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2009年5月

2009年5月31日 (日)

人柄は人間力

中間テストが終わった。中学1年生にとっては生まれて初めて学年順位がつくテストになるわけだが、本人達もさることながら親御さんがドキドキではないだろうか。頭の中ではテスト順位がすべてじゃないと分かっていても、やはりこの時期家庭で一番気になるイベントであることは間違いない。

しかし冷静に考えるならば、わずか13歳の子ども達に、学年全員の中で何番にいるかを告知するのは過酷な話であり、自分の下にほとんど誰もいない生徒にとっては、発奮材料になるどころか意気消沈しギブアップ状態になってしまう生徒も実際は多い。

それでも今は、私達の頃のように廊下や教室に順位の名前を張り出されることはないわけで、まだ救いはあるかも知れないが、新入生にとっては厳しい洗礼だと思う。

テスト順位は学校側の進路指導上なくてはならないものであるが、やる気を出すのは上位陣の常連組みと、順位をあげて携帯電話やPCなどを買ってもらおうとするちゃっかりもので、その他大勢は「またこの順位か~」と嘆くことはあっても、なかなか勉強の弾みにはならないようである。

3年生にもなれば、志望高校選択という現実がやってくるので、さすがに重い腰を上げるのだが、いつも底辺に君臨する子ども達は、同級生達の引き立て役にこそなれ、なかなか勉強に対するテンションはあがらない。

そういった子ども達の根本原因はどこにあるのだろうかと考えるのだが、自分達の能力をテスト順位という結果で見られる以上、順位が上がらなければ、何がしかの努力はある種黙殺されるわけで、面白くないのは当然と言えば当然である。

私は仕事上いろんな営業の方々とお会いし話を聞くことが多いのだが、営業実績と学歴はあまりリンクしないと、一様に幹部クラスの方々はおっしゃる。確かに学歴のないことを自分の強みにしている方もいるし、もちろん優秀な大学を出られ、それを自分の自信としている人も多い。

この人に仕事を託したいとか、任せてみたいという期待感や安心感は、やっぱり最後は人柄である。実直さであるとか真面目さであるとか、機転が利くなどの人間力が人柄になって現れるのであって、学校時代のテスト順位は二の次だと私は思う。

友人を大切に思う心とか、先輩への態度であるとか、家族に感謝する心とか、決して順位や成績で評価されないところに、実は人間力を身につける礎が隠されているのである。

明日あたりから、学年順位やクラス順位が出るだろうけれど、良かった人は良かったなりに、奢らず人を見下さず、今後も努力して欲しいと思う。良くなかった人は、やけにならず、自分が出来ることを一つ一つやっていけばいいのではないだろうか。

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2009年5月30日 (土)

東大の問題はだめですと言うわけにはいかない

私は、高校生は大学受験の英語指導と国語の論文指導が担当だが、小中学生は全教科をみている。私の塾教師生活も27年が過ぎた。実は大学を終えて最初に担当したのは、中学受験をめざす小学生の社会科だった。

今でも鮮烈に記憶していることがある。小学校3年生の社会科と言えば、地方の小学校では家のそばを流れる水路を調べてみようみたいな内容だが、中学校受験をする小学校3年生の社会科は中学生の地理と同レベルの問題を課していた。

開成中学や麻布中学をめざす優秀なクラスの子どもたちは、これが小学生かと言うくらい自己管理ができ、目標意識がしっかりしていた。将来東大に入りたいですと、公言するその態度に、東大どころか国立も有名私大も縁がなかった私は、ただただ感心したものだった。

岩手に戻って勤めた私塾でようやく専門の英語を任されたが、まさかの数学も担当させられた。25年前のことである。今思うと、あの頃の経験が私の何でも屋の精神を育ててくれたと思っている。大学で学んだ専門教科や教科の好き嫌いに関係なく、要求されるものを子どもたちに教えるという、その強引とも思える当時の塾の姿勢が、今の私の塾教師としての足場を築いてもらったような気がする。

私の持論であるが、一つの教科の受験指導を3年間続けられたなら、私はその教科でめしが食えると考えている。逆に、3年目で結果が出せなければ、5年やっても10年やっても塾教師としては大成しない気がする。

従って私は高校数学を何度挑戦しても半年ぐらいで挫折してしまうゆえ、塾の指導教科には加えていない。今の低料金で、高校も全教科を指導してもらえませんかと言われるのだが、残念ながらそれは100パーセント無理である。

大学受験指導を経験してきた先生方ならばお分かりいただけると思うが、大学受験の専門科目を教えることは、たとえ一教科でも気が遠くなるようなバックボーンが必要である。月謝が高かろうが安かろうが、看板を掲げた以上は、地方の私大の問題は教えられるが、東大の問題はダメですと言う分けにはいかないのである。

たとえば論文指導などは簡単な添削作業だと思われる方がいるかも知れないが、どんな先生でも、指導のその陰には、何千冊にも及ぶ読書経験や文章の鍛錬があるはずである。ちまたで売っている“10日でできる入試論文”とか“1週間で分かる高校英語”などというものはあり得ないのである。受験生には失礼な言い方かも知れないが、受験勉強をなめてはいけない。

またこの不況で、給料も上がらないので脱サラをして塾でも始めようかなと思っている方にも、参考までに申し上げておきたいのだが、問題が解けることと教えることは別物である。ひょっとしたら学歴も関係ないかも知れない。そのところを勘違いしてしまうと人生を誤ることになる。重々お気をつけ頂きたい。老婆心ながら中年塾教師のお節介でした・・・・。

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2009年5月29日 (金)

父ちゃんもがんばっているのだ

塾に通ってきている中三のK君がしみじみとこんなことを言った。「大人になったら俺いいオヤジになりたいな~」と。

話を聞くと、彼は父親と向き合ってご飯を食べるのがいやで、いつも時間をずらして食べるのだという。お父さんが帰ってくると自分の部屋に引きこもり話はしないと言っていた。そんな彼が、自分が父親になったら息子や娘に慕われる父親になりたいのだという。

複雑な思春期の思いを垣間見たような気がした。

私はふと我が家の状況に思いをはせた。似たような状況かも知れない。私が家に帰ると息子たちは、いつもではないが部屋に引っ込んでしまうことは多い。かといって勉強をするわけではなく、部屋に入った瞬間ドンドンという低音が鳴り響く音楽がかかり、そのまま部屋からは出てこない。

テレビドラマによく見受けられる光景が我が家でも展開する。本当は塾生のK君のように父親とはフレンドリーでいたいのかも知れないが、微妙に気持ちが揺れ動く年頃なのだろう。私も中学生の頃を振りかえると、似たような心情であったし、実際今の息子たちと同じような態度だった気がする。

春の初めにも書いたが、今年はお父さんやお母さんが学校の先生をしている塾生が多い。4分の1ぐらいの割合ではないだろうか。ブログにはかけないが、子供たちは教員である自分の親に対してかなり辛らつな評価をする。

何気なく聞いていると、私自身も耳が痛くなるような話が入ってくる。私も家庭でのあり方を反省する場面が多い。

子供たちは、父親と打ち解けない責任をみな父親の態度のせいにするのだが、私は「俺たち父ちゃんも、子どもに理解してもらおうとがんばっているんだよ」と心でつぶやくかねごんであった。

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もう一度あの風を

窓から吹き込む風はもう初夏の風である。もう来週からは衣替えである。季節はあっと言う間に巡っていく。今週中学校は中間テストで、忙しい一週間だった。そして来月の10日過ぎからは高校の定期テストが始まる。それが終わると中総体だ。本当にめまぐるしく日々が過ぎていく。

話は変わるが、塾のすぐそばの一関一高は野球で盛り上がっている。一関一高から読売巨人軍に入団した木村正太投手が一軍入りを果たし、5月24日のオリックス戦に登板を果たした。木村君はダルビッシュと同期の23歳である。高校時代塾のそばをユニホーム姿で走り過ぎて行った木村君をしょっちゅう見かけたが、とうとう一軍のマウンドに登場した。

実は私はアンチ巨人で、中日ファンなのだが、木村君に関しては個人的にぜひ応援していきたい。

野球と言えば春の高校野球岩手県大会であるが、下馬評通り花巻東が順当に勝ち上がり、決勝戦では私の地元一関学院を下し優勝を遂げた。花巻東のエース菊池君を準決勝の盛大付属戦まで温存する戦いぶりは、まさに横綱相撲の野球であった。

これでますます今年の夏の高校野球は目が離せなくなった。東北の地に、いや岩手の地に、真紅の優勝旗をの期待が高まる今日この頃である。

岩手県はこの不況で、多くの企業が撤退を表明している。暗い話題が多い中、ぜひ強烈なカンフル剤として花巻東や他の高校球児にがんばって欲しい。

追伸

まだまだ先の話でありますが、花巻東が甲子園出場を果たし、準決勝まで勝ち上がったときは、野球応援のため、夏期講習および通常ゼミを決勝戦まで臨時休業といたします。なんとしても甲子園に行き応援したいと思います!ご理解のほどをよろしくお願いいたします。(´д`)┌ヤレヤレ

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2009年5月28日 (木)

切れ気味の一日

地域の納税組合長を仰せつかっている私は、本日約50台分の軽自動車税のお金と土地改良区のお金とキップを集め農協に持っていった。ちなみに組合長手当ては年間2万円頂いているのだが、組合のために使用する年間のガソリン代だけでゆうに5,6万円はかかっている。完全なボランティアである。

書類上、一枚の委任状のハンコの場所が間違っていると言われ、ハンコをもらうためにまた20キロものドライブとあいなってしまった。いつもより1時間近くも遅れて塾に到着した。ゆえに今日は疲れぎみであり、やや憮然とした一日になってしまった。

老いても元気いっぱいの私の母が、「いつも締め切りぎりぎりで持っていくからそういうことになるのだ」と苦言を呈してきたが、昨日も一昨日も午前中は高校での仕事があったし、その前の日は農協に行こうにも全員のお金が集まっていなかった。夜に集めるにしても、夜は夜で10時まで塾での仕事がある私は、帰宅は11時近くであるし、母親に何を言われようともどうにもならない私である。

おまけに妻には中間テストがすぐだから、息子の勉強を見てくれと言われ、仕方なく息子に声をかければ、かまわないでくれと言われる始末で、青色吐息である。

一方高校は定期テストが近づいてきた。ぼちぼち定期テストの問題の作成にもとりかからなければならない。忙しい・・・・・。

今年になってからそう言えばろくに本も読んでいない。塾を始めた頃は、生徒もおらず暇だったものだから、年に200冊以上は読んでいた本が、近頃は喜んでいいのか悲しんでいいのか、さっぱり読む時間がない。

本を読んでいるとこっくりこっくりと眠ってしまっている最近の自分が、どうもこうもなさけない。なさけないと言えば、昨年宣言したオリジナルCDの作製も頓挫したままである。ただ光明と言えば、ようやくリサイクルショップで手ごろな録音機材と生ギターの録音に適したいいマイクを見つけた。高校での非常勤講師の給料が来月入ったならば買おうかと考えている。音源さえ録音できれば後はなんとかなるかも知れない。

私の塾の到着が遅れている間に、開塾20周年記念で作ったオリジナルの定規が届いていた。本日から塾生に配るので、塾生の皆さん楽しみに・・・・。それでは。

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ブログ戦略?

