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2009年1月 2日 (金)

箱根駅伝

高校名を全国にアピールできるスポーツは、甲子園の野球であるが、大学となると間違いなく箱根駅伝である。出場する22チームの大学は、予選を勝ち抜いてくるだけでも気の遠くなるような苦難の道のりを乗り越えてくる。

自分のプライドと母校の名誉を賭け走る姿は、感動的であり時に痛々しくもある。

塾教師である私は、やはり毎年入れ替わる大学名にいろんな思いをもって箱根駅伝を眺めている。私立大学は時に存続さえかけて優秀な選手を集めチャレンジしてくる。箱根駅伝の常連校になり、偏差値を上げてきた大学さえある。

かつて我が塾でも、神奈川大学が優勝を果たした年は、神奈川大を受験する高校生が多かった。また山梨学院大学が優勝した年は、我が塾から初めて男子生徒が入学した。それほど正月の箱根駅伝は受験生に影響を及ぼすイベントだ。

今ではメタボ中年の見本のようになってしまった私だが、高校のときは毎日5キロのランニングをやっていた。もちろん陸上大会に出るためなどではなく、体力維持と受験勉強のストレス解消のためである。ウオーキングもそうであるが、マイペースで走るジョギングというものは気持ちがいいものである。

42歳の時に中学校時代のクラスメイトが心筋梗塞で亡くなった。マラソンが好きなやつだった。私と同じ農家の長男で、酪農と水稲の専業農家を営んでいた。亡くなる前、狂牛病の風評被害で酪農経営も大変だとこぼしていた。

彼の長男である中学二年生の息子が、葬儀で泣き崩れる姿を目にしてから三日後、私は高校時代以来のジョギングを始めた。初めは2キロが一杯一杯だったが、一ヵ月後には5キロが走れるようになっていた。雨の日も風の日も雪の日も、私は一年間毎日走り続けた。同級生への供養であり、生かされていることへの自分に対する渇だった。

その年、市内の卓球大会に出た私は、43歳にして中学校以来の3位入賞を果たした。8試合30セット、中高生、一般を相手に戦い抜いた。残念ながらそれ以後入賞はない。走ることがスポーツの基本であることを実感した。

50近くになって今また走れと言われても厳しいのだが、風のように走り続ける大学生の姿を見ていると、そのさわやか過ぎる青春の姿に涙ぐんでしまうかねごんであった。

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