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2008年9月

2008年9月30日 (火)

一番遠い生徒

仙台市と一関市は100km近く離れている。東北新幹線では30分ちょっとで着いてしまうのだが、自動車や電車の移動となるとかなりの距離である。

私が塾を始めてから一番遠くから通って来た生徒は、実はその仙台より更に遠い白石から新幹線で、私の塾がある一関まで通って来てくれた。毎週距離にして240キロの旅である。医学部志望の仙台一女に通う女子生徒だった。

思わず「仙台に有名な予備校や進学塾がいっぱいあるのに、なんで私のような個人塾にそれも遠路はるばるやって来たんだい」と私は問いかけてしまった。

当時やはり医学部志望の彼女の従姉妹が私の塾に通ってきていて、私の英語の指導力というよりは、論文の指導力の賜物で(ちょっとプチ自慢であるが・・・)医学部に現役合格を果たした。その話を聞きつけての一関参上だったらしい。

当時30歳を過ぎたばかりの私には、正直プレッシャーであった。中学校や高校の大先輩の子息をお預かりするのもかなりのプレッシャーなのだが、遠路はるばる白石から仙台を越えて一関まで毎週通ってくる彼女に対して、気合が入らないはずがない、そしてプレッシャーがないはずがなかった。

彼女と同じクラスの市外からやって来ていた生徒が、「雨なので休みます」などと言うものなら、「いいかおまえ、○○さんは白石からうちの塾に毎週来ているんだ。雨ぐらいで休むな」などと、私もかなりテンションがテンパッテいた気がする。

その白石から通ってきてくれた彼女は、現在歯医者さんになっている。当時の私の塾は本当に狭くて、自習室もなく、おまけにトイレも外トイレで、雨の日や雪の日は本当に大変だった。そんな塾に通ってくれた多くの生徒達に本当に感謝している。

ちなみに現在は、平泉中学校の生徒数名を除けば、全員が市内生である。中には歩いて2分以内という生徒も何人かいる。あの通塾距離は二度と破られることはないだろう。

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2008年9月29日 (月)

一関国際ハーフマラソン

岩手山が初冠雪を迎えた。我が家では昨日からストーブが起動している。寒くなってきた。

今年の春に、今年こそは登山を復活させようと意気込んでいたのだが、夏の山開きを前にし、市内の卓球大会で調子に乗り高校生らと死闘を演じ、持病を再発させ、完治に一ヶ月以上も要してしまった。その後の夏期講習やら農作業の忙しさに追われているうちに、今年も初冠雪の季節を迎えてしまった。・・まったく言い訳にならない。

昨日は一関国際ハーフマラソンがあった。深まり行く秋のみちのく路を、全国から集まった1500人近くのランナーが駆け抜けた。知人の姿も何人かいた。私の父親世代も30人以上は走っていただろうか。思わず目頭が熱くなる光景に何度か接した。

ジャケットをはおり、応援をしているだけの自分が、正直寂しくもあり、情けない気持ちにも襲われた。彼らの走り続ける意志とエネルギーにただただ圧倒され、脱帽するしかなかった。

ハーフの部の優勝は、箱根のアンカーをつとめた駒大の大田行紀選手が優勝した。地元一関学院(駒大卒)出身の藤井輝選手は惜しくも2位だった。駒大勢が1位から3位までを独占する結果となった。まさに箱根の勢いそのままである。

10月12日(日曜日)には、わが町花泉にて、瀬古俊彦杯マラソン大会が行われる。岩手はこれからマラソン大会が目白押しである。瀬古杯は我が息子もエントリーしている。決して走ることはない私だが、せめて応援だけでも頑張ろうと思うかねごんである。

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思考ベクトル

教えることを生業(なりわい)にしておられる方ならば経験があるだろうけれど、時に超能力と思えるようなサイキックな力を子ども達は何気に発揮する。

「先生質問!ここ教えて」と塾生が私を呼ぶ。私が生徒の机に近づいて問題を説明しようとすると、「あ~先生分かった」と言って調子よく解き始める。不思議と頻繁に起こる現象だ。

この仕事を始めた頃は単なる偶然と考えていたが、26年もやってくると、どうも偶然ではなく、子ども達は我々の頭の中を検索する特殊能力を持っているようだ、ということを確信し始めた。いや確信してしまった。

間違いなく思考や感情は伝播する。かつてライアル・ワトソンの代表作『生命の潮流』で、百匹目の猿現象が話題になったことがあった。芋を海水で洗う猿がある個数に達すると、まったく離れた場所で突然芋洗いをする猿が出現するという仮説理論なのだが、さまざまな批判もあり、ニューエイジの捏造との記事も出たりしたが、しかし現実として思考の伝播は、身近で多くの人が経験することではないだろうか。

友人と久しぶりに会い、お互いに切り出そうとしていた話題が偶然同じだったとか、遠く離れている人を話題にしていたら、ジャストタイミングで電話が本人からかかってきたりとか、シンクロシティや同時性といわれる現象を、我々は頻繁に経験する。

思考ベクトルが同一方向を向いているときに、思考や感情が伝播されやすい気がする。それはまるで欠伸(あくび)が伝播するごとくである。

教育界で語られる有名な実験の話で、教える側の思い込み例として取り上げられる事例がある。それはまったく同じ平均点レベルの2クラスに、一人の先生に教科指導をしてもらう実験結果である。

Aクラスは非常に優秀なクラスだと報告しておく、Bクラスはそれほど出来がよいクラスではないとの偽りの情報を与えておく。同じ教材、同じ指導カリキュラムにもかかわらず、指導のあとのテストに大きな差が生まれる。もちろん優秀なクラスだと報告されたクラスがテスト結果がよい。

「先生が自分達を優秀だと思っている」その思いが生徒にキャッチされ、成績に影響を与えたと考えるか、「この子達は出来る生徒だ」という先生の思いが、指導のプラスアルファーを生んだのかは定かではないが、思いが何らかのエネルギーを創造したと考えられる事例ではないだろうか。

子ども達を強く育てるには、さまざまなスキルが必要である。励ましや、褒めること、時に厳しさ、優しさ、そして愛情。そしてもう一つ、ごまかしのない子どもを思う気持ち、これがどう穢れなく大人の心中で構築されるかが、勝負のような気が私はする。

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2008年9月28日 (日)

新司法試験

 法務省の司法試験委員会は11日、法科大学院の修了者を対象とした3回目の新司法試験の合格者を発表した。合格者数は2065人(男性1501人、女性564人)。合格率は33.0%で初めて3割台に落ち込んだ。委員会が今年の目安とした2100~2500人を下回り、合格者ゼロも3校に上った。また、新司法試験の受験資格は「法科大学院修了から5年で3回」と制限されており、172人が初めて受験資格を失った。

 法学部以外の学部出身者が多い「未修者コース」(3年)の合格率は22.5%で、前年より約10ポイント下回った。法学部出身者向けのコース(2年)に比べて21.8ポイント低かった。

 今回、初めて法科大学院全74校から受験者があり、総数は6261人。合格者の最高年齢は59歳、平均年齢は29.0歳だった。出身法科大学院別の合格者数は東京大が200人でトップ。中央大196人▽慶応大165人▽早稲田大130人▽京都大100人と続く。合格率のトップは一橋大(61.4%)。合格者がいなかった3校は愛知学院大、信州大、姫路独協大の3校だった。【石川淳一】毎日新聞

