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2009年3月

2009年3月31日 (火)

光は放射する

ADHD(注意欠陥、他動性障害)やLD(学習障害)を持つ子ども達を支援する会が、全国各地に発足し、学習支援を必要とする子ども達の自立をサポートする組織が増えている。

義務教育期間の支援は国の援助によってある程度支えられているが、高校入試を迎える時期になると、多くの壁が立ちはだかるのが現状である。

私は専門の機関で心理学やカウンセリングを学んだものでもないし、もちろんそういった資格を有するものでもない。しかし仕事柄毎年多くの相談を受けるとともに、塾教師生活の中で試行錯誤をしながらも、軽度障害を持つ子ども達と接してきた。

このブログを読まれている方はもうご存知だと思うが、私は輪廻転生や魂の存在を信じる人間の一人である。人間一人一人が持つ魂の輝きや個性を、塾という学びの場で飛躍させたいと考える人間である。

障害という現象を子どもの表面的な行動面だけで捉えようとするアポローチでは、教育現場では限界が来ているような気がしてならない。私は人間が生まれてくる存在理由というものを私なりに長年考えてきた。人間がどこからやってきてどこへ去っていくのだろうか。親子の絆とは何だろうか。人生の織りなす運命というものは初めから敷かれているものだろうか。そんなことを考えながら教育の場に立ってきた。

挫折した時、苦しい時、自暴自棄になることはたやすい。しかしそれが人生の学びと知った時、必ず人生に新しい局面が現れる。

私は自分の言葉が子ども達に届かないと感じた時、子ども達の心の深い部分(魂と呼んでもいかも知れないが・・)に話かけることにしている。「君の本質は何を求めているんだい」 「今君が立っている場所地球は、君が望んだ場所ではなかったのかい」

時に生徒の後姿にそっと問いかけることがあれば、眠りにつきながら、子ども達の姿を思い浮かべ問いかけることもある。

親に愛され四季のいろどりの中で年を重ね成長して行く子ども達。42.195キロを3時間もかけずに走りぬける若者がいる。100メートルの道のりを10分も20分もかけてようやくたどり着く若者もいる。一冊の教科書を二週間足らずで暗記できる生徒がいれば、家族の名前や友達の名前をなかなか覚えられない生徒がいる。

しかしその若者達や子ども達の心の輝きを選別し、優劣を下すことは実は誰にも出来ないことなのだ。

私の家は街灯さえほとんどない山中にある。晴れた夜には本当に美しい星空を眺めることが出来る。無数に輝く星は本当にさまざまな色合いと、ゆらぎとそして光を放射している。

一つとして同じ光はない。人間も同じではないだろうか。さまざまなゆらぎと光を放射するその個性を、学力や物理的行動力だけで選別してはならない。なぜなら魂を選別できるものは誰もいない。

自然の摂理、宇宙の摂理の中、たゆたう流れは誰も止められない。そうではないだろうか。

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東北決戦

明日は選抜甲子園大会史上、初の東北勢同士の準決勝である。花巻東が宮城の利府高校と決勝進出をかけて戦う。

花巻東が岩手県勢として25年ぶりのセンバツの一勝をあげた日、私はその日のブログで奇跡の予感がすると書いた。菊池投手のピッチングにただらなぬオーラーを感じたのである。

今日花巻東は山口県の南陽工と戦い逆転の勝利を収めた。南陽工はくしくも私がブログでお付き合いいただいている、みかみ塾本田屋の本田先生http://mrhonda.jugem.jp/の地元である。本田先生もさぞかし残念がっておられると思うが、このかねごんにめんじてお許し願いたい。

私も半世紀近く生きてきたが、岩手県のチームどころか東北のチームが甲子園で優勝する光景を死ぬまでに見ることはないだろうなと思っていた。しかし今日の花巻東の戦いぶりを見て、私は心底しびれた。いよいよその時が来るかもしれない。

かつて決勝戦まで行って涙をのんだチームの話はここではもう忘れよう。今や日本のエースとなったダルビッシュもなし得ることが出来なかった快挙を、菊池君がやらかしてくれそうな気がする。

あと二勝で、真紅の優勝旗がみちのくの空に舞う。WBCのイチローが言うように、野球の神様がいるのなら、花巻東に舞い降りて欲しい。

決勝戦の日は春期講習を特別休講にしたいかねごんである。

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2009年3月30日 (月)

今日は休息

花粉症がひどい上に風邪を引いてしまいました。申しわけありません。本日のわくわく日記の原稿は書かずじまいでした。早く寝ることにします。

明日は甲子園準々決勝、岩手代表花巻東高校が登場します。岩手県民の皆さん、そして東北の皆さん、応援頑張りましょう!そういうことでおやすみなさい。

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2009年3月29日 (日)

頑張れパパ先生!

もうすぐ3月が終わる。偶然なのかそれとも何か縁があるのか、今月新学年の入塾申し込みの9割の生徒の親御さんが学校の先生であった。こんな年も珍しい。高校の先生、中学校の先生、そして小学校の先生。皆親御さんが教員の方々である。

実は申込者の保護者のほとんどが私のブログを読んでいただいていた。冷や汗ものである・・・。学校教育のありかたにかなり過激な発言をやってきたような気がするが、そんな塾の代表がいるところでもいいのだろうか・・・恐縮ものである。

気になるのは入塾してくる生徒のほとんどが、某フランチャイズ塾からの移動組みであることだ。さすがに学校の先生方なので、その塾の悪口など一言も言わないけれども、何かがその塾で起きているに違いない。

成績が上がらないので塾を辞めると言う理由なら、私の塾でも10人ぐらいはとっくにやめてしまっているはずだが、今月いっぱいでやめるとは誰も言ってこない。それどころか「入塾テストを僕達も受けるんですか」などとチンプンカンプンなことを言っている(・・笑い)。

実は私は自分の子どもの悩みをこのブログでずいぶんと告白してきた。よそさまのお子さんは指導できるが、自分の子どもは教える時間もないし、仮に教えようとすると反抗丸出しでさっぱり親の話を聞かない的な内容の記事だった。ひょっとしたらそんなあたりが学校の先生に共感を持ってもらったのかも知れないと勝手に想像するかねごんである。

ちなみにこのブログを多くの先生方が読んで下さっていると思うのだが、部活を担当していれば土曜日も日曜日も家に居ることはなく、日々会議が長引けば夜の帰宅も遅い。子どもが高校入試の頃ともなれば、ちょうど教頭職や管理職につく年齢で、時に単身赴任を余儀なくされる。間違いなく自分の子どもの勉強をみてあげる時間はない。それが昨今の先生方の実状ではないだろうか。

いつも夜の11時ごろ帰宅する私は、そんな先生方の気持がよく分かる。塾教師とて同じである。逆に毎日子どもの受験勉強を見てあげている現役の教師の方がいるならば、心から尊敬するし、すごいな~と思う。丸一日授業をしてきて、自宅で尚且つ息子のために教える気力は残念ながら私にはない。従って大変なことになっている。本当に深刻である・・・・。

「よその子どもばかり見てないでうちの子どももみてあげてよ!」なんて奥様から切れられているパパ先生もおられるのではないだろうか。う~私にはよ~く分かるのである。私がそうであるからである・・・・・

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ザ・塾教師

我が塾が進学塾なのか補習塾なのかは、私の選択ではなく入ってくる生徒達によるところが大である。類は友を呼ぶではないが、学年のトップクラスの生徒が二人、三人入塾してくると、誰々ちゃんが大験に入ったよということで、できる生徒が入ってくる。また学年で回れ右をしてトップクラスの生徒が入ってくると、じゃ私もと言うことで、似たような境遇の生徒が入ってくる。

ゆえに進学塾のような名前を冠しているが、本当にバラエティーに富んだいろんな生徒が在籍している我が塾である。

東北大や早稲田大学が受かる年もあれば、とにかく「大学という名のつくところに入りたい!」という切なる夢を抱く高校生がやって来る年もある。一流大学に合格させるのも大変だが、そうじゃないのももちろん大変である。英語の三人称単数や進行形すらままならない高校生を一般入試で大学に受からせることは、進学校の生徒を旧帝大に入れるよりもはるかに難しい。

それを毎年やり続けてきた私は、塾業界のイチローじゃないかと自負している。こんなことを言うととても嫌な奴に聞こえるかも知れないが、それくらいの自信過剰さがなければ、実は塾教師なる職業は続かない。なにせ受からせなければ、その後が続かないのである。

うちの塾は集団個別指導の塾であるが、生徒が10人いれば、私は10通りの人間に変身する。俗に言うカメレオン教師である。紳士的なオジサマタイプの先生の日もあれば、シモネタを連発するあやしいおじさんの日もある。またスポコンドラマのごとく情熱あふれる青春論をとくとくと論じる日もあれば、怒り心頭切れまくる日もある。それがザ・塾教師だと思っている。

その傾向は如実に私のブログにもあらわれている。哀愁漂う日記(自分で言うのもおこがましいが・・・)をしたためることもあれば、聖書宇宙人論ならぬあやしい記事を突如したためたり、我が家の貧乏物語を語り始めたりと、まったく一貫性がない塾ブログである。

開き直るわけではないが、一貫性のないところが我が塾の取り柄でもある。子ども達が楽しく学べ、ストレスを開放し、学ぶことの意義を個々に見出してくれれば、私の仕事は完遂されたもののように思う。それが寺子屋金さんこと大験セミナーが目指す方向性である。

《お知らせ》

一関附属中学校の入試がスタートし、受験をするしないにかかわらず、小学生の入塾が例年になく増えております。よって中学3年生の指導人数のキャパが例年ほどありません。新中3生の入塾をあと6名で定員とさせていただきます。新高3生の大学受験英語指導はあと4名とさせていただきます。ご了承ください。BY 校長かねごん

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2009年3月27日 (金)

久しぶりの履歴書

昨夜履歴書を書いていた。塾を閉めて会社勤めをしようというのではない。4月から市内の私立高校で午前中英語を教えることになり、高校に提出する履歴書を書いていたのである。

私のように年を取ると学歴や職歴の年代が非常にあいまいになり大変である。最近は生まれた西暦で、学校の入学年等がわかる早見表のようなものがついていて便利だが、早生まれの私など、違う欄の年代を書いたりしてしまって、慣れない作業にあたふたである。

学歴を小学校から書けばいいのか、高校から書けばいいのかから迷いだし、職歴はバイトはいいのだろうかなどと悩みだし、結構大変な履歴書書きである。

かつて短期間お世話になった高校であったが、今日お邪魔すると、校長先生も教頭先生も代わっておられた。そう言えば、あの時教えた高校一年生もすでに卒業していたし、ブログも書いていない頃だった。月日は本当に一瞬に過ぎていく。職員室には懐かしい先生方の顔があった。「かねごん先生今度は英語ですか、前回は国語科でお世話になりましたが専門は何ですか?」

塾をやっているとよく聞かれる質問である。正直自分でも自分の専門が何なのか怪しくなってきている。塾では圧倒的に中学生の理科と数学を指導している時間が長い。高校生には英語の指導をしているが、今回のように一年間大学受験生を指導しないと、受験英語の感覚がどこかに散歩に行ってしまった気がして、ちょっと気付け薬が欲しい感じではある。

我が塾の卒業生も何人か推薦で入り在籍している。きっと職員室にいる私を見かけたら驚くに違いない。なんとなく楽しみである。驚く顔を見るのが・・・・・。

4月1日からは塾の新年度が始まる。今年はそれに高校の非常勤講師が加わった。納税組合長としての多忙な日々がやって来る。日曜日と月曜日は公私ともども卓球がある。そして春から農作業が始まる。・・・・・ううううう・・・眩暈がしてくる。でも、だいじょうぶ、だいじょうぶ。