同業者の先生方や教育関係者の方々に、かねごんさんのブログ戦略はすごいですね。いろんなところで話題になっていますよ、生徒さんもずいぶん集まっているんでしょうね。などと挨拶がわりのお言葉を最近いただくのだが、冷や汗ものである。

はっきり言って、このブログを2年前にスタートした時は、商売根性丸出しで、ブログを利用して塾生を何とか獲得しようという魂胆があったのは事実である。しかし1年前ぐらいからは、そのはじめの意図は消滅した。塾生のご父兄に読んでもらっていることの感謝と、こんな私の拙い雑文に毎日お付き合いいただいている多くの読者の方々を失望させてはいけないみたいな、勝手な使命感みたいなものに突き動かされ書いている。きっと大いなる私の勘違いなのだろうけれど・・・・・。

日々心に浮かんだことをあてもなく綴っている日記である。家族のことであったり、音楽の話であったり、世の中の世相であったり、脈絡のない思いで日記であったり、そんなブログである。

始めたときはまさに商売のためのブログを意図したので、塾の名前をつけ『大験セミナーわくわく日記』という名前を冠したのだが、明日から名前を変えろと言われたら『イーハトーブの風』とか『北国の陽だまりの中で』なんていうさわやかなタイトルにしようかと思う(あまり内容はさわやかではないけれど・・・・)。

ここ2年間、はじめの3ヶ月を除けばほぼ毎日記事を更新してきたが、毎日ブログを書くことに変な快感めいたものを身につけてしまったのも事実である。表面上は間違いなく塾ブログなのであるが、どうも私にとってはそんなことではなくなってしまっている。自分のことなのにアバウトな言い回しであるが、人生の総決算のような意識で書いていないでもない。

自分の人生も当の昔に半分以上は過ぎ去ってしまった。自分が存在してきた道程をひとまずまとめてみようか、みたいな気持ちである。

40を過ぎた頃から、親しい同級生が何人か亡くなったり、身内の者が自らの若い命を絶ってしまったりと、やるせない多くの死に遭遇してきた。毎日生活するというごく当たり前のことが、突然当たり前でなくなってしまう現実に、生きるという作業が違う側面を持ち出し、何かにせかされる感覚に襲われていた。

そんな中で「もう若くないから・・・」という言葉を私は心の中で封印した。私は青春というものは決して若者だけが持つ特権ではないと思うようになった。40になっても、50になっても、60を過ぎても、やってくる明日のために努力をする限り、青春は続くのである。

死ぬその日まで、未来を見続け、自分を表現する人間は、素敵である。50も近くなってブログを始めた私は、次なる挑戦を考えている。子供たちにはまだまだ負けられない。

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2009年5月27日 (水)

ボツネタ供養

2年間で700回弱ほどのブログ記事を何とか更新してきた。前にも書いたが、私はボールペンで紙に文章を書くことで思考が起動するタイプゆえ、直接PCを打ち込みながら文を作成できない。

そこで必ず下書きをしてからブログを打ち込むことになる。その原稿用紙の枚数は、2年間で2000枚を超えた。小説であればちょっとした大作の分量になるだろうが、しょうもない駄文の山である。

実は10回に1回ぐらいの割合で、ボツ原稿が生まれる。ボツになる理由はおよそ三つに分類できる。一つ、内容が過激過ぎるため我が塾の社長である家内に検閲されアウトになるケース。二つ、これが一番多いのだが、後で読み直すと感情に支配されすぎ何を言いたいのかさっぱり分からない文章ゆえボツになるケース。三つ、多くの塾ブロガーの先生方の内容とかぶってしまい、更新する勇気がなくなり、ボツにしてしまうケース。だいたいボツの理由はこのいずれかに大別される。

最近ボツになったものをゴミ箱から拾い出すと、インフルエンザによるマスク不足の話や漢字検定の話題などは、かぶり過ぎでボツにしてしまった。過激ゆえに検閲にあったものでは、塾の経営者が女性講師に手を出した話なのだが、生々し過ぎるという理由で(・・・笑い)アウトになった。

最近スピリチャルな話題もちょくちょく書いているのだが、昔と比べると過激なメールがなりをひそめ、来なくなった。きっとこいつに何を言っても始まらないと思い、あきらめたのだと思う。なにせ聖書は宇宙人がしたためたなどという記事を平気で書く塾教師なので、いい加減相手にされなくなったのだろうと思う。

メールと言えば、あいも変わらず送られてくるアダルトなコメントが多い。迷惑コメントとして何度撃退しても懲りずに送ってくる。どうせ公開などされるはずもないのに、こまめにコメント欄に貼り付け送ってくる。ご苦労さんである。その健気な努力にはある種感心する。

ところで、10回に1回のボツネタということは、今までに60以上の記事が闇に葬られてきたわけである。120枚ほどの原稿用紙の文字が、ゴミ箱に捨てられた。今日はその供養である。文字さん言葉さん日の目を見ないでしまってごめんなさい。(合掌)。

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小学生の心情

一関一高附属中学校が開校し、中学校受験が一関市でも始まった。私の塾でも小学生の在籍人数が前年度の4倍ぐらいになっている。経営的には素直に喜ばしいことなのではあるが、指導にあたっていると考えさせられることは多い。

スポ少やピアノなどの習い事と重複して受験勉強をしている児童が多いゆえ、子ども達の大変さもひとしおである。思わずこっくりこっくりとまぶたが重くなってしまう児童もいれば、疲れた日にいやいや自動車で連れて来られ、憮然としてエンピツを動かす子もいる。

今週の小6の勉強内容はこんな感じである。

分数の計算に入ったので、算数は通分や約分の演習に入った。出来る子には、帯分数を仮分数に変換し引き算をさせるプリントに進んだ。

社会は弥生時代の米作りが終わり、古墳時代に突入した。九州の吉野ヶ里遺跡や静岡の登呂遺跡など、各時代を代表する遺跡の場所確認や、時代を象徴する出土品の復習などをさせた。

理科は空気の成分に入った。酸素が80パーセント、酸素が20パーセント等の解説を終え、オキシドールや過酸化水素水を使う実験演習に入った。

また国語は入試に向けて、グラフや統計を読んで内容分析をする短文問題に入っている。その他に入試に必要な5年次の各教科の復習や漢字演習が加わる。

どうだろうか。小学校の授業を終え、スポ少をして6時過ぎに塾に来る小学生が、上記の内容をぎっしり90分勉強して帰るのである。教える我々も大変だが、学ぶ子供たちはもっと大変である。これが来年の1月まで続くのである。そしてこれが受験勉強なのだ。

先週ミニバスをやっている小6のYちゃんに、「今日は5分ほど早いけどこれでおしまい」と言った瞬間、本当にうれしそうな笑顔をした。その顔には、ようやく塾の勉強から開放される安堵感と、ようやくおうちに帰れるうれしさがにじみ出ていた。

小学生のお子さんをお持ちのお父さんお母さん方、これが受験勉強をしている小学生の心情です。

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2009年5月26日 (火)

北朝鮮の核実験

北朝鮮が核実験を敢行した。地震計が示す規模は長崎の原爆に相当するものだった。

私は間違いなく今の文明が滅びるとしたなら、核戦争によるものだと思っている。人類が決して持ってはいけない負の遺産、それが核である。悪魔の囁きか、地獄の誘いか、金正日体制が築き上げた北朝鮮という国家は、平和とは程遠い破滅の道を驀進してしまっている。

私は一度も古代文明の跡を実際にみたことはないのだけれど、古代遺跡に詳しい考古学者は、地球上に現代の文明を凌ぐ古代文明があった可能性を示唆する学者は多い。そしてそれらの文明はある日忽然と姿を消してしまう。

モヘンジョウダロウの古代遺跡には、埋葬されず横たわる多くの人骨が発見されている。あれほどの文明を築いた町に何が起こったのだろうか。自然災害だろうか、いや私は戦争による文明の消滅だったような気がする。

進歩するテクノロジーに、人間の精神性がついていけない現状を我々は嫌というほど目にしてきた。先日書いた携帯電話にしてもしかり、インターネットによるさまざまな問題にしてもしかり、そして軍事産業にたむろする死の商人にしても同じである。

現世利益や快楽を追求する人間のサガは、いつの時代も悲しいものがある。文明は繰り返す。その繰り返しの中でしか、人類は学ぶことしか出来ないのだろうか。尊い人命を何度犠牲にすれば、人間は真実に目覚めるのだろうか。なんど慟哭の涙を流せば、平和が訪れるのだろうか。

私の祖父を含め、戦争で死んでいった多くの御霊に、我々は多くのことを学んだはずなのに、時代はまた暗転の兆しを見せている。私は悲しい。

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2009年5月25日 (月)

茜色の空

私が前世や輪廻転生を肯定するブログ記事を前にしたためた時に、ある方からこんなご意見を頂いた。

「仮に前世や来生があるとして、ではなぜ私たち人間は前世の記憶をほとんどの人達が持たないで生まれてくるのでしょうか。それは神様のはからいだと思います。今が苦しくとも来生のために頑張ろうという人だけならいいですが、来生があるのだから今生の命はもう棄ててもいいなどと考える人が増えたらたいへんではないでしょうか」

まさに私もその通りだと思い意見を拝聴した。卒塾生のtake君からこんなコメントももらった。

先生に昔「なんで僕たちは勉強しなきゃならないんですか?」と聞いたら、
「生まれ変わっても知識は潜在的に残るから勉強しといたほうがいいぞ」的なことを言われたのを覚えてますよ。
いまだに僕は信じてます。3回くらい転生したら俺すごい天才になってるんじゃないかな〜(笑)

teke君のようにプラス思考の人間ばかりとは世の中は限らない。確かに弱い人は、勝手に自分の都合のいいようにスピリチャルな話題を解釈して、身勝手な行動に走ってしまうことがあるのかも知れない。私なりに色々考えさせられた。

私の周りには無神論者も結構いる。この世に神などと言う抽象概念は存在せず、宇宙や地球を存在たらしめている物理法則があるだけだと主張する人も多い。

人間は死とともに窒素や二酸化炭素に分解され自然に帰っていく。我々の思想や哲学は、口述や書物を通じてめんめんと受け継がれていくものであり、天界からのインスピレーションや前世から受け継がれた才能などはない。私と相反する考え方ではあるが、きっとこれらの考えに賛同する方も多いはずである。

確証されないものに対して、ああだこうだと議論しても始まらないことは重々承知しているつもりだ。私は真実がどうなのかと言うより、どっちを信じたほうが生きやすいか、より良い人生を歩んでいけるかが問題なのだと思う。

私は真っ赤な太陽が、本当に美しい茜色の空に沈んでいく雄大な風景を見るとき、こんな壮大な光景をずっとずっと前にも見てきたような気がする。

私はやっぱり人間の魂は流転するものだと信じたい。今生縁を持った家族であれ、友人であれ、子ども達であれ、そしてこのブログで知り合った多くの方々も、みんな時代を越え場所を越え、民族や人種を越え、生きてきた仲間のような気がするのだ。

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またまた携帯論

最近知人や仕事関係者の間で私が携帯電話を持っていないことが、不思議に思えるらしい。田んぼで農作業をしていたり、高校に講義に行っていたり、塾を営んでいるのに、携帯を持たないで不都合ではないだろうかと言うことらしい。

種を明かせば妻が携帯電話を持っていて、塾からの転送電話はいっさい出てもらっている。塾には、急用がない限り午後の2時過ぎから夜の10時近くまでいるので、日常のさまざまな用件は塾の固定電話で事足りている。

電話を受けることは問題ないのだが、誰かに電話をかけることが昔から苦手である。苦手と言うよりはっきり言って嫌である(・・笑い)。どうしてと理由を聞かれても自分でもこうだとはっきりした理由が出てこないのだが、しいて言うならば生理的にダメである。