中央大学の強さがやはり際だっている。伝統に培われてきた指導の賜物だろうと思う。合格平均年齢が29歳ということは、司法試験合格のために多くの時間と多くの努力が費やされてきたことを物語っている。

塾業界で働く先生方の中にも、講師をしながら司法試験にチャレンジをしている方が結構いる。今までは何年でも何回でもチャレンジすることが出来てきた司法試験であったが、改正により、法科大学院を卒業してから、5年間で3回だけのチャンスとなった。

ますます親の経済力が、子どもの職業選択の幅を狭めてしまった感がする。

司法試験もそうであるが、教員を目指す学生諸君も、大学院過程を専攻する学生が増えている。我が塾の卒塾生にも、大学を終えた後、大学院に入るものが多い。将来教頭、校長職を目指すうえで有利との判断のようだ。

資格や採用条件を満たすために、大学だけでは足らず、大学院への進路を目指す学生が近年増え続けている。

私は、学歴に関係なく受験することが出来た、かつての司法試験が絶対よかったと思っている。経済的理由で大学等の進路が絶たれたものでも、努力と才能でチャレンジができた。苦労人が司法試験に受かっていくことには大きな意義があったように思う。

今回の新司法試験制度は、時代に逆行している改革のような気がしてならない。

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2008年9月27日 (土)

ブルーモーション

ブナの木や楓の木々が風でざわざわとどよめいている。風がやって来る先に目をやると、遠くに見える山の峰があきらかに夏の青さではない。

風に舞う隼(はやぶさ)が、頭上の高くなった空を横切っていく。放たれた牧場の牛達がほうばる草の色も、心なしか元気がなくなったような気がする。

収穫近くなった田んぼの中を、あわただしく行き交う雀達。のんびり佇む田んぼの案山子(かかし)など眼中にないようだ。しまいには案山子の頭の上にとまっている。

一雨ごとに朝晩の気温は下がり、町を闊歩する人の姿も秋模様だ。サンダル履きのおじさんも少なくなった。衣替えを前にした高校生達は、ワイシャツの上にカーディガンを着ている。

今週、新聞の記事で中学校時代の同級生の訃報を知った。280名の同級生のうち、50歳を前にして15人の同級生が天国に旅立ってしまった。

毎日毎日を中学生と過ごしているためだろうか、自分の中学生時代がそれほど昔に感じられないのだが、ゆうに30数年の時が過ぎてしまっている。

小学校も中学校も、そして高校の学んだ校舎も、長い年月の間に壊され、立て替えられなくなってしまった。自分の学んだ教室の机に佇んで感慨に浸ることも、もうない。30年の歳月とはそういうものなのだろう。

たいがいの同級生達は子育てを終わろうとしている。すでに孫ができた同級生も結構いる。毎年秋の季節を迎えると、ふと自分の人生を振り返ることが多くなる。寒さのせいだろうか、なぜか人恋しくなり、少年の頃の日々を思い出しては、栗拾いやアケビ採りをした悪ガキ仲間を思い出す。

放課後の教室のざわめきや、部室にこもったかび臭いにおいがふとよみがえる時、あの頃の自分と同じ時代を今生きている塾生たちが、とてもうらやましくもあり、いとおしくもある。

彼らが歩んでいく、多くの時間多くの道、そして多くの出会い、多くの別れ。学びの道が続いていく。

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2008年9月26日 (金)

普通でいいのか?

「普通でいい」という若者が多いが、その普通とは何だろうか。一般大衆の中に溶け込んでいく一個人としての、可もなく不可もない人格上の平均的人間ということだろうか。学歴も普通、年収も普通、恋愛も普通、そういう意味の普通なのだろうか。

「普通の学校に行って、普通の生活をするのにそんなに頑張ることもないよ」。毎年何人かの塾生が、こんな感じの言葉を発する。「普通」という言葉を連発する子どもも多い。

学校も塾もサボらない。部活もそれなりにやっている。本人達は一生懸命なのかも知れないが、なんと言うのか情熱のようなものが伝わってこない。よく言えばクールである。特に男子生徒にはそれが顕著だ。

女子生徒は実にストレートに喜怒哀楽を表にあらわす。小6~中1辺りの思春期の難しい時期を過ぎれば、物の怪が取れたかのようにざっくばらんになり、女子生徒のほうが圧倒的に指導しやすい。

一方男子生徒は、女子に遅れてやってくる思春期が、受験に厄介になるケースが多い。うつ気質の男子生徒がいっきに増加する。わけも分からず「ハ~」などとため息をついている。塾帰りなど川土手に腰かけ夕日を眺めたりしている。まるで中年のおじさんのような哀愁だ。

かく言う私も、中学校時代に思春期を迎え、さまざまな苦悩(?)にさいなまれた経験はもちろんあった。勉強に集中できない男子生徒の気持ちが分からない分けではない。

しかし、『普通でいい』とは言うけれど、普通であることさえも大変な時代になってきた。一生懸命頑張らないと普通がキープできないとしたら、気安く「普通でいいいよ」は言えないんじゃないだろうか。

確かにやってもいないのに、やったふりをするよりは、最初から普通であることのほうが、世の中を泳ぎやすいかも知れないが、しかしそうばかりはしていられないのが現実だ。

男たるもの時代は変わっても、経済的にも精神的にも将来家庭を築き、家族を守っていかなければならない存在であることに変わりはない。例え男女雇用機会均等法ができても、男女共同参画社会基本法が制定されても、やっぱり男は男である。頑張って欲しい。

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2008年9月25日 (木)

秋の風景

右手首の間接痛が改善しないので、痛み止めの注射をしてもらいに、いつもの病院に行ってきた。2時間ほど週刊誌を読みながら待っていたが、整形外科を訪れる患者さん方は、本当に大変そうである。

私も痛風の発作のたびに幾度となくお世話になっている病院であるが、痛みがなく健康であることがどれほど幸せであるのか、病気をしてみると実感する。

私も体調や食事に気をつけないと、過度なスポーツや農作業が引きがねになり痛風の発作に襲われる。そうなるとトイレに行くのもままならず、今回の痛風から来た腱鞘炎では、2日間自分で顔も洗えず、鉛筆より重い物を持てなかった。本当に情けない。

9月も末になり、いっきに秋の気配も深まってきた。昨夜塾から帰宅する途中の道路の寒暖計は13度を示していた。もうすぐ朝晩コタツが恋しくなる季節である。近隣の山々はもうすぐ紅葉の季節。一年でもっとも風景が凛となり、みのりの季節を迎え、田舎に住んでいることに安らぎと喜びを感じる時期である。080925_085418

彼岸花やコスモスが我が家の庭に、いまを盛りに咲いている。

080925_085243_2 春の息吹とはまた違った、静寂なそして澄みわたる風がそよぐ季節である。

080925_085040_3 鳥達が山から種を運んできたのだろう。いつの間にか裏庭に山葡萄のつるができ、一房だけ可憐な山葡萄の実がなっていた。

中学校では、来週から中間テストが始まる。テストが終わると、いよいよ文化祭準備だ。合唱練習に展示作品の製作等、多忙な日々が始まる。

080919_102525 天日干しのお米たちも、もうすぐ脱穀され我が家の食卓に上る。里山の秋は、雪が舞い降りる11月末まで多くの恵みを鳥達や動物達に与えてくれる。

