現在の教育を二分化しているものに、経済優先思想と、人材育成思想がある。一見リンクしなければならないこの教育的思想が、対極のベクトルを生み出し、教育の場を錯綜させてしまっている。
生きて行くうえで生活の糧を得ることが最優先課題であるが、人間は思想なくして生きられない存在だ。恋愛にも娯楽にもそして学びにも哲学がある。そしてそのための教育論は古代の昔からずっと語り続けられてきたし、今後も語り続けられていくだろう。
岩手の片田舎で寺子屋を営む私は、校長とは名ばかりで月曜から土曜までアシスタントの先生の力を借りながら、中学生のすべての教科、すべての生徒の教務指導をしている。もちろん時にトイレ掃除をし、塾生達の自転車の整理をするなど、すべてをこなす(・・・笑い)マルチ教師である。
そんな私が昨年経理部長兼社長である我が家内の勧めでブログを立ち上げた。塾の宣伝を目的とした、手の内見え見えのブログである。そんなある日、教育ブログを検索していて『とよ爺のつぶやき』なるおもしろいタイトルのブログに遭遇した。つぶやきジロウのパクリだろうか、何かおもろい話でも書いているのだろうかと浸入したところ、脳天杭打ちの衝撃を浴びせられた。
教育をぶった切っている。塾教師でありながら塾をぶった切っている。我々塾教師が思っていてもなかなか口に出せないことを、とよ爺なる人物が情熱ある文章にしたためいるではないか、それも毎日四つもである。私はその日から彼に惚れ込んでしまった。
残り少ない人生、今日の夕日は美しかったとか、今日うちに迷い猫がやってきたなどの優雅な記事をしたためている場合ではないと、自分に渇を入れた。仕事を通じて心の中に堆積してきた積年の辛さ、喜び、学び、そういったものをこれから人生の道を模索する人たちに、少しでも参考になるような話題が提供できるブログを心がけようと、襟を正したのである。
人間は豊かになりすぎると、貧しくなりすぎると、他人へのいたわりをどうしても見失う。学校の先生が現在、保護者の方々から厳しい批判に晒されるのは、先生の指導力と言うよりは間違いなく経済格差による人間性の喪失が原因であると思っている。経済格差がやっかみや自虐を生み出し、その波動を子ども達がキャッチしてしまっている。「俺のとうちゃん担任の先生よりいい大学出たのに、リストラにあいうちはとても苦しんでいる」。極端に言えばこんな状況が全国で生じているのではないだろうか。
上記に書いた文などは、とよ爺先生のブログに出会わなければ、私などとても書けなかった。つまり教育を小手先の目線や知識で追従しても、ニッチもサッチもいかないんだよということを、とよ爺先生に教わった気がする。
拙い私のブログ記事に、とよ爺先生は頻繁にコメントをくださる。また先生の貴重なブログのスペースに私の記事を紹介していただくこともある。私はそれをとよ爺先生の励ましと受け止めている。
「かねごんよ、お前も俺の同士だ。何とか今の教育に対し、一個の捨て石でもいい、投じてくれ」と言われているような気がする(とよ爺先生、またまた私の勝手な幻想で申しわけありません)。
私のブログも、塾・予備校ブログのご意見番であるとよ爺先生の度重なる紹介のお陰で、一年前の一日30人アクセスのブログが、おかげさまで現在は月に7000千人ほどのアクセスを頂くようになった。本当に恐縮である。
今後ともどうにかマイペースで更新を続けたいかねごんである。どうぞ今後ともよろしくお願いいたします。
『追伸』
とよ爺先生、勝手に『とよ爺論』なる文をしたためてしまいました。申しわけございません。どうしても書きたかったものですから公開してしまいました。
塾・予備校ブログランキングに参加しています。よろしかったらクリックをお願いいたします
最近のコメント