先生と呼ばれるものの品格
人相からして、どうもあっちの世界の人間のような強面(こわおもて)の私が、品格云々を語る資格はないのだろうけれど、県内で先生と呼ばれる方々の不祥事が最近相次いだこともあり、一言苦言を発したい。
性犯罪や横領等によって検挙されるにいたっては、先生というより人間として論外であるが、日常性の慎みというのは必要であると思う。
ギャンブルやパチンコ、風俗店での飲食等、先生と呼ばれる方々が出入りすべきでない場所というものはある。理想を言えばタバコも吸わないほうが良い。
日頃タバコを吸っている、タバコの匂いプンプンの人間が、中高生にタバコを吸うのはけしからんと説教する資格はないと思っている。なぜなら年齢にかかわらず、タバコは間違いなく身体に有害である。それだけの理由だ。同じ理由で、健全な異性関係を保っていない大人も、中高生の交友関係に関して意見を言う資格はない。言ったとしても相手の琴線に響くとは思わない。
別に自慢することでもないが、塾教師になって以来、座っただけで一万円などというステキなおね~さんが居るようなお店で、お酒を飲んだことが一度もない。仕事の付き合いで誘われることはあるが、丁重にお断りしている。ちなみに26歳を境にパチンコもやめた。タバコは長男が誕生したのをきっかけに、29歳でやめた。それ以来20年間一度も吸っていない。
パチンコ好きの私が、パチンコをやめるのにはちょっとした事件があった。
26歳のある夏の日のこと、いつものようにポケットにタバコと100円玉を10数枚しのばせて、夕涼みがてら市内のパチンコ屋に入って行った。その店で、中学校時代の教頭先生がパチンコをしていたのである。タバコをふかし、セブンダッシュで満杯になったパチンコ玉の箱に足を乗せ、パチンコに興じていた。退職し、間もない頃だったのではなかったかと思う。
私は足早にパチンコ店を後にした。『これはいかん』と、私は痛烈におのれを反省した。私が目にした光景は、私が日頃やっている光景だった。そして、まったく品格がないのである。それ以来私はパチンコをやめた。
競馬場や競輪場で、着順に一喜一憂している恩師の姿というのも興ざめだろうと思う。これは学校での指導力云々以前の問題である。
やはり先生と呼ばれる人には品格が必要である。もちろん政治家も含めてであるが・・・。
« 寺子屋金さん~テレビ放映の余波~ | トップページ | 一関一高附属中学校の合格発表 »
「日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事
- せっかくの人生だもんね(2018.07.05)
- 長旅から帰ってまいりました(2018.05.04)
- 神様を信じている人と信じていない人の違い(2018.04.26)
- 4761回目のつぶやき(2018.04.11)
- 流転(2018.03.25)
コメント