世の中から必要とされるうちが花である。こんな老体でもまだ役に立つのならば、とにかく全力投球あるのみである。

そう言えば、二日前平泉の和菓子店吉野屋さんより、第三回いーはとーぶ音楽祭のご案内を頂いた。4月19日日曜日の夕方開演である。もちろん今回も喜んで出演させていただくつもりである。ジャズあり、クラシックあり、今回もどんなアーチストが登場するのか楽しみである。

受験指導が終わり、春期講習も終わると、私の音楽活動もいよいよ解禁である。この多忙の中懲りないかねごんである。

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「春のこども作品展」のご案内

          『春のこども作品展』2009

080430_145203 3月29日(日)・30(月)

10時~3時

一関文化センター4階にて

幼児とママの作品~小3の作品展示をします。

はじめてわくわくして作ったものです、どうぞ観にいらしてくださいね。

そして、今回はバザーも行ないます。バザー品は普段教室で作っているような、

子どもの手作りクッキー、フェアートレードのオーガニックコットンの子供服、花苗、羊毛、みつろうクレヨンなどを用意いたします。

和室では自由にくつろいでお過ごしください。(お弁当持参OK)081115_095609

皆様のお越しを心よりお待ちしています。

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上記の日程で『風と虹の教室』第2回作品展を開催いたします。子ども達の日頃の手作り作品や絵が展示されます。どうぞ見に来てください。

市内の障害者支援施設で丹精込めて育てられた春の花の即売会を致します。またフェアートレード参加の自然素材の子供服のバザーを行ないます。

小さな小さな展示会ですが、自由奔放な子ども達の作品がきっと心を癒してくれると思います。

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かねごんの聖書物語

学生の頃、聖書に興味を持ち始めて読んでいたのであるが、聖書が預言書と言われる理由が正直分からなかった。キリスト教布教のための誇大広告ぐらいにしか考えていなかった。当時はノストラダムスの大予言などの世紀末に向けての終末思想が華やかし頃で、カルト的な新興宗教団体が雨後の竹の子のように登場し、本屋さんに行けば、予言書なる書籍のコーナーが設けられていた時代でった。

確かに新約聖書に於いては、ヨハネの黙示録などが終末思想に向けてクローズアップされ、核戦争による現代文明の終焉をあおり、信者獲得に奔放するキリスト教系のカルト宗教も多かった。

興味本位で友人に誘われその手のセミナーに参加すると、やはりその手の話しが教祖なる人物によって語られ、我が教団が終末を神の栄光のもとに救うなどの熱弁をふるう輩がいっぱいいた。ところであの方達は今はどうなったのだろうか・・・・。

もう28年以上も前の昔の話であるが、いつものように旧約聖書を暇つぶしに読んでいると、私はまるで言葉遊びのような聖書に連なる固有名詞の連続を見て、ある違和感を覚えた。特に創世記に於ける名前の連続は神様には失礼だが、非常にしつこい。子孫の名前を何度も連ねる箇所が随所に登場するが、まるで何かつじつまを合わせようとして、言葉遊びのパズルゲームをやっている感じである。

大学の図書館で旧約聖書の原典であるヘブライ語を眺めてみたときに、私はまさしく神の啓示のようなインスピレーションを受けた。ヘブライ語がまるで2進法の表記文字のように見えたのである。これは2進法の電子パルスに反応するかも知れない。そんなことを中学校時代電気、電波オタクだった私は感じ取ったのである。まだパソコンも普及せず、ビデオデッキさえまだ一般家庭に普及していない時代だった。

私は大学の聖書学のゼミの時間に、講師で横浜からこられていたとある教会の牧師さんに、次のような話をしたのを覚えている。「先生、旧約聖書のヘブライ語の文字をいつの日か科学が進歩した時に、スパーコンピューターに入力したら、地球の未来の姿や、人類の歩みが映像になってあらわれるなんてことないですかね~」と。

先生いわく「かねごん君おもしろいことを言うね。旧約聖書は預言書として印刷機が発明されるまで、一字一句間違うことなく暗記され後世に伝えられてきた。それほど未来に残さなければならなかった理由が信仰だけとは私も思わない。何か秘められている予感はするな」そんな回答が先生から返ってきた。

私は旧約聖書を当時の民に与えたのは、神様などではなく、我々の想像を超えた知的生命体ではなかったかと考えている。現代の地球人は時間という制限なかで、3次元の世界に生きる存在であるが、この制限の壁を越えられた生命体がいるような気がしてならない。宇宙人かも知れない。地球で進化した我々の未来人かも知れない。

古代に於いて聖書は、人間の野蛮性や俗悪性を沈静するのに多大な効果を発揮したように思う。中世に入り、芸術性や愛や、そして宗教性の発露として、人間がどうあるべきかを示す手本になった。そして近代に入り、哲学や自然科学に於いて、聖書は文学として道徳書として、多くの影響を与えてきた。そして現在、PCやケータイが進化する中、聖書が新たな一面を見せきた。

10年前、マイケルドロズニンの『聖書の暗号』(新潮社)が世に出された。旧約聖書はコンピュータプログラムの預言書であるという衝撃的な内容だった。私の長年の想像は確信に変わった。そしてその頃から、私の周りには不思議なシンクロシティーが頻繁に起こるようになった。そのことはまた機会があればゆっくり記事にしたいと思っている。

追伸

以前から聖書に対する私の予感めいたものがあった。特に旧約聖書を読めば読むほど、言葉が何かのパズルのような文体構造を持っているという実感のようなものだった。上記の文でも述べたが、ある種の違和感である。英文訳でしか確かめることが出来ない私の語学力なので確信めいたことが言えないのだが、あまりにも文が何かの目的のために、不必要な言葉や比喩があまりにも不自然に、唐突に盛り込まれてくる。その目的とは何か。それがPC言語に対応させるための意図的なものだとしたらどうだろうか。今回の記事は私の勝手な想像であり、信仰心の厚い方々には不快な思いをさせたかも知れない。

陳謝してこの記事を終えたい。

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2009年3月25日 (水)

25年ぶりの勝利

花巻東は大会屈指の左腕、菊池が9回1死まで無安打の快投で鵡川(北海道)を2安打完封し、5-0で勝った。岩手県勢の選抜大会勝利は1984年の大船渡以来で25年ぶりである。

ちょうど昼時だったので、この岩手県勢25年ぶりの勝利の瞬間を、塾の自習室でポータブルテレビで観戦することが出来た。7回が終わった時点で、完全試合の予感を思わせる菊池投手の力投に、球場内も緊張感が漂い始めていた。残念ながら歴史的快挙はならなかったが、彼の投球は強烈な印象を高校野球ファンに与えたのではないだろうか。

岩手のチームは冬の間、ほとんど乾いたグランドでの練習が出来ない。まして花巻は雪が多い。県南の一関市さえ今日は大雪だった。もうすぐ4月だというのに真っ白な世界になってしまった。そんな雪国のチームの春の活躍は本当に嬉しい。

花巻と言えば宮沢賢治の生誕地であり、宮沢文学の原風景が今も広がる町である。何かと不況の暗い話題が多い岩手に於いて、今日の花巻東の一勝は賢治の故郷を全国に紹介できただけではなく、県民にも大きな勇気になったのではないだろうか。

まだ東北の地に、夏も春も真紅の優勝旗が一度も舞い降りていない。今日の勝利が、東北人の夢見る奇跡の一歩になることを願わずにいられないかねごんである。

25年ぶりの勝利に今夜は一杯いただこうか・・・・

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2009年3月24日 (火)

家族の風景

塾の仕事を終え、国道沿いのとあるラーメン屋さんに入った時のことである。カウンターに座った私に、異様とも思える光景が飛び込んできた。

テーブル席に座っている家族が全員言葉を発することなくうつむいているのである。まるでお通夜の会場で悲しみにくれる遺族のような風景である。何事かと思い目を凝らして見ると、父親も母親も、そして高校生らしき二人の息子達も、小学校ぐらいの女の子も、全員がそれぞれケータイのメール打ちに没頭しているのである。

実は先日の日曜日、卒塾生の離散会をやった。カラオケ大会をやったのだが、高校合格後全員がケータイを買ってもらい、ケータイデビューを果たした生徒が多かったようで、カラオケなんかなんのその、お互いのアドレスを交換した後は、みんなうつむいてメールの打ち込みに必死だった。ふと先日のラーメン屋さんの家族の姿を思い出してしまった。

合格を果たし、卒塾して行った子ども達、それも合格祝賀会のカラオケの席で、ケータイのマナーについて苦言を呈する場の雰囲気でもなかったので、とりあえず私は何も言わなかったが、色々考えさせられた離散会だった。

私はケータイの存在が、日本人の精神性のある部分を崩壊させてしまった気がしてならない。そのある部分とは相手の存在を気遣う精神性である。

私がよく行く市内ジャズ喫茶『モリソン』のマスターの小原さんが、私がケータイを持ち歩かない人間だと知るや否や、「店に来るお客さんでかねごんさんのようにケータイを持たない人がもう一人いますよ」と微笑んできた。誰かと言うとジャズ喫茶『ベーシー』の菅原さんだった。ちなみにモリソンのマスターもケータイは持っていない。

ジャズをこよなく愛するベーシーのマスターもモリソンのマスターも、気配りの人間である。店にいるからケータイは必要ないと言うけれども、彼等の交友関係は実に多彩である。私が勝手に想像することだけれど、芸術的な音色を奏でるスピーカーでジャズを日々聴いている人間には、あのケータイの呼び出し音が耐えられないのではないだろうか。そんな気がする。

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2009年3月23日 (月)

あと6名となりました

春期講習真っ盛りである。冬期講習の人数の半分にも満たない数だが、十分個性豊かな受講生諸君がいてやりがいのある講習会である

朝9時から夜9時まで、春期と通常ゼミの指導が重なり、12時間連続の指導が続く日も多いが、受験直前のようなストレスからは何とか開放され、ほっと一息できる春期講習ではある。

『新中三春期講習』などというプリントのタイトルを見ては、「俺たちってもう三年生なんだ~」と早くもブルーが入っている塾生がいる。来月に迫った修学旅行の話題で盛り上がっているものの、受験学年に突入する不安はあるようだ。

不安と言えば、昨年の今頃は実は塾教師として、そして塾経営者として私は不安だらけの日々を過ごしていた。さすがに直面している時はブログに書けなかったが、昨年は中三、高三の受験生が塾生の80パーセントを占めていた。ストレスによる急性胃炎で、病院で精密検査を受けるなどの状況にもさいなまれた。

受験指導が終わり、塾生が卒業した後の塾は静まり返り、閑古鳥が鳴いていた。塾生の80パーセントが急にいなくなったのだから当然の結果である。

来るもの拒まずで入塾をさせてしまった私の失策であった。中三生が多くなりすぎ、中2や中1が塾に入りづらい状況が生まれ、学年のバランスが完全に崩れてしまった。4月5月は開店休業で、講師の先生にも休業を余儀なくさせてしまった。本当に申し訳なかった。

そこで昨年の秋以降は入塾テストを敢行し、受験学年の入塾を制限させていただいた。多少のご批判も頂いたが、受験生の他塾からの入塾を夏休み終了後はお断りした。その結果受験指導が何とか順調に推移し、今年度はなんとか全員合格を達成することが出来た。また塾生の学年人数のバランスもようやく回復した。

と言うことで今年度の新中三生の入塾に関してのお知らせでありますが、入塾テストなしで入会できる人数を後6名とさせていただくことになりました(3月23日現在)。ご了承ください。尚、新中1年生、2年生に関しましてはまだ余裕がございます。体験入学も随時受け付けておりますのでどうぞご利用ください。

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2009年3月22日 (日)

