生きてるって何だろう
今日は、この秋初めて教室に暖房が入りました。一雨ごとに寒さが増しています。一関市内を流れる磐井川には、カップルの白鳥が早くも舞い降りています。秋が深まり、一日一日冬が近づいています。つい先日まで扇風機が回っていた日々が嘘のようです。
田んぼの稲刈りも急ピッチで進んでいます。週末には、田んぼの農作業を手伝う子ども達の姿を見ることが出来ます。ほのぼのとしていいですね。
我が家では、今日コタツが茶の間に置かれました。さっそくメス猫のキラがコタツでお昼寝です。実は私もこたつ寝が大好きです。昼ごはんを食べた後の、20分ほどの昼寝が至福の時間です。昼寝が出来なかった時は、塾の仕事も今ひとつパワーが出ません。昼寝は私のエネルギーのみなもとです。
ところで我が家でも、あと2週間もすると新米が食べられます。ほとんど農薬を使わず、山から流れてくる水を利用したお米はとてもおいしいです。金銭面を考えると割りにあわない米作りですが、食の安全という面では棄てがたいものがあります。体力がある限り続けようかと思っています。
食と言えば、やはり最近腹立たしいというか呆れたというか、中国産の食品のずさんさには開いた口がふさがらない感じです。お金になれば何を使ってもいい、健康被害なんか関係ないという姿勢がまるだしで、中国人の倫理観を疑いたくなります。
知識不足で知らないで使ったというのならまだしも、故意にやっている現状は本当に許しがたいです。日中戦争での日本人に対する積年を恨みを、まさか食品テロの形で報復しようとしているのではないでしょうが、私は食を無碍にする国は、食に滅びると思います。
人間の命の源は食にあることは言うまでもありません。その食を軽んじるどころか、命を奪ってしまう添加物を平気で使う国が、今後栄えていくとは思いません。その点では、日本国内における事故米の食用転用事件も許しがたいものがあります。お金になれば何でもOKという企業人の考えがいまだにあるとすれば、日本の経済も明るい兆しが見えてこないと思います。
大分の不正教員採用事件もしかり、二度にわたる責任投げ出しの首相退陣劇もしかり、自分の社会的地位を、何かの魔法の杖でもあるかのように勘違いしている権力者の皆さんが多くいらっしゃる。汗水たらしてがんばることを放棄してしまったトップに、何の魔法も生まれないのに。
このようなブログで彼らを批判してもしょうがないのは分かっているのですが、ついつい言いたくなりますね。
先日息子達と久しぶりにゴールデンタイムにテレビを見ました。『笑う犬の冒険』のリメイクの特番をやっていたのですが、あの懐かしいフレーズ「生きてるって何、生きてるってなんだろ」を久しぶりに耳にしました。息子達と笑いながら、心の奥底で「生きるって何だろう」と、現実社会の理解しがたい理不尽さや虚無的な現象に、フレーズがリフレインしていた私でした。
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