ダライ・ラマ、イエスを語る
『ダライ・ラマ、イエスを語る』(角川書店)という本が図書館から借り出されてきて我が家の茶の間に置かれていた。昼寝をしながらページをめくっていると、キリスト教徒がなぜ輪廻転生を否定するのかということに対するダライ・ラマの文章が、私のぼ~とした視野の中に突然飛び込んできた。私はその1ページ弱の文を5回ほど読み直しただろうか。その文章はこんな終わり方をしている。
神父はサドウのような橙色の衣を着ていらっしゃいました。感動的な出会いでしたよ。彼はこうおっしゃいました。キリスト教的な見方からすると、生まれ変わりを信じることは、その人の信仰と実践を害するおそれがある。この人生、あなたという個人の存在が、直接に創られたものであり、創造主からの直接的な贈り物だと考えれば、個としての存在であるあなたと創造主との間に、きわめて特別な絆ができる。この直接的で個人的な関係は、創造主に対して親近感や親密感を抱かせる。生まれ変わりを信じることは、創造主とのこの特別な関係を損なうものである、と。私はこの説明に深く納得しました。
ちなみに中川新一さんの訳であるが、キリスト教徒でもなければ、生粋の仏教徒でもない私には、ダライ・ラマのごとく残念ながら深く納得することは出来なかった。
私はミッションの学校を終わっているゆえ、多くのクリスチャンの友人や知人がいる。転生を認めない多くの方々の意見を若い頃より拝聴してきた。『今生の人生を終えれば神のもとへ帰る』素晴らしい考え方だ。神を信じるものは救われ神のもとへ行く。となると宗教的神を信じない私などは、肉体亡き後、地獄めぐりでもする羽目になるのだろうか。それはそれでスリリングで楽しいかも知れない。
塾生に「かねごん先生は生まれ変わりを信じているんですか」と3年に5回ぐらい聞かれることがある。信じてはいるけれど、ことはそんなに単純ではないようだ。 (つづく)
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先生に昔「なんで僕たちは勉強しなきゃならないんですか?」と聞いたら、
「生まれ変わっても知識は潜在的に残るから勉強しといたほうがいいぞ」的なことを言われたのを覚えてますよ。
いまだに僕は信じてます。3回くらい転生したら俺すごい天才になってるんじゃないかな〜(笑)
(かねごん)
take君コメントありがとう。そんなことを言ったのを覚えてるな~。そのことに関して私としては、嘘偽りは今でもないつもりです。ハイ。
投稿: take | 2009年3月 8日 (日) 13時06分