これで反対意見は最後にします
一関一高附属中学校の願書の受付が先週終了し、最終的な倍率が出た。2.8倍の倍率であった。大方の予想よりは低い倍率だったように思う。私も個人的には3.5倍ぐらいの倍率を予想していたが、ふたを開けてみれば世論に煽られることもなく、平静を保った受験志願なのではないだろうか。
昨年の秋に、一関一高附属中学校開設に対する私見をブログにしたためて以来、私見に対して2000件近いアクセスを頂いた。読まれた方はご存知だと思うが、附属設立に対する反対意見を述べさせて頂いた。当初批判のメール等も頂いたが、学校行事やPTA等の会合に於いて、私のブログに対する賛同の意見もだいぶ頂戴した。
一高附属の設立発表時の新聞には、医者や弁護士を世に送り出す英才教育を目指す、などの文字が飛び交い世論をだいぶ煽ったが、度重なる説明会ではそのようなトーンは陰をひそめ、優秀な人材の育成と言うような表現に変わった。
一関一高の卒業生の職業を見ると、圧倒的に目に付くのが学校の教師である。私の母校でもない学校に対してとやかく言う立場ではないが、今まで延べ200名ほどの塾生が一高に入学して行った。教員になっている卒塾生も多い。昨年の秋に書いた内容と重複するのだが、ここでもう一度私の反対の論旨を述べてみたい。
勉強というものはさまざまな負荷がかけられ、そのストレスや軋轢さえも学びとなる。勉強をバカにするもの、家庭の価値観が違うゆえの友人に対する苦悩、人間はそういった経験を経て成長をして行くものだ。
入試によって選別された一定のレベル以上の子ども達が、切磋琢磨する姿は確かに理想的な姿かもしれない。授業をボイコットするも者や、先生に暴言を吐く者もいないだろう。しかしそこにこそ、ある種の問題が隠されている。
将来教員をはじめとして、社会のリーダー的存在を目指す人材が、温室のような(表現が適切ではないかも知れないが・・・)環境で、まじめな素直な子ども達だけの集団の中で、真のリーダーシップを学んでいけるのだろうか。
今の日本を見て欲しい、かつての安部首相も、現在の麻生首相も優秀な大学を出られているが、はっきり言ってお坊ちゃま大学の秀才方である。庶民感覚はまったくない。政治学のエリート教育が笑ってしまう。かつて田中角栄は中卒で、首相にのし上った苦労人であった。汚職という悲しむべき首謀者の汚名を着せられた政治家であったが、実行力と国民の繁栄を考えた政治手腕は今でも評価されている。
現在東京都に於いて、公立の中学校が荒れている原因に、リーダーとなる中学生が不在であることが指摘されている。学力に於いても運動能力に於いても優秀な人材は私立に流れていく。その本流をとめることは誰も出来ない。しかしその代償として、格差社会が蔓延して行った。
東京や千葉では公立の先生方の離職者が増えている。私立や進学校で学んできた先生方が、自分の価値観を揺さぶられる子ども達に対応できないのである。また教員採用倍率も3倍に満たない関東地区の都道府県もでてきた。今回の一高付属の倍率よりも低いのである。先生というかつての聖職が、この状況になったのは、児童に対する学力と言う名の非情な選別が、経済力と言うモンスターを暗黙のうちに子ども達の心の中に刷り込ませた代償であると私は考えている。
そういった悪習を10万ちょっとの田舎町にもたらす必要はないのである。これが私の附属設立に対する反対論旨だった。しかし来月の入試を皮切りに、一高附属はスタートする。塾教師として傍観ばかりを決め込むわけにはいかない。反対意見はこれで最後にさせていただく。開校し船出をする一関一高附属中学校に対して、塾としてできること、やらねばいけないことを今後世の中の動向を見据え、対応して行くつもりである。
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