ジャズの癒し

私が愛するジャズマンにアート・ファーマーがいる。ここ一ヶ月近く、塾と自宅の往復は軽トラックの中で彼のトランペットを聴いている。

哀愁の漂うトランペットに、私はただただ心が癒され、宇宙をさまようかねごんである。ジャズを聴き始めたのは19歳の頃からだが、東京で一人暮らしを始めた頃とリンクする。

最初はジャズファンと言うよりはジャズ喫茶ファンであった。都会の孤独の中で、一人でいることに違和感のない空間、それが私にとってのジャズ喫茶だった。ジョン・コルトレーンもアートペッパーもアート・ファーマーも行きつけのジャズ喫茶で出会い、そして傾倒していった。

私がブラックな音楽に魅了されるは、孤独を癒されることが一番の理由のような気がする。家族がいる、かわいい教え子達もいる、友人ももちろんいる。しかし生きていくことはやはりいつも何がしかの孤独といつも隣り合わせである。

ジャズは魂の悲しみや、心の葛藤をまるでそよ風の囁きのように癒してくれる。ジャズという音楽が存在しなかったら、自分という人間はどんな存在になっていただろうかなどと考えてみる。少なくとも塾教師はやっていなかったような気がする。

ブログでお付き合いしている先生方もそうであるが、同業の先生方を見渡しても、なぜかジャズを愛する塾の先生方は不思議と多い。

塾教師は孤独な職業なのかも知れない・・・・・。

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2009年3月21日 (土)

永遠のテーマ

「どうしたらうちの子ども勉強する気になるんでしょうか」

この問いかけは、教育における永遠のテーマである。私もこの仕事に就いて30年弱になるが、いまだにこの問いに対する回答の本質を見出せない状況にいる。

三才くらいの幼児に於いてさえ、このやる気の違いは顕著にあらわれる。「さあお絵かきしましょうね」と声をかけると、「やだ、やらない」と言ってブランコに走り去って行く子、素直に「はい」と言って机に座る子がいる。結果この差が中学校、高校になって学習能力の大きな差になってあらわれる。

素直であるかどうかだけの問題ではないけれど、やれと言われたことをとことんやらない子どもは、やはり親にとっても教師にとっても難敵である。親の精神性の問題なのか、家庭環境なのか、その子ども本来の性質なのか、いっきに飛躍して前世の影響なのか、私は毎年頭を抱えてしまう子どもの状況に直面する。自分の息子を含めての話であるが・・・・。

「成績が上がったら小遣いを上げてあげるから頑張りなさい」

そんな簡単な事で、いっきに勉強を始める子がいる。お金やもので勉強をやらせるのはけしからんと言う意見は昔から多いが、実際問題として、功を奏するケースもある。最近はケータイを買ってあげることを条件に、馬の鼻先の人参のごとく、我が子をけしかけ勉強させる親御さんも多い。

勉強をなぜしないのか、やりたくない、努力したくない理由は何なのか、突き詰めればそれが本人達にとって必要なことではないからだと思うのだが、『勉強しなくとも生きていけそうじゃん』的風潮がひょっとしたなら今の子ども達にあるのかも知れない。

しかし実際は、親の経済力が枯渇してしまえば突然大変な試練が訪れるわけで、『ホームレス中学生』の話が他人事ではなくなってしまうのが今の日本である。

「うちはお金がないから私立高校は入れられないからね」などと言いつつ、週末には家族で外食し、父親が毎晩付き合いと称して夜の街に出かけていけば、子どもとてばかじゃない、そんな親の話など信じるわけもなく、「まあ、どっか引っかかればいいか」てな感じで、勉強はそっちのけで友達や彼女と青春をエンジョイするのである。

目標を持って努力する生徒の共通点は、負けず嫌いでプライドが高い。そして孤独に強い。何か世の中に自分が役に立ちたいという使命感みたいなものを必ず持っている。ゆえに自己の欲望に打ち勝ち、勉強が出来るのである。

じゃそのような子どもにするにはどうしたら良いのですか?という話になるわけだけれども、その答を見つけることが出来ないからこそ、こうやって私は30年近くも塾教師を続けてきたのかも知れない。

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2009年3月20日 (金)

小さな天使

小さい頃いろんな生き物を飼っていた。伝書鳩を飼ったこともある。カメを飼ったこともある。ウサギも、金魚も、そしてカブトムシやこおろぎやクワタガ、もちろん猫や犬も・・・・・・。

そして必ず死という別れがやって来る。何度小さなお墓を作っただろうか。何度泣いただろうか。私の小さな友達は、必ず天国に行ってしまう。

昨日塾の大家さんの飼っていたララの死の話を書いたが、やっぱりララのいなくなった塾の風景は悲しい。鈴を鳴らしながら私の足元にやって来るララがいなくなっただけで、塾が塾でなくなったような感じがするほど悲しい・・・・・。

私がこんなに悲しいのだから、子どものように育ててきた大家さんは本当に本当に悲しいだろうと思う。

今日私がしょんぼりしていたのは花粉症の辛さだけではなく、天国に帰っていってしまった小さな天使のララの思い出に浸っていたせいかも知れない。ちょうど三日前、教室の前で合格した塾生が歓喜に包まれていた頃、ララの亡骸が大家さんの家族が見守る中荼毘にふされた。

私にも忘れられないペットとの別れがある。落ち込んだ時、辛い時どれほど飼い猫や飼い犬の暖かさや、無邪気さに救われただろうか。近年涙もろくなってしまった私は、このブログをしたためている間にも、思い出して涙がこぼれてきてしまう。

暖かい春がようやくやってきたというのに、涙こぼれるかねごんである。

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2009年3月19日 (木)

ララ、さようなら

私が塾をやってきた20年間、もちろん家族の支えが精神的な大きな力だったが、塾をやってきた中で一番お世話になってきたのは、教室としてテナントを借りている大家さんである。

私が初めてお会いしたのは、定年直前の頃だったので、もう80歳近いと思うが、大型の車を運転し元気である。二度ほど体調を崩し入院されたが、その後可愛がっている愛犬のララと、雨の日も雪の日も散歩を欠かさない毎日を送っておられた。

五年前、元手のない私のために塾を建て替えてくれたのも大家さんだった。「かねごんさんから頂く家賃をローンに当てて支払っていくので、私が建てるよ。ただし10年は使ってもらえるかな」そんな感じで快く教室を建て替えてくれた。本当に感謝でいっぱいである。

その大家さんが昨日、奥様としょんぼり佇んでいた。いつもララと散歩する時間だったので、話を伺うと、体調が急に悪化し三日前に死んでしまったのだという。13年間いつも教室の前を元気に駆けていたララが、急にいなくなってしまった寂しさが胸にこみ上げてきた。

大家さんも奥様も、よほど悲しまれたのだろう、憔悴されていた。我が家の老犬はもうすぐ14歳になる。二年前から喘息を患い大変な状況だが、何とか今年の冬も無事に乗り越えた。その点ララはとても元気だったのに、本当に残念である。

この原稿を書いている教室の窓の下に、いつもの愛嬌を振りまいてララが走ってくるような気がする。ララ、さようなら。13年間ありがとう。(合掌)

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それでも地球は回っている

時々『地球はなぜ23.4度傾いているのか』という検索ワードで私のブログに入ってくる方がいる。ちなみにこの23.4度という地軸の傾きが、日本に美しい四季のいろどりをもたらしているのだが、この地軸の微妙なバランスを保っているのが月である。

月は地球からおよそ38万キロメートル離れたところを回る地球の衛星である。体積はおよそ地球の4分の1。地球からの見た目の大きさは太陽とほぼ同じである。

地質学や宇宙科学の分野に於いて、月の誕生については諸説が多くあり、決定打はまだない。私が小学校の頃には、月は地球から何らかの衝撃により地球から分離し、月は長い年月をかけ地球から離れていき、今の軌道に定着したと教わった気がする。

その後アポロ探査による月の分析により、月の地質は地球を起源とするものではない等の発表も一時期あり、科学者が騒然としたこともある。この大きな衛星が地球の重力によって引かれてどこかからやってきたものならば、通常とっくに地球に衝突しているはずで、あの場所にとどまるには、月の中が空洞のようなものでなければならないなどという仮説まで生まれ、しまいには月は巨大な人工衛星であるとか、UFOの巨大基地であるなどの異説が飛び交っている。

ちなみに理科の指導中、地球が太陽の周りを回っている公転の話をすると、「そうだったんですか!」ととんでもない驚きを示す塾生がいる。まだルネッサンスの時代に生きている子どもたちがいる・・・・。

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花粉症猛威をふるう

花粉症がひどい。昨日は薬を飲んだにもかかわらず滝のように鼻水が流れ、目を開けていられないほど痒かった。今日は薬が効いたが、今度は眠くて身体がしんどかった。本当にこの季節は大変である。

家の周りを見渡せば、杉また杉の山ばかり。今日などは花粉に黄砂が混じり、呼吸困難になりそうな花粉症である。参った・・・。

明日から春期講習が始まる。それと同時に花粉症との闘いが続いていく。塾生にも花粉症が多くティッシュボックスが手放せない生徒が多い。ゆえに教室のティッシュボックスの消費量がすごいことになっている。

塾内にくしゃみの音が響き渡る季節、春が今年も訪れた。この季節になると聴きたくなるアーチストがいる。永遠の少年浜田省吾である。戦争に打ちひしがれ、そこから立ち上がった日本人の根性を私はこの歌で思い出す。それと共に苦悩する若者の姿も・・・・。私もまた来年の受験指導に向け一歩を踏み出そう。

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2009年3月18日 (水)

新しい一歩

私が教室の前に立っていると「先生受かった~!」と絶叫しながらかけて来る生徒達の姿。塾教師をやっていて一番幸福を感じる瞬間だ。

思わずこみ上げてくる涙を、花粉症だと言いつつ、目をこすりながら「おめでとう」の一言を生徒達に贈る。

先週まで雪がふぶいていた北国に、ようやく暖かい日差しがあふれ出してきた。友達同士、親子同士、喜びあう姿を見ていると走馬灯のようにいろんな想いが去来する。

昨夜は9時半に中2男子生徒の指導が終わり、誰もいなくなった教室で、塾にお祭りしている産土神社の神々に塾生全員合格の報告をした。私立、国立、県立の全員合格は20年の歴史の中で2度目である。

塾の窓に『塾生全員合格おめでとう』の張り紙を貼り、帰宅した。

毎年、一人、二人塾生の受験を失敗させてきてしまった。合格して走りこんで来る生徒達には悪いが、落ちた報告が発表会場の先生から電話で入ると、私の心の中は痛恨の極みでいっぱいになる。たとえ40人が合格しても、一人が落ちてしまえば「今年の受験は良かった」などとは言えないのである。

入試を失敗した気持は、この私が一番知っている。昨日合格発表だった都道府県が多かったようだが、残念ながら受験会場で涙を呑んだ生徒諸君に言いたい。失敗は大きな糧になる、いっぱい泣いたら、どうぞ勇気を持って立ち上がり、新たな一歩を歩み始めていただきたい。だいじょうぶだ!

【卒塾生への緊急連絡】

今年は卒業合格離散会を執り行います。3月22日の午後ですが、詳しい内容は塾の外に張り出しましたのでご覧ください。塾の友達同士声をかけ合って参加してください。思う存分騒ぎましょう。ただし強制ではありません。都合がつかない場合は不参加でも構いません。別に気にせず自由に参加していただければ幸いです。

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2009年3月17日 (火)

合格おめでとう!

大験セミナーの塾生の皆さん合格おめでとう!今年度の結果を報告いたします。

一関高専全員合格。一関一高全員合格。花泉高校全員合格。一関工業全員合格。一関二高全員合格。水沢商業全員合格。迫桜高校全員合格。一関学院全員合格。一関修紅全員合格。古川学園全員合格。

県立、国立、私立に於いて塾生100パーセントの合格を達成いたしました。

塾創立以来2度目の快挙です。本当にみんな良く頑張った。すばらしい!おめでとう!

