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2008年11月26日 (水)

パラドックス的ジレンマ

勉強すると頭が良くなるとたいていの人は考える。本当にそうだろうかと疑う人もいる。

A君は成績がいい、でもカッコ悪い。女の子からもてない。C君は成績が悪い、でもスポーツ万能である。モテモテである。

どちらの人生が良いかって考えると、正直迷う人もいるんじゃないかと思う。それが人間だ。成績が良ければいい学校に入れる。成績が悪ければいい学校に入れない。そう信じている人が、そうじゃない現実を目の当たりにすれば動揺する。

価値観という言葉を連呼しても、たいての個性が排除され、社会性とか国家権力に負けてしまう。もしくは染まってしまう。それがいけないかというと、そのお陰で生きている人もいる。世の中はカオスに満ち満ちている。

先生という職業をしていると、いつも何かまともな答を要求されがちだ。この人は先生と呼ばれているのだから、解決策を与えてくれるはずだと考えている人が多い。教科を教える能力はあっても人生を教える能力があるとは限らない。なのに勘違いをしている方がいて、あの先生はダメなやつだという方がいる。私に言わせればパラドックス的ジレンマだ。

大学、もしくは大学院を終わって数学なり英語なり教える人間が、なぜ人生哲学を子ども達に教えられる人間だと世の中の人は決め付けてしまうんだろう。決め付けて勝手に落胆している。世の中の先生方も大変だ。22歳や23歳で突然先生、先生と呼ばれる。教員試験に受かっただけで、急に先生という印籠が渡され、荒野に放たれる。

「俺の情熱がわかってもらえね~」などと同僚と、校長や教頭の悪口を言って飲んでいるうちはいいのだが、自分が世界の中心みたいな独裁者気取りの若者が、自信だけが先走りして暴走し始めると手が付けれない。これは何も先生という職業に限ったわけではないが、田舎には結構いる。いや、都会でも同じだろうか。

「今の先生達はサラリーマンだからな~」と言う方々がいる。世のサラリーマンに対して失礼な発言である。サラリーマンのお父さん方は、家族のため会社のため、骨身を削って日々頑張っている。学校の先生はサラリーマンでいいのである。スーパースターでもなんでもない。人間関係に疲労し、クライアントである生徒に苦悩し、購入した家のローンのため、子どもの養育のため頑張っているのである。

教育心理学の本を頭に詰め込み、それらしき教育書を10冊ぐらい読んで、教育評論家気取りの人間がいっぱいいる。塾教師もしかりである。

我々塾教師もパラドックスのかたまりだ。塾生が欲しいのは間違いなく生活のためだ。ゆえに一生懸命努力する。生徒への言葉の使い方、保護者の方への気の遣い方、世の中の方々が、学校の先生より塾の先生はとっても腰が低く真摯であると言われるが、当たり前のことである。

極端なことを言えば、生徒を教えてお金をもらっている意識の違いが、学校の先生と塾の先生の一番の違いであり、教える原動力の違いだ。それを露骨に言うと息苦しいので、塾の先生は言わない。「学校教育で失われた人間教育を云々・・・」などの塾のチラシを見かけるが、受験に合格させることが我々の大きな使命であることは誰でも知っている。

しばらく私のパラドックス的ジレンマは続きそうだ・・・・・・。

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