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2008年11月

2008年11月30日 (日)

我が家の家訓

先月愛車の軽トラックの車検が無事済んだ。21年目に突入である。車検代が修理費を入れて15万円を超える時は中古の軽トラックを買い換えようと考えていたが、元塾生の保護者の方がやっている自動車さんということもあり、修理代を含め8万円ほどでやってもらった。出費が少なく助かったかねごんである。

先日ブログでも書いたが、家の百日紅の木を枯れ木と間違えて切ってしまった頃、私は1970年製造の西ドイツ製のフォルクスワーゲン・ゴルフに乗っていた。これがまたポンコツで、家から塾までの18キロの道のりの間、必ずボンネットを開けペットボトルで水を冷却器に入れないと、オーバーヒートをしてしまう代物で、大変だった。

これも26年目の車検の時に、車体番号が磨耗して消えていたことで車検が通らず、継続を断念したことがあった。そのことがあったものだから、軽トラの車検も心配していたのである。

話は飛んで今年の夏、お盆の頃、実はその1970年製造のそれもモスグリーンの同じタイプのフォルクスワーゲン・ゴルフに、駅前の交差点で遭遇したのである。運転していたのは70過ぎのおじいさんであった。車は見事にボロボロにさび、トレードマークのWが擦り切れてWだかNだかわからない状態だった。40年近く現役で走ってきたわけで、感動してしまった。

何度修理を重ねてきたのだろう。今はパソコンで西ドイツ製のワーゲンの部品も見つけやすくなったが、それにしても凄まじい。

私はその日何か物の怪に取り付かれたようにぼ~としていた。自分の若き日を思い出していたのである。あのゴルフで息子を幼稚園に送り迎えをしていた日々を・・・私も若かった・・。

それにしても私にとって車は、移動手段以外の何物でもない。とにかく動いてくれるだけでありがたい。

私が今使っているPCも今年一度メルトダウンしてしまった。スイッチもはずれ、傷だらけのPCだが、とりあえずブログを更新できる状態をなんとか保っている。

我が家の家訓、とりあえず動けばいい!! そんな感じで今年もいよいよラストスパートだ。

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ザ・ 塾教師

14年ほど前の話になるが、夕方になると私の塾に高校生の行列ができた。毎日4,5人は並んだ。私が鯛焼きを売っていたわけでも、クレープを売っていたわけでもない、私に手相を見てもらうためである。

塾生の口コミが口コミを呼び、本当にずいぶん多くの高校生を見てあげた。もちろん無料である。ちなみに手相見をネタに入塾させようなどという下心などなかった・・・ような気がする・・

あまりの多さに本業の準備が出来なくなったので、二ヶ月ほどで手相見は封印したが、街を歩いていて「先生手相を見ていただけませんか」と保護者の方に声をかけられる始末で、今思うと私はいったい何をしていたんだろうと苦笑いである。

聞かれるのは未来のことなので、当たるかどうかは実は定かではないが(笑い)、私のアドバイスをもらった生徒は自分の人生に安心するようで、口コミで広がっていった。

口先八丁で生まれてきた私は、話に気合が乗るととどまることを知らない。このブログでもたびたび暴走し、塾教師の身でありながら時に政治を語り、先日は宗教論までぶち上げてしまった。困ったものである。

実は手相なんか知らない(・・・笑い)。読書好きが嵩じて5,6冊読んだくらいである。種を明かせば、2,3質問してみると、声のトーンや、呼吸の深さ、ちょっとした仕草、目線の配り方、手の差し出し方で、手相を見ずともその人なりの性格なり人生が出るものである。私はそれを総合的に分析しているだけである。特殊能力があるわけではない。

教育心理学などのオーソドックスな心理学書はあまり読まなかった私だが、行動心理学や宗教まがいの怪しげな心理学の本はだいぶ読んだ。塾教師の仕事にも実はこれらの本は役立っている。

あそこの塾の先生は指導力や合格実績で生徒を集めてるんじゃなくて、ブルースを歌ったり、手相を見たり、卓球の試合に出てみたり、パーフォーマンスで生徒集めをしているなどと陰口を叩かれそうだが、私はパーフォーマンスも立派な塾教師の仕事であると思っている。

我々塾教師の仕事は、塾生を受験で合格に導くことである。そして塾のもう一つの本質はサービス業だと思っている。塾生を飽きさせず、楽しく教えることも大事な要素であると考えている。塾は学校の補助機関であるが、毎日毎日ノルマを消化するような授業などでは、生徒達は集まらない。教師や代表者のカリスマ性や非日常性、そしてパーフォーマンスは塾には決して邪魔な要素ではない。

私がブログで日頃お付き合いしていただいている塾の先生方も、すごい個性とパーフォーマンス能力のお持ちの方ばかりだ。指導力も言うまでもない。

今や教育ブログ界で、圧倒的な支持を受けているMr・Honda先生は、塾教師兼ミュージシャンであり、私たちにすばらしい曲を提供してくれている。学心塾のとよ爺先生にいたっては、毎日四つの骨太の教育記事を更新するブログ界の魔術師である(・・この例え失敗かも、とよ爺先生ゴメンナサイ)。

また友人である学び舎主人の小林先生は、東北の古代史『陸奥話記』の現代語訳にいそしむ古典文学者である。唐人町寺子屋の鳥羽先生のブログに掲載されている写真は、文章もさることながら、プロの写真家そのもののカメラワークであり、いつもその美しさに惚れ惚れしてしまうかねごんである。

いつもおいしいコーヒーを提供していただいている風聞園のオーナーであり中央塾塾長の斉藤先生などは、自ら自宅を設計し、自ら創作中である。只者ではない。

まさに皆さんザ・塾教師である。

塾業界は冬の時代を通り越して氷河期の時代と言われて久しいが、私がお付き合いしていただいている先生方を見渡す限り、塾はあらたな試行錯誤の結果、新しい夜明けの時代を迎えようとしていることを確信する。明日からまさしく師走である。ザ・塾教師が輝き始める季節である。

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2008年11月29日 (土)

百日紅(さるすべり)の教訓

農家の長男に生まれた私は、今現在家を継ぎ、妻と息子二人、私の母、そして老犬ボブと雌猫のキラ、五人と二匹で山里に暮らしている。

祖父が私が二十歳の時に亡くなり、私が二十九の時に父が他界した。農家ゆえに庭はちょっとはある。祖父や父が植えた赤松や、ツツジやヒバなどの植木があったのだが、父が亡くなるまで、植木に興味もなく、もちろん剪定など一度もしたことがなかった。

しかし、祖父や父が亡くなり田んぼ仕事もそうだが、どう見回しても植木の手入れをしなければならないのは私だった。仕方なく季節季節には剪定をし、冬の前には雪囲いをするなど、それなりに手入れをしてきたつもりである。

始めた時は、近隣のおじいさん方に「若いのに良くやるね」と褒められもしたが、20年経った今は、剪定姿が似合う年になってしまった。

そんな私が庭仕事を始めた年、大失敗をやらかしてしまった。庭を眺めると、木の樹皮が取れ枯れ木同然のしょぼい木があった。他の木々の葉が芽吹いているのに、その気配すらない。私は早速のこぎりを持ってきて切り倒してしまった。

祖父が大切にしていた百日紅の木だった。当時元気だった祖母は、孫に大切な木を切られショックだったろうが、私の気持ちをいたわってくれたのか何も言わなかった。

百日紅の木は、名前の通り猿が登れないほど木の表面がすべすべしている。おまけに芽吹きも遅い。春先にこの木を見れば、私のように枯れ木に見える人がいるのかも知れない。しかし、他の木々に遅れて淡いピンクの可憐な花をつけ、夏まで長く咲き誇る生命力の長い花だ。

百日紅を切ってしまった春、私は今の塾を始めたのだが、この花の木に多くの教訓を学んだ。

一見目立たない人間に、遅咲きのパーワーを宿している人間が多くいる。早熟な天才がもてはやされる時代だが、年を取って才能が花開く人間には深みがある。花の咲かない木はない。季節とタイミングが違うだけだ。百日紅の木から私はそんなことを学んだような気がする。

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2008年11月28日 (金)

赤ペン物語パート2

我が塾で一番消費されるもの、それは赤ペンである。年間80本は消えていく。かつてのブログで今まで使用してきた赤ペンの批評を書いたのだが,予想に反して反響は多く、ゲルインク赤ペン等の検索ワードでアクセスしてくる方々が日々結構いらっしゃる。

私のように職業柄毎日赤ペンを使うものには、赤ペンの書き味や安定感は需要課題である。このブログを打ち続けているPCなども日進月歩であるが、赤ペンも近年質の向上が著しい。

近年ダイソ-の105円シリーズのゲルインクの赤ペンを使用してきた。インク量と書き味には問題がないのだが、10本に1本くらいの割合でインク漏れを起こし、女性講師の麗しき手が赤く染まってしまうという事態が生じてしまっていた。

080425_093935

現在一番安定感を感じ、値段も安くイケテルのが無印の中性ゲルインクの赤0.5mmである(写真左)。添削用の赤ペンとしては、これを凌駕する赤ペンは今のところないと言っても過言ではない。ちなみにタイ製で100円の品である。

これに追従するのが天下のパイロット、リサイクルボールペンPILOT BDE-15-TRRの赤ペンである(写真右)。書き味、持ち手の安定感は、赤ペンNO1である。値段が150円と若干高めであるが、スタイリッシュな感覚はさすがパイロットである。

10年間でおよそ800本近い赤ペンをいろいろ試してきたが、ひょっとしてまだ私の知らない赤ペンの世界があるかもしれない。このブログをお読み頂いている方で、安くて安定感のある無印のゲルインク赤ペンを越える赤ペンがあれば、ぜひお知らせ頂きたい。ぜひ試してみたいかねごんである。

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2008年11月27日 (木)

宗教の自殺

3508394466 宇宙船から写した地球という星を眺めていると、宇宙の創造の圧倒的な力とエネルギーを感じてしまう。それは満天に輝く冬の星座を眺めていても感じる畏敬の念である。

我々人類はどこへ向かおうとしているのだろうか。この地球上で何十万年も何百万年も生きて行くことにどんな価値があるのか、意義があるのか、未来の彼方にどんな結末が待っているのだろうか。そんなことを考えるのは私だけではないだろうと思う。

夏の暑い盛り、命の限り蝉は鳴き続ける。地上で過ごすわずか1週間ばかりの命の間に、子孫を残すためだ。花を飛び交うミツバチもそうである。一匹の女王蜂の産卵を助けるために、1日に巣と花の間を100回も200回も往復する。花の時期に生まれたミツバチの寿命は2週間ほどだ。子育てをする鳥や動物達すべてがそうである。愛と言うよりも本能で、自分の命を顧みず我が子を育てていく。

星が輝き花々が咲き、小鳥達が舞う。水辺には動物達が命の水を求め、その動物達を求めてまた動物達が集う。実は人間もその地球に存在する一つの循環の輪の中の命に過ぎないのだろうけれど、頭脳の進化によりある種巨大化した生き物である。そして人間はいつの日か、その巨大化した自分達を戒めるすべとして神を創造した。

時に罪を許してくれる神であり、自分の敵を滅ぼしてくれる神である。

人生に於いて無常観を感じ、生きる努力の先が見えなくなったとき、自分の運命を目に見えぬ何か神々しい存在にゆだねる人間の脆さ、そのことが宗教という光を求めさせ、心の絆を求めていく。一人一人が純粋であっても、集団が生まれ組織が大きくなると、その頂点にたつ人間は悲しいかな腐敗する。

歴史上に於いて、キリスト教徒が布教という名の下に行なった多くの殺戮も、今年中国が行なったチベット仏教の信者達への迫害も、江戸時代にイエズス会のキリスト教を信じ殺されていったキリシタンの命も、宗教がなければ救われた命かも知れない。しかし、宗教が生まれなかったなら、人類はもっと残虐な歴史をたどってきたという見識者は多い。

人類が生きてきた2000年ちょっとのキリスト世紀の地球の歴史が、3000年後、4000年後の地球史の中でどのような評価をされるか知るよしもないが、『宗教の自殺』などという括りの時代にならないことを願うばかりだ。

「こんな地球なんかなくなってしまえばいい」とはき棄てる子ども達がたまにいる。ごく普通の生徒である。そういった子ども達がある数に達した時、宗教と共に地球も自殺するかもしれない。人類を道ずれに。

そんなことを危惧する事件が多すぎる世の中だ。

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原始の森

080425_093935 月曜から火曜日は期末テスト対策で、午後2時から夜遅くまで、トイレに行く暇がないほど忙しかった。自習室も満員で、ストーブがいらないくらい塾の中は熱気で暑かった。

疲労した頭と感情をクールダウンすべく、今日は家内と近隣の山の散策に出かけた。先日クリスマスリースの材料にするアケビのつるや藤のつるをとりに、家の周りの山を歩いてみた。そこで素敵な山道を発見した。右の写真である。

夏の間は木々の葉に隠れて目立たない山道も、葉がすべて落ち冬枯れの季節になると、突然現れる魔法のような道だ。我が家の家の周りの林には、このような人が歩かなくなった山道がいくつあるだろうか。子どもの頃の探検以来、最近は近隣の山歩きも遠のいてしまったが、おそらく自宅から半径1キロ以内には、20本ほどのこのような林道があるに違いない。

