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2009年5月19日 (火)

息子達のこと

高校時代に読んだ本や出会った音楽は、確実にその後の人生に多大な影響を及ぼし、本人が意識するしないにかかわらず物の考え方や感性の方向性を形作っていくものだ。

従って15歳から18歳ぐらいの時期の読書体験や音楽体験は血液の養分を作り出す食事のように、細胞の隅々までインプットされ染込んでいく。

高校時代私は勉強は好きではなかったが、本はいっぱい読んだし音楽もたくさん聴いた。喜んでいいのか悲しんでいいのか、この習癖は完全に二人の息子達に遺伝している。特に下の息子は学校の勉強はとことん拒絶するが、暇があれば本を読み音楽を聴いている。

私が20代に読んだ村上春樹の作品を、中2になる彼はほぼ読破した。私が漠然と疑問を抱いていた村上作品の不鮮明さみたいなものを、時に息子に論破されてどきりとすることがある。この情熱を英語や数学にと思うのだが、今だかなわぬ夢である。

昨夜も私がブログを打ち込んでいる横で、ビルエバンスのCDを聴きながら、私に「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」の解説を私にしてくるのであるが、正直言って息子の読解力の方が私を上回っている。

塾教師を父親に持つというイメージは私には分からないことが多くあるのだが、息子達なりに何がしかの葛藤はあるのだろうと思う。長男は大学に進まず就職の道を選んだ。次男は進学校に進まず地元の普通高校に入るつもりらしい(と言うか今の成績ではそこしか入れないのだけれど・・・)。

二人ともいっさい私に勉強のことは聞かない。話を振ってもそっぽを向かれてしまう。私も彼等の判断や決断には干渉するつもりはない。息子達には息子達なりの生き方がある。

いい年をしていまだに卓球の大会に出ては、息子達と同じ年代とガチンコで勝負をしている父親をきっと変な大人だと思っているだろうし、たまにギターを抱え、わけの分からない歌をがなりたてている父親という存在に対して、困ったものだと思っているのかも知れない。私という存在が、父親として息子達にとって決してお手本となる存在ではないかも知れないが、自由奔放な人間のお手本としてはまあまあいけてるのではないかと、ほんの少しだけうぬぼれている。

私が父親として、息子達に思っていることは、よそ様に迷惑をかけたり、命に危険があるような状況にない限り、子供たちには自由にさせておきたいということである。もちろん勉強がやりたいと言えばサポートするつもりであるし、上の学校に進みたいと言えば、さらに生活を切り詰めるなりバイトをするなりして何とかしようという心づもりはある。それだけのことである。

子供は親に似ると言うが、私は父親に一度たりとも勉強をしろとは言われたことがない。まったくない。早ね早起きをすることと、農業を手伝うことを言われたぐらいである。

「勉強が出来ないのも個性だ」と言い切る私の感性は、脈々と培われてきた血筋でもある。

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