学問がお金になるための法則
東京大学の大学院を卒業して、大学の非常勤講師をいている先生方の年収がいくらか知っているだろうか。
多くて300万円、少ない先生で150万程度だそうだ。大学の研究室に残っても食べていけないと、優秀な人材がアメリカなどの研究機関に職を求めていく。
大学もひどすぎる。厚生年金等の負担をしたくないので、授業数を制限し、安い給料で生殺し状態である。これでは優秀な日本の学生がやる気をなくすのも当たり前だ。
とんでもない学歴の方が私の塾にも応募してくることがある。私が逆立ちどころか宙返りをしても、絶対受かることなどないだろう大学の大学院を終わった方が、私のような個人塾で講師をしたいとやって来る。現在は我塾の講師陣は事足りており、講師募集はしていないのでお断りしているのだが、いろいろ考えさせられる。
自分を卑下するわけではないが、自分の出た大学を、全国の偏差値表で探そうとすると、真ん中辺りに発見する。しごく平均的な学校である。
26年前、塾教師をはじめて以来、実に様々な先生方とお付き合いさせていただいてきた。私はいつも自分を発展途上の人間だと自認してきたので、一流といわれる先生方の授業や発言は素直に受け入れ、自分なりに咀嚼してきたつもりだ。
思想なり学問がお金に変身するためにはそれなりの法則があるようだ。
世の中が求める学問や資格に迎合するのではなく、自分自身に求められる知識を習得することが生きる糧になっていく気がする。
私は理系の人間でもないし経済の専門家でもない、学問的には一番食いぶちがない文学部の英文科を出た人間である。最初に勤めた大手の進学塾では、社会科の担当を命じられた。次に勤めた県内の塾ではようやく英語を担当したものの数学や国語も要求された。そして現在中学生に国、社、数、英、理を教える寺子屋の爺である。
市内にある某高校が100年の歴史の中ではじめて早稲田大学に合格者を出した。我塾に通う生徒だった。かと言って私の英語指導がその後要求されたかというと、全くである。かつて私学から非常勤講師を頼まれたが、それとて国語の教師。
私ごとの経験話で恐縮だが、私は謙虚に自分に求められるスキルを実践してきた。それだけのことである。自分の専門科目など全くと言っていいほど食いぶちになっていない。
自分自身に求められる知識を習得することが生きる糧になる。これが私が26年間の塾教師生活で習得した、生きて行く哲学である。
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