永遠のテーマ
「どうしたらうちの子ども勉強する気になるんでしょうか」
この問いかけは、教育における永遠のテーマである。私もこの仕事に就いて30年弱になるが、いまだにこの問いに対する回答の本質を見出せない状況にいる。
三才くらいの幼児に於いてさえ、このやる気の違いは顕著にあらわれる。「さあお絵かきしましょうね」と声をかけると、「やだ、やらない」と言ってブランコに走り去って行く子、素直に「はい」と言って机に座る子がいる。結果この差が中学校、高校になって学習能力の大きな差になってあらわれる。
素直であるかどうかだけの問題ではないけれど、やれと言われたことをとことんやらない子どもは、やはり親にとっても教師にとっても難敵である。親の精神性の問題なのか、家庭環境なのか、その子ども本来の性質なのか、いっきに飛躍して前世の影響なのか、私は毎年頭を抱えてしまう子どもの状況に直面する。自分の息子を含めての話であるが・・・・。
「成績が上がったら小遣いを上げてあげるから頑張りなさい」
そんな簡単な事で、いっきに勉強を始める子がいる。お金やもので勉強をやらせるのはけしからんと言う意見は昔から多いが、実際問題として、功を奏するケースもある。最近はケータイを買ってあげることを条件に、馬の鼻先の人参のごとく、我が子をけしかけ勉強させる親御さんも多い。
勉強をなぜしないのか、やりたくない、努力したくない理由は何なのか、突き詰めればそれが本人達にとって必要なことではないからだと思うのだが、『勉強しなくとも生きていけそうじゃん』的風潮がひょっとしたなら今の子ども達にあるのかも知れない。
しかし実際は、親の経済力が枯渇してしまえば突然大変な試練が訪れるわけで、『ホームレス中学生』の話が他人事ではなくなってしまうのが今の日本である。
「うちはお金がないから私立高校は入れられないからね」などと言いつつ、週末には家族で外食し、父親が毎晩付き合いと称して夜の街に出かけていけば、子どもとてばかじゃない、そんな親の話など信じるわけもなく、「まあ、どっか引っかかればいいか」てな感じで、勉強はそっちのけで友達や彼女と青春をエンジョイするのである。
目標を持って努力する生徒の共通点は、負けず嫌いでプライドが高い。そして孤独に強い。何か世の中に自分が役に立ちたいという使命感みたいなものを必ず持っている。ゆえに自己の欲望に打ち勝ち、勉強が出来るのである。
じゃそのような子どもにするにはどうしたら良いのですか?という話になるわけだけれども、その答を見つけることが出来ないからこそ、こうやって私は30年近くも塾教師を続けてきたのかも知れない。
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