これから来年の春まで、塾はいよいよ多忙を極める。毎年さまざまなドラマが繰り広げられる。泣き、笑い、ときに怒り、子ども達と歩んでいく受験指導だ。健康と体力とそしてほんの少しの知力で(・・笑い)頑張って行きたいかねごんである。

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2008年9月24日 (水)

ボランティアという名の傲慢

様々な組合や、スポーツの指導など、実に多くの団体組織がボランティアの方々の尽力で成り立っている。一方近年、俗に言う強制ボランティアとでも言うべき奉仕活動が増加している。

授業の一環としての生徒達の支援活動ならまだしも、放課後や休日にボランティア活動を奨励し、それを進路のさいの活動評価に記載するという構造は、どうも個人的になじめない。

果たしてそれはボランティア活動と言えるのだろうか。何か大切なものを冒涜していないだろうか。

無償で人のために何かをやる打算のない純粋な行為、それさえも進路や就職に利用する人達が増えている現在、ボランティアという言葉そのものの定義を変えなければならない時期にきているのではないだろうか。

人に施しを与えれば、施しが2倍にも3倍にもなって返って来る、それだけの単純な哲学が、打算という2文字で崩壊してしまう。悲しい気がする。

子育てにおいて、無償の愛と全エネルギーを子どもに注げるのは何故だろうと、考えながら子育てをする親御さんがいるだろうか。老後面倒を見てもらうためとか、自慢できる子どもにするためとか、一生懸命子育てをしている時は、そんなことは考えてないはずである。

ボランティアも同じで、一生懸命他人のために頑張っている時は、自分の命だとか自分の危機などを考えない。だから海外青年協力隊や赤十字の派遣に飛び込んでいけるのだと思う。いやそうに違いない。

やって当然の親切な行為や、人間として当たり前の奉仕活動を、「ボランティアを私はやっています」と公言することは、傲慢以外のなにものでもないと考えている。

入試の面接や作文で「ボランティア活動で培ってきた○○によって」などと言うフレーズを、生徒諸君に軽々しく使って欲しくない。命がけで海外や国内で生活の保証もなく頑張っている真のボランティアの方々に対して失礼である。

そこは、「私が体験した小さな親切」くらいの表現でいいのではないだろうか。またまた塾生には頑固爺と思われるかも知れないが、人間やっぱり謙虚さが必要だと思う。

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2008年9月23日 (火)

ジョンコルトレーン・教育ブログ界の輪廻転生

先日「ジャズは楽しい」という記事を書いたところ、ブログでお付き合いしていただいているとよ爺先生がコルトレーンの『至上の愛』についての記事を二度にわたり寄稿してくれたhttp://toyojie.jugem.jp/。親友の個別指導学び舎の小林先生が、ブログで一関のジャズ喫茶ベーシーを取り上げたのを縁にhttp://k-manabiya.cocolog-nifty.com/blog/、それを私が取り上げ、その記事をとよ爺先生がコルトレーンに対する思いとして取り上げ、りんご先生が、りんごアンテナ日記http://d.hatena.ne.jp/ringojuku/で小林先生の記事を取り上げていた。まさに教育ブログ界の輪廻転生である。

ジャズという音楽を通じ、様々な人生模様が織りなされていく。ベーシー⇒ハンク・ジョーンズ⇒ジョンコルトレーンそれぞれのアーチストの生き様が、小林先生⇒私かねごん⇒とよ爺先生⇒りんご先生⇒そして多くのブロガーの先生というように、思い出の曲や、時代の変遷を通じて伝播し、広がっていく。音楽の力をまざまざと感じるかねごんである。

このブログを読んでいる高校生が、とよ爺先生のブログにアクセスし、コルトレーンの「至上の愛」を聞く。その偶然が織りなす出会いに、また新しい音楽の感性が構築されていく。もしくはいつもジャズ喫茶ベーシーの前を通り過ぎていくだけだった高校生が、このブログの記事が縁で、ジャズの魅力にはまるかも知れない。

「至上の愛」を聞いて心を癒され涙した高校生のとよ爺先生。ジャズ一辺倒の青春時代から現在は落語三昧の小林先生、そのペーソスの深さは先生のブログで堪能できる。そしてお笑いブルースを教室で歌っている私かねごん。

ロックやフォークソング、ラテン、演歌、そしてジャズ。音楽は生きてきた思い出そのものである。悲しみや喜び、時に癒しであり、励ましであり、同情である。

私は数年前遺言として妻にお願いしたことがる。自分が死んだ時、葬式はどんな形でもかまわない、ただし告別式には、「オーバーザレインボー」虹のかなたにをかけてくれと。私はその曲に乗ってあっちの世界に帰って行くからと。

いや~音楽って本当にいいですよね。

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楽しさと厳しさの融合

ブログでお付き合いさせていただいている寺子屋ブログby唐人町の鳥羽先生http://terakoyant.exblog.jp/が自分の塾に反抗的な生徒がいないことの自己分析をしておりました。以下はその内容です。

塾に反抗的な子がいないことの理由はいくつか考えられます。

①友達紹介で入ってくる子が非常に多いため、似たタイプの子が集まる。
②うちの塾が意外と口うるさいし厳しいことが子供たちの間で広まっており、規則が守れないような子は最初から敬遠して入ってこない。
③きちんと先生の話を聞いて真面目に授業を受ける子が多数なので、そんなところで反抗的な態度をとっても自分が浮くだけ、だから学校で反抗的な態度を取ることがある子も大勢(たいせい)に従っている。
④日頃の授業と子どもたちとのかかわりのなかで、「寺子屋の授業をじゃましたり、先生に反抗したりするなんてありえない」という雰囲気と意識を、子どもたちの頭と生活習慣の中にしみこませている。
⑤私たちは子どもを頭ごなしに叱る(怒る)ことはしません。子どもは自分の頭で考える力を十分に持っています。だから子どもの話をちゃんと聞くという態度を一貫して取っています。(話を聞いた結果、子どもの言っていることがおかしい!と思った場合は叱ります。) こういう態度を取り続けると、子どもから反抗されるということはなかなかありません。子どもは叱られるにせよ、叱られないにせよ、私たちが言っている内容が理不尽なものではないことを理解するわけですから。
(※ただし学校ではそうはいきません。学校という組織は大きすぎてそこにはいろいろな先生がいます。だから学校総体で、「この学校の先生たちには反抗するべきじゃない」という心理を子どもたちに植え付けるのはほとんど不可能です。子どもたちは「学校の先生」という色眼鏡で先生たちを見るので、子どもによっては、「先生」=「すべて(体制側の)敵」と映ることもあります。でも塾のような小さな組織のなかでは「先生」は敵ではない、ということを子どもたちに知らしめることが可能です。)

私はこの記事を読んで、塾のカラーはとても大切だなと思いました。類は友を呼ぶの至言のごとく、塾には教える人間のカラーが確実に出ます。

振り返ってみますと、結婚し子どもが産まれ、やる気満々だった若き日々は、生徒達も何かに取り付かれたごとく勉強に驀進しておりました。年を取るに従って、円熟実を帯びてきたと言えば聞こえがいいのですが、子ども達にも無茶をしない落ち着きみたいな雰囲気が生まれてきたような気がします。

