寿命が3年くらい延びたような気がする
自分の若き頃を回想することが多くなると、ぼちぼち中年も過ぎ初老に近づいてきた証拠なのだそうだが、最近どうも自分の過ぎてきた人生のターニングポイントを振り返ることが多くなった。
ジャズを聴きながらこのブログの原稿を書いていたりすると、記憶から完全に消し去られていた風景や言葉や、そして昔の感情が急に訪れたりする。
20代の頃、薄暗いジャズ喫茶で苦いコーヒーをすすりながら読んでいた本の表紙のザラザラ感や、バイト先で私に子育ての苦労をこぼしていたパートのおばさんの表情などが、脈絡もなくよみがえって来たりする。
袖すりあうも他生の縁と言うが、生きてきたこれまでの人生でどれだけの人間とかかわってきただろうか。小学校、中学校、高校の同級生、大学時代の仲間、塾の同僚、そして多くの教え子達。間違いなく触れ合ってきた人間の数だけドラマはある。そして共有してきた時代の中で、自分が多くの人たちによって励まされ育てられてきたことを実感する。
誰かに期待されることや、自分が誰かの役に立つことができるという想いが、人間が生きて行く大きな動機になっているような気がする。それがあるからこそ人は生きる価値を見出せるのではないだろうか。
そういう意味では、このブログとて、何がしかの役に立っているのかもしれないという幻想のもとに書いているわけであるが、「毎朝、新聞のコラムを読む感じで、PCにスイッチを入れかねごんさんのブログを読んでいます」などと保護者の方からお言葉を頂いたりすると、なんか寿命が3年ぐらい延びたような気がして、正直嬉しい。
先日も、某学校の先生に、「同僚の先生方と、かねごんさんの記事を読んでおります。楽しみにしています」などという恐縮極まりない挨拶を頂いたりした。
40歳を迎えた頃、日々塾で感じてきたことをいつか文章に残したいという強い想いがあった。それがブログという形で現実になっている今、驚いているとともに、文明の進歩に感謝するかねごんである。
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