読書事情
中学生や高校生の活字離れは今に始まったことではなく、我々の時代から、そのことは懸念され警鐘が打ち鳴らされ続けてきた。
読書体験の大切さはいつの時代も言われ続け、本を読むことが人間の成長に多大な影響を与えることが主張され続けてきた。
「国語の力をつけるにはどうしたらよいでしょうか」。毎年聞かれる定番の質問である。本を読むこと、そしてよく考えること、それがいつもの私の回答である。何か特別な秘策があるはずもない。思考力を鍛えるのは、日常生活の思考習慣である。自分が持った疑問点に立ち向かうか、無視するか、その違いが将来に大きな差をもたらすような気がする。
本を読む目的はそれぞれであると思う。入試のため、仕事のため、感性を磨くため、そして暇つぶしにと、本を読む方の意図はさまざまである。幾つになっても本を読むことで多くの発見がある。社会が存在し続ける限り、さまざまな出来事が生じ、さまざまな問題が起こり、さまざまな人達が文を書いていく。もちろんこのブログの世界も同様である。
本に書かれている内容が、自分の意見を代弁しているようなことである場合、「君もそうか、俺と同じことを考えているんだな~」と時代や空間を超えて、会ったことも見たこともないその筆者に共鳴し、うなずいたりしている自分がいる。自分の物の考え方が正しいとか正しくないとかの問題でなく、似たような感性の人間がこの世に存在することの安心感を、読書は与えてくれているような気がする。
職業柄ちょっとは本を読んできた日常だったような気がする。ブログを書くようになってからは本を読む量が極端に減ってしまったが、それ以前は農作業と卓球と塾の仕事と、酒を飲んでいる以外は、本を読むことが自分の仕事ではないかと思うくらい本ばかり読んでいた。
市内にブックオフなどの古本の量販店ができる以前は、年間本代に40万円ほど費やしていた。病気である・・・・・・。
現在は家内の本代が凄まじい。メールを開くたびに、本の発注の確認メールが入っている。それが古本と言えども専門の教育書ゆえ高い。現在私が百円コーナーの古本しか買えない理由が、実はここにある。
長男は理系の人間と言うわけではないだろうが、小説のたぐいは一切読まない。小学校の時に、ハリーポッタを読んでいた姿を見て以来、10年ほどになるが、本を読んでいる姿を見たことがない。次男は本好きである。頼むからその本を読む時間の10パーセントでもいいから教科書の勉強にまわしてもらいたいと思うのだが、今のところ叶わぬ夢である。
きっと現在の読書体験が生かされる日々がやって来るのだろうが、学校の成績は(;´д` ) トホホである。自分の中学校時代を振り返ると、息子に偉そうなことも言えず、悟りの境地で傍観をしている。まさに忍耐である。なかなかよそ様の子どもを指導するようにはいかない・・・・(;´д` ) トホホ。
(追伸)
秋の夜長、皆さんはどんな本を読まれているでしょうか。ちなみに今日私が読んでいる本は、井沢元彦『神霊の国日本』という本です。なぜ出雲大社と宇佐神宮だけが礼拝の際に拍手を4回打つのか皆さん知っていますか?そんなことが書かれています。
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コメント
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御礼が遅れま∪たが先日は高専祭で、茶道部のお茶を飲んで頂き、ありがとうございました★☆★
(かねごん)
また飲みたいですね。ところで聞きそびれましたが流派は何ですか?
凛とした雰囲気がとてもよかったです。
投稿: R | 2008年11月 7日 (金) 13時01分