鳥羽先生のブログや、写真を日頃拝見いたしておりますと、メリハリのある、善悪の判断を子ども達にしっかり教えている空気感が伝わってきます。そしてそれが先生の塾の持ち味になっているのが分かります。

言葉や文章は、実に如実に人間の感性や生きる姿勢を表します。私などは風貌こそは年寄りのオヤジキャラですが、どうも茶目っ気がありすぎて、授業中も脱線が多い日々です。ゆえに子ども達も、私のキャラに染まっているのか、そういうキャラが集まってくるのか元気が取り柄で、明るい生徒達です。

私語を一切させず、鉛筆の音だけがカリカリと響き渡る教室。ブースに閉ざされて窓の景色も見ることが出来ない教室。私だったらそんな塾は決していきたくないですね。ゆえにそのような環境を作る気もありません。

鳥羽先生の寺子屋教室の合宿の風景を見てますと、実に楽しそうです。厳しさと楽しさ、この融和が指導には大切なものだと思います。楽しくて厳しい先生、これが一番今の教育に求められる教師像だと思います。

(追伸)

鳥羽先生、承諾を得ぬまま記事を添付させていただきました。事後承諾で申しわけありません。 byかねごん

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2008年9月22日 (月)

検索フレーズランキング

先週よりお気づきの方もおられると思いますが、このブログの右下に『検索フレーズランキング』というものをつけてみました。日々のアクセスのうち、どのようなフレーズを打ち込んで全国の方々がこの私のブログに入ってきたかが分かります。

ちなみに本日9月22日の第1は『眼底疲労』でした。私のブログのタイトルや塾名よりも『眼底疲労』の検索で入ってきた方々が多いのは、いかにPCの前で作業している方々が、目の疲れに苦しんでいるかがわかります。

デスクワークをなさっている方々は、本当に大変でしょうね。私は午前中は青空の下、百姓仕事の真似事などをしておりますので、塾の仕事のストレス解消になったりしているのですが、一日中PCの前での仕事だったらきついと思います。ご苦労をお察し申し上げます。

メールなどを拝見いたしますと、仕事の合い間に私のブログを日々読んでいてくださっている方も多くいて嬉しいのですが、休憩時間は目を休めたほうが良いと思います。私のブログを読んでくださっている皆様、くれぐれも眼底疲労にはお気をつけください。

かく言う私も50歳を前にして、だいぶ老眼が進行してきまして、新聞などをだいぶ離して読まなければならなくなってきました。と同時に肩こりも鋼鉄の肩を通りこして、宇宙から飛来してきた未知の隕石の硬度になりつつあります。困ったものです。

それにしてもこのフレーズランキングは、面白いですね。世の中の人がどんなことに関心があるのか、自分の書いたブログの中の単語やフレーズから読み取れるというすぐれものです。

貼り付け作業もそれほど難しくないようです(正直に言うと家内に操作してもらいました・・・)。全国のブロガーの皆さんもやられてみてはいかがでしょうか。無料ですし、アクセス分析の楽しみにもなるかと思います。

『追伸』

ただし冗談でシモネタ系の文章を書くと、とんでもない単語がブログ上のランキングを埋めることになるのでくれぐれもご注意あれ・・・・

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2008年9月21日 (日)

腱鞘炎

赤ペンの使いすぎではなく、稲刈り作業のため利き手の右手首が腱鞘炎になり、このブログも左手だけで打っています。

明日の添削指導が危ぶまれる状況ですが、湿布の効能に期待するしかない状況でして困ったものです。もちろん卓球のラケットも握れません。何とか車は運転できますが、本当に何とかです。

明日はそういうことで、塾生の皆さんに多大なる迷惑をおかけするかも知れません。口頭での説明が増えるかと思いますがご了承ください。

新人戦が終わり、いよいよ今度は中間テストがきます。1,2年生は切り替えが大切です。大会の余韻に浸っていたいのは分かりますが、時は近づいてきます。頑張りましょう。

ところでキーボードを左手だけで打ち込むというのは、不思議な感覚です。思考する感覚もあきらかに違います。お勧めはしませんが、暇な方は試してみてください。新しい発見があるかもしれません。

新しい発見と言えば、左手でマウスを動かそうとすると、右クリックと左クリックを間違えてしまいます。私だけでしょうか・・・・。そしてマウスも定まりません。わずかこれだけの分量を書くのに30分近くかかってしまいました。しょうもない・・・・・。うううう肩も凝ってきた。だめだ~。

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2008年9月19日 (金)

稲刈り終了

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080919_100630_2 稲刈りが本日終了。天日干の『ほんにょ』が我が家の田んぼに今年も並びました。

我が家の番犬ならぬ番猫のキラが、田んぼ仕事のできばえを見ておりましたが、今年のお米もおいしそうです。

ところで、この天日干しの風景も、近隣でも非常に珍しくなってきました。コンバインでの刈り取りが一般的になった農家では、あまりやらない作業です。でもやっぱり自然乾燥のお米はおいしいです。体力が続く限りこだわっていきたいと思ってます。

と言うことで、連日の農作業で体力が限界に近づいております。本日は短めのブログで失礼します。

本日塾生より、「かねごん先生顔が日に焼けたね、ゴルフでもしてきたの」と言われましたが、田んぼで稲刈りをやっておりました。疑われると困るので、証拠写真も添付します。

皆様おやすみなさい・・・・・。080916_105948 080916_104049

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(追伸)

明日9月20日(土)のゼミは、新人戦のためお休みです。23日の秋分の日にそのままスライド振り替えをします。よろしくお願いします。

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入塾テストの余波

ブログ上で中3生の入塾テストのお知らせをしたところ、塾生より思いのほか反響が大きかった。「僕たちも入塾テストを受けるんですか」 「テストが出来なかったらクビですか」等々、2,3日質問攻めであった。

「9月以降当セミナーに入りたい中3生に対しての入塾テストです」。何度繰り返したことか。しょうがないので、塾内に3枚も同じお知らせの紙を貼ってしまった。

入塾テストの結果によっては入会をお断りするというのは、ひょっとすると市内の塾でははじめての試みかも知れない。

塾生より、「そんなに塾生が増えているんですか」との声もあったが、例年に比べても少ないくらいである。特に今年の3月は、塾生の8割を占める受験学年が卒塾して行き、講師の先生には申しわけなかったが、お暇を出してしまったくらいの経営ピンチだった。持ち前のなんとかなるさ根性でどうにか危機を乗り越えたが、正直言って苦しかった4月~6月である。

じゃ何故に入塾テストなのかと言うと、先日のお知らせでも書いたが、この時期中3生はラストスパートに入っていく。集団個別指導と言えども全体の士気の向上は大切である。それは指導者側にも言えることだ。

私どもの塾は、この子は手間がかかるから1万円、あの子は教えるのが楽だから6千円、というような月謝設定をしている分けではない。中3のこの時期、例えば英語の小文字が書けない。正負の計算が出来ない。だから塾で何とかして欲しいというのは、厳しい状況である。

保護者の方には失礼だが、こんな状況になるまで何故に手段を講じなかったのか、仕事柄言ってはいけないと思いつつ、本人を含めカツを入れたくなってしまう。しまいには、学校の責任にしてしまう親御さんの話を伺っていると、やんごとなき思いである。

