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2009年2月18日 (水)

カミングアウト

カミングアウトと言っても、テレビに出ている某先生のように、自分がおねーキャラであるとか、実は塾教師をやっているがもとは組合員だったとか、残念ながらそういった類のカミングアウトではない。

もうすでにご存知の方も多くいらっしゃるが、我塾ではシュタイナー学のエッセンスをちりばめた幼児及び児童の指導を行なっている。『風と虹の教室』http://kazetoniji.cocolog-nifty.com/がそうである。

シュタイナー学を語るにはどうしても避けて通れない問題がある。それは輪廻転生の問題である。前世や未来世を肯定し受け入れなければ前に進めない教育思想がシュタイナー学には多く点在する。

シュタイナー学というと、人智学http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%BA%E6%99%BA%E5%AD%A6のような霊学がクローズアップされ、何か胡散臭い宗教の類のようなイメージを持たれてしまっている教育者も多い。しかしシュタイナー学の本質は、子どもの成長と共に子どもが開花して行く芸術性や音楽性を、キリスト教学や自然科学のエッセンスを基にして、宇宙や地球のリズムに調和させ育んでいく教育である。色を感じ音を感じ、そして風を感じる教育と言ってもいいかもしれない。

私は人間の魂の問題を以下のように考えている。

人間の魂は愛という磁場にひきつけられ、まるでDNAの螺旋階段を登るように宇宙を駆け上り進化していく。地球での何度かの転生の中で、学び終えた命はやがて覚醒し、違うステージ(次元)に向かう。行き着く場所は、キリスト教が言うところの天界であり、神の座であり、仏教が説くところの阿弥陀如来の光の中かも知れない。

我々が住んでいるこの地球は、魂の修行の場であり、サン=テグジュペリの『星の王子様』のように、愛(神)を求め宇宙を旅する旅人のような気がしてならない。

人間の一生は一回きりで、あの世も天国も何もないと思われる方には荒唐無稽なほら話にしか思われないかも知れないが、人間という存在を単なる知識を持った動物と考えるならば『霊長類』という言葉は、我々の分類表の中には存在しなかったのではないだろうか。

ネアンデルタール人のお墓の中に、花の種が発見された。死者に花を手向けたのであろう。今生の命を全うし、天国に向かう魂への見送りの花だったのではないだろうか。あの時から数百万年が過ぎた。進化した我々の同胞は今頃、宇宙のどの辺りを巡っているのだろうか。

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コメント

宮沢賢治を読むと自分には帰るべき星があるような思いにとらわれますね。それと重ね合わせるかのように、子育てをしながら感じるのは、この子はどこか遠い守護星からやってきた、ちっちゃな神様ではないか、ということです。子どもから学べないと大人は帰るべき場所を見失うということですね。かねごんさんの「カミングアウト」を読んで再認識できました。水谷修氏は近著で「禅を学んでいる」と書いていますが、かねごんさんの言わんとすることと合致していますね。


(かねごん)
せなじいさんいつもコメントありがとうございます。
塾で子ども達をお預かりした時は、保護者の方からお預かりしたというよりも、子どもを守護している天使さんや守護神さんからお預かりしているような気がします。従って手が抜けません(・・笑い)。心の中をすべて見られているわけですから・・・・。

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