青春譜再び
一年一年、当たり前のことだが年を取っていく。高校生や中学生の集団とすれ違ったときの、あのとまどうばかりのエネルギーの放射に私は圧倒される。
彼らの存在が、自分も経てきた時間が故に、その眩しさが戸惑いになるのかも知れない。
例えば、駅の階段を駆け抜けていく学生達のその勢いに、涙ぐんでしまうことがある。もう自分にはない空間に、彼らが生きていることのジェラシーと、自分の若さの喪失感をおのれが知ってしまうせつなさだろうか。
若さは、一瞬のきらめきを放つ故に尊いのではなく、限りない可能性を放射する原石だからいとおしいのだと思う。
約束したにもかかわらず、ほったらかしにしてきた多くの青春の残骸を、年を取るにしたがい、忘れたふりをする。しかしその偽りの忘却をなじるかのように、若者達は私の前を通り過ぎるのだ。
いつかみた夢の続きを、誰かに託したいと思うとき、何故もう自分じゃないのかと、また自らに問いかける。情けない年寄りの反抗と知りつつも、どこかに救いを求めている。
冬枯れた街にも、確実に一歩一歩春が近づいている。教室のそばの桜並木も、かたい蕾をしっかり付け、寒さに耐えつつ春を待っている。
誰かが言っていた。あと人生で何度桜の花を見られるだろう。未来永劫、季節は移り行く。我々はその中の一瞬の命だ。だから若きも老いも関係ない。同じ一瞬だ。
私は自分に言い聞かせ、教室で若者達と対峙する。ハンディー無しの真剣勝負だと、今日もまたペンを握る。
*上記の雑文は、私が今年の1月にブログに呈上した一文である。
実はこの文をしたためた頃、喉の違和感と胃の痛みにさいなまれ、癌系統の遺伝子を両親から頂いている私は、ひょっとするとと、動揺しながら近づく入試と格闘していた。この結末は『精密検査』http://daiken.cocolog-nifty.com/blog/2008/02/post_e5e8.htmlという私のブログにしたためたが、真剣に身の回りを整理することを考えていた(・・・笑い)。
最近食に関する記事が増えてきたかねごんである。ストレスに打ち勝つためにも、健康的な食事と睡眠と、そして休息は欠かせないものだと切に思っている。
私のブログを日々お読みいただいている塾の先生方、これから本当に多忙な日々がやってきますね。ご無理をなさらぬようにと言っても、難しい時期でしょうが、身体にいいものを食べ、睡眠をとってください。ちなみに私は昨夜12時に寝て、今朝は9時起きでした。睡眠は本当に疲れを取ってくれますね。今日も頑張りたいと思います。
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