どんなきれいごとを言っても、塾が最終的に求められるのは合格という2文字である。いつも私は講師の先生や内部の者に言ってきたが、受かれば本人の努力のたまもの、落ちれば塾の責任なのである。毎年自分にも言い聞かせてきた。責任の所在はお預かりした以上塾の責任であり、それ以上でもそれ以下でもない。

今回の入塾テストの実施は、我が塾の脱補習塾宣言ではない。今まで以上に1,2年生の教科補習には力を入れていくつもりである。

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2008年9月18日 (木)

ジャズは楽しい

私の長年の友人であり先輩である、学び舎主人こと小林先生が、ジャズ喫茶ベーシーのマスターである菅原昭二さんを紹介されていたhttp://k-manabiya.cocolog-nifty.com/blog/

日本一のサウンドと誉れ高い、ベーシーのJBLの音響は今やオウディオファンの伝説となっている。鳥肌を通りこして、失神ものである。一関の知名度を全国レベルに押し上げたジャズ喫茶である。

私の塾から歩いて3分。一関一高前のバス停前に君臨するジャズの聖地である。

マスターの菅原さんは、タモリさんや、井上陽水さんらとも親交が深く、菅原さんが出版された本の帯などは、よくタモリさんが書かれている。

近くなのでよくお会いすることが多いのだが、還暦を過ぎたお年とはまったく思えない若々しさである。世界で一番ジャズを聴いている人間ではないだろうか。彼が最近リリースしているジャズCDもなかなかのもので、プロデユースの才能も非凡であられる。

秋の季節、バラードが心に染入る季節である。ジョン・コルトレーンやアートペッパーのサックスが秋空に溶け込んでいく。最近は塾までの道のりを、コルトレーンの MY ONE AND ONRY LOVE を軽トラックの中で聴いている。

追伸

稲刈りが終わったら、ジャズ行脚に、小林先生が住んでいる北上方面に出かけてみようかなと思っています。先生よろしくお願いいたします。

ジャズは本当にいいな・・・・・。

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2008年9月17日 (水)

体罰で減給一月

岩手県教委は16日、生徒の頭や頬をたたく体罰を加えたとして、盛岡教育事務所館内の中学校に勤務する男性理科教諭(47)を減給一ヶ月とする懲戒処分を発表した。

男性教諭は7月17日午後5時ごろ、屋外で部活動中の男子生徒が、壊れた金属製の椅子の部品をふざけて振り回しているの見つけて注意したが、反省の様子を見せなかったことなどから、生徒の頬や頭を平手でたたいた。勢いで倒れた生徒は、そばのデッキブラシで顔面を打ったが、病院で検査した結果、大きなけがはなかった。

教諭は昨年11月にも別の生徒に対する体罰で厳重注意を受けていたという。

(岩手日日新聞9月17日朝刊)

ほぼ私と同じ世代の先生である。きっと小中学校において体罰を経験してきた先生であると思う。我々の中学校時代は、言ってもダメなら痛みで教えてやる的な先生が多かった。

上記の記事のような体罰は日常茶飯事だった。怖い先生の存在が不可欠な時代だったかどうかは別にして、拳骨での一撃こそなかったものの、平手打ちなどは部活や授業中ではしょっちゅうだった。

いくら注意しても、教師の言葉を右から左に流してしまう子ども達が多い。生徒に手も出せない、スキンシップをすればセクハラと訴えられる。本当に教師受難の時代である。

これもごく一部の行き過ぎた教師の行動なり事件が、尾を引いているのは間違いない。私は基本的には体罰はよくないと考えるが、平手で頭をたたく行為までけしからんとなれば、話は別である。言葉の迫力や、言葉の説得力だけで生徒指導を完璧にこなせる先生がおられるだろうか。考えてみて欲しい。

若い先生方に至っては、叱り方の実習などというものがあるわけもなく、それぞれの力量に託される。その先生が経験してきた家庭でのおこられ方や、部活や学校生活で、おこられた経験が、どうしてもベースになる。

上記の先生も、自分の経験を尺度として生徒指導を行ってきたのだと思う。教員なった頃は、体罰が容認されていた時代だった。私もバリバリだった。しかし間違いなく時代は変わってきた。そのことに気づかなければならないし、体罰に変わる新しいスキルをそれぞれのベテランの先生が考えていかなければならない。

本当に時代は変わっていく・・・・・・。

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前世の記憶を知っていますか

前世の記憶ではないかも知れないが、フラッシュバックのように去来する風景がある。暑い日の風景だ、蝉時雨がやかましいほどで、棺桶を運んでいる数人の前を坊さんが歩いている。それが私なのか定かではないが、袈裟をまとっている坊主である。脈絡もなく小さい頃から突然私の脳裏に現れる映像だ。

もう一つ、広い本堂らしきところでお経をあげている住職らしき後姿が、私の記憶の中から現れるときがある。その雰囲気がとても古いのだ。鎌倉だろうか平安だろうか。不気味さというのはないのだけれど、しばし不思議な感覚にとらわれる。

この話は家内にもしたし、何人かの友人にも話したことがある。

10年ほど前になるが、市内のとある古本屋で真言密教の専門書を見つけた。空海聖人直伝の密教の奥義が記されていた。4万円もする本だったので、ちょっと流し読みをしただけだったが、印を結ぶその秘法になぜか懐かしさのようなものを感じた。気のせいだったかも知れない・・・・・・。

実は私は寺の坊さんは苦手である。と言うより嫌いかもしれない。塾の保護者の方にもその道の方々がおられるので、言ってはいけないんだろうけれど、説教好きで酒好きで、好色な住職にはほとほと嫌気がさしている。かと言って決して保護者の方ではないのであしからず。

こともあろうに葬式の後の初七日の席で、「人間死んでみないと、天国も地獄もあるかどうか分かりませんからね~」などと、酒で赤ら顔になった坊主の話を聞くぐらい腹立たしい事はない。一回の葬式で50万もの供養費を請求してくる坊主達に、確かに信仰心などないのだろうけれど、税金もかからないことを良いことに、葬儀の後に遊びまわるそんな輩を見ていると悲しくなってくる。

ちなみに私の塾では、講師の先生方を募集すると、キリスト教系の先生方がなぜか多い。わが町一関は九州の長崎のように、キリスト教徒の方が多い町では決してない。

4年前のこと、前世を見てくれる人がいるから行ってみない、と言う妻の強い勧めで、出かけて行ったことがある。1時間ほどで1万円の費用だったろうか。痛い出費だったが付き合うことにした。人当たりの良い人間だった。よくある宗教団体の勧誘でもなさそうだったし、話を聞いてみることにした。

占星術が専門らしく、PCを使って私の生まれた日の星の位置などを検索していた。いよいよ本題に入った頃、私から聞いてみた。「私は今までずっと塾教師をやってきたのですが、これは私の天職でしょうか」。

その占星術師のM氏はしばらく瞑想をしていたが、「かねごんさん、あなたの周りには何かとキリスト関係の方がいらっしゃいませんか」と尋ねてきた。言われてみれば、講師の先生方にもその手の方は多かったし、大学がキリスト教の大学だったので、おのずとクリスチャンの友人も多い。そして何よりも私は聖書を読むことに興味がある。

M氏は何かが見えたのだろうかズバット言い放った。「かねごんさんはヨーロッパの中世の前世で、キリスト教会の牧師をしていましたね。今と同じように子ども達を集めて勉強を教えていました。今かねごんさんの元に集まっているキリスト教の関係者はソウルメイトでしょうね」。