家族や学校の先生そして育ててくれたお父さん、お母さんに感謝の気持を忘れず、さらなる目標を持ちがんばってください。本当におめでとう!

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今日は合格発表

私が塾ブログを始めるきっかけになったのは、家内のアドバイスだったのだが、その私の家内の叔父である、現富山国際学院理事長の奥村先生のブログhttp://tiaokumura.exblog.jp/が、私が教育ブログを始める際の手本とさせていただいたブログだった。奥村先生は長年にわたり塾を営んでこられたが、昨年私塾を閉められ、外国人青年の方々の日本語教育に専念されている。下記の文は先生が塾教師時代の思い出をつづった昨年の記事であるが、私は何度読み返しても涙があふれてくる文章である。合格発表の日は、私も辛い思い出が多い・・・・。

塾での指導結果がはっきり出る県立高校合格発表の日は、朝からピリピリしている。そんな自分を家族に見せたくないが、しかたがない、塾主宰者の宿命である。塾生全員の受験校を回っている時間はないので、県庁の教育指導課に12:20頃行く。12時半になると県内全県立高校の合格名簿が閲覧できるのだ。何年か前までは名前、今は受験番号。合格者には県庁内からTELして「おめでとう」を言う。そして、そこからが塾主宰者として1年で最もつらい時間。落ちた塾生の家を訪問するのである。

全員合格の年はそれで家に帰ってビールを飲めば済む(照)。でもそんな年は四半世紀で10回くらいしかなかった。あとの約15回は1人か2人、不合格。彼または彼女の家から少し離れた場所で車を停める。家の前に立ち深呼吸数回。玄関を開ける。おばあちゃんが出てらっしゃるときもあるし(富山県は兼業主婦が日本一とかで、お母さんがその時間にご在宅はめったにない)、本人が出てくるときもある。会った瞬間に照れ笑いする塾生もいるし、怒った表情の塾生もいるが、ほとんどの生徒が泣く。顔を見合わせたとたんに泣く子もいるし、少し話している内に涙声になる子、帰り際に泣き出す子、玄関先まで僕を見送った後閉めた玄関からすすり泣きの声が伝わる子・・・。そんな時、「もう塾はやめよう」とか「いっそのこと『俺が落ちたのはお前のせいだ』と殴りかかってきてくれたほうがいいのに」「返せるものなら、月謝を返してあげたい」とか思う。

そんな気持ちになりながらも、四半世紀も塾を続けて来られたのは何故だろう。家族の生活がかかってる、ってのがもちろん一番だが、自分のような者でも子どもたちに役立ってるという自負、かなぁ。落ちた子には、私立の入学式を調べ、お祝いの手紙とささやかな入学祝いを贈る。塾からそういうのもらって、逆に県立に落ちたことをまた思い出させるのではとも思うけど、つらい現実は現実として認め新しい出発をしてほしい気持ちからである。

塾は、「必要悪」とまでは言わないがあくまでも「学校教育の補完」だと思う。公教育がきちんと成立していれば、塾なんかいらないのである。だが、これまでもこれからも「進学塾」も「補習塾」も続くだろう。

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2009年3月16日 (月)

サファーリングストーリー

ここ2,3日の私のブログに対して、妻がイエローカードを出してきた。我が家の貧乏話が多すぎるというクレームである。

お金がないことを自慢してもしょうがないでしょという批判のイエローカードなのだったろうが、事実なのでしょうがない。わたしがいつも言っているように、勉強が出来ないのもお金がないのも個性だと思っている。

巷に出版されている実用書は、実に多くのサクセスストーリーで満ち溢れている。成功していない人は本の出版などしないのであるから当然と言えば当然であるが、その道で成功せずとも一般人は日々頑張っているんだよという文章をしたためられるのが、実はブログの利点ではないのかと思っている。だからありのままの塾教師の姿を私は書いているし、教育について私なりの意見を書いている。

年商何億円という塾経営者は、それなりのサクセスストーリーをお持ちだと思うが、来月の家賃の払いをどうしようかと悩む、塾教師のサファーリングストーリーがあってもいいのではないかと思っている。

高校英語の指導をしていると、部分否定の例文として The rich are not always happy. (お金持ちは必ずしも幸福とは限らない)という英文が出てくる。きっと多くの方々が出会ってきた文例だと思う。たいていのお金持ちは幸福だけれど、時に不幸の人もいるよ的な文章なのだが、正直言うとこの例文を私は好きではない。はっきり言うと嫌いである。

一見貧乏人を励ましているのかなと思いつつ、やっぱり世の中はお金だよね的な匂いがプンプンする例文である。だいたい部分否定を高校生に教えるのならばもっとセンスのいい例文がありそうだと思うのだが、いいかがだろう。Theプラス抽象的形容詞の名詞用法で一般の複数形の人々も表すなどという用法までも、伝授してしまおうなどという魂胆もワタシ的には好きではない。

例えばLife is  not always exciting.. などの例文でいいのではないかと思う。私など人生がいつもある意味エキサイテングなものだから、こんなわくわく日記をしたためているが、塾教師として塾経営者として、わくわく感がなくなったらこのブログも書くことがなくなるだろうと思っている。

今年度中3生の指導が終了し、卒塾して行ったわけだが、新塾生が入ってくるかどうか本当にわくわくドキドキのかねごんである。

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2009年3月15日 (日)

人生谷あり山あり

我が家では明日の確定申告締め切りに向けて、午後いっぱい計算機を押す音が茶の間に鳴り響いていた。高校入試が終わると始まる恒例の行事である。

分かっちゃいるのだが、なかなか帳簿や領収書と格闘する勇気が湧かず、後回しにしてしまい、いつもギリギリの状態の我が家である。学生時代の一夜漬けの教訓が生かされていない、確定申告である。

申告で思い出したが、かつて塾の家賃やら土地代やら多種多様の経費を収入より差し引いたら、私の年収が20万にも満たない年があった。なんかいつも近隣の山から採ってきた山菜ばかりをおかずにして食べていた記憶がある(・・・泣き笑い)

息子と妻は実家に里帰りをすることもなく、野ウサギでも取って食べるかと、雪の中を息子と裏山に罠を仕掛けに出かけた思い出がある。まるで昔大ブレークした『いっぱいのかけそば』のような話である。

人生生きていれば谷あり山ありである。明日からいよいよ21年目の塾屋家業がスタートして行く。

農業をやっていればとりあえず食うには困らない。おいしい空気と水と、そして故郷の山河の風景がおいしいお米を育ててくれる。

2009年度の我が塾に、また元気な個性あふれる小学生や中学生が入ってくるだろうと思う。類は友を呼ぶではないが、私に似て、塾生のキャラは本当に濃い。

「先生の髪の毛が薄い分、生徒のキャラが濃いんじゃないの」と生徒が言っていたが、そうかも知れない・・・・・

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母とのドライブ

今日は軽トラックに母親を乗せ、宮城県北にドライブに行ってきた。農業機械の展示会を見に行ってきた。草刈機械を買うのが目的だったが、ついでにトラクターや田植機やら最新鋭の機種を眺めてきた。600万円のトラクターが光輝いていたが、エヤコンが装備され、CDはもちろんのことテレビさえ見ることが出来る。

ちなみに我が町では600万円あれば、モデル展示場の家が一軒買える金額である。トラクターの前でため息をついていたおじさんがいたが、まったくである。

私の母は一台の田植え機の前に釘付けになっていた。半額セールの100万円の物件だったが、「この乗用の田植機だったら、楽だよな~」と私の顔を眺めるのだが、次の言葉がすごい「孫が農業を継いでくれるなら買おうかな」と、とんでもないことを言い出した。なけなしの年金でも叩いて買うつもりらしいのだが、もちろん止めたのは言うまでもない(・・冷や汗)。

100万もする機械を買うくらいなら、農業をやめて、お米を買って食べたほうが絶対経済的である。

先月中学校の受験学年のA先生と1時間ほどお話をする機会があった。そして先日お会いした時に「こないだホームルームで、かねごんさんとの話を使わせてもらいましたよ」とのことだった。なんの話かというと農業の話である。

宮城県北や岩手県南地区はご存知の通り米どころである。また一関市の隣町である前沢は日本でも屈指の和牛の産地である。

この地域、実は大学進学率が極端に低い。全国テストも平均点が思わしくない。この地域に赴任してきた先生方は皆一様に、勉強のレベルの低さを嘆くのだが、そのことに対する私の考えを先月A先生に話したのだ。

私など猫の額ほどの田んぼしか耕していないのであるが、この地域は田んぼを5ヘクタール以上持ち、肉牛を30頭以上飼育している専業農家が結構点在する地域である。このくらいの規模だと年収は1000万はいく。はっきり言って大学に行って職を探さずとも、体力とやる気さえあれば、食うに困らないのである。

「先生、うちの倅に勉強勉強などとけしかけないでください。へたに大学なんぞに行って百姓やらねなんて言われたら大変ですから」こんな親御さんの発言が飛び出すのである。

ちなみに私も長年塾を営んできたが、大規模農家の長男が塾に入って来たためしがない。

そんな話を私はA先生にした。A先生は都会派の洗練された先生で、農業の経営者の世界観を把握しておられなかったようだが、私の話に思い当たるふしがあったのか「なるほどな~」と頷かれておられた。

そのA先生どんな話をクラスでしたのかと言うと「生きて行く手段はいっぱいある、家がしっかり農業を営んでおり、食べていけるのなら、この不況の世の中、進学だけが選択肢ではない」、とこんな感じの話をしたそうである。

反応はというと、たまたまA先生のクラスには大規模農家の長男はおらず、『農業で食べていく』という生徒はいなかったようなのだが、農家の魅力を少しは感じ取った生徒もいたのではないだろうか。

農業が衰退し日本の食糧自給率が大変なことになっている。果てしなく続く仙台平野の田んぼを眺めながら、久しぶりの母親とのドライブの途中、そんなことを考えていた。

(追伸 )農業とはまったく関係ありませんが、当塾の春期講習の締め切りが近づきました。まだ空きがあります。希望者はよろしくお願いいたします。

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2009年3月14日 (土)

一日が過ぎて行く

私は妻に「あなたは幸せよね~」とよく言われる。

仕事場でジャズを聴きながらブログを書いたり、生徒がいない時にはギターを片手にブルースを歌っている私の姿が、きっと優雅に見えるのだろうと思う。また、誰に強制されることなく、塾教師をやっている私の日常を見ての妻の感想だろうと思う。

毎日軽トラックにゆられ、自宅と塾を往復する日々。一日に38キロの道を20年間走り続けた。20年間で延べ277400キロを走破した。

残念ながらコガネを蓄える余裕などなく、日々綱渡りのような生活だけれど、何とか二人の息子を育て、家族を養ってくることが出来た。これも毎年私の塾に勉強しに来てくれる塾生あってのおかげである。本当に感謝している。

塾の仕事は朝から夜まで働き続ける仕事ではない。特別講習の期間以外は、私は朝7時に目覚め、6キロ離れた中学校に息子を送って行き、8時半にコーヒーを片手にPCに向かう。

新芽が山に出れば山菜とりに出かけ、農繁期は田んぼに出かける。それ以外は比較的のんびりと時を過ごしている。

昼食を食べた後は15分ほど昼寝をし、1時半には家を出る。途中いつものコンビニに立ち寄り夕方のおやつを買い込む。2時半までには塾に入る。それから生徒がやって来るまでの時間は、日々色々である。来客がある日もあれば、仕事の打ち合わせがあったり、ご父兄との面談があったりする。

4時過ぎからポツリポツリと生徒達がやって来る。5時半、講師の先生がやって来る頃には、教室も活気に満ちてくる。夜9時半、たいていの指導が終了する。私は10時前には塾を後にし、途中国道沿いの古本屋に立ち寄ったり、時に夕食を食べたり、夜11時前には帰宅する。

PCの前に座り、その日のメールをチェックし、返信すべきものは返信し、風呂に入り、12時半には床に着く。そんな日がほぼ毎日365日続いていく。

そんな日常が幸せなんだろうなとしみじみ思う。感謝である。明日、開塾20周年を無事迎えることに、さりげない感動を覚えるかねごんである。

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2009年3月13日 (金)

卒業おめでとう

一関市内の中学校は明日卒業式を迎える。今夜はどしゃ降りであるが、明日は何とか晴れて欲しいと思う。卒業式を前にして、何か遣り残した感じの中学生がいるかもしれないが、まあ先は長い、あせらずマイペースで突き進んで行って欲しい。

卒業の日、多くの思い出とそして将来の希望と夢を抱き、旅立って欲しい。GOOD LUCK!

