連組みと、順位をあげて携帯電話やPCなどを買ってもらおうとするちゃっかりもので、その他大勢は「またこの順位か~」と嘆くことはあっても、なかなか勉強の弾みにはならないようである。
3年生にもなれば、志望高校選択という現実がやってくるので、さすがに重い腰を上げるのだが、いつも底辺に君臨する子ども達は、同級生達の引き立て役にこそなれ、なかなか勉強に対するテンションはあがらない。
そういった子ども達の根本原因はどこにあるのだろうかと考えるのだが、自分達の能力をテスト順位という結果で見られる以上、順位が上がらなければ、何がしかの努力はある種黙殺されるわけで、面白くないのは当然と言えば当然である。
私は仕事上いろんな営業の方々とお会いし話を聞くことが多いのだが、営業実績と学歴はあまりリンクしないと、一様に幹部クラスの方々はおっしゃる。確かに学歴のないことを自分の強みにしている方もいるし、もちろん優秀な大学を出られ、それを自分の自信としている人も多い。
この人に仕事を託したいとか、任せてみたいという期待感や安心感は、やっぱり最後は人柄である。実直さであるとか真面目さであるとか、機転が利くなどの人間力が人柄になって現れるのであって、学校時代のテスト順位は二の次だと私は思う。
友人を大切に思う心とか、先輩への態度であるとか、家族に感謝する心とか、決して順位や成績で評価されないところに、実は人間力を身につける礎が隠されているのである。
明日あたりから、学年順位やクラス順位が出るだろうけれど、良かった人は良かったなりに、奢らず人を見下さず、今後も努力して欲しいと思う。良くなかった人は、やけにならず、自分が出来ることを一つ一つやっていけばいいのではないだろうか。
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