山の雑木林は手入れはされず、枯れた倒木は苔むし、いたるところで朽ち果てている。決して美しい森とは言えないが、原始の森を彷徨っているような錯覚に陥る風景だ。

081126_123002 わずか300メートル足らずの散策であったが、小鳥達が取り残した山の実の枝を折り家に持ち帰り、家内が一輪挿しの小さな花瓶に活けた。

そんなささいな行動で、だいぶ気持ちも和らぐものだ。もうすぐこの森も雪に覆われる。キツネや野うさぎの足跡が点々とする頃、街はジングルベルの曲が流れ、年の瀬を迎える。

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2008年11月26日 (水)

パラドックス的ジレンマ

勉強すると頭が良くなるとたいていの人は考える。本当にそうだろうかと疑う人もいる。

A君は成績がいい、でもカッコ悪い。女の子からもてない。C君は成績が悪い、でもスポーツ万能である。モテモテである。

どちらの人生が良いかって考えると、正直迷う人もいるんじゃないかと思う。それが人間だ。成績が良ければいい学校に入れる。成績が悪ければいい学校に入れない。そう信じている人が、そうじゃない現実を目の当たりにすれば動揺する。

価値観という言葉を連呼しても、たいての個性が排除され、社会性とか国家権力に負けてしまう。もしくは染まってしまう。それがいけないかというと、そのお陰で生きている人もいる。世の中はカオスに満ち満ちている。

先生という職業をしていると、いつも何かまともな答を要求されがちだ。この人は先生と呼ばれているのだから、解決策を与えてくれるはずだと考えている人が多い。教科を教える能力はあっても人生を教える能力があるとは限らない。なのに勘違いをしている方がいて、あの先生はダメなやつだという方がいる。私に言わせればパラドックス的ジレンマだ。

大学、もしくは大学院を終わって数学なり英語なり教える人間が、なぜ人生哲学を子ども達に教えられる人間だと世の中の人は決め付けてしまうんだろう。決め付けて勝手に落胆している。世の中の先生方も大変だ。22歳や23歳で突然先生、先生と呼ばれる。教員試験に受かっただけで、急に先生という印籠が渡され、荒野に放たれる。

「俺の情熱がわかってもらえね~」などと同僚と、校長や教頭の悪口を言って飲んでいるうちはいいのだが、自分が世界の中心みたいな独裁者気取りの若者が、自信だけが先走りして暴走し始めると手が付けれない。これは何も先生という職業に限ったわけではないが、田舎には結構いる。いや、都会でも同じだろうか。

「今の先生達はサラリーマンだからな~」と言う方々がいる。世のサラリーマンに対して失礼な発言である。サラリーマンのお父さん方は、家族のため会社のため、骨身を削って日々頑張っている。学校の先生はサラリーマンでいいのである。スーパースターでもなんでもない。人間関係に疲労し、クライアントである生徒に苦悩し、購入した家のローンのため、子どもの養育のため頑張っているのである。

教育心理学の本を頭に詰め込み、それらしき教育書を10冊ぐらい読んで、教育評論家気取りの人間がいっぱいいる。塾教師もしかりである。

我々塾教師もパラドックスのかたまりだ。塾生が欲しいのは間違いなく生活のためだ。ゆえに一生懸命努力する。生徒への言葉の使い方、保護者の方への気の遣い方、世の中の方々が、学校の先生より塾の先生はとっても腰が低く真摯であると言われるが、当たり前のことである。

極端なことを言えば、生徒を教えてお金をもらっている意識の違いが、学校の先生と塾の先生の一番の違いであり、教える原動力の違いだ。それを露骨に言うと息苦しいので、塾の先生は言わない。「学校教育で失われた人間教育を云々・・・」などの塾のチラシを見かけるが、受験に合格させることが我々の大きな使命であることは誰でも知っている。

しばらく私のパラドックス的ジレンマは続きそうだ・・・・・・。

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2008年11月25日 (火)

時代を超えて

080425_093935_2 昨日修学旅行の話題に触れたが、右の写真のコーヒーカップとCDアルバムは、とある方々から頂いた修学旅行のお土産の2ショットである。

コーヒーカップは私が大学時代にお付き合いさせていただいていた女子高生のお嬢様が、修学旅行のお土産で買って来てくれたものである。一方チック・コーリアとハンビー・ハンコックのコラボジャズアルバムは、先月我が息子が修学旅行兼会社見学で東京から買って来てくれたお土産である。

現在この二人は親子である。

我が家内は都内の女子高に通っていたのだが、3年の時に九州への修学旅行で私に買って来てくれた有田焼きのコーヒーカップである。今思うに渋いチョイスである。

081125_083250 30年近くたった今でもたまに現役で使わせてもらっている。今朝はこのコーヒーカップでコーヒーを飲みながら、ハンコックの繊細なピアノを聴きブログをしたためている。至福のひと時である。

人との出会いはほんとに奇跡の連続だと思う。恋愛にしても友人との出会いにしても、出会うべきして出会っている、そんな感慨を強く持つこの頃である。人と人が出会い家族が生まれる。人生の不思議さと人生のダイナミックさをひしひしと感じる。

塾に集う子ども達との出会いもまたしかりである。社会はさまざまに変遷して行くけれども、人間の本質は変わらない。人は学ぶことで成長する。

その単純な哲学を忘れてはいけないと、今朝も雪に覆われた山の景色をめでながら思うかねごんであった。

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旅に出ない理由

今週より塾に通ってきている高校2年生達は、京都に修学旅行に行く。私は残念ながらこの年になるまで京都を訪れたことがないが、この季節京都は風情があって素敵だろうと思う。

高校時代私は個人的な理由で修学旅行に行かなかったが、京都は楽しかっただろうと思う。

何度もこのブログで書いてきたが、50年近く生きてきて旅行らしいものと言えば、新婚旅行で北海道を車で巡ったことぐらいで、それ以外は個人的な旅行は一度もない。

農協やさまざまな団体より旅行の誘いを受けるが、時間に縛られ、団体でぞろぞろ歩く旅行だけは勘弁願いたい私である。旅行に行く時間があれば、のんびりジャズでも聴いて、ねっころがって本でも読んでいるほうが好きな人間である。ゆえに一度も一人旅などしたことがない。

家内に「お父さんどっか行ってきたら」と言われるが、家にいるのが好きであるし、塾で仕事をしているのが好きである。そして昨年からはブログを始めたものだから、ますます出不精になってしまった。

車で30分も走れば三陸海岸のリアス式の美しい海岸線に出る。家に居ながら奥羽山脈の須川岳や焼け石連邦の美しい山並みが見れる。街に出れば素敵なジャズ喫茶がある。塾から15分も車を走らせれば温泉街だ。お金と労力をかけて旅行する必要性を私は感じない。

近くを流れる北上川の流れは、写真でみる中国の黄河の流れのごとく、悠久の歴史を刻み、私が愛する岩手の名峰早池峰山は、スイスのアルプスを髣髴とさせる。本当に岩手に生まれ育ち幸せものだと思っている。

しいて言うなら、一番日本で美しい山富士山が見れないのが残念だ。

私の通っていた大学は東京の郊外にあったものだから、晴れた日には教室から富士山が見えた。休講があってやることがないときなど、友人の車に便乗して相模湖までドライブをして富士山を拝んで帰ってきたこともある。

家内の妹夫婦が藤沢に住んでいて、立ち寄った時に、富士山がでかかったのを覚えている。心底富士山はすごいな~と思った。もうあれから10年近く生の富士山を見ていない。

富士山はいいな~!ところで富士山の所有者は誰かご存知であろうか。此花咲くや姫である。富士山の神様である。ちなみに我が塾の神棚にお祭りして、合格祈願をさせていただいている。

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2008年11月24日 (月)

青春譜再び

一年一年、当たり前のことだが年を取っていく。高校生や中学生の集団とすれ違ったときの、あのとまどうばかりのエネルギーの放射に私は圧倒される。

彼らの存在が、自分も経てきた時間が故に、その眩しさが戸惑いになるのかも知れない。

例えば、駅の階段を駆け抜けていく学生達のその勢いに、涙ぐんでしまうことがある。もう自分にはない空間に、彼らが生きていることのジェラシーと、自分の若さの喪失感をおのれが知ってしまうせつなさだろうか。

若さは、一瞬のきらめきを放つ故に尊いのではなく、限りない可能性を放射する原石だからいとおしいのだと思う。

約束したにもかかわらず、ほったらかしにしてきた多くの青春の残骸を、年を取るにしたがい、忘れたふりをする。しかしその偽りの忘却をなじるかのように、若者達は私の前を通り過ぎるのだ。

いつかみた夢の続きを、誰かに託したいと思うとき、何故もう自分じゃないのかと、また自らに問いかける。情けない年寄りの反抗と知りつつも、どこかに救いを求めている。

冬枯れた街にも、確実に一歩一歩春が近づいている。教室のそばの桜並木も、かたい蕾をしっかり付け、寒さに耐えつつ春を待っている。

誰かが言っていた。あと人生で何度桜の花を見られるだろう。未来永劫、季節は移り行く。我々はその中の一瞬の命だ。だから若きも老いも関係ない。同じ一瞬だ。

私は自分に言い聞かせ、教室で若者達と対峙する。ハンディー無しの真剣勝負だと、今日もまたペンを握る。

*上記の雑文は、私が今年の1月にブログに呈上した一文である。

実はこの文をしたためた頃、喉の違和感と胃の痛みにさいなまれ、癌系統の遺伝子を両親から頂いている私は、ひょっとするとと、動揺しながら近づく入試と格闘していた。この結末は『精密検査』http://daiken.cocolog-nifty.com/blog/2008/02/post_e5e8.htmlという私のブログにしたためたが、真剣に身の回りを整理することを考えていた(・・・笑い)。

最近食に関する記事が増えてきたかねごんである。ストレスに打ち勝つためにも、健康的な食事と睡眠と、そして休息は欠かせないものだと切に思っている。

私のブログを日々お読みいただいている塾の先生方、これから本当に多忙な日々がやってきますね。ご無理をなさらぬようにと言っても、難しい時期でしょうが、身体にいいものを食べ、睡眠をとってください。ちなみに私は昨夜12時に寝て、今朝は9時起きでした。睡眠は本当に疲れを取ってくれますね。今日も頑張りたいと思います。

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『アメリカ人の半分はニューヨークの場所を知らない』

町山智浩著『アメリカ人の半分はニューヨークの場所を知らない』が、我が家ではバカウケである。長男が買って来て読んでいたのだが、次男が読み、家内が読み、そして私が読み始めている。

アメリカ人の髪の成分を調べると、髪の毛がコーンの成分で出来ているらしい。理由はハンバーガーもビールも、バーボンもシロップもスープも、コーンで作られているからなのだという。

今現在、アメリカのコーン畑の面積が38万平方キロに達し、日本列島の面積を超えた。コーンの七割以上は家畜の飼料である。コーンを食べた牛が肉となり市場に出回り、コーンシロップが砂糖の代わりとなり、コーラや菓子類、ケチャップなどに使われている。まさにコーン漬けである。

特にコーンシロップに含まれている高濃度の果糖が、アメリカ人の肥満、糖尿病、心臓肥大、肝硬変などの成人病をもたらし、健康問題に深刻な波紋を投げかけている。実はアメリカだけの話で済む問題ではない。

日曜日の大型スパーに入っている外資系のハンバーガーショップは、いつも子ども連れの家族でごったがえしている。使われている食材は間違いなくアメリカのものだ。将来の成人病予備軍が日々作られている。若い親御さんたちは真剣に子ども達の食を考えなければならない。

面白くおかしくアメリカ人の常識のなさをこの本は取り上げているが、日本とて生活IQがだいぶあやしくなってきている。

本のタイトル『アメリカ人の半分はニューヨークの場所を知らない』に驚いてばかりはいられない。実は昨年入塾してきた中三の女子生徒が、日本の首都は盛岡だと思っていた。ジョークではなくマジ顔だった。県庁所在地という日本語と首都という日本語がクロスオーバーしていたのだ。

実は彼女を見て、中三の入塾テストを実施する決心を私は決めたのである。とある理由で塾はやめてもらったが、日々本など読まず携帯電話を友とし、お笑い番組ばかりを見ている子ども達の行く末が恐ろしいかねごんである。

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2008年11月23日 (日)

夕暮れ時の訪問者

081111_163629 11月も末に入り、日がいっきに短くなってきた。4時半も過ぎると暗くなる。

最近は寒さも加わり、自転車で塾に来る生徒が少なくなった。自動車で送られてくるか、直接学校から歩いてくる生徒が増えた。

先日焼き芋やさんが近くを通ったので、男子生徒に頼んで買ってもらった。塾で食べるんだといったら、いっぱいくれたよと言って、1000円分が3000円分ぐらいの焼き芋を抱えて戻ってきた。

みんなおなかいっぱいになり、夕食が入らないと言っていたが、私も入らなかった。

大判焼きの差し入れがあったり、りんごの差し入れがあったり、コーヒーの差し入れがあったり、塾生の保護者の皆さんにはたいへん気を遣ってもらっているが、まったくお構いなく。「何か食べるものないかな~」などと言っているのは単なるジョークですので・・・・

学校での三者面談が始まり、推薦等の話題が塾でも頻繁になってきた。普通高校に進学すべきか、専門学科のある高校にすべきか迷っている塾生もいる。

毎年塾生及び保護者の方々にお話してきたことだが、志望校とは、本人が志を持って受験に臨む学校である。少々の成績や順位のアップダウンはこの時期あって当たり前である。今入りたい高校を替えることなく、わき目を振らず、勉強に励んでいただきたい。

ところで、この写真ではわからないが、夕暮れ時毎日5、6匹の蝙蝠(こうもり)が塾の周りを飛び交う。きっと近くにねぐらがあるのだろう。ツバメぐらいの小さな蝙蝠である。意外と生徒は誰も気づかない。音もなく飛び交う数匹の蝙蝠たち、実は19年前に塾を始めて以来、毎日夕暮れ時を告げてきた私の友達である。