従って私の塾では学校のように、休んだ塾生に電話を入れることはない。塾の決まりとして、休む時は理由を本人か保護者の方に電話をしてもらうことになっている。休みの電話がなく勝手に塾を休んだ場合は、指導の振り替えをしないことになっている。それが連続数回続いた時は残念ながら塾をやめてもらうことにしている。

移動電話、つまりは携帯電話であるが、きっと死ぬまで個人所有をすることはないだろうと思う。15歳の時にアマチュア無線の免許を取っているので、有事の際に備えて塾に移動用の無線機を置いておこうとは考えているが、携帯はいらない。

携帯無用論はこのブログの中で何度も繰り返してきたので、もうやめようかなと思っていたが、今日もやっぱりやめられない。

山里から一関の街中の塾に毎日片道18キロを軽トラックで通っているのだが、あれほど違反だよ危険だよと言われているのに、わずか18キロ足らずの道のりの中で、携帯電話を片手に運転をしている車と最低5台はすれ違う。ひどいドライバーになると、タバコをふかし、携帯を耳にあて片手で信号のある交差点を曲がっていく輩がいる。困ったものだ。

もう一つ言いたいことがある。15歳以下の所有する携帯は、法律ですべて交際サイトやアドルとサイトにアクセスできない機種にしてもらいたい。フィルター云々の処置では、彼等の好奇心を止めることはできない。

理由は簡単である。小学生や中学生があんなものを見たら、純粋な恋愛や、異性を思いやる感性が麻痺してしまう。歪んだ性が芽生え、逆に恋愛や結婚が出来ない若者を創ってしまう。子どもの感性を守らなければならない。

法律で15歳以下の携帯電話の所有を禁じて欲しいくらいである。

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2009年5月24日 (日)

青春時代の決断

ブログ解析をしていると、夜中というのか早朝というのか、2時や3時ごろに『学校に行かない理由』とか『学校の価値』などのワード検索で私のブログに入ってくる方がいる。

私の勝手な想像だが、学校に行っていない生徒諸君が、真夜中にパソコンで自分の思いをキーボードにぶつけてネットサーフインをしているのではないだろうか。

中学生の不登校も増えているが、それ以上に高校の中退者が全国的に激増している。その傾向は公立、私立に関係なく毎年増加の傾向にある。中退者の受け皿である通信制の高校が増えたことも一因しているのかも知れないが、それにしても高校教育に対する子ども達のスタンスがだいぶ昔と変わってきた。

大学を終えてもなかなか就職が難しい昨今、せめて高校だけでも終えて欲しいという親の願いをよそに、いとも簡単に退学届けを出してしまうケースが多い。私は高校をやめることがいけないのではなく、目的がない辞め方がまずいと思っている。

かつて「俺高校辞めて東京に行ってホストをやる」と言っていた教え子がいたが、一歩譲ってそれでもいいと思っている。生きて行くエネルギーが満ち溢れて、生きていくことに貪欲であれば、学歴がなくとも資格がなくともなんとかなるものだ。

所詮高校で学ぶ学問は机上の学問である。最初から体力勝負の仕事や、技術職で食っていきたい人間にとってはかったるい教育の場かも知れない。覚悟さえできていればいろんな選択肢があっていいと思う。

私の塾に縁をもった中学生や高校生の中には、高校をやめプロのボクサーに転向したものや、漁師になったもの、整体師になったもの、パチンコ店に勤めているもの、色々いる。私は素晴らしい選択だと思っている。

問題はどんなことをやっても食っていく覚悟がないものは、まずは高等教育をしっかり学ぶことが大切ではないだろうか。生きることは学びの連続である。たとえ学校と名のつくものと決別しても、逃れることは出来ない。

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2009年5月23日 (土)

言葉に涙した思い出

もう遠い昔の出来事であるが、20年前父が55歳で他界した。私が29歳の時だった。その年は長男が生まれた喜びと、父を亡くした悲しみが錯綜し、何か足が地につかないまま日々が過ぎて行ったのを覚えている。

農家の長男である私は、父亡き後農業を継ぐべく家内と花泉の実家に戻り、同時に今の私塾を一関で始めた。一才の息子と妻と、そして私の母と祖母と私を含め5人の暮らしが山里で始まった。

父が亡くなった時、私の母は町内の縫製工場に勤めていたが、社長さんや工場長さんをはじめ多くの方から香典やら励ましの言葉を頂いた。葬儀が終わり数日後、私は母と皆さんから頂いた香典のお返しの品を持って工場を訪れた。

社長であるMさんは、「気持だけいただきます。これから一家の大黒柱を失って、生活も大変でしょう。失礼ですがこのお返しは受け取れません。葬儀屋さんに返品できる品だと思います。どうか今後の生活の足しにしてください」

私は社長のMさんの言葉に涙がこぼれて仕方がなかった。そうか、これから大変なんだな、私は自分が一家のあるじとして頑張っていかなければならないことを、Mさんの励ましの言葉で痛感していた。

風の噂で、その縫製工場が不況の影響で大変だと聞いた。卒塾生のお母さんで、その工場に勤めている方がおられるのだが、マスクの需要に伴い、オーガニックのコットンマスクの製作が始まったとのこと。ピンチをチャンスにして何とかこの不況を乗り越えてもらいたいと思っている。

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2009年5月22日 (金)

反抗期

「うちの子は反抗期で大変なんです」 よく親御さんが嘆くフレーズである。小さい時は、ママ、ママと言ってくっついて離れなかった我が子が、「うるせんだよ、くそばば~死んじまえ」などと暴言を吐く。母親とすればショック以外のなにものでもないだろうと思う。しかしそれが反抗期というものであり、親離れの始まりでもある。

中には素直な子どもを演じるあまり、ストレスを抱え、喘息やアトピーなどになる思春期の子ども達が多いと聞く。子どもは親に迷惑をかけて当たり前、親の存在がうっとうしく思えてきて当たり前なのだが、家庭によっては躾の厳しさが裏目に出て、子どもを鬱気質にしてしまうケースもある。

塾や学校で、皆がおかしくて笑っているときに、にこりともせず無表情でいる生徒を見かける。感情にブレーキがかかっているのは、何かに抑圧を感じているのだろうと思うのだが、暗い眼をして、眉間にしわを寄せ上目使いで大人を見る中学生や高校生を見ていると、彼等が生きてきた十数年の歴史を垣間見る気がする。

三つ子の魂百までもと言うが、私は子どもの感性や社会でのポジション取りみたいな能力は、だいたい小学校の低学年で決まるような気がする。子ども達は無意識のうちに両親や家族や学校の先生の期待度や評価みたいなものをその頃までにキャッチし、自分の生きるスタンスを決めてしまうように思えてならない。

そのような自己決定をもう一度変革してみたいと、もがき苦しむのが思春期の反抗期だと私は考えている。反抗期は自己成長のためのちょっと歪んだ自己主張なのだと思う。

性の目覚めが訪れ、声変わりや初潮が始まる頃、内にあふれ出すエネルギーを上手くコントロールできないのが思春期である。大人びていく自分の容姿と、自分の幼さのギャップに苛立ちを覚える年齢でもある。

私はいつも教え子達に言うのだが、私など40年近く反抗期のまんまである。大人になれきれない中年オヤジである。

反抗期を迎えている生徒諸君、とりあえず自分が正しいと思ったら自信をもって反抗してもらいたい。決して投げやりな反抗ではいけない。

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コーヒー物語

私は東京での暮らしが6年間だけある。4年間は大学生活で、残り2年間は進学塾での専任講師であった。仕事場は世田谷の千歳烏山というところであった。

夕方4時から夜9時30分までの仕事であったゆえ、昼間はよく喫茶店で読書やら、当時は音楽でメシを食うことを考えていたので、詩を書いたり曲のようなものを書いていた。特に暑い夏はクーラーのばっちり効いた喫茶店は最高の居住空間であった。

タバコとコーヒーと本があれば、まったくもって喫茶店は天国であった。その天国に時に私の好きな音楽が流れるものならまさしく卒倒もんであった。

コーヒーをブラックで飲むようになったのは二十歳の頃だったろうか。酒の味を覚えると同時に、コーヒーはブラックになった。豆の好みを言うと、モカが好きである。ブルマンやキリマンの豆は上品過ぎて、私のような粗野な人間にはいまいちマッチしなかった。

喫茶店の好みはそれほど私はうるさくない。程よい音量の音楽が流れていて、コーヒー一杯でも嫌な顔をしない店主の店であればOKである。毎日昼日中ネクタイをしめた若者が2時間も3時間も店に陣取っているものだから、時に「何をやっているんですか」などと店の人に聞かれることがあった。

今でもそうであるが、なかなか塾教師をやっているとは言えず、「ルート回りの営業をやっているんですけど、夕方開店の店を担当しているもんで昼は暇なんですよ」といい加減なことを言っては、店に居座っていた。

東京の街中で、決して知っている人などとは会わないだろう喫茶店で、毎日毎日コーヒーを飲み、ハイライトをふかし、本を読んでいたあの頃を思うと、その頃の自分が見つめていた未来のようなものを、私は現在生きているのだろうかと、ふと思ったりする。

今朝、もうすぐ二十歳になる息子と、二人並んでブラックコーヒーを飲んでいた。寡黙な息子はコーヒーを飲み終わると学校に出かけていったが、その後姿に若い頃の自分の姿を重ねていた。なりたい自分に彼はなっていくのだろうか、本格的な就職活動が始まる息子を学校に送り出し、そんなことを考えながら2杯目のブラックコーヒーを飲んでいた私だった。

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2009年5月21日 (木)

自分の勝手な解釈だけれど

小さい頃身体が弱く、一ヶ月に2,3日は風邪やら疲労やらで学校をしょっちゅう休んでいた。中学一年頃までその虚弱体質は続いていたように思う。

ところが高校を卒業してから、せきや熱はちょっとは出るものの、風邪で学校や仕事を休んだことがない。30年間で学校や仕事を休んだのは、30代の初め息子からおたふく風邪と水疱瘡をもらい何日間か休んだくらいである。

自分で言うのもなんだが不思議である。これはかってな私の解釈であるが、酒をたしなむようになってから免疫力ができ体質が変わったような気がする。ただ一時期調子に乗って飲みすぎ体調を崩したが、風邪やインフルエンザでダウンしたことはない。現在は週に一回ほど芋焼酎を1,2杯軽く飲む程度だが、まさに酒は量を超えなければ百薬の長である。

またこれも私のかってな解釈だが、猛烈な花粉症であることも幸いしているような気がする。2月の末から4月にかけてはインフルエンザが猛威をふるう季節であるが、ウイルスが浸入する余地がないほど鼻をかみ、くしゃみをしている私である。万事塞翁が馬ではないが、かってにそんなことを考えている。

あともう一つ、毎日神棚に頭を下げる習慣がついたのと風邪を引かなくなったのもリンクしている気がする。病は気からと言うが、神仏に対する謙虚さや敬う心は大切なものだと考えている。

私が近隣の神社に興味を持ち始めたのはいつだったか定かではないが、白木の社に御神体として一枚の鏡が鎮座しているそのシンプルさに惹きつけられたような気がする。若いときに読んだ本に、鏡(かがみ)に自分を映しそこから我(が)を取ることによって神(かみ)となるという文に接し、とても感心したことがあった。

かがみ-が=かみ という図式がどことなく言葉遊び的で私は気に入っている。我をなくすと体調もよくなり風邪も引かないのかもしれない。

ところで仕事柄いろんな学校に行って校長先生とお話しをさせていただくことがあるのだが、校長室に神棚が設けられていて、地元の神社のお札が祭ってあったりすると、なんか嬉しくなってしまうかねごんである。

