賢治がやりたかった教育
賢治は花巻農学校で教鞭をとったが、彼の教師としての才能を評価する人はとても多い。
裕福な家に生まれ育ったことにコンプレックスを持つ彼の感性は、教師向きではないと評する賢治研究者もいるが、純粋に農業の未来を考え、後継者を育成しようとした賢治の姿は痛々しいほどに伝わってくる。
岩手の過酷な農村の実状を、まるで自分の悲しみのように受け止め奔走する賢治。風のごとく人生を走り抜けていった詩人、その生涯は決して幸福なものではなかった。
彼の人生の中で一番穏やかな風が吹き、陽だまりのような安らぎを感じたのが、農学校時代の四年間だったのではないだろうか。生徒達と田んぼに出かけ、山に登り、そして演劇をやり、土壌改良に情熱を注いだ賢治の教師としての日々は、ほんとに幸福の日々だったに違いない。
その後羅須地人協会を自ら立ち上げた頃から、言い知れぬ孤独感を彼は抱いていく。彼が教師として教えたかったものは、純粋に農業に生きる人生のすばらしさであり、その芸術性だったような気がする。
もし宮澤賢治が、教師を続けることが出来ていたならば、後世に残る文学作品は生まれなかったかも知れないが、少なくとも人間として精神的に楽な人生を歩めた気がしてならない。
岩手県バージョン訛の賢治の詩の朗読をどうぞお聞きください。
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私も農業に対して関心があります
仕事で農家の人と話す機会がある中跡継ぎがいない問題
来年、埼玉騎西町で農家と共に付加価値ある、生産農業
計画中です。
宮沢賢治は大好きで、子供の名前まで、賢治にあやかって、賢二とつけました。
(かねごん)
佐伯様コメントありがとうございます。賢治が晩年土壌改良のために奔走した、石灰の採掘場が私の自宅より車で15分のところにあります。私は賢治が歩いたであろう道を散策することがあります。彼の愛したイーハトーブはもうすぐ雪の季節を迎えます。
投稿: 佐伯百合子 | 2008年12月20日 (土) 15時23分
実は私も賢治が大好きです。
賢治の著作は手帳等も含めておそらくすべて読みました。
大学時代の卒論は賢治についてです。
私は学生時代、宮沢賢治、というよりは、賢治先生に憧れました。賢治の教師時代のエピソードは、賢治という人間のユーモアや懐の広さ、倫理観の強さなどを表すものばかりで、私にとってあまりに魅力的でした。
イーハトーブで農業をやりながら生徒たちに熱心な指導を続けられているかねごん先生はすてきですね。
(かねごん)
terakoya先生コメントありがとうございます。私の小学校の恩師に、詩人でもあった小菅敏夫先生という方がおられました。賢治の詩をこよなく愛されていた先生でした。私が詩を書くようになったのも間違なく小菅先生の影響でした。クリスチャンであった先生は賢治の持つ人類愛的世界感の文学の世界を、小学生である私たちに実に分かりやすく説明してくれたのを覚えています。
terakoya先生の賢治に対するお話を、今度是非ブログでやってください。楽しみにしています。
投稿: terakoya | 2008年12月21日 (日) 02時52分