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2008年11月27日 (木)

宗教の自殺

3508394466 宇宙船から写した地球という星を眺めていると、宇宙の創造の圧倒的な力とエネルギーを感じてしまう。それは満天に輝く冬の星座を眺めていても感じる畏敬の念である。

我々人類はどこへ向かおうとしているのだろうか。この地球上で何十万年も何百万年も生きて行くことにどんな価値があるのか、意義があるのか、未来の彼方にどんな結末が待っているのだろうか。そんなことを考えるのは私だけではないだろうと思う。

夏の暑い盛り、命の限り蝉は鳴き続ける。地上で過ごすわずか1週間ばかりの命の間に、子孫を残すためだ。花を飛び交うミツバチもそうである。一匹の女王蜂の産卵を助けるために、1日に巣と花の間を100回も200回も往復する。花の時期に生まれたミツバチの寿命は2週間ほどだ。子育てをする鳥や動物達すべてがそうである。愛と言うよりも本能で、自分の命を顧みず我が子を育てていく。

星が輝き花々が咲き、小鳥達が舞う。水辺には動物達が命の水を求め、その動物達を求めてまた動物達が集う。実は人間もその地球に存在する一つの循環の輪の中の命に過ぎないのだろうけれど、頭脳の進化によりある種巨大化した生き物である。そして人間はいつの日か、その巨大化した自分達を戒めるすべとして神を創造した。

時に罪を許してくれる神であり、自分の敵を滅ぼしてくれる神である。

人生に於いて無常観を感じ、生きる努力の先が見えなくなったとき、自分の運命を目に見えぬ何か神々しい存在にゆだねる人間の脆さ、そのことが宗教という光を求めさせ、心の絆を求めていく。一人一人が純粋であっても、集団が生まれ組織が大きくなると、その頂点にたつ人間は悲しいかな腐敗する。

歴史上に於いて、キリスト教徒が布教という名の下に行なった多くの殺戮も、今年中国が行なったチベット仏教の信者達への迫害も、江戸時代にイエズス会のキリスト教を信じ殺されていったキリシタンの命も、宗教がなければ救われた命かも知れない。しかし、宗教が生まれなかったなら、人類はもっと残虐な歴史をたどってきたという見識者は多い。

人類が生きてきた2000年ちょっとのキリスト世紀の地球の歴史が、3000年後、4000年後の地球史の中でどのような評価をされるか知るよしもないが、『宗教の自殺』などという括りの時代にならないことを願うばかりだ。

「こんな地球なんかなくなってしまえばいい」とはき棄てる子ども達がたまにいる。ごく普通の生徒である。そういった子ども達がある数に達した時、宗教と共に地球も自殺するかもしれない。人類を道ずれに。

そんなことを危惧する事件が多すぎる世の中だ。

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