彼らが飛び交うと、塾生がやって来る時間である。

ちなみに私の友人である学び舎主人の教室には、蝙蝠が時に舞い降りるらしい、ひょっとしたら学び舎主人は黄金バットかもしれない・・・・・。

(追伸)

080425_093935 北国岩手に桜が咲きました。塾に来る途中、工業団地の桜の木が満開になっています。狂い咲きでしょうか。確かに朝晩はとても寒くなりましたが、昼はぽかぽか陽気が続いていました。驚きです。蝙蝠も飛んでくるはずです。

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指導者の本質

世間でよく言われるように、優秀な学者が優れた指導者とは限らない。指導者の力量はその人の学歴や、偏差値では到底はかれないものである。

ブログを読んで頂いている方はご存知のように、私は40年近く卓球をやっている。よたよたになりながらも、今でも市内大会に出て懲りずに中学生や高校生を相手に試合をやっている。心底卓球が好きである。かと言って指導はというと、精神的なアドバイスは何とかでできるが、技術指導となるとてんでダメである。

長年卓球の試合をすることを楽しみにしてきた私は、試合相手のどこが攻めやすく、どこが難攻不落のプレーヤーなのか観察することが好きである。長年の習性がぬけない。プレーヤーの弱点をどう修正するのかという発想に欠ける人間である。したがって私はスポーツ評論家タイプで、指導者タイプではない。

これが勉強の指導となると真逆である。卓球の場合は自分が感覚的に身体が覚えたプレーをしてきたがために、人に教えることは苦手だが、一方勉強は自分が出来なかったがゆえ、習得する苦労をあじわったがために出来ない生徒の気持ちは手に取るようにわかる。

例えば数学の授業で、因数分解の基礎理論がチンプンカンプンの生徒が私の指導を受けると、ほぼ10分間で教科書の10ページ分の内容を理解してくれる。そんな芸当が出来るのも私が苦労した経験があってのことだ。

高校生が習う関係代名詞もそうである。難しいとされている英語の関係代名詞Whichと関係副詞Whereの使い分けなども、カップラーメンが出来上がる3分の時間で納得させる自信がある。

こんなことを書くと、自信過剰のやつだなと思われるかもしれないが、中学3年から高校1年にかけて英語の成績が鮮やかに2だった私が、塾生を早慶や東大に合格させることができ、40年近く卓球をやってきた私が、卓球の指導がままならないと言うのは、私の例で恐縮だが象徴的ではないだろうか。

自分がどうして塾教師になったのだろうと、ふとこの年になって考えることがある。きっと自分が苦しんだ勉強の辛さが、自分を今の仕事に導いたんだと思う。

たかだか、国、社、理、数、英の結果で選別されてしまう15の春という現実に、塾教師という仕事を通じて反抗し続けているのかもい知れない。そんな気がする。

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2008年11月22日 (土)

緊急アンケート

三日前の夜である。塾のそばにおうちがある中学1年生の女の子達が、指導が終わって9時を過ぎても自習をしていて帰らない。他の塾生が帰った頃を見計らって、「かねごん先生お願いがあるんだけど」と言ってきた。

何事かと思いきや、私の曲『カブトムシ』をケータイの着メロにしたいので、ギターで歌って欲しいとのリクエストであった。指導も終わり生徒達も帰ったので、ギターを取り出し歌ってあげた。

「先生もお願いがあるんだけど良いかな。君達も中学校に入ってだいぶ学校生活に慣れてきたと思うけれど、君達が同級生を見て、優秀だなと思う生徒に共通していることはどんなことかな。何でも思いついたことを教えてくれないかな」と、最近ブログのネタに窮してきた私は、中1の女の子達に緊急アンケートを試みてみた。

その結果である。

中学1年生の女子生徒が優秀だと思う生徒の共通点。

テレビを見ない生徒。

ゲームを持ってない生徒。

中途半端にしない生徒。

生徒会などやって積極的な生徒。

自己管理ができる生徒。

本を読む生徒。

ケータイの使用を管理できる生徒。

まじめな生徒。

判断力がすぐれている生徒。

一万人ぐらいの生徒にアンケートをとっても似たような回答ではないだろうか。逆に優秀じゃない生徒というのは、テレビをいっぱい見て、ゲームをいっぱいやって、中途半端で、そして消極的で本など読まず、不真面目で自己管理が出来ていない生徒ということになるが、書いているだけで気持ちが重くなってくる・・・・・。

昨日私が尊敬申しあげるとよ爺先生より、私がかつてブログで書いた『成績が伸びる生徒の法則』という記事を紹介していただいた。この記事に昨日だけで300近いアクセスを頂いた。心より感謝申しあげる。

とよ爺先生の記事を読みhttp://toyojie.jugem.jp/?eid=2039、また自分の記事を読み返し、いろいろ考えてみた。とよ爺先生が指摘しているように、早熟さというのが時にキーワードになるような気がする。子ども達の肉体的成長もさることながら、精神的な成長というのも非常に年齢差がある。

義務教育ゆえに、生まれ年で学年が振り分けられ、子ども達は教育されていく。しかし同じ学年でも中学生などは2歳から時に3歳ほどの精神的開きを感じさせる生徒は確かに存在する。そういった集団を一斉に教えるのだから、成績に開きができるのも当然ではある。

頭の良し悪しというよりは、精神年齢の差が成績に反映されるケースが多いような気がする。もちろん精神年齢の高い子は、孤独に強いだろうし、自己管理もしっかりしている。

大器晩成という言葉が示すように、一見周りの生徒より幼く見える生徒が、大人になりすばらしい個性を発揮し、幸福を勝ち取る例は非常に多い。あせらず長い目で子どもを見守ってあげることが大切であると思う。

小さい頃、言葉の始まりがちょっと遅れただけで、若い親御さんはとても心配する。常にその年齢で出来なければならないハードルみたいなものを、1歳児検診や3歳児検診以来頭から離すことが出来ず、平均や標準という呪縛に縛られて生きているのが日本人の教育観ではないだろうか。

人はたいていしっかり大人になっていくものである。心配ない。私はそう思う。

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2008年11月21日 (金)

何のために学校に行くのか

中学校三年生の時期に、将来なりたい職業を聞かれて何人の子ども達が本音を語れるだろうか。私は中学校どころか大学の卒業式の日まで、自分の進むべき道を決めかね、彷徨っていた。実は今も彷徨っているのかも知れない。

将来の目標を定めて勉強をしなさいと教師は言う。高校や大学は就職するために行くところだろうか。私は学校は職業訓練校ではないと思っている。学校は学びの場であって、就職斡旋の場ではないと思っている人間である。

大学生は勉強そっちのけで3年の頃から就職活動を始める。私は正直かわいそうだと思っている。我々の頃は4年生の10月1日が就職活動の解禁日であったゆえ、勉強や研究に今の学生よりは集中できたよう気がする。

今中学3年生は面接練習を学校でやっている。校長先生自ら行なっている中学校が多い。志望校理由や将来つきたい職業などを尋ねられているようだが、塾に来て愚痴をこぼす生徒が多い。「そんなのわかんないよ」。それが偽らざる本音だろう。

高校や大学を選択する理由のひとつに、いい仕事に就きたいからというのは、間違いなくあるだろうと思う。学校格差がそのまま将来の経済格差になりかねない現在の状況を、私は心配している。

「○○高校に入ったら就職もままならないわよ」 励ましのつもりが、実際にそういった高校に入っていく多くの子ども達の希望を最初から奪い取ってしまう。地元の企業さえ求人を見合わせる状況が生まれてくる。

人は生きるために働いているけれども、働くために学びがあるのではなく、生きるために学びがあるのだと私自身は考えている。いい会社に入るために、お金を稼ぐために、若者達が勉強しなければならないとしたら、学校という学びの場はあまりにも寂しすぎる、せつな過ぎる。

学校の勉強を通じて学ぶはずの、思いやりや、優しさ、いたわりあう心が、逆に入試という足枷のために、過度の競争心を生み出し、敵対や、蔑みの心を子ども達に作らせてしまっている。それは部活動や、運動会やさまざまの状況の下でもそうである。

学びとは、人に勝つためにあるのではなく、自分の命を輝かせるためにあるのだと思う。そうではないだろうか。

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2008年11月20日 (木)

冬来たりなば受験遠からじ

081120_080938 今年最初の雪が降りました。今朝起きてみるとあたり田んぼ一面が真っ白でした。昨日、教室に行く前に軽トラックの冬タイヤを購入して正解でした。先ほどガソリンスタンドでタイヤの組み換えをしてきてもらいました。しめて18000円ほどの出費になってしまいましたが、冬道の安全を考えると仕方がありません。

北国の冬は、灯油代と車の維持費がかかります。雪の美しさはいいのですが、寒いのはお金がかかります。しょうがないですかね。

080425_093935 塾にやって来る生徒達も、厚手のセーターを着て来るようになりました。教室の外に冬期講習受付中の旗が北風ではためいていましたが、いっきに風も冷たくなりました。

先日塾の受験生に、インフルエンザの予防接種をやるようにと告げましたが、この寒波で風邪もはやりだしそうです。保護者の皆様、予防接種をお早めにお願いします。「僕風邪なんかひいたことないし、だいじょうぶだよ。」と発言していた中三生がいましたが、かつてそう言っていた同じような生徒が、受験勉強のストレスと疲労から、インフルエンザに感染して大変だったことがありました。なにとぞ早めの予防をお願いします。

私も寒さ予防に手編みの羊毛のベストを奮発しまして、教室で着ております。ネパールのご婦人方が編んだ物で、フェヤートレードの参加製品です。開発途上国の貧困を助ける援助はさまざまあると思います。わたしは一番大切なことは、しっかり作っている農作物や製品に対して富める国々が、代価に見合ったお金を支払うことだと考えています。無償の援助だけが援助ではありません。

年末になりますとさまざまな募金活動が始まります。自立のための援助こそが愛の援助だと思います。むやみにお金をばら撒く麻生さんの考えは支援できない私です。

外はまた雪がちらつきだしました。今週から塾の中三生の面談が始まっております。出かけたいと思います。今日はこの辺で・・・・・。

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サイキッカー 寺子屋金さん第六話

突然ですが、最近コメントを寄せていただいているタコ坊主さんはサイキッカーさんである。寺子屋金さんシリーズに於いて、かねごん宇宙人説なる不遜な話題を提供した金さんであるが、ことのほか塾内での反響は大きく、ずにのって今日も寺子屋金さんシリーズをしたためている。

このブログを読み始めたばかりの皆様には少し説明が必要かも知れないので、ホンの少しご説明を・・・。このブログのタイトルでもご存知の通り、我が塾の名前に『大験セミナー』などという現代的なネーミングを冠しているが、実はやっている本質的指導は江戸時代の寺子屋やと変わらぬ、人情、慕情派バリバリの集団個別指導の個人塾である。

そこである日、名前を『寺子屋金さん』に変えようかと塾生に提案したところ、「どこの塾に通っているのって聞かれて、寺子屋金さんなんてそんな変な名前言えないよ」ということで却下されたのである。そこでせめてブログ内だけでも、寺子屋金さんを地で行くような話題を提供しようと始めたシリーズである。言わば大験セミナーわくわく日記の完全番外編である。

話を戻そう、タコ坊主さんはサイキッカーさんであるが、実は私寺子屋金さんもプチサイキッカーである。金さんは若い頃よく金縛りに遭遇した。ホテルや旅館に泊まると得たいの知れないものに羽交い絞めされ、しばしば金縛りにあうのだ。はっきり言って気持がいいものではない。

金さんはいろいろ試してみた。聖書を枕元に置いてみたり、清めの塩を置いてみたり、時に般若心経を寝る前に唱えたり、テレビに出てくるいんちき臭い霊能者さんがやるようなことを真似てやってみた。しかし効果はなかった。

そしてとうとう試行錯誤の末、金縛り撃退法が見つかったのである。やばいな~と思ったら、頭の中で地平線や水平線から上って来る輝く太陽をイメージするのである。次にその太陽の光が、自分の身体を包む映像を強く念じると、金さんの場合ほぼ金縛りから回避できるようになったのである。めでたしめでたしである。

このブログを読まれている方で、金縛りでお悩みの方は一度試してみてはいかがだろうか。くれぐれも自称霊能者と名乗る怪しげな輩の所に出向き、徐霊などといって高いお金を払い、ますます怪しげなものを頂いてくることがないようにお気おつけ願いたい。

文頭で紹介したタコ坊主さんは、ロック、ジャズ好きが嵩じて、横浜でジャズやロックが流れる素敵なお店をやっておられたが、近年故郷である一関市に戻ってこられた。現在は整体師の先生をされているのだが、もう一つの顔はサイキッカーである。プチサイキッカーであり自称元プレアデス星人の寺子屋金さんが言うのだから間違いない(・・・笑い)。

もうすぐ彼のブログを貼らせていただこうと思っているが、日々訪れるサイキックな話題をぜひ堪能していただきたいと思う。

本日の寺子屋金さんシリーズ第六話は、金縛りの解き方であった。それではまたいつか第七話でおわいいたしましょう。寺子屋金さんでした。

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2008年11月19日 (水)

女子高生プロ野球選手誕生

来年4月開幕予定の「関西独立リーグ」のドラフト会議が16日、大阪市内で行われ、神奈川・川崎北高2年の吉田えり投手(16)が神戸9クルーズから7順目指名を受けた。入団する意向で、男子と同じチームでプレーする初の女性プロ野球選手が誕生することになった。漫画「野球狂の詩」で女性の水原勇気投手が、プロ野球を舞台に左下手投げから魔球「ドリームボール」で活躍したが、吉田も右下手投げからのナックルボールでプロの世界に挑む。

日刊スポーツ2008年11月17日

下投げのナックルボールを武器に、小柄な女子高生がやってくれた。漫画「野球狂の詩」は私も子どもの頃読んだ大好きな野球漫画だった。現実には絶対ありえないだろうなと思っていたが、とうとう日本の野球史に、女子のプロ野球選手が誕生してしまった。本当に驚きであり、賞賛をしたい。

吉田えりさんは、高校1年の時から進学先に「プロ野球選手」と書いていたとのこと、自分の夢を球種とは違って、直球勝負で叶えたことになる。

アメリカ大リーグ・レッドソックスのウエークフィールド投手のナックルボールを真似て練習したと言うが、独学で習得するとは物凄い。お兄さんやお父さんの影響で始めた野球、娘さんの夢を本気でバックアップした家族の努力も並大抵のものではなかったと思う。

今回の快挙が刺激になり、中学校の野球部に入部する女子生徒が増えるのではないだろうか。運動神経や反射神経は女子も男子もそう変わりがない、問題は体力と怪我の問題だ。打撲擦り傷は日常茶飯事、娘さんをお持ちのお父さんなり、お母さんが男子生徒と対等にしごかれる娘さんを直視出来るかどうかが、正念場のような気がする。

今年のオリンピックの柔道、ソフトボール、そしてサッカー。日本女子スポーツ界の活躍は本当にすばらしいものがある。それも精神的な強さが光る。男子も見習って欲しい。

我が塾にも部活命の女子生徒が多くいる。県トップレベルのアスリートも在籍している。あらためて、塾生に告げよう。夢は叶う!!