おっと忘れていた。風邪を引かないために、うがい、手洗いが大事なことは言うまでもないのであしからず。

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2009年5月20日 (水)

「雲の上でママをみていたとき」

横浜市池川クリニックの院長、池川明先生がリヨン社から出している本である。内容はお母さんのおなかにやどる前の記憶をもつ子ども達数人に対するインタビューである。

人はなぜ生まれてくるのか、家族とは何か、生きるとはなにかを考えさせてくれるファンタジーな絵本である。

世界中で、前世の記憶をもって生まれてくる子どたちの話を多く聞く。日本の子どもたちをリサーチし書き留めた本は実は珍しい。

残念ながら私も今まで多くのこどもたちと接してきたが、生まれてくる前の記憶を私に話してくれた塾生はいなかった。ただ中学生や高校生に「頼みもしないのに俺を(私を)を生みあがってなどと、君は吠えているけれど、君は親を選んで生まれてきたんだよ」と私が言うと、何か琴線にふれるものがあるのか、涙する生徒達は多い。

子どもたちはうまれてくる前に、自分の母親になる人や父親になる人を空の上で観察しているのだという。元気に生まれてくるとか、病気で生まれてくるかは自分で決めて生まれてくるのだと、多くの子どもたちがインタビューに答えている。生まれてくるという体験だけをしたくて降りてきて、すぐに天国に帰る魂もあるのだという。

そうなってくると、勉強が出来る子どもとか、勉強が出来ない子どもとかを経験したくて生まれてくる子どもたちもいるのかも知れない。うちの息子などはきっと後者の方だと思うのだが・・・。

このブログで何度か私自身の前世の記憶らしきものについて書いてきた。塾生からは「先生何か宗教でも始めるの」とからかわれたが、だいたいに於いて塾教師という職業は口八丁のところが多く、はったりも多い。宗教家に似てないところもないではない。しかし神に誓って言うが、インチキ教師をやっているわけではない。あしからず・・・・。

それにしても仮に3歳~8歳ぐらいの子どもたちが作り話をしているにしては、生まれてくる前の話の内容は実に共通点が多い。フロイトの言うところの集団の無意識というものでもないだろうと思う。

各人が生まれてきた理由というものを持っているとしたら、そのことに気づかないで人生を終えることは、あちらの世界に帰った時に、痛恨のミスとして悔やまれるのではないだろうか。

40歳も後半になって、ブログなどという塾日記を書き始めた私は、けっこう多忙な割には充実した日々を送らせてもらっている。ひょっとしたら、これも私の生まれてきた理由の一つなのかも知れないなどと、ブログごときでたわいのない幻想を抱いているかねごんである。

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2009年5月19日 (火)

雨の歌

先日の日曜日は雨だった。市内の桜町中学校は運動会の予定だったが延期になり、本日好天の中、二日遅れの運動会が開催された。

私は午前中いつものように高校に行き英語の授業をやり、お昼過ぎより運動会を見に行った。応援合戦と綱引き、それに3年生全員リレーをみて塾に戻った。

運動会会場で何人かのご父兄に挨拶を頂いた。卒塾生のお母さんに、「ブログを偶然見かけて読みました。かねごんさんの奥様のブログに結婚の馴れ初めが書いてありましたよね」といきなりプライベートな先制パンチを頂きたじろいだかねごんであった。

それにしても私はこの新緑の季節に降る雨はとても好きである。二日前の日曜日はとても寒かったので、コタツにもぐりこみ、雨音を子守唄に昼寝をしていた。

雨を歌った名曲が世の中にはたくさんあるが、今日はこの曲を紹介したい。レッドツエッペリン『THE RAIN SONG』である。こんな懐かしい曲を聴いていると、雨の日もいいな~と思う。

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息子達のこと

高校時代に読んだ本や出会った音楽は、確実にその後の人生に多大な影響を及ぼし、本人が意識するしないにかかわらず物の考え方や感性の方向性を形作っていくものだ。

従って15歳から18歳ぐらいの時期の読書体験や音楽体験は血液の養分を作り出す食事のように、細胞の隅々までインプットされ染込んでいく。

高校時代私は勉強は好きではなかったが、本はいっぱい読んだし音楽もたくさん聴いた。喜んでいいのか悲しんでいいのか、この習癖は完全に二人の息子達に遺伝している。特に下の息子は学校の勉強はとことん拒絶するが、暇があれば本を読み音楽を聴いている。

私が20代に読んだ村上春樹の作品を、中2になる彼はほぼ読破した。私が漠然と疑問を抱いていた村上作品の不鮮明さみたいなものを、時に息子に論破されてどきりとすることがある。この情熱を英語や数学にと思うのだが、今だかなわぬ夢である。

昨夜も私がブログを打ち込んでいる横で、ビルエバンスのCDを聴きながら、私に「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」の解説を私にしてくるのであるが、正直言って息子の読解力の方が私を上回っている。

塾教師を父親に持つというイメージは私には分からないことが多くあるのだが、息子達なりに何がしかの葛藤はあるのだろうと思う。長男は大学に進まず就職の道を選んだ。次男は進学校に進まず地元の普通高校に入るつもりらしい(と言うか今の成績ではそこしか入れないのだけれど・・・)。

二人ともいっさい私に勉強のことは聞かない。話を振ってもそっぽを向かれてしまう。私も彼等の判断や決断には干渉するつもりはない。息子達には息子達なりの生き方がある。

いい年をしていまだに卓球の大会に出ては、息子達と同じ年代とガチンコで勝負をしている父親をきっと変な大人だと思っているだろうし、たまにギターを抱え、わけの分からない歌をがなりたてている父親という存在に対して、困ったものだと思っているのかも知れない。私という存在が、父親として息子達にとって決してお手本となる存在ではないかも知れないが、自由奔放な人間のお手本としてはまあまあいけてるのではないかと、ほんの少しだけうぬぼれている。

私が父親として、息子達に思っていることは、よそ様に迷惑をかけたり、命に危険があるような状況にない限り、子供たちには自由にさせておきたいということである。もちろん勉強がやりたいと言えばサポートするつもりであるし、上の学校に進みたいと言えば、さらに生活を切り詰めるなりバイトをするなりして何とかしようという心づもりはある。それだけのことである。

子供は親に似ると言うが、私は父親に一度たりとも勉強をしろとは言われたことがない。まったくない。早ね早起きをすることと、農業を手伝うことを言われたぐらいである。

「勉強が出来ないのも個性だ」と言い切る私の感性は、脈々と培われてきた血筋でもある。

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2009年5月18日 (月)

定額給付金

定額給付金、皆さんのところはいかがでしょうか。富山市に住む僕のところにはお上から給付されました。世帯主の通帳に家族の分が一括入金だそうで、僕は自分の分の1万2千円いただきました。ここは麻生太郎(あそう・たろう1940-)さん・太田昭宏(おおた・あきひろ1945-)さんに感謝申し上げるべきでしょうね。
ありがとうございました、麻生さん・太田さん。
お金をもらったら感謝するのがわが家の家訓なので(尤も何もしないでお金をもらうのは初めてですが^^)まずは御礼申し上げますが、僕の「定額給付金は『天下の愚策』だ」という考えに変わりはありません。そのことについては
2008年10月31日の記事などで書きましたので、よろしかったらご参照下さい。
麻生さんも太田さんもきっと年収800万円以上でしょうね(あるいは1500万円前後?)。そういう方たちに税金の使い道を任せたのがそもそもの間違いなんでしょうね。どうせ2兆円を使うなら、年収800万円以上には支給せず、400~800万未満には5000円、200~400万未満には4万円、無収入~200万未満には10万円~50万円とかできなかったんだろうか。
もっと怒りたいのは麻生内閣の
赤字国債。麻生の「100年に1度の危機」が正しい判断だとしても、こんなに赤字国債を垂れ流して、その償還(返済)は誰がするのか。自民+公明=与党の国会議員が、1億円ずつでも死ぬまでに出してくれるのでしょうか(それでも「焼け石に水」)。結局は「200年」かかってでも、我々の子や孫や更にその後の世代たちが、生活に苦しみながら返していくしかないのではないだろうか。それとも麻生氏も太田氏も、「今さえ切り抜けられればやがて日本経済は劇的な回復を遂げ、赤字国債なんてアッという間になくなる」などと考えておられるのだろうか。麻生さん・太田さんには、死ぬ前にぜひ赤字国債処理のロードマップを作成しておいていただきたいものである。ちゃんとケジメをつけて逝っていただきたい。

私のブログにリンクさせて頂いている富山国際学院学院長の奥村先生のブログ記事http://tiaokumura.exblog.jp/である。『どうせ2兆円を使うなら、年収800万円以上には支給せず、400~800万未満には5000円、200~400万未満には4万円、無収入~200万未満には10万円~50万円とかできなかったんだろうか』という意見は、思わずうなってしまう。

我が家は5人家族で76000円の定額給付金を先週頂いた。長男の通う学校の前期授業料の一部となってすでに消えていった。もらって嬉しかったのかと言われれば、正直このお金に感謝をする気持はない。我々国民が払っている税金がこんな使われ方をしていいのかという憤りのほうが強い。

奥村先生がご指摘のように、お金持ちには必要ないお金であるし、本当に家計に困窮する家庭にとってはスズメの涙である。

選挙に勝ちたいから国民にお金をあげよう。あまりにも堂々と行なわれる賄賂政治に開いた口がふさがらない。そのお金はもともとは国民から集めた血税である。国家予算に余裕があると言うならまだしも、借金だらけの国家財政の中で何を血迷ったのだろうか。理解に苦しむ政治に私は困惑を通り越して、失望を感じる。

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学級崩壊

子どもの通う中学校全体が、やる気のないムードに包まれている。会議や研究授業を理由に、授業のカットや短縮が頻繁に繰り返される。授業には、子供を引きつける魅力がない。ある先生はカセットを流すだけ、ある先生はワークを解かせるだけ…。テストを返されても、答え合わせも解説もないという。

 いつ学級が崩壊してもおかしくない。これでは先生に対する子供の信頼はそがれるばかり。やる気のある子の芽も摘まれてしまう。(中学生の保護者

上の文は『学級崩壊の現場から』というブログ欄に寄せられていた保護者の皆さんのコメントの一つである。実は私も専門は一応英語なのであるが、30年近くの日々の英語の授業の中で俗に言うカセット授業をやったことは一度もない。

教科書の準拠ワークや教材には必ずと言っていいほど今はCDが付いている。アメリカ人による流暢な英語が吹き込まれているが、私は自分で聞くことはあっても指導では使わない。決して自分の発音に自信があるからではない。

英語教材のCDならば、いつでもどこでも買える。古本屋さんの100円コーナーにかつては何万円もしたであろう英語教材が二束三文で無造作に重ねられている。リスニング授業を受けたかったら何も塾に来る必要はないだろうし、学校の授業さえ必要ないかも知れない。

学びは与える側の情熱によって加速していくものである。時間つぶしのテープ授業など生徒はすぐに見抜いてしまう。時間つぶしの人生訓話も同様である。

塾や私学の学校になぜ学級崩壊が起きないのか、それは起こした先生が即処分される厳しい現実があるからである。公立の先生は、身分がいい意味でも悪い意味でも手厚く保障されている。学級崩壊を引き起こしたからといって指導責任を問われることは少ないだろう。