今日までありがとう!

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日常の哲学

普段の生活で心がけていることがある。かっこよく言えば日常の哲学とでも言ったら良いだろうか。

その一つは、待ち合わせに遅れないということである。急用や来客で塾に遅刻して、生徒や先生が外で待っていたということは20年間で10回ほどあるが、私個人の仕事やお付き合いで、喫茶店や駅等で人と待ち合わせをして遅刻したことは、私の記憶では今だかつて人生で一度もないと思う。

息子達や家族が絡んでくると、どうしても集合場所に遅れるという事態は生じるが、自分のプライベートでは、人を待たせたことがない。必ず5分前には約束の場所に着くようにしている。

二つ目は、『やらなくちゃいけないな』と思ったことを、私は何日間かほっておくことにしている。ほったらかしにしておいても尚且つ自分の心の欲求がまったく衰退していない時は、実行に移すことにしている。これをやり始めてから、後で後悔することが少なくなった。

やらねばやらねばと、不安に駆られていることの多くが実はやらなくともいいことだったりする。皆さんも心あたりがあるのではないだろうか。

三つ目は、実はかつてブログでも一度書いたが、自分の知らない人間のことや学校等についての評価を、勝手な予想で子ども達に言わないということだ。体験による分析なり、確証がない限り、私は聞かれても言わない。

「○○大学ってどんな大学ですか?」偏差値や例年の倍率や、学部の有無ならば言えるが、雰囲気や学校の指向性は実際行って、目で確かめてこそ分かることであり、私は余計なことは言わない。

このブログも600近くの記事を更新し、200件以上のコメントを頂いてきた。私のミスで、掲載した作家名や作品名を間違って、何度かご指摘をいただいたことがあるが、「それは事実と違うんじゃないのというお叱りのメールは、私がお茶らけて書いているサイキック物や宇宙人物以外はない(・・・笑い)。

とは言いつつも、調子に乗って自分の知らないことをあれこれ詮索し、ブログにしたためることだけはやめようと思うのだが、どうしても塾教師のサガで、聞かれたことには何がしかの回答を出さねばという職業病みたいなところがあり、ついついリップサービスをしてしまうかねごんであるが、ご了承願いたい。

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2009年3月12日 (木)

春の別れ

生きる糧は希望だ。やって来る希望の明日があるから僕等は頑張ろうとするし、朝、目が覚めたなら起き上がる。

ある日、何のために生きるのかを問いかけるものは、大人への階段を登り始めた証拠だ。

苦悩なき人生などない。すべて未来永劫栄光を求める命であっても、苦悩なき成功や勝利はない。

杖をつき坂道を登る老人の姿を見たことがあるだろう。間違いなく君の将来の姿であり、もちろん僕の将来の姿でもある。

そして老人には間違いなく希望がある。坂道を登れば、お気に入りの風景が見えるかも知れない。そしてそこには自分が長年住み慣れた町の光景があるかも知れない。そんな一瞬一瞬の希望が命を繋いで行く。それが人生というものではないだろうか。

一歩一歩の踏みしめる歩みが命を育み、人生を彩っていく。

人生には多くの別れがある。別れによっては、そのさりげない「さようなら」が今生の最後の別れになることもあれば、新たな出会いの始まりになることもある。

僕はどれだけ多くの子ども達と別れを繰り返してきただろうか。

一生忘れないだろう顔がある。一生忘れないだろう言葉がある。そして一生忘れないだろう思い出がある。

言葉もなくすれ違う多くの群集のなかで、満員電車のなかで、万が一孤独を感じたならば、人と触れ合ってきた多くの時間を思い出してみるといい。きっと希望が湧いてくる。

その希望は新たな出会いの言動力となるはずだ。

僕等は決して孤独なんかじゃない。僕たちを表現する勇気ある言葉を発しようじゃないか。「僕等は今生きている!」

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かねごんへの質問状

塾では学習内容の質問以外に、実に多種多様の質問が私に飛び込んでくる。今日は日頃私かねごんに寄せられるオーソドックスな質問やら、特筆すべき質問を紹介するとともに、私の回答を公開したい。

Q1 頭の良さは遺伝しますか?

かねごん:親の気質は確かに子どもに影響を及ぼすだろうと思う。短気であるとか、根気強いとか。しかし勉強が出来るとか出来ないかは、やる気をどうやって醸し出すかの家庭の問題であって、遺伝が最終的な要因じゃない気がする。

Q2 大学に行かないと会社に入ってもずっと平社員ですか?

かねごん:確かに大卒と高卒の方が同時に同じ会社に入社した場合、初任給や生涯年収に差は出るだろうけれど、昇進に関しては仕事の実績であり、実力の世界なので努力次第だと思うな。

Q3 先生はどうして塾の先生になったのですか?

かねごん:君達みたいな素晴らしい塾生にめぐりあうためだよ『・・笑い』。

Q4 本当に宇宙人はいると思いますか?

かねごん:この無限とも思える宇宙に、地球人より進化した生命体がいないと考えるほうが難しいんじゃないかな。

Q5 先生は髪が薄いことをいつも自虐ネタにして、我々を笑わせていますが、本当は気にしているんじゃないですか?

かねごん:その通りです!

Q6 大験セミナーでは毎年塾生に駒形神社の合格エンピツを配りますが、何ゆえ駒形神社なのですか?

かねごん:生まれて初めて登った山が駒形山で、そこの神様が駒形神だったんだ。何か強い縁を感じ、それ以来駒形神社で合格祈願を行なってきた。

Q7 先生は一度も外国に行ったことがないそうですが、もし行けたらどこに行きたいですか?

かねごん:そうだな、アメリカのグランドキャニオンに行って『千の風』でも熱唱しようかな。

Q8 先生は生徒のリクエストに応えて、歌をうたうことがありますが、必ず窓を閉めますよね?

かねごん:隣近所にご迷惑をかけないようにです。

Q9 先生は一日500円の小遣いだそうですが、何に使うんですか?

かねごん:ジャズ喫茶で飲むコーヒー代とか、ブックオフで買う本代かな。

Q10 昨年からブログを毎日更新していますが、よくネタが続きますね?

かねごん:君達がネタそのものである!

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2009年3月11日 (水)

ブログの脚色は可能か

とある塾ブログを読んでいたらこんなブログを見つけた。ブログではどんな立派なことでも言えるので塾の宣伝には使いたくない。故に塾の名前もHPも差し控えますというものだった。

私など現世利益追求型人間なものだから、塾の宣伝にバリバリ使っている。ただちょっと引っかかるのは、塾名や自分の素性をあきらかにすれば、当然塾生や保護者の方、知人、家族等が見るわけで、どんな立派なことも言えるのでという感覚はちょっと違うのではないかと思うのだが・・・。

ブログの脚色や誇大広告はやってやれないことはないだろうけれど、毎日書くブログでは誇大妄想(・・笑い)は書けても脚色は難しいような気がする。月に数回だけの記事ならば、なんとかボロを出さずに理想論を書けるようなような気がするが、毎日記事を書いている私の経験から言わせてもらえば、間違いなく地が文章にでる。

塾やプライベートで腹立たしいことがあれば、やっぱり切れまくりの文章になるし、しょんぼりすることがあれば、しょんぼりした文章になる。そのような感情の起伏も含めて、塾生や保護者の方、そして一般の読者の方々は楽しみにしているような気がする。

塾で「かねごん先生昨日のブログ荒れていましたが、何かあったんですか」なんて会話が生まれるのである。また「先生の今日のブログ、先日先生が言っていたことと真逆でしたよ」などという批判もでてくるのである。それが塾ブログの楽しみでもあり、修行でもあるのではないだろうか。

せっかく塾ブログでうなる文章を書いておられるのだから、塾名を控えめでもいいからそっとリンクさせておけばいいのにな~と思うかねごんであった。

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岩手県立高校入試終わる

夕方4時過ぎ、一関一高の入学試験を終えた塾生たちが4名塾に立ち寄ってくれた。早速入試問題を解析した。今年は英語の傾向が変わった。英検のような問題が増えたのと、長文読解一本やりの問題が文法や語法の総合的な問題に変遷した。受験生は意表をつかれたかも知れないが、教科書をしっかり学んでいれば解ける問題で、良問だったと思う。

数学は基本問題が増えた。レベルの高い生徒はだいぶ時間があまったのかも知れないが、計算式の定着度をしっかり試す問題としては評価できる問題だったと思う。相変わらず二次関数の問題が難問だったが、英語同様教科書問題をしっかりやれば解ける問題だった。

理科は振り子の問題が個人的には意外だったが、各分野が平均的に出題された入試問題だったと思う。理科的発想が随所に試された問題で、今後暗記一辺倒の理科の受験勉強を改善させてくれる予感がした。

社会は世界地理の比重が多くなった。中学生の目を世界に向けさせる意図が感じられた問題である。歴史の問題に関しても単発的な暗記問題だけではなく、時代背景等の思考が試される問題で、難易度が高かったように思う。

最後に国語であるが、方言に関する話題の文書が出るなど、ユニークな題材が多かったように思う。ここ数年で一番多彩な問題だったのではないだろうか。

私が見たところ、理科と数学の平均点は例年になく高いように思う。また社会と英語の平均点は昨年より6,7点ほど低いのではないだろうか。国語は苦手な生徒にとっては対応しやすい問題だったと思う。平年並みの難易度と言うところだろうか。

3月17日が合格発表であるが、受験生の皆さんにとって納得の行く春であることを祈らずにはいられない。受験生の皆さん本当にご苦労さまでした。

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2009年3月10日 (火)

職安の駐車場が満車状態

今日の岩手日日新聞に大きく報じられていた記事である。市内の公共職業安定所に求人情報を手に入れようと、連日多くの求職者が訪れ、駐車場の確保が出来ず、路上に多くの車がはみ出し苦情が殺到しているのだと言う。

職安の駐車場を作る際に、こんな失業率を想定した対応などを考えることもなかったのだろう。まさに未曾有の不況である。一関市内の求人倍率は0.8パーセント前後で、仕事につきたくとも仕事がないのである。

親の経済難を反映して、大学進学率もここ数年低迷している。進学校でさえも就職する生徒が増えていると聞く。

先日中学校の先生からこんな話を聞いた。学年で上位にいる生徒が進学校に進まず、商業系や実業高校に進学する生徒が増えているのだという。理由は大学に行かないで、商業科等でトップを目指し、いい会社に就職をしたいのだという。先行きの見えない日本経済を象徴する話だと思い拝聴した。

家内が先日、よく行く喫茶店のマスターからこんな話を聞いてきたと、家内が私に語った。その喫茶店ではよく私の塾の話題がお客さんの間で出るのだという。どんな話題かというと「安くていい塾よ」という話題らしい。指導実績や指導のコンセプトより、安さが塾選びの大きな要因になっているのだろうか。

