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2008年11月10日 (月)

真実を伝える勇気

建前と本音を使い分ける器用さを私はあんまりもち得ない男なので、嫌な時は不機嫌になり、嬉しいことにはテンションが上がる。

家庭でも塾でもそんなものだから、周りの人たちには結構気を使わせているようだ。

褒めることと、機嫌をとることを混同してしまっている大人が多すぎるような気がする。私は塾内で、かなり辛らつな言葉を使う。粗野な言葉を鎮圧する時は、学生時代に培ったヤンキー魂が爆発する。

時に保護者の方を叱責することもある。最低限の常識は大事だ。面談のときにガムをかじっている親。いきなり、失礼しますの言葉もなく携帯を使い出す親。私は親御さんにも怒り出す。ある意味常識の欠ける塾教師かも知れない。

核家族化が進み、若い親御さんを教育しなければならない知恵者の存在がいなくなった。中学生の親御さんの年齢が、私が塾で教えた最初の教え子の世代に突入してきた。地方では、高校を終えてすぐ結婚をし、20歳ぐらいで親になるケースが増えている。一方30を過ぎても40を過ぎても縁遠い方々も多い。

子どもと親が友達感覚である。長所もある、しかしもちろん短所もある。ピアスをつけ髪の色が複雑な親御さんの姿も増えてきた。ファッションなのだろうが、親御さんとしての落ち着きが服装からは感じられない。

超ミニのスカートをはいてくる親御さんがかつていた。子どもは中学生である。あきらかに子どもは自分の母親の服装に戸惑っている様子だ。「息子さんはお母さんのセクシーな服装にあまり良い感じは持っていないようですよ」本音を隠しきれない私は、ついつい言わなくともいいことまで言ってしまう。彼は何度目かの塾換えを余儀なくされてしまった。申し訳ないと思っている。

受験指導に於いてもそうである。「このままで先生俺志望校受からないよね、変えた方がいいかな」。

「君が今回答を出しているよ、このままでは受からないって」。頑張ればどうにかなるなどど、オブラートに包んだ言い方を私はしない。合格率を上げるための姑息な説得などもやらない。志望校とは、字を読んでそのごとく、志望する学校だ。入りたい学校を受けずしてどこへ行こうと言うのだろう。

何のために、わざわざお金と多大な労力を使って塾に来ているのかわからなくなってしまう。逃げることはいつでも出来る。逃げて悪いとは言わない。問題は逃げ方だ。

志望校に迷いが出たら、その迷いが、どこから来ているのか考えてみて欲しい。きっと自分が見えてくるはずだ。

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