「私の指導力の問題ではなく、あの生徒のせいだ」と居直る先生が多いと聞く。しまいにはその子の親の責任にしてしまう。もっとひどい先生になると、自分の指導力のなさを担任の指導力のなさにしてしまう輩がいる。実に簡単である。そんな責任転換が出来れば保身は楽だろうが、保護者の信頼や同僚の信頼はまさに崩壊してしまうだろう。

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2009年5月17日 (日)

弱さという幻想

不登校について、塾教師という立場で多くの相談をいただく。私は学校に行けない、あるいは行きたくない理由を中学校時代不登校であった若者達にずいぶんと話を聞いてきた。かならず返ってくる言葉が、学校の先生がいじめや言葉の暴力に気づいてくれなかったという回答である。

一方先生方の立場にしてみれば、生活指導、教科指導、そして部活動や職員会議等の多忙さの中で、40人クラスを受け持たされ、誰がいじめられ、どんな人間関係が展開されているのかを詳細に掌握することはとても難しいという声が聞こえてくる。

表だったいじめや暴力ならばある程度対処がしやすいだろうが、最近のいじめは巧妙かつ陰湿になってきている。一見表向きは仲良しグループに見えていても、陰では二面性を持つ子ども達がいる。

昼時間や放課後の監視まで教師がやることは事実上不可能に近い。我々の頃もいじめはあった。しかし決定的に違うのは、陰湿ないじめに対しては正義感のある同級生や親分肌の先輩が黙ってはいなかった。そういう意味では、生徒間同士による監視システムが暗黙の了解のうちに機能していた気がする。

かく言うわたしも中学校の頃は生徒会をやっていたが、弱いものいじめをしているやつをちょと呼び出して懲らしめたものである。(いまだに私を恐れている後輩諸氏が何人かいるが・・・)今はどうかと言うと、他人に干渉しようとする子供たちが激減している。これは親を含めての状況かも知れない。

触らぬ神に祟りなしという言葉があるが、人間たるもの時に、祟りさえも恐れず、自分の正義と勇気を奮いおこし、前進しなければならない時がある。そんな人間が神様に守られないわけがない。困っている人がいたら助けることは、至極当たり前のことで、もしその行動に何かためらう理由があるとするならば、それは弱さという幻想だ。

正義は必ず勝つ。それが世の中の仕組みであり、道理である。

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ソニー1200億円の赤字

ソニー(本社東京都港区)は十四日、一関市千厩町のソニーイーエムシーエス千厩テックの生産活動を十二月末で終了すると発表した。国内複数の事業所で稼動していた生産システムを製品ごとに集約し、効率的な生産体制の確立を目指すもので、千厩テックの携帯電話事業はほかの工場に移管する。影響人員は従業員、派遣社員合わせて八百七十人に上り、単一事業所としては県内では近年最大規模とみられる。     岩手日日新聞 5月15日

ソニーは世界不況に伴う家電製品の販売不振が影響し、純損益が1200億円の赤字になると発表した。この影響により一関市千厩の千厩テックが閉鎖を決めた。

世界経済の低迷が、いよいよ日本の地方経済を窮地に追い込んでいる。前回のNECに続き一関市の経済界に激震が走った一日だった。千人弱の人間が離職してしまう今回の事態は、小さな町である一関市に於いてとてつもない人数である。そしてその影響は計り知れない。

農業基盤が崩壊してしまった地方に於いて、兼業農家が収入源とするのは工場勤務などのサラリー収入である。その数は圧倒的に多い。30代や40代の働き盛りの経済基盤を揺るがす危機的状況が、今進行している。

自動車と家電が世界不況の煽りをうけて、売れなくなっている。アメリカの自動車の街デトロイトでは失業率が20パーセントを越えている。日本だけが厳しいわけではない。しかしだからと言って痛み分けなどという脳天気なことを言っている場合ではない。

行政や政治家にもはや希望が持てなければ、各自が家庭経済を守っていかなければならない。しかしそれとて限界がおのずとある。これまでの日本の教育は、企業人として会社の歯車になる優秀な人材を育成することに重点を於いてきたが、起業人や独立心旺盛な人材を育成してきたとは言いがたい。

私の世代をみまわしても、進学校に行き大学に進んだもので、実業家は少ない。教師や公務員や団体職員がほとんどである。逆に起業家は、進学校に進まなかったが、世の中の荒波を乗り越え社長業をしているものが同級生にも何人かいる。

不況の中で、地方の優秀な人材がみんな公務員志望になってしまったなら、これからの日本はどうなってしまうのだろうか。仕事がなければ、仕事を起こすくらいの気骨のある若者を育てる使命が我々にはある。

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2009年5月16日 (土)

机上の理論

お金が欲しい。家が欲しい。車が欲しい。名誉が欲しい。恋人が欲しい。生きていると欲しいモノがいっぱいあります。

大人の欲望も限りがありませんが、子どもたちの欲望もまた限りがありません。ゲームが欲しい。ケータイが欲しい。パソコンが欲しい。欲しいものばかりです。

「成績が上がったら買ってよ」 子ども達は勉強をすることの代価として欲しいものを手に入れようとします。努力をすることで何かを手に入れるという動機は悪くはありませんが、勉強することの最終目標が物質的欲望をみたすためと言うのはいただけないような気がします。

お金や物を目的として若い頃の勉強を奨励してしまうと、大人になった時、お金がないことや仕事のない喪失感に耐えられない人間になってしまい、極端な結果として欝や自殺などの悲劇を生んでしまいます。

勉強が必ずお金や物に直結するという教育や育て方は、やめたほうがいいように私は思います。なぜなら大人になってみれば分かることですが、世の中は理不尽さや矛盾が錯綜する社会です。学歴があっても生活力がない大人が増えています。それは勉強することの目的意識の出発点がずれているからです。

スポーツ競技と違って、本来勉強というのは順位や点数で優劣を決めるものではありません。どれだけ生活力や人間力として将来に役立つかが問われるものです。試験の順位を上げることやいい学校に入れることが一番の目的になってしまい、何のために物事を学ぶのかという根本が分からなくなってしまっているのが現代社会だと思います。

我々の父や母の世代の方々は、中学校しか出ていない方がおおぜいいらっしゃいます。しかし、すばらしい人生哲学や、生きて行く知恵を持っておられます。話を伺っていても、本当に学ぶことが多くあります。なぜでしょうか。

それは生きるために自分達が何をやらなければならないかを知っているからです。難しい高等数学が分からなくても、英語が読めなくとも、生きていくために自分達が何をやらなければならないかを自ら学んで、そして実行してきたのです。それが生きるということだと思います。机上の理論だけで人生の栄光は訪れません。

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放浪記に涙

森光子さんの放浪記が2000回公演を達成した。89歳にして素晴らしい演技である。ただただ脱帽である。テレビを見ていて涙が止まらなかった。

目標や根性とか、そんなものはどうでもいい、ただ演じている素晴らしさがそにあった。

人生という言葉を私は良く使うが、森光子さんの生き方を目の前にすると、自分の発する人生と言う言葉がなにか薄っぺらなものに感じてしまう。

人間が健康で働くということがどれほど大変かは、自分なりに知っているつもりだが、あの年齢で3時間半の公演を出ずっぱりで演じる体力と気力がいったいどこから湧いてくるのか、本当におそれいってしまう。

年を取ることの素晴らしさを見させていただいた。50にならんとする私など、まだまだひよこである。あと40年現役の塾教師でいることは無理としても、先日のブログのような、後10年位かななどと言う弱音は恥ずかしいので、撤回することにしよう。

何年でも構わない。生徒がいなくなるまで、自分が教えられなくなるまで私も頑張りたい。そんな気概を森さんから頂いた。

言葉で立派なことはいくらでも言えるが、生きて、そして感動を与えてこそ、深い学びを人に与えられるものである。

森さんの演じる姿に、年をとるということの価値観を180度変えられた人達が多いのではないだろうか。私もその一人である。

生きることは素晴らしい!

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2009年5月15日 (金)

低料金のからくりは・・・

木曜日の午前中は久しぶりに教育ブログをあっちこっち彷徨い歩き、いろいろ面白い記事を拝見した。いくつか気になった記事があったが、そのうちの一つに大手フランチャイズ塾が長引く不況と生徒減少のため月謝を下げることになった話題が載っていた。

誰でもが知っている有名塾が現行の月謝を半額にしたり、年間の教材費を無料にしたり、入会金を0円にしたり、地域によってずいぶんと思い切った値下げ合戦が行なわれているのだという。

しかしよ~く考えるに、それほどまでに値下げが出来るということは、今までどれだけ高い月謝設定を大手フランチャイズはしていたのかと私など思ってしまうわけである。ちなみに私の塾は最初から存続ギリギリの月謝設定でやってきたので、上げることはあってもこれ以上一円たりとも下げることは出来ない。

間違いなく、塾という看板を掲げて複数の講師がいる個別指導塾としては、県内でも屈指の低料金指導の塾だと思っている。他の塾が指導料金価格で私の塾に挑戦してきても、きっと100%廃業に追い込まれると思うので、この記事をお読みになっている同業の近隣の先生方は決して真似をなさらぬほうがよろしいかと思います。

この低料金には何かからくりがあるとお思いの皆さんのために、ちょっと今日は暴露話をしたいと思います。

うちの塾はチラシ代が0円。つまりチラシを出しません。宣伝媒体は塾生や保護者の皆様の口コミに依存しております。それと私を含め他の講師の先生も、小中学校の教科を一人ですべて見ていますので、教科ごとの先生の採用をする必要がなく、人件費を限りなく節約できております。もちろんこれも優秀な講師あってのおかげであります。

それともうひとつ、教室や塾運営にかかる費用以外は、プライベートに於いて極力無駄な出費は抑えています。塾生の皆さんが知っているように、20年以上乗っている軽トラックが私の愛車ですし、塾を始めて20年間外国どころか、プライベートの国内旅行など一度もしておりません。(PTA行事等では何度か東京に行きましたが・・・)

お米や野菜は自給自足です。塾教材などは教材出版社から頂くサンプル教材を最大限に活用させていただいておりますし、卒塾生から寄贈していただく未使用の問題集や参考書も在塾生にかなり役だたせてもらっています。最近では、私が講師で行っている高校の先生からも、塾で使ってくださいとお子さんが使った中学受験問題集をたくさん頂きました。本当に感謝です。

家内はさすがに新刊本をたまに買うようですが、私や息子達はブック・オフなどの100円コーナーが購買の定番です。そんな節約生活が、当セミナーの低料金を維持できる裏技であります。近隣のフランチャイズ塾の同業者の皆様、そんなわけでありまして、何か思いきったことをするためには、何か思いきったことが必要なわけであります。あしからず・・・・・。

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人類の驕り

先月我が長男の学校は季節外れのインフルエンザの流感で三日ほど学年閉鎖になり、そのためクラスマッチが中止になった。その直後メキシコで豚インフルエンザが発生し多くの犠牲者がでたとの報道が世界を震撼とさせたが、予断のならない状況が続いている。日本国内でも感染者がでたが、、どの国でもな大きな社会問題となっている。世界中で亡くなられた方々のご冥福をお祈りしたい。

鳥インフルエンザにしても豚インフルエンザにしても偶然に新しいインフルエンザウイルスが自然発生したものとは私は思えない。地球環境の急激な変化が自然の浄化作用を沈滞させ、共存するはずの多種多様な生命体がある種のバランスを崩してしまった結果だと思っている。