私の塾は確かに市内にある大手塾の半額以下の月謝設定である。しかし決して安いとは思っていない。保護者の方々は、市内の私立高校の月謝が高いと言うが、そう言っている方々が週二回の指導で、私立高校の月謝より高い塾に平気で通わせている。

このブログの『一関附属中学校に対する私見』でも何度となく述べてきたが、一ヶ月5000円~7000円の月謝でさえ払えずやめていくご家庭がいる。一方50000円の月謝を出して塾に通わせる親御さんもいるのである。言わずもがな格差社会の結果である。

富める者と貧しきもの格差が、学歴差に顕著に現れる社会が、決していい社会であるはずがない。私は誇りと自信を持って言える。大手の月謝3万円の指導も我塾の9千円の指導も変わらない。変わるものがあるとすれば、営業宣伝戦略だけである。大手の先生も、我塾の先生もどちらも子ども達のために必死に頑張っている。

不況の時代だから塾の月謝を安くしているわけでは決してない。バブルの頃も私の塾は今の塾と変わらなかった。私の塾経営のスタンスである。

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遺伝子発動

自宅のPCが置いてある茶の間に、先月辺りから村上春樹の本が数十冊散乱している。私が持ちこんだのではなく、今度中2になる次男が読みあさっている。これまたCDプレーヤーの周りにはジャズのCDが散乱している。これも次男の仕業である。

勉強はまったくしない。先月私がブチギレルと今度はプチ不登校を始めた。なのに卓球の練習だけはしっかり行く。担任の先生には本当に迷惑をかけっぱなしで恐縮である。自分の少年時代を見ているようで、情けないというか困り果てたというのか、親として失格という状況を呈している。

息子の同級生達が何人か塾に来ている。息子に爪の垢を煎じて飲ませたいほど必死に勉強をしている。部活も必死、勉強も必死、夢を持ち励んでいる。

息子は先週からようやく何とか学校に行っているが、半分ふてくされての登校だ。長男が反抗期がなかった分、次男が兄の分まで反抗期を背負ってくれているのだろうが、戦いはまだまだ続きそうだ。

親に似ない子はいない。息子を見ているとそう思う。私も今振り返ると、中学時代や高校時代は、反抗する親が家にいなかった分、先生にはずいぶん反抗した気がする。息子は反抗できる親がいるだけ幸せなのかも知れない。身長は次男に完全に追い抜かれた。威厳を保つにも私の方が小さくなってしまった。他人に危害を加えるとか、ケンカをするタイプの子ではなく、いたって平和主義なのだが、なにぶん強制されることを一番嫌う。

ここだけの話なのだが(と言いつつブログに書いているのだが・・・)私もそうである。自分から興味があることはとことん調べてやるのだが、強制された宿題や課題はやらなかった。やっぱり親子で似ているのである。

不登校の子ども達を多く指導してきた。私も今の時代に少年時代を過ごしていたら、不登校になりかねない子どもだったかも知れない。

枠にはめられて上手く成長する子ども、枠があるゆえにそれが足かせとなり、逸脱しようとする子ども、管理社会の歯車が一歩かみ合わなくなると、どうしても枠の中だけで問題を処理しようと私たちはあせってしまう。枠の外にいっぱい素晴らしい価値があるにもかかわらず・・・・。

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2009年3月 9日 (月)

再掲載 15の春

15歳の春、高校受験はあくまでも通過点の一つ。受験する限りにおいて、合否は必ずついてくる。しかし合格することが最終目的ではない。

 努力はもちろん全員している。試験に落ちたときに「おれ、勉強しなかったな~」と言える生徒は、ある意味大丈夫。自分の努力のなさが原因なのだから、今後の課題ははっきりしている。高校に行ったら勉強すること、それが伸びていく第一歩である。分かりやすい。

 問題は、寝る時間も惜しんでひたすらやったのに、ダメだった。もうこれ以上無理と言うくらいやったのに・・・・・。

 私はこのような場合は『神の選択』と思っている。志望校の選択ミスでもない。運がなかったのでもない。何か将来世の中のために、キーマンになるべき人間として与えられた試練だと思って欲しい。

 「どうせやったて・・・」などと決して考えないことだ。私は君たちにいつも、何度でも繰り返し言ってきたことだが、努力は必ず報われる。明日かも知れない、来年かも知れない、3年後かも知れない。努力の継続は、個人の能力を飛躍的に成長させる。

 志望校合格とともに気がゆるみ、怠惰な高校生活を始める生徒がいる。落ちたがゆえに、猛烈に勉強を始める生徒もいる。朱に交われば・・・ではないが、どうせおれはと、せっかく与えられた学びのチャンスを台無しにしてしまうものもいる。

 自分の能力を勝手に自分で決めつけてはいけない。君は選ばれし64億分のonly  oneだ。

 明日の入試は、一つ迷わないこと、二つ弱気にならないこと、三つ自分を信じること。そして家族やお世話になった方々への感謝の気持ちを忘れずに、入試会場の門をくぐって欲しい。

 ここまで君たちが大きく育つまで、どれほどの愛情と慈しみが注がれてきたのかを、かみしめて欲しい。頑張ってこいよ、塾生達!

上記の文は昨年の入試の前日にしたためたブログ記事である。何度読み直しても、今年も塾生を送り出す気持は同じである。頑張ってこい、塾生達!

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政治献金

昨日の朝から鼻水が止まらなくなった。花粉症第2ステージに突入だ。これはもう病院に行って薬をもらってくるしかない。そんな鼻水グジュグジュ状態の私は、午前中は30秒ごとに鼻をかみながら中学校の卓球の指導をやり、午後は明日の高校入試に向け最後の神頼みで、水沢区の駒形神社に参拝に行ってきた。

その近くに小沢一郎民主党党首の事務所があるのだが、各テレビ局の報道陣が殺到していた。建設会社の政治献金問題である。地元のドンだけに今まで口を閉ざし誰も多くを語らなかったが、今回の秘書の逮捕を受けて小沢氏への不満が建設業界を中心に噴出しているようだ。

政治家の陰にお金あり、お金の陰に政治家あり。日本の政治に於ける悪しき習慣が、いつになったらなくなるのかほとほと嫌気がさしてくる昨今だ。政治献金をしない企業を入札からはじくというのは、完全に賄賂献金だと思うのだが、それを堂々と許してきた土壌も反省すべきである。

我々の塾業界は一番政治家との癒着が少ない気がする。政治献金しようにも、そんなお金はどこからも捻出できるわけがなく、長年旧文部省からも教育機関として抹殺されることはあっても容認されることなどなく、かつては通産省の管轄であった(現在は文科省の管轄になっている)。

全国では小学校や中学校の補習授業を塾に頼む公教育機関が現れているので、ひょっとしたら何らかの政治献金があるのだろうか。我々零細個人塾には全く関係ない話ではあるが・・・。

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2009年3月 8日 (日)

かねごん前世を語る

前回の続きである。最近暴露話をずいぶんやってきた。もう丸裸状態のかねごんである。この教育ブログが単なる私の思いで日記になっている感がするが、今日もちょっとサイキックな暴露話をやってみようかと思っている。(実は暴露話を書くとその日のアクセス数がすごいことになっている。きっと塾生やもと塾生達が、かねごんが若い頃のヤンキー時代の話をしているぞ、などとメールが行き交いアクセス数が増えているのだろうと思うが・・)

ダライ・ラマは何度も生まれ変わり、ダライ・ラマをやっている。彼は14回目のダライ・ラマの人生を送っているらしい。らしいというのは実体の把握が難しいからである。観音様の生まれ変わりと言われているが、正直確証はない。

確証がないと言えばこれから私がやる話も確証がない。前世やサイキックな話に興味のない方はこの辺でログアウトしたほうが時間の無駄にならないはず。ためになるほかの教育ブログをどうぞ・・・・。

これからする話をかつて塾生にしたところ、「先生精神科に行って診てもらったほうがいいんじゃないですか」(・・笑い)と言われたことがあって封印していたのだが、卒業も間近いことでもあり、塾生へのお土産話にしてみたい。

私は2月7日の寒い夜に自宅で生まれたのだが、実はその日の記憶がある。母が布団の上にわらを敷いてもらい横たわっている。産婆さんらしき人物が一生懸命声をかけている。母が私を出産しようとしている光景であった。その後自分が産婆さんに抱きかかえられ、離れの風呂場でお湯に入れてもらったている自分の姿を、第三者が見ている視線で記憶しているのである。

その後の幼少期の記憶は3歳ぐらいまでほとんどない。あの風景の記憶は何だったのだろうか。

まだある。これは50年近い人生に於いて10回にも満たない経験であるが、人と話をしていたり対面している時に、フラッシュバックのようにその人のまったく違う人生が映画のように頭の中に描き出されることがある。誓って言うが、大麻や危ない薬をやっていたわけでは決してない(・・笑い)。

実は10年ぶりにその不思議な現象が昨年は2度もあった。話しても差し支えないかなと思われる相手の方には、勇気を持って私が見た光景を話したのだが、言われたご本人も思い当たることがあったようで、大変驚かれていた。こんなことを暴露すると、私の前世を見てくださいなどというメールが殺到しそうなので断っておくが、長い人生の中でたった数回だけの経験である。日常的にあるわけではないのであしからず。

山上で修行をしている山伏の姿であったり、真言宗の坊さんの姿であったり、インドの路上でお茶を入れているヒンズー教徒であったり、偶然かどうか知らないが宗教に関係するフラッシュバックが多い。

え~?!私かねごんの前世は何かって?ひげといい頭の禿げかたといいフランシスコ・ザビエルそっくりなので、きっとイエズス会の牧師だったのではないかと勝手に思っているかねごんである。あしからず・・・・。

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ダライ・ラマ、イエスを語る

『ダライ・ラマ、イエスを語る』(角川書店)という本が図書館から借り出されてきて我が家の茶の間に置かれていた。昼寝をしながらページをめくっていると、キリスト教徒がなぜ輪廻転生を否定するのかということに対するダライ・ラマの文章が、私のぼ~とした視野の中に突然飛び込んできた。私はその1ページ弱の文を5回ほど読み直しただろうか。その文章はこんな終わり方をしている。

神父はサドウのような橙色の衣を着ていらっしゃいました。感動的な出会いでしたよ。彼はこうおっしゃいました。キリスト教的な見方からすると、生まれ変わりを信じることは、その人の信仰と実践を害するおそれがある。この人生、あなたという個人の存在が、直接に創られたものであり、創造主からの直接的な贈り物だと考えれば、個としての存在であるあなたと創造主との間に、きわめて特別な絆ができる。この直接的で個人的な関係は、創造主に対して親近感や親密感を抱かせる。生まれ変わりを信じることは、創造主とのこの特別な関係を損なうものである、と。私はこの説明に深く納得しました。

ちなみに中川新一さんの訳であるが、キリスト教徒でもなければ、生粋の仏教徒でもない私には、ダライ・ラマのごとく残念ながら深く納得することは出来なかった。

私はミッションの学校を終わっているゆえ、多くのクリスチャンの友人や知人がいる。転生を認めない多くの方々の意見を若い頃より拝聴してきた。『今生の人生を終えれば神のもとへ帰る』素晴らしい考え方だ。神を信じるものは救われ神のもとへ行く。となると宗教的神を信じない私などは、肉体亡き後、地獄めぐりでもする羽目になるのだろうか。それはそれでスリリングで楽しいかも知れない。

塾生に「かねごん先生は生まれ変わりを信じているんですか」と3年に5回ぐらい聞かれることがある。信じてはいるけれど、ことはそんなに単純ではないようだ。 (つづく)

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2009年3月 7日 (土)

