忘却
さりげない日常が過ぎていく。忙しさにまぎれてやり残している何か大切なものをきっと私は忘れてしまっているんだろうけれど、知らんふりをして沈み行く太陽をやり過ごし、そして今日も疲労とともに床に入る。
家の周りを見渡せば、木々はすでに春の息吹を身にまとい、新たな一年の輝きを増している。遠くにそびえる須川岳の山肌の雪もだいぶ溶けだした。雪解け水が支流を流れ、本流の北上川の水かさを増している。
1年ぶりに軒下にやってきたツバメ達は巣作りを始めた。山里の桜が終わり、多くの山鳥たちも一斉に華やぎ始めた。恋の季節である。
4月になって蒔いたもみ種が順調に成長し、ハウスの中はグリーンのカーペットのような鮮やかな緑になっている。今年は連休明けに田植えを予定しているが、農作業も忙しくなりそうだ。
昨日塾生たちに言われて気づいたが、CDの音源を録音する予定が、次から次へと押し寄せてくる仕事の波に押し流されて、まったく何もやっていない。CDに収録するオリジナル曲の選別さえもまだ考えていなかった。昨年CDを作ることを豪語したものの、まったく作業が始まっていない。
暇な日常もそれはそれで大変なんのだが、今年のように多忙な年も、やはり本音を言うと厳しい時はある。今年のゴールデンウイークは通常の仕事が続いていく。今年もまた旅行することもなく、友と飲みに出かける予定もない。
そう言えば、母方の祖父母の墓参りにも5年以上行っていない。田植えが終わったら、せめて線香の一本でもあげてこようと思う。
私の母は父親の顔を知らない。母の父は自分の妻が娘を身ごもったことを知らず、赤紙一枚で戦場に赴いていった。母がもの心がついた頃、戦死の知らせが届いた。南方の異国の島から送られてきた遺骨の箱には、石ころが一個入っていただけだった。今でもその石が、祖父の墓には収められている。
誰にでも忘却の彼方に追いやれない悲しみはある。それがひょっとしたら生きて行くということなのかも知れない。
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