私はちょっと反論してみた。「実は坊さんの姿を小さい頃からフラッシュバッグで見ることがあるのですが、坊さんではなかったでしょうか」。

M氏が続ける。「かつては真言密教の坊さんだった頃の前世も見えますね。かねごんさんの誕生の星のめぐり合わせは宗教人の巡り合わせです。塾教師という仕事は当たらずとも遠からずの今生の選択ですね」。

・・・・牧師に真言密教。そして現在龍神を愛する、神社オタクである。ひょっとしたら、私の前世は坊さんかも知れないし、M氏が言うように牧師だったかも知れない。しかしいつも言うように、この顔、この名前、そして今生での人々との出会いは一度きりである。そうなれば、幸福に有意義に、そして充実した人生を送りたいと願うのが人間の本質的欲望ではないだろうか。

そのために教育は必要なものだと思うし、勉強はもちろん、生きることの意義を日々追求していくことは、決して無駄なことではないはずである。年を取るということは、確実に一日一歩一歩死に近づくことである。私などそれを実感する年齢になってきた。あと数年もすれば、父親の他界した年齢になる。

塾で、日々元気な子ども達と接していると、自分が年を取っていくことをついつい忘れがちになってしまう。いい年をして宇宙人やら前世やらとわけの分からない戯言を言っている自分が、実は好きである。今後とも変な頑固爺として生きて行きたいと思うこの頃である。

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2008年9月16日 (火)

本番に上がってしまう生徒

部活などで生徒達を見ていると、練習の時はすばらしいプレーをするのに、本番の試合となると上がってしまい、自分の実力をまったく出し切れない生徒がいる。その逆に試合となるとめっぽう張り切って、日頃出来ないプレーまで出来てしまうものがいる。

スポーツ心理学の本を読むと、様々な方が対処法のノウハウを書いているが、なかなかこれぞと言う決定打はない。私もちまちまと数十年、塾生の応援で、中総体やら新人戦やら、出かけていっては観察しているのだが、なんとなく塾での勉強姿勢とリンクするところもあり、自分自身教えられることも多々ある。

そもそも上ってしまうということは、自分に自信がないからと言うよりは、自分の長所なり短所なりを客観的に分析できていない状況だと思う。つまり、自分がうまくいった大会のプレーのイメージや、コンデション、体調の管理等を含めた自己の精神管理がうまくいっていない状態の生徒が上りやすいようだ。

受験の時もそうであるが、「前の日には何時までに寝れば良いですか」などと一週間前からドキドキ顔で聞いて来る塾生が毎年いる。中間テストや期末テストで、一夜漬け勉強をやってみたり、早めに寝てみたり、それぞれが経験してきたことを糧に、対応すれば良いだけのはずなのに、それが体得できていない。

大会前日、体を酷使して体調を整える選手もいる。三日前から流し練習をし、体を休める選手もいる。自分がどうやれば試合当日身体が動きやすいかを、それぞれの身体を考慮し、調整するのが一流プレーヤーである。

受験生とてまったく同じである。日頃のテストを漠然と受けるのではなく、どの時間帯に自分が勉強を集中できるのか、何時までに寝ないと頭が働かないのか、そろそろ自分を知っていかなければならない時期だ。

私個人の見解であるが、上ってしまうのは、自分の力を100セント出そうとするからではないだろうか。自分の力の70パーセントが出せれば良いくらいの気持ちで臨めれば、がちがちに上ることもないように思うのだがいかがだろうか。

プレッシャーを楽しめと言っても、中学生や高校生は難しいかも知れない。スポーツにしても、勉強にしても自分の得意分野を磨くことが、楽しむ一歩だと思う。苦手分野に意識をとらわれ過ぎず、フィールドに立ってみよう。

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2008年9月15日 (月)

公立高校一貫校の意識調査

小学6年生を持つ保護者の1割以上が中学受験を考え、このうち4人に1人が公立中高一貫校を第1志望にしていることが、「ベネッセ教育研究開発センター」の調査でわかった。

 各地で公立中高一貫校の設置が相次ぐ中、私立中に通わせる経済的な余裕がない家庭でも、中学受験に関心を持っている実態を浮き彫りにしている。

 調査は昨年12月、全国の公立小学校に通う6年生の保護者1504人を対象に実施。それによると、中学受験を考えた保護者は全体の13・2%。第1志望をみてみると、私立中が60・1%で最も多かったが、これに公立中高一貫校が23・7%、国立大付属中が13・6%と続いた。

 私立中を第1志望にしている保護者に年収を尋ねたところ、全体の19・3%が800~1000万円、30・2%が1000万円以上で半分近くを占めた。塾などにかかる1か月当たりの平均教育費は約6万円だった。

 受験予定校数は、1校と答えた人が25・2%。2校が16・0%、3校が23・5%、4校が19・3%と続き、複数校受験が主流になっている。

 一方、公立中高一貫校を第1志望に考えている保護者の年収は、400~600万円が21・3%、600~800万円が25・5%……と私立志望に比べて低下する。1か月当たりの平均教育費も約2万5000円と、私立の半額以下だった。

 公立志望の場合、受験予定校数も「1校だけ」とした人が全体の87・2%と大部分を占め、私立との併願を考えているケースは少なかった。また、中学受験を決めた時期では、私立中の場合は6年24・4%、5年26・9%、4年24・4%で、早い時期から準備をしているのに対し、公立中高一貫校の場合、6年が74・5%を占め、5年は19・1%、4年は2・1%だけだった。

 文部科学省によると、公立の中高一貫校は各地で設置が相次いでいる。今年5月1日現在で、併設型の公立中高一貫校と中等教育学校は計83校ある。

 中学受験事情に詳しい森上教育研究所の森上展安所長は「従来の中学受験は、経済的に余裕のある親が子供に私立中を受けさせるのが一般的だった。しかし、学費の安い公立中高一貫校が増えたことで、私立中には関心がなかった親も、公立中高一貫校を子供に気軽に受けさせようという意識になったようだ」と話している。(渡辺光彦)

(2008年9月12日 読売新聞)

リンクを貼らせていただいている『りんごアンテナ日記』のりんご先生のブログより、記事の紹介文を拝借させていただいた。我が岩手県でも、来年より一貫校の一関一高附属中学校がスタートする。先ほど一関一高で行われた説明会には非常に多くの保護者の皆さんが集まった。

80名の定員に対して、3倍ほどの250名前後の志願者が予想されるとのこと、初年度の入試は非常に狭き門になりそうである。小学生の受験対策が我が一関市でも始まっている。夏休み、小学6年生を対象にした夏期講習を始めた塾もあったようだ。

我が塾は中学3年生の受講希望者が多く、小学6年生の受験コースを実施できなかったのだが、市内の塾は嵐の前の静けさともいうべき状況で、なかなか手の内を見せてこない。

保護者の方も、どこの塾が中学受験に対して一番重きを置こうとしているのか、正直判断に苦しんでいるのではないかと思う。私も相談を受ける。私は正直さがとり得の人のよい塾教師なので、他の塾の状況やら我が塾の本音を語らせてもらっている。

どのような入試問題になるのか、情報が錯綜し、具体的対策が立てられていないのが実は塾の本音である。私も東京での中学受験指導の経験があるが、現在の私立中学校入試の傾向がそのまま一関付属の傾向にリンクするとも思えない。

さまざまな予想問題集が、受験出版社からサンプル教材として送られてきているが、どうもしっくり来ないのが現状である。東北や関東地区の公立の一貫校の既存の入試レベルに追従すると思われるが、なにぶん初年度であるゆえ、経験と感に頼らざるをおえないのが実状である。

来年一回目の入試が終わってから、一関市内の塾はヒートアップしていくような気がする。言葉は悪いが、1年目の入試は、ガチンコ勝負になるのではないだろうか。入試のテクニック云々ではなく、教科書中心の基礎学力が定着しており、落ち着いて自分の意見を述べることができ、ちゃんとした小学生らしい文章を書ける児童が、合格の切符を手に出来ると思っている。塾教師ならぬベターな意見ではあるが、私の本音である。

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2008年9月14日 (日)

しまった!!