我々人間が地球上で一番尊い生き物のように考え振舞ってきた傲慢さとその驕りが、他の生き物達をないがしろにしてしまう態度を生み出し、自然の生態系を崩してしまった。遺伝子を組み替え、動物達の尊厳や植物の進化を無視した近代科学が新しいウイルスをもたらした原因の一つではないだろうか。

地球上の生きとし生きるものが太古の昔から享受してきた美しい空気と、そして自然の恵みである食糧、食物連鎖の長い自然の営みを変えてしまったのは、我々人間であることは否定の出来ない事実である。

鶏や豚が食している餌のとうもろこしは、ほぼすべてが遺伝子組み換えによる食糧である。多くの科学者が、動物やその動物を食する人間への健康被害を警告してきたにもかかわらず、時代の流れはいっきに遺伝子組み換えの飼料作物へと突っ走ってしまった。

新型ウイルスの発生原因は今後解明されていくだろうが、食をないがしろにしてきた人類の軽率さが間違いなく原因の一端を担っているような気がする。自然界の虫が食しようとしない大豆やとうもろこしが、動物の身体にいいはずがない。

人類は知恵を持った霊長類として、人類を宇宙空間に運ぶことが出来るようになった。ケータイやパソコンの情報網が世界を駆け巡っている。しかし一番大切な食について、深い知恵を持とうとしなかったことがことが悔やまれるのではないだろうか。

我々は科学を妄信してはいけない。縄文の時代より大切にしてきた、森や動物達の恩恵をもう一度思い出すべきである。

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2009年5月14日 (木)

運動会練習に思う

直前にせまった運動会練習と一ヵ月後にやって来る中総体の部活練習で、中学生はギブアップ気味である。運動会の半月前から毎日運動会練習が入り、多い日には3時間も通常授業がつぶれ、練習時間に割り当てられている。おまけに朝は一週間前から応援の朝練習が始まり、通常より30分ほど早い登校になっている。

先日卓球部の保護者懇親会があり、同世代の親御さんたちと中学校時代の思い出話に花が咲いた。そんな中で運動会の思い出話で盛り上がった。

我々が中学校の時には、一週間前の体育の時間を練習に当てたくらいで、今のような緻密な且つ頻繁な練習などしなかった。せいぜい運動会の前日か二日前ぐらいに全体練習をし、大体の感じを掴んだぐらいで本番に突入したものだ。

そもそも昨今のように中学校の運動会には、ほとんどの親は応援などには来なかった気がする。田植え時の農繁期の真っ只中、今のような大型機械があるわけでなし、手作業の時代、親は運動会どころではなかった。ゆえに運動会のお昼を親と食べた記憶はない。今は運動会に来ない親の方が珍しい。校庭の片隅で一人弁当を食べている生徒が気の毒に見える状況である。

学校行事の中でも保護者が一番集う運動会は、学校側にとってもまさに日頃の学習成果を見せる絶好のチャンスである。昔のようなアバウトな運動会ではダメなわけで、完璧なタイムスケジュールと役割分担が要求され、おのずとそれに合わせた練習も多くなるのだろうと思う。

思えば運動会の応援ばかりではなく、部活動の練習試合や各種大会の応援も近年は多くの親御さんが駆けつける。我々の頃は親が自家用車を持っている家も少なかったので、おのずと中総体等に応援に来る親はいなかったし、とにもかくにも親たちは仕事をすることに精一杯で子供に構っている時間はなかった気がする。

そういう意味では今の子どもたちは恵まれているわけだが、子ども達に干渉しすぎるという意見も多い。我々大人の手のかけどころがちょっとずれているのではないかと危惧するわけである。私なども息子達の教育に対してはおおいに反省している。

洗濯にしても食事にしても送迎にしても、親がやらなければ子供はそれなりにやると思うのだが、ついつい親がやってしまう私達の世代は、反省しきりである。

私たちは確かに子どもの頃は遊びに夢中で、勉強は今の子どもたちのようにやらなかったが、生活力と根性だけはあった気がする。中高生をお持ちのお父さんお母さん方そう思いませんか。

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2009年5月13日 (水)

先生?

二階の教室の西向きの窓から、毎日のように晴れた日には夕日の美しさを堪能することができる。桜の並木越しに真っ赤な夕日が奥羽山脈に沈んでいくさまは、毎日飽きることのない感動的な光景である。

夕日が沈むと世間の人たちは家路につく時間であるだろうが、私にとっては忙しい時間の始まりだ。夕暮れのあまりの美しさに、川土手にあがり夕日を見つめていると、突然高校生の集団が「先生さようなら」と元気な声をかけて過ぎていく。時に私が教えに行っている高校の生徒達であったり、塾を卒業して行った高校生だったりする。

それにしても30年近く先生と呼ばれる仕事をしているが、「先生」という呼ばれ方にはどうも馴染まない私である。街中で突然先生と呼ばれたりすると、本当にまじにドッキリしてしまう。教室や職員室以外で先生と呼ばれることになぜかたじろいでしまう。

自分ながらに理由を考えてみるのだが、私の心の中に先生と呼ばれる着陸点みたいなものがまだまだ完成していないのかと思ったりする。ある種の職業人として、自分というものを固定してしまう呼ばれ方になれていないのかも知れない。

家ではぐうたらオヤジで、田んぼに出ているひげ面の自分の姿は、まったくもって土着の百姓人そのものである。軽トラックで塾に向かう私と言えば、カーラジオもCDもついていない車なので、かってに自分の作った曲をがなりたて歌っているへんな中年のおじさんというか、初老のおやじである。

そんな私が街中でふと先生と呼ばれたりするわけで、正直「自分は先生だっけ?」というクエスチョンマークが点滅する。

子供たちの勉強を助けてやっているちょっと変わったおじさん、それが私かねごんの偽らない自分の職業的本質であるような気がする。

それにしても夕日が今日も美しい。そんな美しい風景の中、子ども達に勉強を教えられる私は幸せものである。塾をやってきて良かったな~と思う瞬間でもある。

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2009年5月12日 (火)

塾で成績が伸びる生徒

根本の第1条件が塾に来てくれることである。入塾しても部活優先や習いごと優先で塾に来なければ教えようがないし、物理的に指導は不可能である。

塾に来なくとも、しっかり家で勉強し成績も良いのであれば塾通いをする必要はないのだろうけれど、親御さんがお金を出して入塾させたからには少なくとも何らかの不安材料があってのことだと思う。

私の塾のような寺子屋式の集団個別指導は、生徒自身が積極的な働きかけをすることによって成績が伸びていく。自分の短所や長所を曝け出してくれる生徒は指導がしやすい。しかしガードが固いのが今の子どもたちである。

そこで何気ない日常の会話や、様子を観察しながら子供たちのシグナルをキャッチすことが我々塾教師の大切な仕事となるわけである。

前回のブログでも述べてが、塾に我がままを言ってくれる生徒は指導がしやすい。早い話が病院と同じで、どこが痛いのか、どこが調子悪いのかを訴えてもらえれば処方がしやすいのである。

いつも言うように、勉強が出来ない生徒が存在するのではなく、勉強がしたくない生徒が存在しそこで差がつくのである。言わば勉強したくない病の原因を除いてあげ、カンフル剤を与えることが塾ドクターとしての仕事だと思っている。

たいていの子供は病院が嫌いである。注射が痛かったり、検査がしんどかったりするからだ。当然勉強が嫌いな子も最初は塾が好きではない。駄々をこねているの無理やり連れて来られ、しまいには勉強が出来ないとどこの高校にも大学にも入れないからねなどと脅かされるのである。まるでその病気をほっておくと、死んでしまうよと言われているような感じである。

風邪やインフルエンザならば、うがいや手洗いやマスクで予防もある程度は可能であるが、勉強がしたくない病はある日突然意外なところからやってくるから厄介である。

親御さんの励ましのつもりの言葉が逆に仇になって発病したり、失恋がきっかけで発病したり、小さい頃からの慢性だったり、ある種の家族間の伝染病だったり、発生源の特定が難しいのが勉強したくない病である。予防接種があればいいのだが、何型が流行するのかさっぱり予想が出来ないのがこの病気の難しいところである。

勉強したくない病は病気なのだから、治療の第一歩は体の免疫力を高めることである。早寝早起きをし、しっかり食事を取り、掃除をし、ストレスをためず常に前向きな生き方を心がけることが大切である。そして何のことはない、このようなことを実行している子供が、塾でも成績が伸びるのである。

当たり前と言えば至極当たり前なのだが、意外と世の中の人は気づかないものである。

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2009年5月11日 (月)

かっこよかったな

清志郎さんのロック葬が行なわれた。4万2千人もの弔問の列が青山葬儀場に続いた。

これほどの弔問客の列をみたのは私の記憶では尾崎豊の葬儀以来のような気がする。清志郎さんの歌と時代をともにしてきた多くの世代の方が彼を追悼した。

戦争が終わりこの世に生を受けた団塊の世代、新しい時代を築いていく気概とパワーを秘めた歌が清志郎さんの体からほとばしり、多くの若者達に元気を与えてくれた。

愛しているか~い、大人が無理をして大人であり続けようとした管理社会に風穴を開けた清志郎さんの言霊であったような気がする。「大人も無邪気でいんだよ」「大人も素直に生きればいんだよ」そんなメッセージが彼の歌詞から伝わってくる。

どんなに時代が変わろうとも、生きるスタンスがそんなに急激に変わるはずもない。昔の時代は良かったな~などと渋いお茶を飲む年でもないが、1970年代の音楽シーンはイカシていた。

日本人が欧米のロックやポップスを自由自在に取り入れ、本当に素晴らしい楽曲を作り出した時代だった。まさに日本が物作りの国家として、GNPをいっきに持ち上げ加速した時代とリンクする。

清志郎さんの歌を最近ずいぶん聴いたが、古さを感じないから不思議だ。まるでスタンダードのジャズやブルースを聴いている感じである。

過激なファッションやメイクの元祖が清志郎さんだった。かっこよかったな。

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2009年5月10日 (日)

楽しく生きようじゃないか

ピアノの鍵盤を見ても、ギターのフレットを見ても、そこにすべての音があるだけで、それ以外の音はどこにもない。

しかし数限りなく曲は作られメローデーが生まれていく。本当に不思議だ。譜面に出来ない音程も和音も存在しない。世界中のどんな楽器でも必ずいずれかの音を出す。♭がついたり♯がついたりミュートしたりはするけれど根本の音は変わらない。

これは言葉にも言えることで、英語でもフランス語でもギリシャ語でも人間の感情をあらわす言葉は必ず存在する。悲しみや、喜びや、辛さなど、当然のことながら文字や響きは違ってもその国ごとの表現は必ずある。

至極当然なことだけれども、その当たり前のことがとても不思議で感動することがある。

まったく知らない言葉や音楽でも、その曲が希望を歌っているのか、悲しみを歌っているのかは分かるものである。同じように人間の表情もそうである。民族が違っても人種が違っても、感情は顔に表れる。

ましてや同じ日本人である小学生や中学生を教えていて、彼等彼女達の感情を汲み取れないはずはないのである。

つまらない顔がいっぱい並んでいたら、きっと何かがつまらないのである。飽き飽きした表情をしていたなら間違いなく飽きているのである。

私は音楽もたくさん聴くし、小説のたぐいも人並みに読んできた。音楽や文学がなぜ存在しているのかもそれなりに分かっている大人のつもりである。人間が生きて行くということは、自分を表現することだと思うし、心の思いというものがどれだけ奥深いものかも知っているつもりだ。

子供たちが楽しく嬉しそうに勉強させることが、なぜ大人は出来ないんだろうと思う。それは自分も含めての反省である。楽しくやることに、何か罪の意識を感じているのだろうか。笑いが教室で起きることがいけないのだろうか。