20年目の想い

人生には何度か波が訪れる。良い波だったり、試練の波だったり、さざ波だったり、実にいろんな波が押し寄せて来る。

10年に1度の大波もあれば、3年に1回の小波もある。そしてそれらの波に翻弄される人生も時にはある。私の塾は今月の3月15日で開塾20年を迎えるが、この20年間に本当にいろんなことがあった。

つらい事件や悲しい出来事もいっぱいあったはずなのに、なぜか不思議と楽しかった思い出しか甦って来ない。心から塾をやってきて良かったと思っている。子ども達と笑い、時に教室で一緒に涙を流した日々がすごく尊いものに感じられる。そしてまた20年という節目を越えて、私の塾教師としての日常は続いて行くのだろうと思う。

当たり前のことだが、すべての子ども達に生まれてきた感動のドラマがあり、生きて行く使命がある。ちっぽけな挫折で大きな夢を失わないように微力ではあるが、これからも子ども達を支えて行きたい。

お金がないとか学歴がないとか、そんなことでうつむかないで欲しい。そのきらめく命と若さが、きっと道を開いてくれるはずだ。

自分が頭が悪いと思ったなら、人の3倍も5倍も勉強すればいい。運がないと思ったなら、人の10倍も20倍も他人を思いやればいい。そんなことにお金はかからないはずだ。労力を惜しまなければ誰にでも出来ることだ。実は私もそうやって生きてきた。

近隣を見渡してみれば、多くの塾がこの20年間に廃業を余儀なくされていった。資本金が数千万円だったり、塾長さんが東大出の先生だったりする塾がである。自慢してもしょうがない事だが、私は進学高を出たわけでもなければ、有名大学を出た人間でもない。何度かブログでも述べて来たが、常に自分を発展途上の人間だと思ってきた。この年になってもそのことは変わらない。だから努力するしかないのである。

ましてや15歳や18歳の若者なら、無限大なる可能性の塊だ。臆することなく人生にチャレンジして欲しい。

今年の3月15日は偶然にも日曜日である。塾の20周年をのんびり家族と過ごしたいと思う。そして同時に27年目の塾教師生活に突入する。まだまだ頑張らなければならない。

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小春おばさんはどこへ行ったのだろう

井上陽水を初めて聞いたときのせつなさというのか、アンニュイというのか、自分の感情をうまく処理しきれない中学生だった私は、ラジオから流れてくる陽水の歌の世界に衝撃を覚えつつ、何とか大人の情念を紐解こうと背伸びをし、必死だった気がする。

この陽水の音楽との出会いは、後に高校生になって宮沢賢治の『永訣の朝』の詩と出会ったときの衝撃と同じくらい自分の心の根底を揺さぶられた。『小春おばさん』や『人生が二度あれば』などの陽水の作り出す世界感に脳天杭打ちをくらった感じだった。

井上陽水と出会ってから、私の周りの風景が変わった。大学生の時にキースギャレットのケルンコンサートのライブ盤をはじめて聞いたときもそうだったが、記憶の奥底にある異質なスイッチが作動し、抽象画のような鮮烈な映像が私の目の前を駆け抜けて行った。

中学生だった私にとって、陽水のアコースティックなサウンドはあこがれであり、音楽のバイブルだった。井上陽水の代表作であるLPアルバム『氷の世界』は、私を音楽という幻想の世界にのめり込ませるには、十分過ぎるほど濃密で、そして刺激的だった。

中学校時代私が探しあぐねた小春おばさんは、いったいどこへ行ってしまったのだろうか。

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2009年3月 6日 (金)

15歳の旅立ち

元気がよいように見えても十五歳の少年少女なのだ。村上春樹の比喩ではないが「壊れやすい卵」みたいな存在だと思う。自分を鼓舞する自分がいる一方で、揺るぎない自信を持てない不安感もある。殻は薄く、たやすく周囲の状況の変化に影響される。そんなふうに揺れる舟の上にいるような、あるいはアップダウンするジェットコースターに乗っているような状態でも前に進もうとしている。

弱気の虫はどこにでも顔を出す。入試の過去の問題を解いていてつまずくものがあると「ああ、だめだ、これじゃ受からない」と口にする生徒。「満点でなければ合格できないところなんてないだろ。(2)ができなくても(1)をまず確保すれば大丈夫だ」「定員からすると○○人受からないけど、その中に入ったらどうしよう」「大丈夫だ。その中に入ると思わなきゃいいんだ。これまでのプレテストで志望者中の順位を見ても真ん中ぐらいだから、合格する人数の方に入る確率の方が高いと思わないか?」こういうやりとりが繰り返される。しかし、最終的に生徒自身が自分の心を奮い立たせる気持ちにならないと、私の叱咤激励も単なる気休めで終わってしまう。言葉がどこまできちんと伝わるのか、いつもそれを見極めながら発信し続けないとこちらも弱気の虫に取りつかれそうになる。

上記の文章は私が日頃お付き合いさせていただいている、学び舎主人こと小林先生のブログhttp://k-manabiya.cocolog-nifty.com/blog/2009/03/post-fc58.htmlから拝借させていただいたものだ。

高校入試が目前に近づき、似たような光景が全国の塾で展開しているのではないだろうか。小林先生が言うように、受験生に言葉がどこまできちんと伝わるのか、それを見極めることがとても大切なことだと思う。

私もいつも思うことだが、子どもの指導は言葉が命だと実感している。我々大人はあまりにも多くの言葉に慣れ過ぎて、言わば言葉の欺瞞をいやと言うほど見せつけられてきたがゆえに、言葉に対して疑心暗鬼になってしまっている。しかし子ども達は純粋だ。言葉の波をまともに受ける。

入試が終わっても、合格発表が終わっても、言葉の選択は慎重でなければならない。

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2名だけのアクセス

2年前ブログをスタートした月は、このブログにアクセスしてくれたのは2名だけだった。書いた本人と物珍しさでアクセスしてきた塾の生徒1人だけ。

現在は月に5000人ほどの方々のアクセスを頂いている。そして嬉しいことに全国塾予備校ブログランキングでも10番台の順位に定着してきた。読んで頂き、賛同して頂いている方々に心より感謝申しあげる。

塾生には「先生の文章長すぎなんだよ。アクセス数を増やしたかったら、短い文を写真付きでポンポン更新すればいんじゃないの」と言われるが、アクセス数を増やすのがこのブログの目的ではなく、私の教育に対する理念なり心情を、塾生の保護者の皆様や塾教育に興味をもたれる方々に読んでいただくことが目的なので、今の状況に十分満足しているかねごんである。

ブログは夜中に更新したり、お昼前に更新したりと気まぐれに日々更新をしている。1日に3回記事を書くこともあれば、3日に2回書くことがあったり、まあどうにかこうにか昨年は365日毎日更新を続けることが出来た。

このブログで何度か書いてきたが、私は下書きをしないとPCに打ち込めないタイプのブロガーである。長年論文添削や作文指導をやってきたが、どうしても文章をつづるペンの速さが思考のリズムになってしまい、PCのキーボードを叩くタイミングと脳のシナプスがリンクしないのである。

たまに一発勝負でPCに向かうことがあるのだが、そのほとんどの記事が家内の検閲にあい没ネタになってしまう。慣れないことはやらない方がよいという教訓を得るのには役立っているのだが、進歩を見ない中年ブロガーである。

ところで塾生より大験セミナーのブログは、何ゆえにブカツブログなのかと尋ねられるのであるが、塾を部活感覚で頑張って欲しいと思う私の勝手な思惑である。以前はバスケットボールの風景のテンプレートだったが、現在は硬式野球の風景を使わせていただいている。

昨日福寿草の花が我が家の庭に咲いた。ようやく岩手にも春が訪れたようだ。

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2009年3月 5日 (木)

いい笑顔だった

不安というのは強迫観念の同義語だろうと思う。生きて行くうえで、人生にブレーキをかけるのが不安だ。いろんなところから不安は訪れる。親の一言だったり、友人の言葉だったり、先生の励ましさえも不安の感情を煽ってしまうことがある。

「良い学校に行かないと就職がたいへんだぞ」 「こんな順位じゃ○○高校は入れないだろう」 励ましのつもりが、子ども達の心の中には不安の風が吹き荒れる。

希望の反意語が不安、いや、神心の反対語が不安という感情を表す言葉だ。例えば、マンガ家になりたいと思っている少年に、「君の絵はぜんぜんダメだね。そんな落書きをする暇があったなら、漢字の一つでも覚えなさいよ」そんな言葉で少年の人生の希望の半分は奪われてしまう。

マンガ家になる夢が奪われるのではなく、生きるエネルギーを奪われてしまうのだ。私は漢字一つを覚えようといやいやエンピツを動かす少年の姿よりも、好きな漫画を描いている少年の瞬間の方が好きだ。

私はずいぶん長く音楽をやってきた。学生の頃、塾教師を始めた頃、「そんな音楽をやっている時間があるなら、何か資格でも取ったら」そんなアドバイスをもらったことがある。そんな日は朝まで酒を浴びたものだ。

言霊(ことだま)じゃないけれど、『生きる』とは『いい気』を得ることだと思う。希望や夢のない人生は、たとえ堅実であってもどこかにはかなさがつきまとう。

私が音楽を続けてこれたのは家内の励ましのおかげだ。本音かどうかは分からないが、新しい曲を作って聞かせると、必ず褒めてくれる。「そんな曲を作っている暇があるなら、壊れた床を修理してよ」などとは決して言わない(・・・笑い)。結婚後のほうが自分で言うのもなんだが、いい曲が作れた気がする。

なんでもいい、一見無駄だと思うことでも、一生懸命やっていることを褒められたり、認められたりすれば、他のことも頑張ろうと思うのが人間ではないだろうか。

先日自習室で、ものすごいスピードでケータイのメールを打っていた女子生徒がいた。「すごい速さで打てるな。神業だな」と私が言うと、にこっと笑った。とってもステキないい笑顔だった。

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2009年3月 4日 (水)

受験の失敗は赤い糸の導き?

30数年も経つが、自分が志望高校に失敗した時の絶望感は今でも昨日のように思い出す。2次募集までも失敗し、浪人覚悟の私は再募集で救ってくれた私学にお世話になった。

すべては自分の責任なのだが、子どもだった私は自分の運命を呪った。高専と工業に希望を出した時に色弱ということで、変更を余儀なくされた。現在でも光の加減によっては赤ペンと黒ペンの区別がつかない。時に黒で解答用紙に丸をつけ、塾生に叱責をもらうことがある。

工業系がダメなら普通科に切り替えて勉強をすればいいのだけれど、そこが私の精神力のなさだったのかもしれない。当時私の父は癌を患い長期の入院をしていた。家は農家ゆえそれなりの田んぼがあった。肉牛も飼育していた。小学校の高学年の頃から、私は長男として働き手の中心だった。農繁期には学校を休んだこともある。

勤めと看病に明け暮れる母に代わって、掃除洗濯、炊事も私の仕事だった。中学校では、生徒会や部活動に、家庭での鬱憤を晴らすかのごとく没頭した。学校の先生から頼まれればなんでも引き受けた。一種自虐的だったかもしれない。一方受験勉強はしなかった。

私学に入学した時に、私の内申書や成績表を見た担任の先生に、県立を落ちた理由を聞かれた。「入試の日に体調が悪かったのか」 そんな質問を落ちた日から散々聞かれた私はうんざりしていた。「勉強をしなかった」これが私の回答であって、それ以上の理由でも、それ以下の理由でもなかった。

家庭の事情が大変でも勉強するやつはする。私が精神的に弱かっただけだ。それだけのことである。

人生にIF(もし)ということはないかも知れないが、仮にもし私が色弱でなく、工業系の学校に入学できていたなら、家の経済状態を考えて進学はせず、市内に職を求め技術系の仕事をしていたと思う。そうなると現在二人三脚で塾を営んでいる女房とは出会うことはなかっただろうし、もちろんこうやって塾を営むことも100%なかったに違いない。