今週、大験セミナーわくわく日記へのアクセス数が急降下した。小心者の私は、何か読者の気分を害することを書いてしまったんだろうか、私のブログのレベルが低下してしまったためだろうかと、ちょっとだけ気になっていた。

原因が判明した。なんのことはない、今週より市内の高校が定期テストに入り、私のブログを日々読んでくれている高校生が、パソコンの前に座る暇がなく、勉強に奮闘しているためだった。ある意味良いことである。安心した。

・・・・と言うことは、私の読者の半数は高校生ということであるわけで、ちょっと考えさせられてしまった。高校生向けの記事を書いていない・・・・。しまった。高校入試を終え卒業していった生徒の多くが、私のブログを読んでいてくれたのである。とてもありがたい。

きっと高校生諸君は今日もこのブログを読んでいないと思うが、テスト勉強をがんばって頂きたい。

今日はちょっと面白いお話を・・・・・。

英語が苦手な21歳の若者が、アメリカに卒業旅行に行った。お金を節約するために、アンカレッジの空港で、日本へのキャンセル切符を待っていた。青年は窓口で、日本への切符を買い求めようとした。

I  want  a  ticket.........と言いかけてその後が to  Japan  なのか for  Japan なのか前置詞の使い方を忘れてしまった。青年は to Japan と言ったが、係りの女性は2枚の切符だと思い、OKと言いながら2枚の日本行きの切符を渡してくれた。青年は気づいた。日本行きの切符は for Japan だと。言い直したところ、係りの女性は I  am  sorry.  と言って今度は4枚の切符を渡してくれた。

戸惑ってパニックになった青年は、え~と、と口ずさむと、係りの女性は更に8枚の切符を渡してくれた。ますます困ってしまって、さ~て、と思案したところ、13枚の切符が目の前に現れた。・・・・高校生諸君笑えてもらえただろうか。

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2008年9月13日 (土)

お父さんの経済事情

私の塾では集団個別指導を行っている。簡単に言えば、昔の寺子屋形式である。一人の先生(と言っても私が中心であるが)が、5人~7人ほどの生徒を指導している。

物価が安い岩手県というイメージがあるかもしれないが、野菜や魚介類の食材が少し安いだけで、住居費や雑貨、衣服費等は、全国の物価とそう変わりはない。ゆえに塾の月謝も大手フランチャイズをはじめとして、都市部よりそんなに安い月謝設定ではない。

そんな中で我が塾の月謝は、都市部などから引越してこられる保護者の方々には驚かれる。月謝の金額を申し上げると、「一回の指導料金ですよね」と言われることがしばしばである。かと言って私はそんなに安い月謝設定だとは思っていない。

先日ブログでお付き合いさせていただいているとよ爺先生が、同じことをコメントで言っておられたが、まがりなりにも塾という仕事のお陰で、私も二人の子どもを育て、家族を養ってこれた。本当に感謝の気持ちで一杯である。これも毎月頂いている塾生の月謝のお陰である。

地元の企業に勤めておられる親御さんの給料は、都市部に比べると決して多いわけではない。一方公務員の方や教員の方々の月給は、年齢給と言われる額で、確実に年齢とともに上がっていく。しかし地元企業の場合、年齢が上がってもそれほど昇給はなく、手取りで20万円~25万円がいいところである。年収300万円がいかないお父さん方がほとんどだ(ちなみに私もそのカテゴリーに確実に入るのだが・・・)。多くの方々が休日には農業などを営み、どうにか食いつないでいる状況である。

塾に限らず「私立高校に子どもをやるのは大変」という声も多く聞く。ちなみに仙台市内の有名私立高校は、一ヶ月5万~6万の授業料プラスアルファーがかかる。その金額からすれば、一関市内の私立高校の授業料は半額以下であり、それほど高額とは思えないのだが、経済的理由で進学を断念するご家庭もある。それほど地方の経済状況は厳しい。

安いと言われている我が塾に置いても、週4時間の指導を受ければ月の月謝は12000円を超える。毎日通う私立高校の25000円の授業料を考えれば、決して安い金額ではない。しかし私立高校は、県や国の助成金を交付されている。これがある程度の金額で、私学の経済基盤を支えていると言っても過言ではない。

一方塾にはそんなものはない。教室の家賃から光熱費、講師の先生の給料まで、すべて塾生のご家庭から頂く月謝でまかなわれている。私など一応教師兼経営者という立場であるが、年間の年収を労働時間で割ってみると、自給380円くらいで、労働基準法の最低賃金をはるかに下回っている(・・・苦笑い)。それが現実である。

先日塾生より「かねごん先生の軽トラック動くようになったの」 と心配の言葉をかけてもらった。私が「君達の月謝を2倍にして、今の人数が保てれば先生も20年間乗ってきた軽トラックを新車の軽トラックに買い換えられるのだがな~」と言ったところ、「かんべんしてくれ~、先生今の軽トラックのままでいいよ」とのことであった。それが塾生の本音だろうと思うかねごんである。

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2008年9月12日 (金)

事故米というなの農薬残留米

事故米とは?

ウルグアイ・ラウンド合意に基づいて輸入されたコメの一部で、倉庫に保管中にカビが生えたり異臭が発生したりして食用に適さないと判断されたコメ。年間2千トン程度あり、最近は17社が購入している。工業用のりの原料のほか、灰にして建設資材に使うために売られることもある。1トンあたり平均で6千円程度。輸入されるコメは現在、年77万トン。国内の主食用の米価に影響しないようにいったん倉庫に保管され、2~3年後に販売される。みそ、焼酎、せんべいへの加工用が最も多く、1トン8万円程度で年間20万~30万トンが売却される。ほかにも飼料用、外食用としても売られ、海外への援助用にも使われる。
( 2008-09-06 朝日新聞 朝刊 1総合 )

食用に適さないと判断された多くのお米が、国内に食用として流通していた。食べ物に関する安全神話が昨年の中国産の餃子等の農薬問題を含め、崩壊していまっている。

事故米という聞きなれない言葉を初めて目にした方も多かったなのではないだろうか。実は私も小規模ながら米作りをしている農家の一人であるが、この言葉を知らなかった。

事故米の大きな問題点は、生産国や生産地が定かではないことと、農薬の残留基準値を超えるお米が含まれていることである。そしてそれらがあろうことか、病院や老人ホーム等で食されていたことである。安い米に集う業者の思惑が、モラルを崩壊させてしまったと言えるだろう。