まじめであることと楽しくやることは、相反するものではないはずである。楽しい会話や楽しい話題を提供するために、言葉や音楽や文学があっていいはずである。世相が暗いとどうしてもその暗さを緩和するような、音楽や文学が生まれがちであるし、このような不況が続くと、転ばぬ先の杖的な話題がどうしても多くなる。

音楽や文学は、時代を生きている苦しい人たちの心情を代弁する機能というものを持っている。しかしそれは、あくまでもカモフラージュであり、ある種の逃避のような気がしてならなかった。私は人生が辛い時こそ、大変な時こそ、前向きな明るい音楽や、心から生きる力が湧くような本を手にすべきであると考えている。

多くの鍵盤があるのになぜ悲しい曲を作らなければならないのだろう。素敵な素晴らしい言語が山ほどあるのに、なぜネガティブが言葉をチョイスしなければならないんだろうか。

楽しい将来のために今苦しい思いをしなければならないことなどないのだ。楽しい将来のために楽しくおおいに学べばよい。わざわざイバラの道を歩むことはないのだ。マイナーな曲より、メジャーな曲を聴こうじゃないか。

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2009年5月 9日 (土)

母の日

教室で母の日が話題になった。

小学生はお母さんの手伝いをするよと言っていた。皿洗いを手伝うかなと言いながら帰っていった男の子がいた。いい感じだ。嬉しくなった。

「先生はお母さんに何かあげないの」小学4年生の男の子が聞いてきた。

この年になっても自分の母親が元気なことに感謝である。私の母は5年ほど前、清志朗さんと同じリンパ癌を患った。薬が効き、癌に負けることなく今は元気に畑仕事に精を出している。

病気を患う前はお酒が好きな母に、焼酎やビールを買ってあげたが、最近はこれといって何かを買ってあげることはない。毎日顔をあわせている日常なので、テレがあるのも正直なところだが、母の日はいつもの日常が過ぎていく。

70をとうに過ぎて尚、6キロ離れた町までバイクで出かけていく。朝は5時前に起きだし、農作業にいそしんでいる。我が母ながらたいしたものである。

私の父がなくなって20年が過ぎた。50代半ばで伴侶を失った悲しみはあっただろうけれど、孫に囲まれ、愛犬と猫を相手に話し込んでいる母はそれなりに幸福そうである。

50も近くなって、たまに座敷でギターを弾きブルースを歌っている我が息子を母はどう思っているのか知らないけれど、せめて日曜は卓球などをせず農作業をして欲しいと思っているに違いない。困った息子である。

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2009年5月 8日 (金)

風を感じて・・・

今日は田植えのため休塾にさせていただいた。

今は体のあちこちがギシギシしている。わずか40アールの田んぼの田植えだが、いっぱいいっぱいである。年にはかてない。

農業をやっていると、季節の移り変わりがよ~くわかる。田んぼを渡る風が日々微妙に変わっていく。里山に吹く風は、時に森の匂いがしたり、季節によってはカリンのような甘い風がそよいでくる。

空を見上げれば鷹や鳶やはやぶさが気持ちよく風に舞っている。太陽の恵みと水の恵とそしていろんな風が作物を育てていく。

今は機械作業がほとんどなので、子どもたちが農作業を手伝う風景が見られなくなった。日曜日は部活やスポーツ少年団の活動が優先で、休みの日に小学生や中学生が田んぼや畑でお父さんやお母さんを手伝う姿はない。

兼業農家がほとんどだが、今の子どもたちは将来農業を継いで行くのだろうか。きっとやることはないだろうなと思う。これは私の単なる想像ではなく。確信である。

遠くない将来、日本の農業は棄てられる。日本の教育は農業を見捨ててきた。岩手県の米どころである一関市でさえ、農業高校がすべて市内から消えた。

人間が生きて行くために一番必要なものを、日本の教育は忘れてしまった。因数分解を学ぶことも関係代名詞も学ぶことも大切なことかもしれないが、野菜やお米を育てるために窒素やリンサンやカリの成分がどれだけ必要で、どんな土壌改良が必要かを学ぶこともとても大切な学問のはずである。

宮沢賢治が花巻農業学校で教鞭をとった時代、農業を学ぶことは間違いなく生きて行く糧であった。自然と対話し、土と会話をする農業は芸術だった。つらい、お金にならないと、まるで洗脳されてきた農業。

間違いなく私もその一人である。だから本業は塾をやっている。それが現実であるのだろうなと思う。

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2009年5月 7日 (木)

存在理由

どんな職業も必要ゆえに存在している。お医者さんだったり、農家だったり、消防士さんだったり、無ければ大変である。

じゃ我々のやっている塾はどうだろうか。究極的に考えていけば、無ければ無いでどうにかなる職業ではあるような気がする。1960年頃から増えてきた塾は、半世紀以上にわたりそれなりの繁栄をしてきた。

なぜだろうか。実はこの理由を考えることが、塾をやっているものが生き残っていける理由のような気がする。

じゃかねごんは、どんなふうに塾の存在理由を考えているんだと言われそうだが、私は塾という所は良い意味でも悪い意味でも、学校が聞き入れてくれない親御さんや子供たちの我がままを聞き入れてあげる所だと思っている。

ゆえに学校からしてみれば至極迷惑な所であるかも知れない。孫を甘やかしてしまう、おじいちゃん的存在に見えるかも知れない。しかし、子供たちには逃げ場所が必ず必要である。勉強が出来なくとも塾に行けば、なんか自信が湧くような言葉をかけてくれるし、学校で解けないけど塾では解ける問題を出してくれる。そんな逃げ場である。

また中間層のレベルを相手に授業を進める学校の授業となれば、上位の生徒は物足りない。自分の能力をもっと引き出してくれる起爆剤が欲しくもなるだろう。そこで進学塾が進路のニーズに応える秘策を講じるのである。

塾とは、勉強が苦手な生徒や出来る生徒の我がままを、受け入れてあげる学びの場であると私は考えてきた。

なんとか20年間生き延びてきたところを見ると、あながち的外れな路線を歩いてきたわけでもなさそうかなと、ちょっと自惚れている。

高尚な教育論を掲げ、学校教育を陵駕する理想を掲げる塾もあるが、私は普段着のサンダル履き姿で、敷居の高くない塾を、今後もぼちぼち営んで行きたいと思っている。

(連絡)

5月の休塾は5月8日(金曜日)、8月16日(土曜日)となります。

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2009年5月 6日 (水)

春の風景

090501_133644

私がよく行く配志和神社の参道です。神社の参道である階段の長さでは一関市内の神社では一番長いのではないでしょうか。ちなみに勾配がきつい神社では隣町の金成有壁にある貴船神社が最高だと思います。

この坂を登りながらいろんなことを私は考えます。家族のこと塾生のこと音楽のこと、人生について・・・・などなど。階段を登りきりと樹齢1000年を越える杉の巨木が迎えてくれます。古代からこの一関の街を眺めてきた御神体は、多くの人々の祈りと希望を受け止めてきたのだろうと思います。

090505_150100 塾の前の磐井川河川敷の菜の花畑です。今が満開で多くのミツバチや蝶が舞っています。

風と虹の教室の子供たちが、いつもこの河川敷を元気に走りまわります。田舎暮らしの醍醐味でしょうか。自然の多くの恵の中で子供たちはすくすくと育っていきます。

春の輝きのように本当に子供たちは輝いています。

080422_113128 山は本当に鮮やかな新芽の色合いを醸し出し、私達の目を楽しませてくれます。

岩手の春は、山菜の季節でもあります。我が家でも最近は本当によく山菜を食べています。ちょっと山に入れば本当に山菜だらけです。ただここ2,3日近隣の町では熊の出没が続いています。

あまり山の奥深くへは、彷徨い込まないほうがいいかも知れません。

080425_163348

この土手は塾から10メートルも離れていません。一関一高や一関修紅の高校生達が、部活のランニングに利用します。

私も授業の前にここを良く散歩をします。夕方はワンちゃんたちの散歩コースにもなっています。川風が気持いいですね。

NSPの名曲「夕暮れ時はさびしいそう」はこの川べりの風景がもとになって生まれました。

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雪解けの水は本当に冷たくキレイです。

春のせせらぎが、大地の命を潤し、やがて多くの恵と豊穣を私たちにもたらしてくれます。

感謝の季節です。

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欺瞞的感情

日常発する言葉が与える影響に対して、あまりにも鈍感過ぎるというのか、無神経というのか、そういう大人が増えている。

職業的な立場とか与える影響度とかそう言った範疇を度外視して、個人個人が言葉に対して無責任になっているように思えてならない。言葉の持つ力というのは、使い方を誤れば人間の命をもいとも簡単に奪ってしまうことがある。

生きていくことは誰もが不安と隣り合わせである。一見華やかに見える世界に於いても、平穏そうに見える家庭に於いても、それぞれの苦悩やバクダンを抱えていたりするものだ。

子ども達にしてもそうだが、言葉と言うものは如実にその人間の内面や感情をあらわすものだ。常に他人を揶揄する人や、攻撃的な人間の感情はきっと阿修羅のごとく、何がしかの嵐が心の中にいつも吹きまくっている人なのだろうと思う。

学歴や経済力をバカにする人、常に人の欠点のみを指摘する人、そういった見下す態度に接するたびに、私は人間の抱える悲しみや闇のようなものを感じてしまう。

現在の自分の置かれている現状と言うものに対して、自分より劣っている人や自分より不幸な人間を見て安堵し、自分を納得させる思考は、とても欺瞞的な感情だと思う。

人をうらやむ感情と人を蔑む感情は、根っこは同じなのだろうと思う。

「あんな高校に行ったてしょうがねえだろう」とか、「あんな大学に行ってもろくな仕事もないだろう」などと、発言する人間の感情は、きっと欺瞞に満ち溢れた不安定な感情なのだろう。

どんないい高校を出ても、大学を出ても、相手の心情を考えず言葉を発していては、本当の幸福は訪れない。

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2009年5月 5日 (火)

名前を変えました

私かねごんの名前がプロフィールに掲載されているが、実は金田渉治(かねだしょうじ)と言う名前は私の戸籍上の名前ではない。本名は金田庄治(かねだしょうじ)と言う。

渉と庄の字が一字違うのであるが、これにはなが~いストーリーがある。細かく述べていると三日分ぐらいのブログの量になるので今日は簡潔かつストレートに話をしたいと思う。

私に名前を付けてくれたのは父親でも母親でもない。ましてや家族の誰かでもない。私の祖母の実家のおばあさんが付けてくれたらしい。私から見れば血のつながっていないおばさんが名前を付けてくれたことになる。

当時の村長さんの名前が庄治と言う方だったので私に付けてくれたらしいが、成人して実印のはんこを作るときに、名前の画数に対して、はんこ屋さんに散々言われてしまった。どうせ高いはんこを作らせるための嘘八百だと思い無視したが、父親との縁が薄いとか、結婚しても子供に恵まれないとか、仕事運が無いとか、名前をとても褒めてもらった(・・・笑い)。

私が結婚したのは26歳だったが、4年近く子供に恵まれなかった。ふと名前の画数が気になり、何冊か本を買ってきて読んでみた。確かによくない。当時勤めていた塾の上司に、やはり名前の画数が悪いと言うのでプライベートや仕事上で使う名前を変えた先生がいた。

私もそれではと言うことで名刺や年賀状の名前を現在の渉治に変えた。表札の名前まで変えてしまった。その六ヵ月後家内が長男を身ごもった。そしてその半年後私は独立して今の塾を設立した。

