激動の日々
このわくわく日記もスタートし一年半が過ぎた。記事の更新も500回を迎える。下書きの原稿用紙は没ネタも含みゆうに2000枚を超えた。
始めた頃のブログにもしたためているのだが、飽きやすい性格の私は、500回ぐらいでこのブログという媒体を終了するだろうと思っていた。スタートした当初はそのつもりでいた。
そこへ一関一高付属中学校設立の話が飛び込んでくるは、岩手県南であるわが町を巨大地震が襲い、アメリカ経済の打撃が田舎街の基盤産業までも危うくし、リストラの嵐が吹きまくり始めてしまった。
私がブログを始めたとたん、激動の日々が始まってしまったのである。政治情勢もままならない。ブログを辞めようにも嘆きや怒りそして心のつぶやきが止まらないのである。
夜塾から帰ってきて、PCの前に座り込む私を女房や息子達は呆れ顔で見ているのだが、どうにも書くのをやめられない。
一銭にもならない日々の営みに、家族からはスポイルされているかねごんであるが、「かねごんさんのブログ楽しみに毎日読んでいますよ」と言う声を聞くたびに、自己顕示欲の強い私はぺンをにぎりどうしようもない雑文をしたためることになる。困ったものである・・・。
人見知りで、孤独癖が強い私は人付き合いが少ない。それがブログを始めて以来、ブログを通じ全国に多くの友人ができた。本当に嬉しいことである。
特にこのわくわく日記にリンクを貼らせていただいている同業の先生方はじめ、アーチステックなお仕事をされている方々との交流は本当に多くを学ばさせて頂いている。心から感謝申しあげたい。
いつの日か、塾教師という日常から卒業する日が来るはずである。60歳だろうか、65歳だろうか、もっと早いかも知れない。こうやって日々したためている日記ブログを読んだ未来の初老もしくは老人になっている自分が、どう過去の自分を評価するだろうか。
「こりもせずに、中年オヤジがよくもま~こんな雑文を書いていたな~」きっとそんな感情が訪れるだろうと思う。個人的なこのブログ日記は、単なる日記以外の何物でもないけれど、もうしばらく続きそうである・・・・・。
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私もブログに出会ってはじめて継続することの大切さを実感しました。
またブログというのは最強の人脈拡大のツールのひとつだと思っています。
そしてすぐれたデータベースですが続けていないとその効果は小さくなってしまいます。
ブログを更新し続けることは空に舞う凧が地上と糸でつながっていることを確かめるようなものです。
人脈を広げると凧の糸が増え、多少の風では行方不明にならないと感じています。
ブログを更新し続けるのは強風で暴れる凧をつなぎとめるようなイメージで私にとっても「激動の日々」であることは間違いありません。
私たちは空に凧をあげたから上空の風に気付いたにすぎないのではないでしょうか?
ブログを始めたから「激動の日々」を感じているのではないでしょうか?
(かねごん)
りんご先生コメントありがとうございます。
『ブログを更新し続けることは空に舞う凧が地上と糸でつながっていることを確かめるようなものです』
まさにそうですね。現実の中で何が正義で何が正義でないのか、不安になることがしばしばあります。毎日言葉を発することで、跳ね返ってくる風や空気感で、自分のスタンスが見えてくるときがあります。
投稿: りんご | 2009年1月23日 (金) 20時49分