最近のトラックバック

« ジョンコルトレーン・教育ブログ界の輪廻転生 | トップページ | 秋の風景 »

2008年9月24日 (水)

ボランティアという名の傲慢

様々な組合や、スポーツの指導など、実に多くの団体組織がボランティアの方々の尽力で成り立っている。一方近年、俗に言う強制ボランティアとでも言うべき奉仕活動が増加している。

授業の一環としての生徒達の支援活動ならまだしも、放課後や休日にボランティア活動を奨励し、それを進路のさいの活動評価に記載するという構造は、どうも個人的になじめない。

果たしてそれはボランティア活動と言えるのだろうか。何か大切なものを冒涜していないだろうか。

無償で人のために何かをやる打算のない純粋な行為、それさえも進路や就職に利用する人達が増えている現在、ボランティアという言葉そのものの定義を変えなければならない時期にきているのではないだろうか。

人に施しを与えれば、施しが2倍にも3倍にもなって返って来る、それだけの単純な哲学が、打算という2文字で崩壊してしまう。悲しい気がする。

子育てにおいて、無償の愛と全エネルギーを子どもに注げるのは何故だろうと、考えながら子育てをする親御さんがいるだろうか。老後面倒を見てもらうためとか、自慢できる子どもにするためとか、一生懸命子育てをしている時は、そんなことは考えてないはずである。

ボランティアも同じで、一生懸命他人のために頑張っている時は、自分の命だとか自分の危機などを考えない。だから海外青年協力隊や赤十字の派遣に飛び込んでいけるのだと思う。いやそうに違いない。

やって当然の親切な行為や、人間として当たり前の奉仕活動を、「ボランティアを私はやっています」と公言することは、傲慢以外のなにものでもないと考えている。

入試の面接や作文で「ボランティア活動で培ってきた○○によって」などと言うフレーズを、生徒諸君に軽々しく使って欲しくない。命がけで海外や国内で生活の保証もなく頑張っている真のボランティアの方々に対して失礼である。

そこは、「私が体験した小さな親切」くらいの表現でいいのではないだろうか。またまた塾生には頑固爺と思われるかも知れないが、人間やっぱり謙虚さが必要だと思う。

にほんブログ村 教育ブログ 塾・予備校教育へ塾・予備校ブログランキングに参加しています。よろしかったらクリックをお願いいたします

« ジョンコルトレーン・教育ブログ界の輪廻転生 | トップページ | 秋の風景 »

言葉」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: ボランティアという名の傲慢:

« ジョンコルトレーン・教育ブログ界の輪廻転生 | トップページ | 秋の風景 »

2020年6月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30        
フォト
無料ブログはココログ