それ以来20年間現在の名前を使い続けてきた。息子達にはどっちが私の名前かで混乱をきたすことが多々あり迷惑をかけてきたが、最近はようやく実状を把握してくれたようで、適当に使い分けていてくれる。

公共の届出の名前のときは庄治で、仕事や卓球関係の時は渉治と書くようになった。このブログを読まれている方で私のように画数が悪いと言われている方で気になる方は、プライベートで使う名前を変えてみるのもいいかも知れない。

ただし変えてほうの名前がさらに悪くならないように注意をしていただきたい。

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2009年5月 4日 (月)

自己紹介

連休期間唯一の休みであった5月3日の日曜日は、正月以来目覚まし時計をかけないで寝ていた。それでも8時半には目が覚め、コーヒーを入れパンを食べ、午前中近隣の山にたらの芽やこしあぶらの山菜を採りに出かけ、午後は息子と卓球を一時間ほどやって汗を流した。

インターネットで清志朗さんの訃報を知り、追悼のブログ記事を悲しくて目をしょぼしょぼさせながら書いた。そんな休日であった。

実は今日5月5日は私達夫婦の結婚記念日である。23年になる。これと言ったイベントもないのだが、私のような我儘人間に23年間も付き合ってきてくれた家内に感謝である。横浜生まれの彼女にとって、岩手の山の暮らしは不便きわまりない暮らしだったと思う。

スーパーや学校が近くにあるところに引っ越したいと言い続けて23年、いまだに諦めずのたもうているが、内心ではきっと諦めているに違いない。

我が家は二人の息子達と、私の母と家内と私の五人家族である。それに14歳になる老犬のボブと推定年齢3歳半になるメス猫のキラがいる。

40アールほどの田んぼを耕し、母は5アールほどの畑で季節ごとの野菜を育てている。私と言えば平日は週3回市内の高校に行き英語を教えている。夕方から本業の塾教師をやっている。塾は今年20周年を迎えた。

休みの日は中学生の卓球の指導に行っている。そして年に何度かギターを抱え、小学校やイベント会場にライブをしに行っている出たがりやのおじさんである。

今日はなんか自己紹介のようなブログになってしまった。3年目突入のブログ第一回目の記事として、こんな記事もたまにはありかも知れない。

(入会希望者の皆様へ)

学年、教科、志望校に関係なく、本年度は火曜日、水曜日、金曜日は定員になりました。月曜日は3名ほど空きがあります。木曜日と土曜日はまだまだ余裕があります。よろしくお願いいたします。日曜日を開けて欲しいとの声が聞かれますが、私の健康管理上の理由で、日曜日は塾の方をとりあえず休みとさせていただいております。ご理解のほどをよろしくお願いいたします。

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3年目に突入

ブログを始めて2年が過ぎた。平凡な日常に突然あらわれたブログと言う媒体が、私の人生を変えたと言っても過言ではない。面白さが止まらない。

自分を曝け出すことで、大げさかも知れないが生きることが楽になった。読んでくれる人が多い時も少ない時も別に気にならず、自分との対話が楽しいのである。文章を書くことで、気づかなかった自分に出会うときがある。

毎日書いていて大変じゃないですかと言われるが、朝起きてコーヒーを入れる行為と同じくらい、日常の一部になってしまった。私にブログを書くことを勧めてくれた家内は、最近は逆に「今日は書かないで早く寝たら」と私のブログ中毒に呆れ顔である。時に「家庭崩壊になるわよ」とまで脅かしてくるが、めげないかねごんである。

卓球をすることと、ブログを書くことは、もはや私の聖域と化している。誰ももはや止められない。もちろん音楽も大好きであるが、音楽に間違いなく優先するのが卓球とブログである。もちろん塾教師としての仕事が一番大切なのは言うまでもないが・・・・・・。

ブログを書いていなければ決して出会わなかった方々がいる。とよ爺先生や本田先生、鳥羽先生、りんご先生、そしていつもコメントを頂く友人の小林先生、整体師の伊藤先生、そして富山国際学院学院長の奥村先生、多くの読者の方々。ここ2年間で、実に多くのことを皆さんから学ぶことが出来た。本当に勉強させていただいた。

人生に於いてこの2年間は、加速的に私の思考がいろんな分野に拡大された2年間だった。教え子や、ご父兄の皆様との精神的繋がりも以前とは比べものにならないくらい濃密なものになった気がする。

生きて行くうえで人間はさまざまな壁にぶつかる。私も少なからずぶつかってきた。お金の苦労や、仕事の行き詰まりや、対人関係や、指導の苦悩など、その都度何度か乗り越えてきたつもりだが、もちろん逃げ出したいことは多々あった。幼い我が息子の寝顔に救われ、ときに塾生の優しさに救われ、家内のさりげない言葉に救われてきた。

そしてこの2年間は、ブログを読んで頂いている皆さんのコメントや励ましにどれほど救われただろうか。本当に感謝でいっぱいである。

明日から3年目にこの『大験セミナーわくわく日記』は突入する。今日の記事が646稿目の記事である。明日はおのずと647番目の記事となるわけだが、とりあえず第一目標は1千稿を目指しまた一歩一歩進んで行きたいかねごんである。皆様よろしくお願いいたします。

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2009年5月 3日 (日)

追悼 忌野清志朗さん

東京生まれ。68年に中学校の同級生らと、忌野さんをリーダーとするバンド「RCサクセション」を結成、70年に「宝くじは買わない」でデビューした。72年には「ぼくの好きな先生」が、80年には「雨あがりの夜空に」が大ヒット。82年には坂本龍一さんと組んでリリースしたシングル「い・け・な・いルージュマジック」が社会現象を巻き起こし、日本の「ロックの神様」としてコンサートのほか、CMや映画などで活躍した。 毎日新聞

学生時代バンド仲間で酔っ払うと、必ずRCサクセションの曲を酔っ払って歌っていた。忌野清志朗さんの歌詞はいつもブラックで、そしてせつなさがにじみ出ていた。ブルースとロックを融合した独特な彼の音楽は、日本のロックシーンに絶え間ない刺激を与え続けてくれたように思う。

音楽をこよなく愛する息遣いが、ギターの玄をつま弾く瞬間瞬間に伝わってくる。とてもはにかみ屋で、照れ屋さんだった清志朗さん。ステージではじける彼の躍動感はきっと照れ隠しだったのかも知れない。

ロックの巨匠がまた一つ星になってしまった。青春時代の音楽の教本が失われた悲しみは、とても言葉では言いあらわせられない。このブログを打ち込んでいる間にも、不覚にも涙があふれてきてしまう。

清志朗さんさようなら。ステキな音楽をありがとうございました。

追伸

私の友人の小林先生(個別指導学び舎)http://k-manabiya.cocolog-nifty.com/blog/も追悼記事をしたためております。どうぞお読みください。

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2009年5月 2日 (土)

腹八分目の勉強法

ふと気づいたら今年ももう5月に突入した。今日から世間は5連休である。

昨日は午前中高校での授業が終わった後、家内と市内の配志和神社に参拝し、その後蘭梅山を散策してきた。いたるところに山菜が芽吹いていた。山の神様に勝手に了解を得て,こしあぶらを採ってきた。夜、家内に酢味噌あえにしてもらいいただいた。まさに春の味である。おいしかった。

私が教えている高1のクラスの生徒が、老眼鏡をかけ出席簿に顔をうずめている私を見て、「こないだ水沢に夜回り先生の講演会を聞きに行ったんだけど、かねごん先生もう少しやせたら夜回り先生そっくりだよね」とのたもうた。

ひげと眼鏡が似ているだけである。水谷先生はかつてのブログでも書いたが、私が尊敬する教育者の一人である。水谷先生が隣町に講演をしに来たことを私は知らなかった。

水谷先生講演会スケジュールの公開につきまして、水谷先生ご本人の申し入れにより、今後一切、当ページにおいて公開しないこととしました。何卒、ご理解・ご協力のほど、よろしくお願い致します』と言うことで、ネット上での検索が出来なかったかねごんである。

さて、ゴールデンウイーク中、高校生や中学生は学校から各教科いっぱい宿題が出されたようだが、私は塾でも高校でもほとんど宿題を出さなかった。生徒はほぼ毎日部活動で連休が過ぎていく。家族とのんびり過ごす時間もない。この上宿題が多量に出されたならば、何のための連休か分からない。ゆえに出さなかった。

そもそも宿題が無いから勉強をしないという悪しき習慣は、宿題そのものが作ってしまった功罪であると思っている。

私たちが中学校の時など、春休みの宿題はまったく無かったし、夏休みも薄いワークが一冊出されただけだった。それでも勉強するものは他の勉強を工夫してやったし、そしてもちろんやらないものはそのワークさえやらなかった。

同じ世代でも進学校に進んだものは宿題がいっぱいあったかも知れないが、私など普通科とは名ばかりの専門教科を勉強するのが面倒くさい、サボり自由人の烏合の衆だったので、宿題も無かったし、先生方による勉強の締め付けもなかった。おかげで自分のペースで自分のやりたい勉強をやることが出来た気がする。

自分なりに創意工夫する習慣は、高校時代の先生方の放任主義のおかげで培われたものだと思っている。その点では勉強に対して今のように干渉してこなかった先生方に感謝している。

手取り足取り教える家庭教師のような塾や指導方法がもてはやされているが、私はあまり賛同できない。もちろん月謝も高いようだが、そんな教え方をされて育った若者に個性的な自立心が湧くとは思えない。

教員試験や公務員試験まで専門の予備校で学ぶ風潮はいかがなものだろうか。腹八分目という表現があるが、勉強も同じ気がする。10を習って8を知る勉強ではなく、8を習って10を知る勉強でなければならない。

塾をやっていて言うのもなんだが、お金をかけない勉強法はいくらでもある。

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2009年5月 1日 (金)

塾保険

塾生が高校生だけだった頃は、やんちゃな事をする生徒もいなかったので、塾保険というものには加入していなかった。中学生が増え、風と虹の教室を新設し、幼児や小学校の低学年が入塾してきてからは、突発の事故を考え塾保険に加入している。

掛け捨てではあるが、少額の割には保障がしっかりしていて、万が一の場合いにはたよりになる保険である。

私も27年ほど塾教師をやってきたが、幸いにも塾生が怪我をしたり何らかのアクシデントに巻き込まれたことはない。しいて言えば、15年ほど前に塾生の女の子が家出をし捜索願が出されたことがあったが、無事に隣県で警察に保護されたことがあった。

2000メートル級の山に何度か塾生を連れて行ったことがある。当時は塾保険などに入っていなかったが、今思うとやはり冷や汗ものの過去である。

このブログを読んでいる同業者の方には是非、塾保険に加入することをオススメしたい。我が塾が入っている塾保険は生徒一人あたり年300円ほどの金額になるが、塾が主催する合宿や野外活動にも対応してくれる保険で、尚且つ家と塾の往復の事故にも保障が効く保険である。

保険会社から宣伝を頼まれたわけでも、友人にお願いされたわけでもない。皆さんもご記憶にあると思うが、塾生が塾帰りに襲われ命を奪われた悲しい事件があった。たとえ塾側に過失が無くとも、保障が出来るのとまったくでないのとでは、やはり誠意が違うと思う。

生徒が何らかの怪我をした場合、たとえ生徒自身の過失であっても、管理者である塾側が加害者になることもありうる。転ばぬ先の杖ではないが、子供たちの安全と保障はやはり第一に考えなければならないものだと思う。

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