              There  is  a  will,  there  is  a  way !

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2008年11月18日 (火)

大検or大験?

当塾の名前『大験セミナー』と『大検セミナー』を誤って検索し、毎日多くの方が私のブログに入ってくる。そして私の記事を気に入ってくれたのか、それとも「何だこりゃ」的好奇心で読まれていくのかは定かではないが、時に数十ページにわたり読んでいかれる方もいる。どちらにしてもありがたいことである。

そもそも大検制度というのは、高校を中退した方や、中卒の方が大学や専門学校の受験資格を得ることが出来るようにと始まった制度である。現在は高卒認定試験という呼び名に変わっている。試験の内容はそれほど変わってはいないが、現在は教科を何度かに分けて受験することが出来るようになり、負担が軽減され、合格率も飛躍的に上がっている。詳しくはこちらのサイトをご覧いただきたい。http://www.jet-aime.co.jp/info/(高卒認定試験情報センター)

しかし、塾に寄せられる質問などを聞いていると、若干この制度を勘違いされている方も多い。高卒認定試験に受かっても学歴上はあくまで中卒扱いなのである。履歴書欄では、英検や漢検等の資格欄への記載となる。大学なり短大を受験する時に初めて役立つ資格だ。したがってこの資格だけでは、高卒以上と明記されている会社への応募はままならない状況となる。

ゆえに最近は通信制の高校に通う生徒が増えている。しかしこれもいろいろな問題を抱えている。ほとんどの通信制の高校はレポートが中心である。学んだ教科のレポートを提出し、週一回なり、もしくは年何回かのスクーリングを受けることにより単位が取得できる仕組みでだ。単位が整えばめでたく卒業となる。

しかし彼らが大学を受験しようとなると、厳しい状況が待っている。なぜなら通信制では、大学受験を念頭に入れたカリキュラムが組まれることが稀だからである。独学の勉強が要求される。高校認定試験合格者の方が大学受験に強い理由がここにある。それぞれ一長一短があるのだ。

高校を中退し職に就いたものの、さまざまな現実にぶつかり、もう一度高校に復帰し大学を目指したいという方が増えている。県内に於いても、公立、私立共に通信制の高校が増えている。働きながら高卒資格を得ることが昔より楽になった。

大検と大験を間違えて、我が塾に電話をかけてくる方々に、上記のようなことをお話しさせていただいている。我が塾でも例年通信制の高校に通いながら、大学受験のための英語を学ぶ方がいる。

大学での生活費や学費が心配の方も多いと思われるが、新聞奨学生や育英資金を借りることで、親の援助なしで頑張っている教え子達もいる。

学びたいと思ったときが、学び時である。悔いの残らない人生のためにも、一歩を踏み出してはいかがだろうか。

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再びキャロル・キング

昨夜塾から帰ると、細君が「スマスマにキャロル・キングが出てるわよ」という衝撃的な発言を浴びせてきた。私が目をやると、まさに『You've got a friend』のピアノの前奏が流れてきた。本日、塾生が9時過ぎに帰ったことに思わず感謝したかねごんである。

このブログで岩手宮城内陸地震のあと、キャロル・キングの曲を紹介させて頂いたhttp://daiken.cocolog-nifty.com/blog/2008/06/post_9b01.html。 私の人生を語る上で欠かすことが出来ないアーチストである。

彼女のアルバム『つづれおり』は、衝撃的な音楽だった。歌がこれほどまでに映像的に感性を刺激するのかと思うくらい、キャロル・キングの歌声や息遣いが人生のさまざまな場面を想起させてくれる。

初めて人を好きになった時の心のときめきや、うつむいて顔を上げることが出来なかった時の悲しみや、さまざまな感情のどよめきが歌と共にあふれ出してくる。私が17歳の時に聴いたキャロル・キングの声も、昨夜スマスマで聴いた彼女の声も、まったく変わりがない。ピアノのタッチも曲の息遣いも変わらないのだ。思わず青春時代にトリップしてしまった。

中学校時代、ラジオから流れてきたカーペンターズやサイモン&ガーファンクルの透明感のあるナイーブなメロディーも確かにすばらしかったが、キャロル・キングのサウンドはシンプルでありながら、大人の泥臭さとでも言うか、素の感情をたたきつけてくる迫力があった。

同じアーチストの同じアルバムを人生に於いて3度も買い求めたのは、キャロル・キングの『つづれおり』だけである。それほど聴き続けた作品だ。今も車の中にCDが置いてあり、いつでも聴ける状態だ。

ハスキーな声、ブルースタッチのピアノ。私はよくジャズやブルースが好きになった理由を尋ねられるのだが、高校時代にであったキャロル・キングやビリージョエルのジャージーな雰囲気が、私をジャズのとりこにしていった。キャロル・キングの延長線上で私が好きになったジャズシンガーはニーナ・シモンである。彼女のパワフルな声量と、繊細なピアノの響きはすばらしい。アマゾンのホームページで視聴で出来るので、興味がある方はぜひ聴いてみていただきたい。かねごんのおすすめである。

人生にくじけそうになった時、必ず聴きたくなる曲や、一冊の本があるものだ。そしてそのような宝物を持っている人は、本当に幸いであると思う。

キャロル・キングに出会ってなければ、私は作詞、作曲をすることもなかっただろうし、ひょっとしたら、塾教師になっていなかったかもしれない。昨晩、素敵なおばあちゃん顔になったキャロル・キングを見て、自分の生きてきた思いみたいなものを、東京での会社見学から帰ってきた息子のお土産、海ホタルをかじりながら、かみしめていた。

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2008年11月17日 (月)

初冬の風景

080425_093935 塾のそばの児童公園は一面ケヤキの葉っぱや、イチョウの落ち葉に覆われ、枯葉のカーペットが敷かれたようだ。もうすぐ冬がやって来る。

市内の高校生にもマフラー姿が増えてきた。軽トラックでやって来る「いしゃきいも~」の声が流れ、焼き芋の温かい食感が恋しい季節になった。

塾のそばの自販機のドリンクも、ホットココアが売れ切れになるこの頃。塾生たちも冷たいドリンクは持ち込まなくなった。白鳥達も川べりにたたずみ、旅の疲れを癒している。

夏と冬でどちらが好きかと尋ねられたなら、私は冬が好きだ。凛とした冷たさの中に流れ込む静寂の時間が心地よい。夏の華やぎにはない冬の美しさがある。

汗をかくことがあまり好きではないので、冬に身体を動かすことが好きである。ゆえに卓球のようなスポーツを選んだのだと思う。北国が卓球が強いのは、雪に閉ざされた冬の室内のスポーツとして手軽に出来るからだ。

卓球といえば、昨日新人戦中学校卓球大会の県大会が市内で開催された。塾に通ってきている生徒が見事一年生ながら決勝戦に勝ち進んだ。すばらしい試合だった。じ~んときた。大会の前日にもかかわらず、夜遅くまで塾で勉強していく姿勢もすばらしい。文武両道の努力が花開いた結果だと思う。おめでとう。

080602_101817 先週我が家の庭先の山茶花(さざんか)が可憐な花をつけた。若い頃は花などのんびり眺めることがなかったのだが、年を取ってくると一輪の花の美しさや、自然の美しさに目が留まる。これからの季節、塾教師にとっては猫の手を借りたいほどの忙しさがやってくるが、北国の美しい冬の景色をめでながら、ストレスを溜めず頑張りたいと思う。

市内の塾さんが冬期講習のチラシを新聞に入れてきた。我が塾も今週中に冬期講習の原稿を作らなければいけない。忙しくなるな・・・・・・。

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2008年11月16日 (日)

書斎の風景

081116_084308

081116_084147 36年前に、農機具を入れる納屋を改造して、父が私のために作ってくれた勉強部屋が、現在は物置と化し、本の収納部屋になり、壁一面床一面に本が散乱してしまっている。

私の書斎はこうやって足の踏み場もなくなり、茶の間のPCの前が私の日常の居場所になってしまった。

すきあらば古本屋に持っていって処分したい我が細君のようだが、私の執着心バリバリの性格ゆえなかなか読んだ本が手放せず、このような状況になってしまった。

晴れた日は、この部屋の窓から奥羽山系の栗駒山の秀麗な姿を見ることが出来る。

080512_115309 今年の岩手宮城内陸地震で崩壊した稜線も肉眼ではっきり確認できる。復旧もだいぶ進み、一ノ関側からの栗駒山への道路もようやく確保されたが、温泉施設は大きなダメージをこうむり、休業に追いやられたままの施設もある。

厳しい冬を前にして、まだ自宅に帰れない方も多い。地震のために会社が倒産し、失業状態の方も宮城県北の地域には多くいらっしゃる。分けのわからないお金を国民にばら撒く前に、麻生さんがやらなければならないことはいっぱいあるように思うのだが、選挙で勝つことしか念頭にない政治家の皆様には、ほんとにやるせなさと怒りを感じるかねごんである。

今年はどんな本を読んだろうかと振り返ってみたが、今年は恐ろしいくらいに本を読まない年だった。新聞と、教室に置いてある聖書を読み直したぐらいである。後はひたすら仕事とブログの日々だった。来年のことを言うと鬼が笑うというが、来年は本職の英語学の本を読みまくり、英語学の真髄をあらたにし、受験指導に邁進したいと思う。・・・・かな?

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食べ物は大切

我が家内は食材を非常に重視している。私は食べることだけで、料理などしない男であるが、結婚以来23年間、食の大切さを家内から教わってきた。

独身の頃の食生活が続いていれば、今頃はすでにあっちの世界に行っていたような気がする。食べ物については心から家内に感謝している。添加物にまみれたものを食べていた頃には気づかなかったが、無添加のものを日常食べるようになると、たまに添加物が入った加工品を食すると、気持ちが悪くなり食べられなくなる。身体というものは正直に反応する。

我が家で最初に改革のメスが入ったのは、醤油と味噌そして塩である。値段が安ければ良いだろうと、塩や醤油には無頓着であったが、天然塩や天然塩を使用した醤油を食するようになると、安く売られている塩化ナトリウム塩は身体が受け付けなくなる。翌日、顔が腫れぼったくなるし、血圧は確実に上昇する。

次に家内が着手したのはタマゴである。狭いところで薬漬けにされたニワトリ達のタマゴを買うことをやめた。地タマゴと呼ばれる、地面で飼育される鶏の有精卵に替えた。以来20年近くになるが、冬にはいつも風邪でダウンしていた私が、ここ20年風邪で塾を休んだことがない(2度過労で倒れたことはあるけれど・・・・)。ちなみに長男も風邪で学校を休んだことがない。まさにスパータマゴだ。

そして三つ目は、家からインスタント食品を根絶したことだ。年に何度かカップラーメンを食べることがあるが、家内はぜったい買わない。レトルト食品を食べなくなったことで、下痢体質の私の身体が修復され変わった。カレーもインスタントルーを使うことなく、香辛料だけで作ることが増えた。朝食べる食パンも自家製になった。

我が家では、家族で外食を目的に外出するという習慣がほとんどない。息子達は家で食べたがる。私はこれは妻がもたらしたキセキであると思っている。

中国製の食材もすべて排除した。あんな危険なものは食べられない。パンに塗る蜂蜜を地元岩手県産のものにした。このおいしさを味わうと、中国産の蜂蜜など食べようとは思わない。

我が家では車や洋服、更には旅行などにはなるべくお金をかけないようにしている。しかし食材にはだいぶ注ぎ込まれている気がする。確実にエンゲル係数は高い。

お米はもちろん自家製の無農薬の天日干米である。天然塩でにぎったおにぎりなどは絶品である。ささやかであるが田舎暮らしの贅沢だと思っている。人の身体は食で保たれている。その食をないがしろにすれば、おのずと身体はピンチになる。若い頃、ビールと焼肉の日々を過ごしていた私が痛風になったように・・・・・。