高校に落ちた私は俗に言う不良に変身した。週末はバンドを組んで音楽三昧。そして友人のバイクに乗り市内の夜を疾走した。家のためとか農家の長男などと言うしがらみは吹っ飛んでいた。

東京に出て鬱憤を晴らしたかった。そのための手段として大学進学を目指した。東京に出て青春を謳歌したいという願望だけが、私の勉強意欲をかきたてた。高1の頃の英語の偏差値など30ちょっとだった。模試を受ければ200点満点中、20点かそこらだったような気がする。それが高3の春には、七割近くの問題が解けるようになっていた。

高校三年間で読んだ本の冊数もゆうに500冊は越えていたように思う。睡眠時間は、音楽と勉強にとられ、3時間~4時間ほどの日々だったろうか。寝ない日も多かった。

何とか東京の私大にもぐりこんだ私は、実は大学1年の秋に今の家内と知り合った。その後7年の時を経て結婚することになるのだが、今思うと高校入試の失敗があったからこそ巡りあえた出逢いだった気がする。

私が家を離れ、農家をやらなくなったことが、病弱だった父の負担を増やし、50代の半ばで父を他界させてしまうことになるのだが、今私はそれらを含めて、自分の運命として静かに受け入れることができる。

なくしてしまった多くのものがあるが、得たものも多くある。それが人生ではないだろうか。

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2009年3月 3日 (火)

部活に思う

この『大験セミナーわくわく日記』のサブタイトル、ブカツブログにちなんで、今日は中学校の部活のあり方に少し意見を言わせてもらいたい。

岩手県は3年前より県立高校のスポーツ推薦制度を導入した。定員の10パーセントがその推薦枠である。それに加え、今年度の入試より県内体育学科のスポーツ推薦枠が定員の50パーセントに拡大された。結果良い意味でも悪い意味でも各中学校の部活動がヒートアップしている。

スポーツが出来て、勉強も学年でトップクラスという中学生は確かにどこの中学校にもいる。しかし、そういった彼女、彼たちを基準に子ども達を指導することは、ときに危険性をはらむことがある。

体力や精神力、何よりも家庭環境が違う。精神論を振りかざしても、それが背中を押すどころか子ども達の心に刃物のごとく突き刺さることもある。

私の塾にも部活動で優秀な成績を収め、なおかつ勉強の成績もトップクラスの中学生が毎年入塾してくる。時に彼等の会話を聞いていると、いたわりに欠ける発言があったりする。私は、公式試合に出ることもなく、補欠として3年間終わっていく同級生や下級生の気持を考えた言動をするようにと、諭すことがある。

中学生はまだまだ子どもだ。有頂天になると、ややもするといたわりや他人の痛みを思う心を失ってしまう。自分が一番だという自信は確かに大切なのだが、試合や練習は一人で出来るものではない。相手がいてはじめて成り立つものだ。決して自分ひとりの力で勝利を勝ち得たのではない。

毎日送迎をしてくれる家族の協力。仕事を犠牲にしてまで教えに来てくれるコーチの存在。そして何よりも部活の仲間に感謝を忘れてはいけない。

「あの中学校の部活に入っても弱いチームだから練習にならない」と言って、部活に入らずクラブチームに所属する中学生が市内でも増えている。硬式野球やテニス、卓球などがそうであるが、私は勝つことが最終目的のスポーツならば、最初からスポーツをやる資格などないのではないかと思っている。

県内に例えばい1000人のプレーヤーがいるならば、優勝するのは当然ながら一人しかいない。999人は無駄な練習であり、無駄な部活動だったのだろうか。そうではないはずだ。地区予選一回戦で負けた中学生にも、彼等の涙と汗のドラマがある。部活動とはそういうものではないだろうか。

負けたものは、勝者の引き立て役などではない。負けて学ぶ哲学が部活にはあるのだ。

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2009年3月 2日 (月)

一関高専合格発表

一関高専の合格発表だった。我塾では高専の受験者は少数ではあったが、今年も高専志望者が全員合格を果たし、二年連続高専志望者が全員合格の快挙を達成した。

高い倍率の中、フレッシャーもあったと思うが、心からおめでとうを言いたい。

今年度の我塾の中三生は、今日の高専の合格を含め、県立のスポーツ推薦、私立高校の推薦合格と、100パーセントの合格を保っている。

後は3月5日の宮城県立高校と、3月10日の岩手県立高校の入試を勝ち取れば、10年ぶりの志望校全員合格を達成する。今後我塾の生徒が受験する高校は、宮城県立迫桜高校、岩手県立花泉高校、一関工業、一関二高、一関一高の五つの県立高校である。

塾生は早々と卒業式後の全員合格パーティーを楽しみにしているようだが、油断禁物である。この一週間気を引き締め、体調に気をつけ、一日一日を心して過ごしてもらいたい。

2月いっぱいで半数以上の中三生の指導が終了した。ただただ冷静に沈着に、塾生達が問題に臨むことを私は祈るのみである。

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言葉の力

心はココロだ。文字通りコロコロ変わり転がりだす。

世の中に不変なものなどない。我々人間も成長し年を取り、そして自然に帰っていく。

塾で仕事をしている私は、子ども達のやる気や感情がコロコロ変わるのに遭遇する。周りの視線や言葉や世の中の風で一瞬に変わる。季節が巡るように。星が巡るように。

時代がどんなに変わっても、いろんな物が満ち溢れても、変わらないものがある。それは幸せを希求する心だ。

平和な時代も、戦争の時代も、いつの世も心は幸せを希求する。人は幸せになるために、時に我慢をし、時に戦いを挑み、時に祈る。

教師の仕事とは、幸せになる方法を子ども達と模索することだと思っている。心はココロだから、それを支える言葉が我々には必要だ。

コロコロ転がりだす感情や、精神の移ろいを繋ぎ止められるのは、言葉の力だ。

言葉を多くの子ども達は待っている。優しさや励ましを待っている。生きて行く意味を実感する言葉を子ども達は求めている。

だから我々大人は、タイミングを逃してはいけない。子どもたちの心をただ傍観してはいけない。旅立ちの季節だからこそそっと勇気のある言葉を贈りたい。

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2009年3月 1日 (日)

故郷のエネルギー

市内のいくつかの高校が卒業式を迎えた。日陰にはまだまだ多くの雪が堆積し、池には氷が残り、寒い風景が点在するが、陽の輝きは確実に春の装いを呈してきた。

私の家のまわりの田んぼに飛来する白鳥達も、北に帰る季節が近づいたことを知ったのか、しきりに羽ばたきを始めている。

私は岩手に生まれて良かったと思うことが三つある。その一つは渡り鳥がいっぱいやって来ることだ。雁や白鳥が青い冬空を大きな羽を広げ舞う風景は、自分の感性や思考にきっと多くの影響を与えられてきたと思っている。冬の到来や春の到来を鳥達に教えられる感性は、北国ならではのものだろう。

二つ目は、奥州平泉の藤原文化に日常的に接することが出来ることだ。ふと自分を見直したいような時に、金色堂がある関山に私はよく登る。古代人たちが東北人の威信と尊厳をかけて戦った鎮魂の風が聴こえてくるような気がする。藤原三代の亡骸が眠る金色堂の威厳は、ややもすると失いかけそうになる私の教育に対する闘争心を駆り立ててくれる。

三つ目は、宮沢賢治が生まれ育った郷土の風を共有できることだ。賢治の登った山、賢治の歩いた道、そして賢治の描いた風景は間違いなく岩手イーハトーブのものであり、賢治そのもの原風景だ。賢治の作品から与えられたインスピレーションは、少年だった私の宇宙観を変えたと言っても過言ではない。

野山を駆ける一匹の野うさぎにさえ、私は山の神秘と生きる奇跡を感じる少年になっていた。

卒業を期に、多くの若者達が岩手を離れ都会に旅立って行く。どうか故郷を忘れず、故郷で培った感性やエネルギーを枯渇させないで欲しいと願うかねごんである。

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今日は卒業式

塾生との別れをこれほどまでに、詩的にそしてせつなくしたためられた文章を私は読んだことがない。とよ爺先生http://toyojie.jugem.jp/が、Mr.Honda先生の受験応援歌『伝えておきたいこと』に寄せた記事です。今日の記事は何度読んでもしみるな・・・・。

塾屋を長年やっていれば、誰でも忘れられない思い出がある。
どんなに一生懸命教えても、どんなにお互いに信頼しあっても、
子供は巣立ち、私たちから離れていく。
そのとき、最後にどんなことを彼らに伝えようか、
彼らのために、自分は先生としてどんな言葉を残しておこうかと
思ったことが塾屋はみなあるのではないだろうか。

「これが最後の授業!」と生徒に言って授業を初めて、
授業も最後になってくると、彼らはだんだん下を向き始めて、
目に涙をいっぱい溜めていたことはないだろうか。

実は私は何度も数え切れないくらいそういう経験がある。
「今こそ分かれ目、いざさらば」というのが、私の別れの美学なので、
感情のない能面のような顔をして彼らと別れるのだが、
そのときは何とかこらえても、家に帰って涙をたくさん流していた。
そんなさびしい経験はないだろうか。

私はこの歌を聴いて、そのときの自分のことを思い出してしまった。
彼らがいなくなったあと、重い腰を上げて、塾に行って、
卒業してしまった彼らがいない教室に行って、
心の中にポカンと穴が空いて、寂しい気持ちでいっぱいになりながら、
「教室にはまだまだ自分を待っている生徒がいる」なんて考えて、
じっとじっと卒業していった生徒たちが思い出が頭によぎらなくなる日を、
苦しみながら待っている日々、それを毎年繰り返していた自分。

私は52歳だけど、まだまだこういう感受性はびんびんある。
それはすべて私の前を通り過ぎていった子どもたちの思い出のお蔭。
こんな曲を聴いちゃうと、なんかお酒が飲みたくなっちゃう。
最後に私が生徒たちに『伝えておきたいこと』、
「君たちに知り合えたこと、君たちと同じ日々や時間を過ごせたこと、
 そしてそれを心の底から、神様に感謝しているということ」
子どもたちに万歳! 塾屋に万歳!

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決断する勇気

私の塾に来て学んだものの、高校進学という選択をせず就職した者たちが今までに何人かいる。その中の一人にY君がいる。進学校に入れる力が十分あった生徒である。

高専を志望していたが、土壇場になって進学をせず中卒で働くと言ってきた。私も驚いたが、ご両親はもっと驚いたに違いない。何度か進学を勧めたが本人の決意は固かった。

静岡の沼津に行き、遠洋漁業の職に就いた。わずか15歳でである。部活で鍛えた身体ではあったが、中学生としては小柄な身体だった。厳しい仕事に耐えられるのか正直私は心配だった。

その後彼の弟がすぐ入塾してきた。Y君の様子をたびたび聞いたが、元気に頑張っているとのことだった。実はY君は私の長男と同じ年である。毎日三食をあてがわれ、家から通う学生生活をしている我息子を見るたびに、Y君には本当に敬服する。

Y君の決意を受け入れ、送り出したご両親の気持ちを考えると胸が熱くなってくる。ちなみにY君の弟も中学校卒業後は親元を離れ、下宿生活をして高校に通っている。うちの息子達に爪の垢でも煎じて飲ませたい気持である。

可愛い子には旅をさせよではないけれど、生まれ持った独立心というのは確かにあるようだ。テレビ等で漁船の拿捕や、事故の報道を聞くたびにY君のことが心配になる。彼が塾を去って4年が過ぎた。久しく会ってないが元気でやっていることだろうと思う。

生きて行く選択肢はいっぱいある。だがそれを実現する勇気と決断力を持ち合わせる若者は少ない。私は15歳のY君に、決断する勇気の本質を学んだ気がする。

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