再掲載 15の春
15歳の春、高校受験はあくまでも通過点の一つ。受験する限りにおいて、合否は必ずついてくる。しかし合格することが最終目的ではない。
努力はもちろん全員している。試験に落ちたときに「おれ、勉強しなかったな~」と言える生徒は、ある意味大丈夫。自分の努力のなさが原因なのだから、今後の課題ははっきりしている。高校に行ったら勉強すること、それが伸びていく第一歩である。分かりやすい。
問題は、寝る時間も惜しんでひたすらやったのに、ダメだった。もうこれ以上無理と言うくらいやったのに・・・・・。
私はこのような場合は『神の選択』と思っている。志望校の選択ミスでもない。運がなかったのでもない。何か将来世の中のために、キーマンになるべき人間として与えられた試練だと思って欲しい。
「どうせやったて・・・」などと決して考えないことだ。私は君たちにいつも、何度でも繰り返し言ってきたことだが、努力は必ず報われる。明日かも知れない、来年かも知れない、3年後かも知れない。努力の継続は、個人の能力を飛躍的に成長させる。
志望校合格とともに気がゆるみ、怠惰な高校生活を始める生徒がいる。落ちたがゆえに、猛烈に勉強を始める生徒もいる。朱に交われば・・・ではないが、どうせおれはと、せっかく与えられた学びのチャンスを台無しにしてしまうものもいる。
自分の能力を勝手に自分で決めつけてはいけない。君は選ばれし64億分のonly oneだ。
明日の入試は、一つ迷わないこと、二つ弱気にならないこと、三つ自分を信じること。そして家族やお世話になった方々への感謝の気持ちを忘れずに、入試会場の門をくぐって欲しい。
ここまで君たちが大きく育つまで、どれほどの愛情と慈しみが注がれてきたのかを、かみしめて欲しい。頑張ってこいよ、塾生達!
上記の文は昨年の入試の前日にしたためたブログ記事である。何度読み直しても、今年も塾生を送り出す気持は同じである。頑張ってこい、塾生達!
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前に「一関一高に入れば天国、一関修紅高なら地獄」と言った生徒さんのエピソードを読みました。同じ人間、人間の本質部分では、どちらが優秀かはわかりません。でも、世の中の目は、きっと一関修紅に冷たいでしょうね。頑張る気持ちがあれば、いつでも、どこでも、すべての人に備わっている能力を出せると思います。こういうことを伝え続けている金ごんさんに出会えた生徒たちは幸せですね。Keep on believing!
(かねごん)
せなごんさんコメントありがとうございます。
子ども達は時に冷酷に、時に無慈悲に大人社会の冷たさを模倣します。そしてそれは言葉に表れます。そして差別化が生まれます。
しかし、学習能力の差は人間力の差ではないと私は思っています。
今日は高校入試です。きっと不合格という結果が待ち受ける子ども達が全国にいっぱいいることでしょう。そのことが糧になる指導を大人達はしっかりやっていかなければならないと思います。
せなごんさん、私の多くの記事を読んでいただき感謝申しあげます。今後ともよろしくお願い申しあげます。
投稿: せなごん | 2009年3月10日 (火) 08時04分