皆様くれぐれも食にはお気おつけ願いたい。

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2008年11月15日 (土)

サンタがやってきた

080425_093935 我が塾にサンタがやってきた。窓にはしごをかけて登って来るサンタさんだ。ライトアップされたサンタさんを見て塾生たちも、いよいよ今年も残り少なくなったことを気づいたろうか。受験が近づいて来る。

来月は私かねごんが、恒例のサンタさんミニライブを二つの小学校でやってくる。まさしく左の写真のような格好でギターを抱えて行ってくる。お母さん達の人形劇などもあって小学生は大喜びだ。今年はどんなハプニングが起こるだろうか。楽しみである。

昨夜は塾生のA君が、気が早いことに彼女にどんなクリスマスプレゼントをあげたら良いのか迷っていた。「先生だったら何あげる」と聞かれたが、中学校時代そんな経験などなかったので「カブトムシの曲でもあげたら」と言っておいた。ちなみに私の曲である(・・笑い)。

街にクリスマスソングの曲が流れるようになると、冬期講習の準備もいよいよ大詰め、志望校決定の三者面談も始まる。受験勉強も佳境に入る。そして北国には雪が到来する。

雪といえば来週あたり、軽トラックのタイヤを冬タイヤに取り替えなければならない。この冬20年目の軽トラックが、無事冬を乗り切ることを願わずにはいられない。頼むよ愛する軽トラ君。

クリスマスプレゼントではないけれど、今週ガソリン代がリッター120円台に回復した。心から嬉しい。我が家にとって何よりの朗報である。

(中三保護者の皆様へ)

今年も一月半を残すのみとなりました。保護者面談を随時行っていきたいと思います。平日月曜日から金曜日、午後2時より4時半の時間帯を面談時間にあてていきたいと考えております。希望する方は電話にて都合の良い曜日、時間帯をお知らせください。来週より12月中旬まで予定しております。よろしくお願いいたします。

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2008年11月14日 (金)

若き教師達の苦悩

若い先生方の中には、勉強で苦しんでいる生徒達の心情や感情の流れをキャッチできない先生がいる。優秀であることは悪いことではない。しかしその優秀さがときに落とし穴になることがある。

人が2回書いて覚えるところを、10回書いても覚えられない生徒がいる。何度説明しても要領を得ない生徒がいる。そういった生徒達を表面だけで捉えようとすると、必ず摩擦が生じ、相互理解が生まれない。

経験の少ない先生は、自分が覚え理解してきた尺度で生徒達を指導しようとする。結果があらわれないと、演習量が増えれば良いだろうと宿題ワークやプリントをいっぱい出し、生徒は沈没してしまう。

家庭環境や、親の経済力や、はたまた人間関係のトラブルなど、勉強しない、もしくは出来ない要因はさまざまだ。そう言った複合的な要因によって、子ども達の集中力は奪われ成績が停滞して行く。幸いにもすばらしい家庭に生まれ、お金の苦労も無く、幼少の頃から素直に育ち、順調に競争社会を生きてきた先生方には、そういった子ども達の心の苦悩を、深いところで共鳴できず、指導の悩みを抱える方も少なくない。

「どうしてこいつら勉強しないんだろう」 「私の話しをどうして聞かないんだろう」 そんな声が聞こえてきそうだ。

今冷静に中学校や高校時代を振り返ってみるに、決して昔の先生方の教科指導のレベルが高いわけではなっかた気がする。今の若い先生方のほうが間違いなく教え方は上手だ。しかしはっきり申しあげて、人間としての迫力というのか、押しが足らない。クールすぎるのだ。

弁舌軽やかで、賢い印象ではあるが、説得力に欠ける。私の完全な主観であるが、泥臭さがない。

私のように勉強もせず音楽に明け暮れ、限りなく四流に近い三流大学を出たシガナイ塾教師が言うのもなんだが、自分がボンボンだと思ったらボンボンなりの長所があるはずだ。苦労人だったら苦労人の長所がある。自分の個性を生かしきれてないのが、今の若き教師達の欠点であると私は思う。

私が若い先生と言っているのは、新米の先生という意味ではない。文字通り若い先生達だ。昔は道を歩いている姿だけで、学校の先生は学校の先生とわかったものだ。凛とした雰囲気というかオーラーがあった。今はどうだろう、街を歩いていて先生と出会っても、私服であれば全然気づかない。普通のお兄さんであり、普通のお姉さんである。

塾生たちは教室で学校の先生の話をけっこうする。どんな先生を求めているかというと、意外かも知れないが、厳しくて怖い先生だ。妥協を許さず正義感のある熱血先生を求めている。友達感覚のものわかりのいい先生ではない。

時に親御さんまでも叱責するような強い先生を求めている。「授業がうるさくて集中できない」とか、生徒の暴言に対して、ただたじろぐ教師が多いと、生徒達は私に話してくれる。

「かねごん先生のようにもとヤンキーの先生だったらいいのにな~」などとため息をついている。確かに私が切れた時の怖さは並大抵のものではない。ブルースで鍛えあげた私の怒鳴り声は、軽く1キロメートル四方にとどろくに違いない。

しかし、元ヤンキーは昨今なかなか学校の先生などにはなれないのである。「静かにしなさい!!」と金切り声を張り上げても、いまどきの生徒はにやけてせせら笑っている。かと言って「うるせんだよ、このガキども!」という女性教師では問題がありすぎるわけで、若い先生達は苦悩するわけだ。

多忙な若い先生たちは大変かもしれないが、部活指導にエネルギーを注いでみてはどうかと思う。コーチや指導者と大会を回ったり、指導につくことで、教師間で得られない指導の流れみたいなものを体得できる気がする。実際部活指導にすぐれている先生方の人望は、生徒達からも厚い。いや父兄からもである。

私も6年ほど前、ご父兄の要望で中学生の部活指導を仰せつかり、1年半ほど女子卓球部の指導をやったことがあった。生まれて初めての経験だったが、非常に学ぶところが多かった。スポーツというものは子ども達の素の感情が表れる。教えるほうもまたしかりである。

若き先生諸君、ぜひ部活動に積極的に参加をされてはいかがだろうか。

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2008年11月13日 (木)

かねごんからのお願い

毎日書き連ねてきた大験セミナーわくわく日記も、更新回数をどうにか400回を超えた。打ち込んだものの妻の検閲にあったり、自分が気にいらなかったりで、30ほどの記事が闇に葬られた。

当初週に1,2回のペースのつもりが、気がつけば本当の日記になってしまっていた。塾のお知らせや、日頃の様子を書くつもりが、話題のネタ切れになってしまい、どうも思いで日記になってしまっている感がある。最近ではドサクサ紛れに、家庭の私生活を記したり、息子達の話題にまで及ぶ始末で、妻や子ども達からは「お父さん家庭のことを書きすぎだよ。プライバシーの侵害だ」と怒られている。

実はこのブログ、今年の2月よりにほんブログ村の塾予備校ブログランキングに参加させていただいている。高校受験、塾予備校部門とも皆様のお陰で上位ランキング入りを果たさせていただいているのだが、最近ちょっと気になっていることがある。

ブログランキングに参加されている塾さんは、圧倒的に○○グループやフランチャイズ系列の塾さんが多い。私のように個人塾の先生方のブログは、地方になればなるほどまれのようだ。そこでさまざまな営業の方々のターゲットになりやすい。

フランチャイズ塾だと、本部の決済が降りるまで時間と手続きがかかり面倒なのだろう、ノルマ達成のため日々いろんな電話やアポが入る。「カラーコピーをモノクロの値段でどうですか」、「我が校と提携を結んでいただきませんか」、「テレビで田舎の純朴な塾生の恋愛相談を企画しているのですが」・・・・等々。私のブログを褒めつつ(・・・笑い)仕事の話を持ちかけてくる方々が多い。

もちろん塾に入りたいとか、ライブ公演の依頼ならば、いつでもウエルカムなのだが、日々入ってくるメールや電話の90パーセントは営業マンの方々からのものだ。携帯電話を持たない私を捕まえようと、塾の授業時間帯に電話やファックスが入ることが多い。これをお読みくださっている営業関係の皆様。出来れば午後2時半以降午後4時半までの2時間の間に電話をいただければありがたいのであります。よろしくお願いしたい。

それからお願いついでにもう一つ。リンクを貼らせて頂いている先生方のすばらしい文章を、失礼ながら事後承諾で紹介することがしばしば私はあるのだが、さすがにまったく面識の無いブロガーの方のアドレスを添付する際は、必ず了承を得てからにしている。それが私なりの常識なのだが、どうも世の中はそうじゃないらしい。

塾紹介のバーナーに知らぬ間に私のブログが貼り付けてあったり、○○支援校のサイトにいつの間にか我が塾の名前やサイト名が記されていたりすることがしばしばある。それがなぜ判明するのかというと、他のブログももちろんそうなのだが、誰が閲覧しているのかは知る由もない、しかしどのバナーやブログサイトから入ってきたかは一目瞭然である。それで判明する。

貼り付けていただいている方々は、善意のつもりなのだろうけれど、時としてそのバーナーはちょっとな~というのも正直ある。トラックバックやコメントに貼り付けられてくるアダルト映像やいやがらせ的内容のものは、システム上しっかりブロックさせてもらっているが、当ブログのアドレスを営業サイトに貼られることに対しては対処のしようが無いのである。

私の拙い文章を引用していただいたり、使ってもらうことはとても光栄なことである。またブログをやられている方々のリンクにわくわく日記を貼らせてもらうことは嬉しい限りである。しかし営業サイトにリンクを貼る際はひとことメールにてお願いしたい。よろしくお願い申しあげる。

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ブルースが聴こえる

町外れの居酒屋の上がり階段で、バーボンを傍らに置き、擦り切れたジーンズとよれよれのコットンのシャツを着た黒人の老人が無精ひげの口をとがらせて、ガットギターを片手にブルースを歌っている。

歌っているというより、がなりたてているしゃがれた声は、酒でつぶれた喉のせいか、南部なまりのまったくもって歌詞など聞き取れないひどい英語だ。ミシシッピー川からふいてくる風は、もう秋のにおいがする。綿花畑もとっくに収穫が終わり、黒人の労働者達も、何がしかのお金を手にしたのだろう、陽気に昼間からバーボンを飲んではしゃいでいる。

日本から船便で持ち込んだ軽トラックの中には、これまた日本から持ってきた安物のギターが入っている。私はそのギターを片手に握りしめ、老人のそばに歩んでいった。私はデニムのジャケットのポケットからウイスキーの小瓶を取り出し、老人に差し出した。

彼はタバコのヤニで黄色くなった歯をにっとさせ、ウイスキーを一口二口煽ると、瓶を私に返してよこした。「一緒にギターを弾いていいかい」と私が声をかけると。彼は頷いて、彼のおはこであるだろうブルースを弾き始めた。老人の押さえる指のポジションを、自分のギターで押さえてみるのだが、残念ながら音が合っていない。

Gコードのはずが、ディミニッシュの音が混ざったり、Aフラットのはずがマイナーの音になったりしている。私は単音でミュートしながら、音を追っていった。

老人のけだるいフレーズが繰り返されたかと思うと、老人は急にシャウトし始める。彼のだみ声の英語の歌は、私のリスニング能力ではなかなか聞き取れない。時々聞き取れる単語を繋ぎ合わせて想像してみると、どうやら遠くに住む息子夫婦の生活ぶりを自慢している歌のようだ。

彼のしわだらけの顔が、誇り高き表情になった時、彼の歌を聴きながら私は日本に残してきた家族を思っていた。

オバマ氏が次期アメリカ大統領に決まった日、私はこんな夢を見ていた。

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2008年11月12日 (水)

月日は過ぎて

昨日は頭痛とめまいに襲われ、午前中いっぱい寝ていた。このところ土日の休日がまったく無く忙しかった。疲労が蓄積していたのだろうと思う。こうやってまたブログを打てるところをみると回復をしたような気がする。

我が家の長男は来春の就職内定に向けて、本日から東京の会社見学に出かけた。どちらかと言うと修学旅行気分なのだろうが、一応スーツ姿になれないネクタイを絞め、いそいそと3泊4日の旅行に旅立っていった。

スーツ姿の息子を見ると、子育ての長い年月がほんの一瞬のように感じられる。七五三でお宮参りに行った遠い昔の日が、つい昨日のことのように思われるから不思議である。親の口から言うのもなんだが、ぐれることなく素直に育ってくれた。人前でしゃべるのが苦手で自己主張に欠ける所がたまにきずだが、自分のやりたい道に進んで行って欲しいと思う。

「親の恩は子どもに返すのだよ」私の亡くなった祖母が生前口癖のように私に語ってくれたものだ。親に楽をさせたいと思っても、30代40代は、子育てや仕事に多忙で、なかなか親孝行までとはいかない。50にもなり子育ても終わり、余裕が生まれ親孝行とでも思ったときには、すでに天国に行ってしまっている。それが世の現実ではないだろうか。

親から頂いた恩は子どもに・・・・・。まさにその通りだと思う。子どもは親の無償の愛があって育っていくものである。愛は子どもへとバトンタッチされ受け継がれていく。

この時期、近隣の川をサケが産卵のために上ってくる。子を残すためにボロボロになって上ってくるサケの姿を見るのは本当にじ~んとくるものがある。人間も負けてはいられない・・・。

昨日、教室の窓から眺めた川土手の夕焼けはとてもきれいだった。

081111_163719_2 こんな夕暮れを見ていると、心がじんとしてくる。毎日の生活が何気なく流れていくけれど、自然の豊かさや美しさには、到底人間はかなわないな・・・・・

