ジョンコルトレーン・教育ブログ界の輪廻転生
先日「ジャズは楽しい」という記事を書いたところ、ブログでお付き合いしていただいているとよ爺先生がコルトレーンの『至上の愛』についての記事を二度にわたり寄稿してくれたhttp://toyojie.jugem.jp/。親友の個別指導学び舎の小林先生が、ブログで一関のジャズ喫茶ベーシーを取り上げたのを縁にhttp://k-manabiya.cocolog-nifty.com/blog/、それを私が取り上げ、その記事をとよ爺先生がコルトレーンに対する思いとして取り上げ、りんご先生が、りんごアンテナ日記http://d.hatena.ne.jp/ringojuku/で小林先生の記事を取り上げていた。まさに教育ブログ界の輪廻転生である。
ジャズという音楽を通じ、様々な人生模様が織りなされていく。ベーシー⇒ハンク・ジョーンズ⇒ジョンコルトレーンそれぞれのアーチストの生き様が、小林先生⇒私かねごん⇒とよ爺先生⇒りんご先生⇒そして多くのブロガーの先生というように、思い出の曲や、時代の変遷を通じて伝播し、広がっていく。音楽の力をまざまざと感じるかねごんである。
このブログを読んでいる高校生が、とよ爺先生のブログにアクセスし、コルトレーンの「至上の愛」を聞く。その偶然が織りなす出会いに、また新しい音楽の感性が構築されていく。もしくはいつもジャズ喫茶ベーシーの前を通り過ぎていくだけだった高校生が、このブログの記事が縁で、ジャズの魅力にはまるかも知れない。
「至上の愛」を聞いて心を癒され涙した高校生のとよ爺先生。ジャズ一辺倒の青春時代から現在は落語三昧の小林先生、そのペーソスの深さは先生のブログで堪能できる。そしてお笑いブルースを教室で歌っている私かねごん。
ロックやフォークソング、ラテン、演歌、そしてジャズ。音楽は生きてきた思い出そのものである。悲しみや喜び、時に癒しであり、励ましであり、同情である。
私は数年前遺言として妻にお願いしたことがる。自分が死んだ時、葬式はどんな形でもかまわない、ただし告別式には、「オーバーザレインボー」虹のかなたにをかけてくれと。私はその曲に乗ってあっちの世界に帰って行くからと。
いや~音楽って本当にいいですよね。
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おはようございます。
音楽は良いですよね。
いろいろな壁を打ち破ってくれて…。
高校生がコルトレーンを聞いたのですか?
何を感じたのですかね、興味があります。
(かねごん)
とよ爺先生コメントありがとうございます。昨日先生のブログにコメントを書いたさい、操作を誤って名無しのコメントになってしまいました。失礼しました。
高校生のゼミが土曜日なので、コルトレーンの感想を聞くつもりです。
それにしても最近のとよ爺先生の記事に対する反響は凄いですね。先生の文章よりもコメント欄の記事のほうが長くなっているブログなんてありえないです。凄まじい!
投稿: とよ爺 | 2008年9月24日 (水) 07時08分
自分のブログ記事数より、金田先生のブログに対するコメント回数の方が多くなりそうな学び舎主人です(笑)。
いろいろリンクしていくんだなあ、とつくづく実感しました。これはブログだけでなく、音楽も落語も小説も、あらゆる人間の営みは究極のところ「生きる」という言葉の同義語なのだということなのでしょう。まさしく生きていく上で無駄なものなど無く、みなつながっていくんですね。
(かねごん)
小林先生いつもコメントありがとうございます。稲刈りのあと痛風の腱鞘炎にさいなまれ、ブルーになっていましたが、ようやく痛みも和らぎ、日常生活に戻りつつあります。
最近ブログを通じ多くの方々と交流しておりますが、一度もお会いしたことがなくとも、文章の息遣いというか、言葉というのは人間性が出るものだと今更ながら実感しております。
毎日調子に乗って言いたいことを書いていますと、時に鋭い指摘などもメールで頂くのですが、それとて大変勉強になっており、読んでいただいている方に感謝であります。
中間テストが終わりましたら先生の教室にお邪魔させていただきます。それでは。
投稿: 学び舎主人 | 2008年9月26日 (金) 08時34分