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私が学んだこと

自分の昔話で恐縮であるが、かつて公立高校の受験を失敗して私立高校に籍を置き、隠れ浪人をしていたことがある。昭和40年代の昔々の話である。

中学校時代は、部活と音楽に明け暮れていた青春時代だった。学校は嫌いじゃなかったが、勉強は好きではなかった。今風に言えばヤンキー的存在に近かった気がする。反抗精神丸出しの、自分で言うのもなんだが、おおばか野郎だった。

中学二年生の三学期に、学校の色弱検査に引っかかった。今でもそうだが、空の曇り加減によっては黒ペンと赤ペンの色の区別がつかない。教室でも赤ペンで丸付けをしているつもりが、黒ペンで丸付けをしている時がある。

工業系の学校を受験できないことを知ってから、やけのやんぱちになり、「普通高校などどこでもいいや」などとうそぶいて、受験生らしい勉強をしなかった(まったくの言い訳でしかないが・・)。公立高校第一志望校は見事不合格、家庭の事情で私立高校を受験していなかったが、二次募集で何とか救ってもらった。

私が入った高校は、一昨日から話題になっている神奈川県の神田高校どころではなかった。荒れ方は本当にひどかった。今でこそ全国的にも有名な高校になったが、当時は学校経営が困窮しており、校内に学校経営サイドと先生方の罵声が飛び交うこともしばしば、授業するはずの先生は、小説本や新聞を片手にやってきて、「今日も自習だ、給料が出ないのにやってられるか」などと言う始末で、私が入った頃は大変な時期だった。

お陰でこちらは隠れ浪人だったので、かってに勉強が出来て助かったのであるが、今思うと、教育の場として機能していなかったし、まったく高校の教科書が進まない状態が日常化すると、だれもがばんの中に教科書など持ってこなくなってしまっており、凄まじかった。

今思うに私がこうやって塾教師を始め、四分の一世紀も塾教師を続けてこれたのは自分が入った高校のお陰だと実は感謝している。高校名を言っただけで「なんだ~」という態度をしょっちゅうとられたことや、進学校に通う当時の同級生から哀れみと言うか、気の毒的な視線を浴びたことで、ちょっと大げさかも知れないが、世の中の縮図みたいなものを十五歳にして垣間見たような気がした。

そしてその十五歳の時に得た感性みたいなものが、現在多くの塾生が私に共感してくれる何かじゃないかと思っている。

二度、退学届けを提出したが、担任の猛烈な説得にあい、こんなおもろい学校で青春を過ごすのもいいかな~と思ったのかどうかは、遠い過去のことで忘れてしまったが、結局三年間在籍し無事(?)卒業してしまった。

毎年、「かねごん先生はよく全教科指導が出来ますね」と褒められるが(・・・笑い)、実は一年間私立高校で死に物狂いで高校の受験勉強をしたことが今に生かされているのである。万事塞翁が馬と言うところだろうか・・・・。

差別無き社会が理想であることは言うまでもないが、自分の弱さを隠すためや、また自分の社会的ポジションを守るためとか、地位を確立したいとか、そういった目線の先に、弱者を作ってしまう力が働いてしまうのだろう。

精神的加害者が被害者になったり犠牲者になってしまうことが、人生に置いてしばしばある。学歴や経済力で人を蔑(さげす)むことはやめた方がいい。私は、私の人生でこのことを深く学んだ。

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