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携帯電話無用論ではないけれど・・・

昨日、『公衆電話が消えていく』の記事に対して、塾仲間である個別指導学び舎の小林先生より、賛同のコメントを頂いた。携帯電話無用論を言い続けてきた私にとって勇気をもらうコメントだった。携帯電話がないと生きていけないとまで言う中高生が多い中、塾に於いて孤立無援のかねごんであるが、今一度世の中の皆様、携帯電話というものに慎重になられてはいかがなものだろうか。

学び舎主人です

携帯電話の話、同感です。先日同じようにトラクターに乗って農作業中のおじさんが携帯で談笑していたので、驚きました。「ケータイ文化が現代人に与えた衝撃度は計り知れない。便利さの見返りに品性をなくしてしまった大人が蔓延し、大人の醜い側面だけを見せつけられる青少年達が増えてしまった。」まさにその通りです。講演などを聞きに行って、何が興ざめかというと、やはりいずこからか鳴り響く携帯の着信メロディ。先日、息子の中学校の文化祭に合唱コンクールを聴きに行った時も、携帯電話の電源を切ってくださいというアナウンスがあったにもかかわらず、会場内に鳴り響く携帯電話。ひんしゅくを買っていたのはもちろんですが、あまりの非常識さに唖然としてしまいました。

私塾に勤めていた頃、会社から携帯を持たされていました。メールが普及する前の機種で、まだ携帯をもっている人が少数派の頃の話です。携帯を持っているだけで珍しがられましたが、持っている当人は好きではなく、携帯の番号は自宅と会社しか知らない状態でした。したがって余計な電話も入ってこず、本当に仕事の連絡か家からの緊急の電話だけだったので、人前で携帯電話を出して話さなければならないという場面を出来るだけ回避することが出来ました。

私が嫌だった理由はいくつかありますが、一番大きな理由は公共の空間に私的な空間を持ち込むような違和感があったということです。公衆電話や固定電話で話すということは、そこだけ別空間のような認識があってそこでは許可されるけれど、どこへでも私的空間を持ち込むことには抵抗感がありました。今でも携帯は持っていますしメールにも使います。もっとも家からのメールはほとんど「○○が切れたから途中で買ってきてちょうだい」ぐらいのものですが・・・・。教室ではマナーモードにしていて、かかってきても授業中は出ません。教室にいるときは教室の電話を使うようにしています。

生徒にもできるだけ教室の電話を使っていいと言っているのですが、やはり自分の携帯で連絡をする生徒が多いですね。さすがに教室にいるときはマナーモードにしている生徒がほとんどです。特に注意はしていませんが、他の生徒が「教室に入る前にマナーモードにしておけよな」的視線を一斉に送るので、誰も何も言わなくても次の時からは自分で気をつけるようになるようです。かねごん先生のところと御同様、トイレに行くか階段の所に出てかけています。それはそれで良識をわきまえた行為なのでとやかくとがめだてしませんが、頻繁にトイレにメールをチェックをしに行くようでは勉強どころではないでしょうね。

「本来なら人と人が対面して伝えなければならないことを、便利さに便乗して簡単に済ましていないだろうか。人間のコミニケーションを繋ぐ筈の携帯電話が、逆に人間関係を希薄にしているように思う。」 まったく同感です。こうしてメールで感想を送っていながら言うのも変ですが、対面した上での人間関係がやはり基本だと思います。直接的でなくなればなるほど他者に対して残酷になることができるというのは、遥か彼方の攻撃施設から遠距離弾道弾のボタンを押す人間などの例を考えるとわかりやすいかもしれませんね。おそらく痛みの感触や悲惨な光景の想像は、発射ボタンを押す当人には無いだろうと思います。

北野武が『全思考』という本の中で、「メールどころか、面と向かってどれだけ話したって、分かり合えないことがあるのが人間なのだ。生身と生身でぶつかって、とことんやり合って、それでもわからなきゃ諦めればいい。人間なんて、そう簡単にわかり合えるもんじゃないのだ。面倒くさいことを避けてばかりいると、人間は馬鹿になる。脳味噌を発達させるのは、要するに面倒くさいことなのだ。」と書いています。核心を突いていると思います。

*固有名詞を勝手に編集させていただきました。小林先生貴重なコメントありがとうございます。

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2008年11月11日 (火)

公衆電話が消えていく

ケータイを持たない私にとって、困ること。それは公衆電話が街から消えていくことである。自宅から塾まで20キロ弱の道のりであるが、その間公衆電話があるのは5箇所。この数が昨今の状況に於いて多いか少ないかは別にして、緊急の連絡は大変である。

ケータイを持てば良いだけの話しと片付けられては困るのである。このブログで何度も主張してきたことの繰り返しであるが、小学生や中学生にケータイはいらない。実は大人も必要ないと思っている。

ケータイ文化が現代人に与えた衝撃度は計り知れない。便利さの見返りに、品性をなくしてしまった大人が蔓延し、大人の醜い側面だけを見せつけられる青少年達が増えてしまった。

ケータイの普及率とリンクするがごとく、日本人の離婚率はあがり、若年者の妊娠、中絶が増え続けている。親御さんは、自分の子どもが誰と付き合いどんな関係なのか知る良しもない。

塾ではもちろん携帯電話の使用を禁じている。がしかし、「先生トイレに行ってきま~す」と頻繁に教室から出て行くものがいる。何をやっているのかというと、彼女からのメールの確認である。塾でもやっているのだから、自宅での様子は想像に難くない。勉強に集中できる環境は残念ながら構築されない。

私が住む山の中も、いたるところに携帯電話の中継アンテナの塔が建った。ほぼ受信エリアは網羅されたようだ。トラクターに乗りながら携帯電話を使っているおじさんたちの姿も珍しくなくなった。私の隣のおばあさんは畑で携帯電話を使っている。

「便利さの何が悪いのですか」そんな批判が聞こえてきそうである。私もPCのお陰でこうやってブログで自分の考えを全国に発信しているのだが、携帯電話やパソコンの普及により情報がめまぐるしく駆け抜けていく。言わば押し寄せる情報を取捨選択する能力が問われる時代なのだが、情報と言う目に見えない巨大な宗教の洗脳化が始まっているような気がしてならない。

先日筑紫哲也さんが亡くなられた。私が20代の頃、朝日ジャーナルに寄稿されていた筑紫さんの論評は過激だった。朝日ジャーナルがゆえに書けた文章だったような気がする。宗教や天皇制をずばりと切り込んでいく彼の正義感的辛らつな言葉の連続に、わくわくドキドキだった。当時の論評を現在ブログでやったら間違いなく炎上である。

誰でも好きなことが言える時代になった。携帯電話で飛び交う情報の中には、愛のメッセージもあるだろう。他人に対する揶揄もあるだろう。嫌がらせもある。励ましもある。

本来なら人と人が対面して伝えなければならないことを、便利さに便乗して簡単に済ましていないだろうか。人間と人間のコミニケーションを繋ぐ筈の携帯電話が、逆に人間関係を希薄にしているように私は思う。

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2008年11月10日 (月)

真実を伝える勇気

建前と本音を使い分ける器用さを私はあんまりもち得ない男なので、嫌な時は不機嫌になり、嬉しいことにはテンションが上がる。

家庭でも塾でもそんなものだから、周りの人たちには結構気を使わせているようだ。

褒めることと、機嫌をとることを混同してしまっている大人が多すぎるような気がする。私は塾内で、かなり辛らつな言葉を使う。粗野な言葉を鎮圧する時は、学生時代に培ったヤンキー魂が爆発する。

時に保護者の方を叱責することもある。最低限の常識は大事だ。面談のときにガムをかじっている親。いきなり、失礼しますの言葉もなく携帯を使い出す親。私は親御さんにも怒り出す。ある意味常識の欠ける塾教師かも知れない。

核家族化が進み、若い親御さんを教育しなければならない知恵者の存在がいなくなった。中学生の親御さんの年齢が、私が塾で教えた最初の教え子の世代に突入してきた。地方では、高校を終えてすぐ結婚をし、20歳ぐらいで親になるケースが増えている。一方30を過ぎても40を過ぎても縁遠い方々も多い。

子どもと親が友達感覚である。長所もある、しかしもちろん短所もある。ピアスをつけ髪の色が複雑な親御さんの姿も増えてきた。ファッションなのだろうが、親御さんとしての落ち着きが服装からは感じられない。

超ミニのスカートをはいてくる親御さんがかつていた。子どもは中学生である。あきらかに子どもは自分の母親の服装に戸惑っている様子だ。「息子さんはお母さんのセクシーな服装にあまり良い感じは持っていないようですよ」本音を隠しきれない私は、ついつい言わなくともいいことまで言ってしまう。彼は何度目かの塾換えを余儀なくされてしまった。申し訳ないと思っている。

受験指導に於いてもそうである。「このままで先生俺志望校受からないよね、変えた方がいいかな」。

「君が今回答を出しているよ、このままでは受からないって」。頑張ればどうにかなるなどど、オブラートに包んだ言い方を私はしない。合格率を上げるための姑息な説得などもやらない。志望校とは、字を読んでそのごとく、志望する学校だ。入りたい学校を受けずしてどこへ行こうと言うのだろう。

何のために、わざわざお金と多大な労力を使って塾に来ているのかわからなくなってしまう。逃げることはいつでも出来る。逃げて悪いとは言わない。問題は逃げ方だ。

志望校に迷いが出たら、その迷いが、どこから来ているのか考えてみて欲しい。きっと自分が見えてくるはずだ。

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2008年11月 9日 (日)

風聞園にて

080425_093935 先日紅葉が美しくなった、斉藤さんの営む風聞園におじゃましてきた。斉藤さんは私の塾仲間で、深閑とした森の中で幽玄なる喫茶店をやっておられる。

まさに風の音を聴きながら味わうコーヒーと、奥様の手作りの菓子は絶品で、いつ訪れてもその味覚と温かいおもてなしに心が洗われる。

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 心の中に隠れている日本人としての原風景の慕情が、この園に来るといつも刺激され、私はゆったりとした時間に浸れる。懐かしい感情が湧き上がる。

                                                                       今年の夏の初め、友人の学び舎主人である小林先生をおつれしたときに、静謐な佇まいにいたく感動をしておられた。081029_140608

季節ごとに味わえる自然の風景の彩ほど贅沢なものはない。日頃我々が接する音や原色の 街の景色は、あまりにも貪欲で、騒々しく、そして辛らつだ。

風が森の中を駆け抜ける音や、色づいた葉っぱが落ちるざわめき。その透明感の中で暮らす喜びを、斉藤さんはかみしめているかのようである。まったくもって仙人のような風貌に似つかわしい彼のすみかである。

五右衛門風呂と、特注の薪ストーブの話をされている時の斉藤さんは、まるで子どものようである。

私も山暮らしをしているのだが、どうも中途半端でしょうがない。数年前に、風呂は薪から灯油にしてしまったし、せっかくある囲炉裏炬燵を封印し、電気コタツなんぞに入っている。

薪ストーブを台所に置こうと、昨年から考えているのだが、なかなか腰があがらない。風聞園の御主人である斉藤さんから、薪ストーブのノウハウを伝授してもらったので、雪が降る前に何とかしなければと思うかねごんである。

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思い続ける力 

人生において何をもって成功と見るのかは、人それぞれであると思うが、自分が理想とする人間になることが、幸福の一つであり、成功の一つでないかと私は思っている。

お金持ちになり、庭のある素敵な家に住みたいとか、会社を作って成功し豊かな生活を送りたいとか、愛する人と結婚をし、子どもに恵まれ、幸せな家庭を築きたいとか、いろんな幸せ探しがあるだろうと思う。

私は小学校の卒業文集に、将来の夢と題して、音楽家になりたいと書いた。ピアノも弾けず譜面も読めない私は、小学校の学芸会と言えばいつもカスタネットやタンバリンだった。それでも音楽が好きな私は、ずっと音楽家になることを思い続けていた。

中学の一年の時に買った、1万円のヤマハのフォークギターとの出逢いが夢を紡ぐ一歩だった。それ以来この年になるまで、ギターを爪弾いてきた。こうやって塾教師をやっている私は、もちろん小さい頃の夢をかなえることは出来なかったが、年に何度かどこかしこでミニライブをやらせていただいている。幸せものだと思っている。

このブログで何度も何度も書いてきたが、思いは現実を創造する。塾生にも毎年毎年言い続けてきたことだ。思いなきところに夢の実現はあり得ない。自分の夢や願望を思い続けるエネルギーこそが、幸福な人生を歩み続ける魔法の杖であると思っている。そしてその魔法の杖を手に入れる手助けとなるのが、学校や家庭や塾における教育だと思う。

自分が何になりたいのか、どこへ向かいたいのか、何をしたいのか、それを模索し、道を選び、前進していくことを子ども達に勇気づけ、後押ししていくことが教育の現場の使命だと私は思っている。

テストの点数をアップさせ、学年順位をアップさせ、志望校に合格させることが最終目標ならば、塾の先生という仕事はあまりにも寂しい職業だ。小学生や中学生に受験教科を教えるだけならば、進学校に通う高校生や、地元の大学生で十分事足りるのである。その後にやって来る長い長い人生の旅立への指針をそっと与え、生きて行く勇気と期待を子ども達に持たせてこそ、我々は先生と呼ばれる存在でありえるのではないだろうか。

子ども達は生きるためにこの世に生まれてきた。生きるとは、自分の思いをこの世に映し出すことだと私は思っている。悲しみよりは、喜びが良いにきまっている。泣き顔よりは、笑顔が良いにきまっている。しかしそれらの自然な感情の発露さえも、困難に感じられる若者が増えている。

人は何気ない日常に襲いかかってくる不安や恐れにたじろぐことがある。しかしそういった負の感情さえも、自分の思いが引き寄せているのだとしたらどうだろうか。思いは現実を創造する。

自分を大切な存在に思うこと。君達の豊かさを拒絶するものは何もない。君が君を否定しない限り、君は君の道を歩めるのだ。

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2008年11月 8日 (土)

命の大切さ

080425_093935  我が家のマドンナ、キラです。ブログ四度目の登場です。

昨年の12月に我が家に引っ越してきた、自称野良猫である。隣人の若夫婦に飼われていたのだが、赤ちゃんが生まれ、構われなくなったのか、その詳しい実状はわからないが、我が家に住みつき帰らなくなった。

夜は私の母の部屋で眠ったり、息子達の部屋で眠ったり、結構気を遣って家の中を放浪して歩いている。家族の中で一番可愛がられている存在だ。時に私よりもいいものをもらってちゃっかり食べている。

今年の春先に、体調を崩し、動物病院に三日ほど入院した。キラが無事帰ってきたときには本当に家族全員が大喜びであった。

ペットは実に多くのことを学ばせてくれる。自分の存在を家族に託すそのけなげさと、動物ゆえの意思疎通の難しさが、逆に絆を強くしているような気がする。

猫にしても犬にしても、命あるもの宿命で、いずれこの世から去っていく。私も子どもの頃、悲しい別れを何度か経験したが、本当に辛い別れだった。一緒に遊んだ思い出や、布団にくるまって寝たぬくもりなどを思い出しては、涙に暮れた日々を思い出す。

愛するものがいなくなってしまう現実が嫌だといって、ペットを飼うのをためらう方も多い。しかし、子どもの情操教育において、動物を飼う経験はとても大きな学びになっているように思う。

引きこもりがちの子どもが、ペットに癒され、外に出れるようになったという話を聞くことも多い。アトピーの子が、猫を飼うことで回復に向かったと言う話もある。猫や犬などのペット達には、医学では証明できない、何か不思議な力があるのかもしれない。

ニャ~オンの一声で、餌をもらったり、ドアを開けさせたり、水をもらったり、猫には敵わないかねごんであった。

(連絡)

明日の日曜日の白ゆりテストは、朝8時30分に始まります。受講者は遅れませんように。また午後1時30分頃の終了になりますので、軽食等を持ってきてください。

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変貌する街

10年、20年と月日が過ぎれば、おのずと街の景色も変わり、移り住む人たちによって街の風景がいろどられていく。

私が住む一関の街は、仙台と盛岡のちょうど中間に位置し、地方の中核として古くから栄えてきた街である。隣町には藤原三代の栄華を歴史に刻んだ古都平泉がある。一関は日本で初めて出版された国語辞典『言海』の執筆者である、大槻文彦の生誕の地でもある。

かつてのブログでも紹介したが、わが街はとても音楽が盛んなところである。本年度、一関市立桜町中学校は、全国合唱コンクールで見事金賞に輝いた。市内の各中学校、高校の合唱のレベルは非常に高く、毎年すばらしい歌声を聞かせてくれる。

フォークソングのオールドファンならば皆さんご存知だと思うが、『夕暮れ時はさびしそう』の大ヒットで有名なN.S・Pは地元一関高専の出身である。ちなみに作詞、作曲者の故天野滋さんは、一関中学校の卒業生である。

日本一の音を誇るジャズ喫茶『ベーシー』も私の塾のお隣さんである。多くのジャズ好きの文壇の方々や芸能界の方々がジャズを求めて一関を訪れる。

来年度一関一高付属中学校が開校する。岩手県で初の中高一貫校である。中学入試が始まる。子ども達の風景も変わっていくのだろうか。

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2008年11月 7日 (金)

読書事情

中学生や高校生の活字離れは今に始まったことではなく、我々の時代から、そのことは懸念され警鐘が打ち鳴らされ続けてきた。

読書体験の大切さはいつの時代も言われ続け、本を読むことが人間の成長に多大な影響を与えることが主張され続けてきた。

「国語の力をつけるにはどうしたらよいでしょうか」。毎年聞かれる定番の質問である。本を読むこと、そしてよく考えること、それがいつもの私の回答である。何か特別な秘策があるはずもない。思考力を鍛えるのは、日常生活の思考習慣である。自分が持った疑問点に立ち向かうか、無視するか、その違いが将来に大きな差をもたらすような気がする。

本を読む目的はそれぞれであると思う。入試のため、仕事のため、感性を磨くため、そして暇つぶしにと、本を読む方の意図はさまざまである。幾つになっても本を読むことで多くの発見がある。社会が存在し続ける限り、さまざまな出来事が生じ、さまざまな問題が起こり、さまざまな人達が文を書いていく。もちろんこのブログの世界も同様である。

本に書かれている内容が、自分の意見を代弁しているようなことである場合、「君もそうか、俺と同じことを考えているんだな~」と時代や空間を超えて、会ったことも見たこともないその筆者に共鳴し、うなずいたりしている自分がいる。自分の物の考え方が正しいとか正しくないとかの問題でなく、似たような感性の人間がこの世に存在することの安心感を、読書は与えてくれているような気がする。

職業柄ちょっとは本を読んできた日常だったような気がする。ブログを書くようになってからは本を読む量が極端に減ってしまったが、それ以前は農作業と卓球と塾の仕事と、酒を飲んでいる以外は、本を読むことが自分の仕事ではないかと思うくらい本ばかり読んでいた。

市内にブックオフなどの古本の量販店ができる以前は、年間本代に40万円ほど費やしていた。病気である・・・・・・。

現在は家内の本代が凄まじい。メールを開くたびに、本の発注の確認メールが入っている。それが古本と言えども専門の教育書ゆえ高い。現在私が百円コーナーの古本しか買えない理由が、実はここにある。

長男は理系の人間と言うわけではないだろうが、小説のたぐいは一切読まない。小学校の時に、ハリーポッタを読んでいた姿を見て以来、10年ほどになるが、本を読んでいる姿を見たことがない。次男は本好きである。頼むからその本を読む時間の10パーセントでもいいから教科書の勉強にまわしてもらいたいと思うのだが、今のところ叶わぬ夢である。

きっと現在の読書体験が生かされる日々がやって来るのだろうが、学校の成績は(;´д` ) トホホである。自分の中学校時代を振り返ると、息子に偉そうなことも言えず、悟りの境地で傍観をしている。まさに忍耐である。なかなかよそ様の子どもを指導するようにはいかない・・・・(;´д` ) トホホ。

(追伸)

秋の夜長、皆さんはどんな本を読まれているでしょうか。ちなみに今日私が読んでいる本は、井沢元彦『神霊の国日本』という本です。なぜ出雲大社と宇佐神宮だけが礼拝の際に拍手を4回打つのか皆さん知っていますか?そんなことが書かれています。

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2008年11月 6日 (木)

胃と肝臓の存在感

農家のお年寄りの方々は実に良く働く。70歳を過ぎても80歳を過ぎても、田んぼや畑に毎日出かけ、仕事をしている。その体力たるや本当に尊敬に値する。

塾を生業としているゆえの、私の片手間の百姓仕事などは、お年寄り達の芸術的耕作技術から見れば、幼児のお遊びのようなもので、恥ずかしい限りである。

かと言って本業の塾教師としての指導技術はどうかと言うと、何年やってもこれぞ真髄という境地にもなれず、日々問題集と赤ペンを握りしめ、試行錯誤の毎日である。毎年通ってくる子ども達の進歩上達が、言ってみれば塾の評価であり、わが身の評価と言うことになるのだが、いつも100パーセントの結果が出せないがゆえに、何十年も続けてこれたのかも知れない。

毎年入試が近づくと、胃の存在感と肝臓の存在感がよ~く分かるようになる。チクチクと痛みがやってくると、あ~今年もいよいよ追い込みの季節だな~と実感する。

今年は7年ぶりに大学受験生がいない一年だった。高校三年生の受験指導がない分、ストレスがだいぶ軽減された今年の受験である。たまにはこんな年もいいのかもしれない。その代わりと言ってはなんだが、ブログの記事には言いたいことが書けた一年だった気がする。

それが証拠に昨年などは、ちょっとゆるんだ文章を書いていると、我が社長(家内)に、「切れ味がないのよね~」と辛らつなお言葉を頂いたのであるが、今年はそんなお言葉もそれほど頂くこともなく、更新を続けてこれたので、きっとまあまあなんだろうと、勝手に自己満足に浸っているかねごんである。

そんな私の自己満足のブログを読んでもらっている卒塾生が、進路が決まったという嬉しい報告に、先日の月曜日塾に立ち寄ってくれた。中三の時に通ってくれたSさんとUさんだ。

Sさんは36倍という狭き難関を乗り越え、地元団体職員の就職内定を勝ち取った。市外の県立学校に入学したのだが、通学のため毎日4時半起きの生活だったと言う。3年間無遅刻無欠席だったと聞き、本当に敬服してしまった。本人の努力もさることながら、毎朝娘さんを送り出すお母さんの苦労も並大抵のものではなかったはずである。

「母には心から感謝しております」というSさんの言葉に、思わずうるっときてしまった私である。

Uさんは、AO入試で仙台の大学に決まった。将来養護の先生を目指すのだと、早くも目標をしっかり定め、大学生活を送ろうとしている。我が教え子ながら、あっぱれである。ご両親とも市内で先生をやられておるのだが、しっかりと育てられた素敵なお嬢さんだ。

まだまだ進路決定に向けて多くの卒塾生が頑張っていることと思う、相談や悩み事があればいつでも古巣を訪れて欲しい。待っているよ。

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2008年11月 5日 (水)

落ちた偶像

小室哲也逮捕の速報がウエーブ上を駆け抜けた昨日、私はさまざまな感慨に耽っていた。

私と同年代であり、大学は違うのだが、私も音楽をかじっていた輩ゆえ、早稲田時代からの彼の存在は知っていた。彼を初めて知ったのは、角松敏生のバックバンドをしていた頃だった。

東京都内の大学フェスで、彼のバンドは好評だった。音楽仲間を介して彼の噂を何度か聞いたことがある。私はと言えば、大学を出た後、塾教師や家庭教師で食いつなぎ、狭いアパートで曲作りにいそしんでいたのであるが、多くの夢追い人がそうであるように、音楽の道は残念ながら夢で終わってしまった。

4202 今日はブログ更新記事400回記念として、大胆にも私の若き頃のライブの写真を貼り付けてしまった。左の写真がそうである。大学時代、最後のソロライブの写真である。この後とある音楽コンテストで、日本のヘビィメタ評論家の第一人者であり、ジャニーの全作品に日本語版の解説を執筆している和田誠氏から、私の作った曲にありがたき酷評を頂き、けちょんけちょんになった私は、自信を喪失していくことになるのであるが、それが今思うと塾教師への転換期だったように思う。写真の中のK・Yairiのギターは、30年近くの歳月をへて、塾の教室に鎮座し、いまだに私のブルースに付き合ってもらっている。

多くの音楽を世に送り出した、小室哲也の才能は非凡なものだった。時代の寵児ともてはやされ、華やぎと栄光の中を走り続けてきた人間だった。

彼が5億円の詐欺行為をはたらくまでになってしまった過程は、新聞各紙の報道で読ませてもらったが、利権に絡んだ多くの人間の欲望の中で、彼の芸術家としての感性がいつの日かゆがめられ、愛欲や権力欲にまみれていってしまったのであろう。

ある意味小室も被害者だったのかも知れない。裸の王様だったような気がする。

人生に置いてチャンスは皆平等に訪れる、同じように悪魔の誘いも平等に訪れる。自分を見失った時、天使と悪魔の見分けがつかなくなるのが人間のようだ。彼の人生から学ぶべきことは多い。

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2008年11月 4日 (火)

そりゃないだろう

本日教育ブログのCMサイトを見ていて驚いたと言うか、呆れてしまった。とうとう冬期講習までもが受講料無料の塾が出てきてしまった。受験学年以外、教材費のみの冬期講習ということだが、近隣の良識ある個人塾はたまったものではない。

経営者サイドの判断であると思うが、講師サイドから反対意見が出なかったのだろうか。自分の授業に対して、受講者が一円も支払わない状況で、果たして心の通った授業が展開されるのだろうか。

これは推測でしかないのだけれど、一応私も塾の経営者サイドの人間なので言わしてもらうが、無料の冬期講習生を内部生にした先生に対して(支店の塾長や校長も含めてであるが)何がしかの報償を準備するなどして、先生方を鼓舞するのだろうけれど、朝三暮四さながらの塾経営末期状況である。

今後地域に根ざした塾の存続を考えるならば、やってはいけない戦略である。

指導の特色や、合格実績で堂々と勝負するならまだしも、「ただですよ、みんな集まれ!」的な生徒集めは、度を過ぎている。

もしそのような講座に生徒が仮に多く集まるとしたら、塾そのものが塾を崩壊させていく愚かさを地で行くようなものだ。

塾生は親が働いて稼いだ貴重なお金で、塾に通わせてもらっている。その感謝も勉強の大きな原動力なのである。そのことすらも分からない塾経営者の存在に、私は怒りを通り過ぎて、そりゃないだろう的ガッカリ感である。

弱肉強食の競争社会は私は過去のものだと思っている。共存共栄の発想無き企業は遅かれ早かれ淘汰されていく時代だ。20年近く塾という経営を通じて、ちょっと大げさかも知れないが私が学ぶことが出来た経営哲学である。

(追伸)

我が塾の冬期講習のご案内はまだ出来ていませんが、もちろん無料ではありません。あしからず。

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息子からの贈り物

昨年の夏、息子から一枚のCDをプレゼントされた。マイルス・デイビスの『マイルズ・スマイルズ』である。CDジャケットの解説を読まずとも、びんびんとニューヨークの秋の風景が心の中の心象に忍び込んでくる作品だ。

アルバムの二曲目に収納されている『サークル』は、この季節最高の一品だ。マイルスの物憂げなトランペットに、ハービーハンコックの優しいピアノが寄り添ってくる。そしてロン・カーターのつつましいベースがまたいい。

我が息子が何を基準に買ってきたのかは定かではないが、ラップばかりを聴いている我が息子にしては、偶然にしろ、すばらしいチョイスだ。1966年10月24日、ニューヨークスタジオでの録音であるが、マイルスがマイルスとしての輝きを一番放っていた頃の作品の一つだと私は思っている。

この作品以降、マイルスはモードと呼ばれるジャズの手法を斬新にも崩していき、ハーモニーからの開放を試みていくのだが、ぎりぎりのところでロマンチックな感性を保とうとするマイルスの切なさが、このアルバムには感じられる。

長い人生の中で人は模索をする。一見華やいで見える成功の陰で、「こんなはずじゃなかったと」ジレンマに似た感情がわいてくる時期が誰しもある。マイリスの70年代がそうだった。既成のメロディーや、リズムセクションを解体することで、時代に迎合しようとする彼の苦悩が始まった時代だ。

今でこそ1950年代から60年代にかけてのジャズは、バラードやモード奏法の珠玉の名作の宝庫として、中年のオールドファンならず多くの音楽ファンの絶賛を浴びているが、当時のジャズミュージシャン達は、音楽界を圧巻し始めたロックミュージックの台頭に、自分達の存在を危惧していたのかも知れない。

何気なくつけたラジオから流れてくるジャズでも、ふと入った喫茶店から流れてくる曲でも、マイルスのトランペットは一発で分かる。それだけ彼独特のミュートしたラッパの音は独創的だ。時によって真夜中の孤独であったり、朝の摩天楼の悲しみであったり、恋の予感だったり、マイリスの奏でるラッパは実に感情が多彩であり、心が揺さぶられる。

大人なの秋を満喫できる曲として、マイルス・デイビスの『マイルズ・スマイルズ』はおすすめのアルバムです。聞いてみて下さい。

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2008年11月 3日 (月)

大麻事件

由々しき大麻の吸引事件が、慶応や同志社、法政大学などの有名大学で発覚し、大きな社会問題となっている。

実は私の大学での卒業論文が「麻薬の社会病理と文学の接点」についてしたためたものだった。ゆえに全国の塾教師の中でも大麻や麻薬についてはちょっと詳しい。

イギリスの産業革命時代、ロンドンにおける大気汚染は大変なものだった、工場から吐き出される黒煙は、快晴の日でもロンドンの空を黒く覆っていた。当時売れっ子の作家達は、例外なく目をやられた。目薬を処方されるのであるが、この目薬の成分の中にアヘンが使われていたのである。

目薬を差した方は誰でも経験があるかと思うが、目からあふれた目薬が口に入ってしまうことはよくあることである。目薬が引き金になり、アヘン中毒になってしまった当時の作家や詩人は多くいる。彼らの名誉のためにここで名前は記さないが、幻覚症状で書いたであろう作品は多い。神の啓示とか何とか戯言を言っている作家も多いのだが、どこかのロックシンガーと同じく、単なる麻薬幻覚症状である。

教養ある大学生が、なぜ大麻をと思われる方が多いかもしれないが、実は知識がある大学生ゆえに今回の事件は根が深い。今の大学生諸君は実は大麻の毒性が、タバコほどでないことを知ってしまっている。薬学的な分析によると、タバコの身体に及ぼす危険性の方がはるかに高いのである。本当に由々しき問題である。

麻薬の幻覚作用がエスカレートすれば、身体を蝕み、廃人になってしまう覚せい剤への移行が、たやすく想像される。その重大性に気づいていない若者もいる。

かつて『神との対話』という本が世界でベストセラーになったことがある。私も読んだことがあるが、非常にポップな神様が登場してくるスピリチャルな本だ。その本の中に、大麻が非常に生産性がある植物で、資源としてパルプ材に役に立つというような表記が出てくるのであるが、これも読み手の受け取り方しだいでは、大麻賞賛の表現になりかねないもので、気になっていたところではある。

繰り返すが、例え直接身体に害がないものでも、幻覚を伴うものは、間違いなく精神性を蝕んでいく。幻覚作用に耽溺する人間の感性なり精神性が高いはずがない。

酒もタバコもそうである、かつて友人の学び舎主人の小林先生が、私の記事のコメントにしたためていただいたが、まさに緩慢な自殺行為である。

命は大切にしなければならない。

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2008年11月 2日 (日)

赤塚不二夫・これでいいのだ

私は赤塚不二夫のギャグ漫画で育った世代だ。『ニャロメ』や『おそ松くん』の漫画に、子どもながらブラックな大人の世界を垣間見たような気がする。スポコン漫画の『巨人の星』や、『アタックナンバーワン』も好きだったが、やはり赤塚ワールドが、私の漫画原風景である。

なんと言っても『天才バカボン』はノスタルジックに私の少年時代を思い出させてくれる。はじめちゃんやバカボンパパのキャラは最高だった。毎年この時期、中三の理科は天体に入るのであるが、日の出や日の入りの問題を見るたびにあの有名な主題歌「♪西からのぼったお日様が東に~沈む♪」が、なぜかわけもなく頭の中で響き渡る。

この主題歌のお陰で、地球の自転が逆転してしまった中学生諸君も多かったのではないだろうか(・・・笑い)。

何ゆえに今日はこんな話題かというと、我が塾の電話の呼び出し音が、バカボンパパの音声キャラになってしまったのだ。電話が来ると、「これでいいのだ」の音声キャラで「電話なのだ」という声が塾内に響き渡る。初めて聞く生徒は爆笑である。

当初我が社長の大反対にあい、電話につないだバカボンパパ人形が即撤去されたのであるが、受験生の疲れをバカボンパパのキャラ電話で癒すのも悪くないということで、一週間前から呼び出し音が「電話なのだ」になった。

携帯電話を持たない私にとって、着信音がどうのこうのという話題は一切ないわけであるが、いきなり塾の電話の着信音が「電話なのだ」に変わったことで、塾生は戸惑うやら呆れるやら、かねごんワールドに苦笑いである。

しかしこれもよ~く考えると良し悪しで、保護者の方と真剣な進路相談をしている時など、「電話なのだ」が流れてはまずい訳で、保護者の方がおられる時はコネクターをはずしておこうと思うかねごんであった。

赤塚不二夫さんは今年8月2日、72年の生涯を閉じました。ここにもこうやって彼の漫画のギャグに影響され、教室でどうでもいいようなギャグを連発する男がいる。その名はかねごんである。

赤塚不二夫さんの公式ページです    http://www.koredeiinoda.net/profile.html

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ブログが縁で・・・

私がブログを書いていなければ出会わなかっただろう人たちがいる。営業マンの方だったり、ご父兄だったり、そして塾生のみんなだったり・・・・。

夜電話が鳴る。「かねごん先生のブログを見てぜひお話しをしたくて・・・・」時に教材屋さんだったり、同業者さんだったり、テレビ局だったり、学校の先生だったりするわけだけれども、自分の書いた文章が一人歩きする不思議さと、戸惑いが実は同居してやってくることがある。

私のブログがとある中学校で話題になったり、生徒間での、何がしかの教育情報として利用されることは光栄なことであるけれども、そもそも塾ブログを立ち上げた動機はいたってシンプルなことであった。自分の言いたいことを書きたい、そのことに尽きる。

私にブログを書くことを勧めたのは私の妻であるが、始めるにあたってお手本にさせていただいたのは、日本語教師奥村先生のブログである。今年の春まで長年にわたり学習塾を営まれてきた先生である。現在は富山国際学院の理事をされているが、長年個人塾で子ども達を指導してきた感性と、外国人の方々に日本語を指導する国際感覚がさりげなく文章に表れ、なおかつブログを楽しまれている雰囲気が、更新するたびにブログににじみ出ていて、このようなブログをつづる日々もいいなと、そんなことを実感させられる先生のブログだった。

私がブログを始める前は年賀状だけのお互いの近況報告であったが、最近はブログを通じて、先生が何を食べて、どんな本を読み、どんな音楽を聞いているかが手に取るように分かるわけで、楽しいかなブログの世界である。

そして私が、この塾ブログの針路を難破せずにどうにか舵取りを続けてこれたのは(かってに自分がそう思っているだけだけれど・・)、塾ブログのご意見番、とよ爺先生のブログのおかげだと思っている。自分の塾教師としての思いや、失敗、成功、そして憤り、そういった感情の堆積を、ブログで吐露する勇気と根性を先生のブログから与えてもらったと思っている。

さすがにとよ爺先生のように一日に四つの更新とはいかないけれど、どうにか自分の思いを一日一回書き連ねてきた。本当にどうにかやっとである。

塾教師というものは孤独な商売である。特に個人塾であればなお更である。塾生や保護者の皆さんに自分の知識を披露していくだけの日々は、間違いなく自分の知識と感性が磨耗して疲労していくものだ。それをブログを書く行為が救済してくれている気がする。自分の考えや問題提起が不特定多数の方々にさらされることにより、自分の思考がなんとかよどむことなく、機能している気がする。

ブログを書いていると本当にさまざまなご意見を頂く。自分の思いが、文章の拙さでうまく伝わらなかった日などは、落ち込む時もしばしばであるが、音信が遠ざかっていた方から、ブログが縁で便りを頂いた時などは、本当に嬉しい限りである。日々一喜一憂、これが私のブログである。

今週で四百回目のブログの更新がやってくるが、やっぱりブログはやめられない。

(追伸)

本日ご紹介させていただいた先生方のブログです。私の日常を変えたブログです。ぜひのぞいてみて下さい。

日本語教師・奥村隆信ひとり語り http://tiaokumura.exblog.jp/d2008-10-31

とよ爺のつぶやきhttp://toyojie.jugem.jp/

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2008年11月 1日 (土)

個人塾の高齢化

現在私の名刺には校長という肩書きがついている。塾なので代表でも塾長でもなんでも構わないのだけれど、あることがきっかけで5年前より校長になった。(その詳細は過去のブログ『校長になったの?』http://daiken.cocolog-nifty.com/blog/2007/11/post_c46c.htmlで紹介しております。興味のある方はどうぞ)

しかし最近この肩書きもぴんとこなくなった。わたしかねごんに馴染まないのである。塾を始めた頃は宰主と名刺に記していた。その後、代表、塾長、そして校長と変遷をたどってきた。しかし私かねごんの中身は、当たり前のことであるが変わらないのである。

塾の名前が大手っぽいので、フランチャイズの塾と思われることもしばしばであるが、日本にただ一つの塾である。19年間で世に送り出した生徒はどうにか400名ちょと。北は北海道旭川から南は広島まで、毎年さまざまな地域の教え子達から年賀状を頂く。

卒塾生の職業も実にさまざまだ。ホテルマン、学校の先生、ドクター、看護士、ジャーナリスト、整体師、コピーライター、フリーター等々、教え子達から実に多くのことを学ばせてもらっている。私の仕事を見てしんどいと思ったのか、塾教師を生業としている教え子はまだいない。

塾の第一期生は今年三十六歳を迎えている。もちろんお父さんお母さんになっている者が多い。我が塾の『風と虹の教室』には、二世が登場している。嬉しい限りである。

私がブログでお付き合いいただいている先生に、山口県のMr.Honda先生や福岡の寺子屋の鳥羽先生がいるが、若い感性がバリバリに輝きを放ち、将来の塾業界を引っぱっていく若きエースたちである。私のようなお年寄りにはとても刺激的で、いつも両氏の先生方にはブログを通じて、多くを学ばせてもらっている。

ところが残念ながら、わが町の周辺を見回してみると、個人塾の先生方の高齢化が急激に進んでいる。市内でも七十五歳の先生を筆頭に、五十代~六十代の先生方が目白押しである。そして私ももうすぐその仲間入りである。

もちろんフランチャイズの大手塾には、ナイスバディの乙女先生や、イケメンの若き講師の先生方が多くいらっしゃるようだが、個人塾は、おじさんおばさんのオンパレードである(・・笑い)。しかしだからと言って、ブログをお読み頂いている皆さん、このお年より達を甘く見てはいけない。

塾業界百戦錬磨のつわものである。入試面接は見た目が大事だが、このお年より達を見た目で判断していると、とんでもないことになる。中年塾教師連盟を代表して言わせてもらうが、長年の指導の経験は、派手さこそないが、おまけに私のように髪の毛もさほどないが、合格請負人としての凄みと切れ味は健在である。

名刺など持たず、「や~私など片田舎の寺子屋のジジイですから」などと言っている、単なる見た目的にはさえない爺様が、とんでもない語学研究者だったり、数学者であったりするわけで、私など校長という名刺を持って、へらへらなどしている場合いではないと思うこの頃である。・・・・・本当に。

(追伸)

本日ご紹介させていただいた先生方のブログです。ぜひ訪問してみてください。

Mr.Honda先生http://mrhonda.jugem.jp/

寺子屋ブログ鳥羽先生http://terakoyant.exblog.jp/8844011/

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