昨年の暮れ、老人ホームに勤めている教え子より、こんな話を聞いたのを今回の三笠フーズの事件を知って思い出した。「かねごん先生、老人ホームに入居してくるお年寄りが、蕁麻疹が出るケースが時々あるんですよ。原因は安いお米みたいで、地元産のお米に変えてから少なくなったんですよ」。

石油の高騰により、どこの会社や施設もやりくりに苦労している。我が塾業界と言えども例外ではない。しかし食料は、直接人間の命を育む聖域である。今回のようなことは、経営対策として絶対やってはいけないことだ。

焼酎業界や給食業界に激震が走った今回の事件である。今一度、食の危機管理を徹底して欲しい。病院食を食べて体調が更に悪くなるような、最悪の事態は本当にあってはいけない。

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2008年9月11日 (木)

入塾テストのお知らせ

大験セミナーでは、来るもの拒まず去るもの追わずの姿勢を貫き通して参りましたが、9月以降に入塾を希望される、中学3年生及び高校3年生の受験学年の生徒に関しましては、面接と入塾テストを行い、入会を決めさせていただきます(ただし夏期講習を受講した3年生に対しては入塾テストは行いません)。

従来通り、その他の学年に対しては入塾テストは行いません。オープンに入塾できます。

お子様を預かる以上、合格させることが私ども塾の使命と考えております。しかし最低でも受験生の指導期間は半年は必要であると考えております。志望校やレベルによっては1年、2年かかる場合もあります。

決して優秀な生徒を、優先するというわけではございません。この時期中学1年生の数学や英語の問題を、半分以上正解出来る中3生を、入会合格にさせていただくだけであります。なにとぞご理解のほどよろしくお願いいたします。

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寺子屋金さん~宇宙から愛を込めて~

寺子屋金さんでは、塾生の演習プリントが完璧だと金さんのGOODサインがもらえる。GOODという文字がデフォルメされて、金さんの似顔絵になったやつなのだが、100個集めると宇宙旅行が出来るのである。もう何度か行って来た塾生もいるはずである。夢の中ではあるが・・・・。

突然であるが、金さんはたまにUFOを見る。こんなことを書くと、またあらぬ噂を呼び、金さん宇宙人説が再び伝播してしまうのだが、ちなみに金さんの妻である、寺子屋金さんの社長も見たことがある。そしてとうとう昨日金さんの息子である金さんジュニアもUFOを見たらしい。

塾生の中にも何人か、近くの山すそを飛来する怪しげな物体を見たものがいる。時にそれが宣伝用に飛んでいる飛行船だったりするわけであるが、金さんが見るのは夜である。

星と星との間をジグザグに光が横切り、時にそれが消えたかと思うと、また突然現れるのである。金さんの夢の中にも時々UFOが現れる。まさか幼少期に宇宙人によって拉致され、インプラントされたわけでもないだろうが(・・・笑い)、リアルな夢なのである。

金さんは宇宙人はいると思っている。これだけ宇宙に星があるのだから、地球よりも進化した星がわんさかあると考えるほうが普通なのではないだろうか。

近年作っているアメリカの映画に金さんはちょっと苦言を呈したい。宇宙人が地球を侵略する例のパターンなのであるが、そもそも星間移動の出来る進化した宇宙人の武器が、原始的なミサイルやレーザー光線ということはないだろうというのが一つ、それから侵略を企てるような星の住人が、そもそもUFOを操って宇宙を旅できるほどに、進化は出来ないだろうと思うのである。宇宙に出る前に星や惑星間で共倒れをしているはずである。

肉体を持った神イコール宇宙人説を提唱続ける金さんなのだが、金さんが敬愛してやまない同郷の作家高橋克彦氏の『龍の柩』は、長年金さんが抱いていたスペクタクルロマンを代弁してくれいるすばらしい小説である。宇宙人や古代文明の謎に興味がある方にはたまらない作品である。高橋氏もUFOをよく見る方なのだが、ひょっとしたならば、岩手にUFOの基地でもあるのだろうか。

ちなみに金さんはUFOらしきものは見るものの、さすがに宇宙人には残念ながら遭遇したことがない。正直目の前に突然現れても困るのではあるが・・・・・。あまり金さん宇宙人説などとブログで茶化していると、本当に宇宙人がたしなめにやって来るかも知れぬ。ほどほどにしておこう・・・・・。

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2008年9月10日 (水)

本音をどこまで言えるのか・・・

仕事をしていて気持ちのいい日がある。逆もある。感情が抑制できず、怒り飛ばす日もある。穏やかな一日もある。

天気と同じで、人間の感情は日々揺れ動く。自分に自信をなくし、いらつく時、若かった頃は酒でもあおり一晩寝ればよかった気がする。今はどううだろうか。なかなか言えない自分の本音に戸惑う時、私はとりあえずとことん自分と付き合ってみる。

忍耐や、プライドや、品格や、知性や、その他もろもろの自分の内面と向き合ってみる。自分の感情を因数分解して、単純化してみる。答えは出ずとも、納得はいかずとも、感情がおさまる時があるものだ。

年齢を重ねるごとに、自分を誤魔化すすべが身についてきた。本当は駄々をこねたかったり、はっきり嫌だと言いたい感情を押し殺し、愛想笑いをしている自分がいる。自分の中の失うべきものは何もないけれど、守るべきものは着実に増えてきた。家族や、仕事、そして自分を信頼してくれる人。裏切ることは出来ない。

毎日目が覚めたとき、今日はどんな楽しいことがあるんだろう、どんな人と出会えるんだろう、そんな思いやわくわく感が、実は大きな生きる支えになっているような気がする。幸せというのは実に単純なものだ。

人は幸せを感じる時、自分の過去や他人との比較を必ずやっている。実は多くの無念さや残念な気持ちの代償として、幸福感というもを体験できている気がする。

オリンピックで金メダルを取り、歓喜の中で涙する選手の陰には、決勝戦で負けた相手や、準決勝で涙を流した相手や、一回戦で敗れていった人達の敗北があって、一人の栄冠がある。

セレブなどという言葉が、仮想現実の中の戯言(たわごと)のように生まれてきたのも、貧困や中産階級という言葉の設定があるからこそである。私が『今日は気持ちが良いな』と感じられるのは、気持ちがふさいだり、つまらない日があるからだ。

相反する現象や状況の中で、人間は選別され差別化されて行く。勉強が出来る子が存在できるのは、間違いなく勉強が出来ない子が存在するからである。ブログの世界でもそうじゃないだろうか。多くのつまらないブログが存在するから、面白いブログにアクセスが集中する。

大人は本音をなかなか言えない。オブラートに包んだり、比喩を用いてちくりと相手をさすくらいなものだ。たとえば聖書を読んでいて思うことがある。当時聖書は、ベストセラー本であり、ブログで言えばダントツのランキング1位エッセイということになるだろうか。時の権力者や偽善者を批判する手段として、実に多くの比喩を用いている。聖書といえどもである。

子ども達は実に気持ちよく本音を言う。「勉強したくない」 「親がうざい」 「疲れたからやりたくない」。もし大人がこれをやりだしたら社会は崩壊していく。そして最近の世の中を眺めると、どうもその崩壊の兆しが垣間見えてくる。みんな本音を語り始めたのだろうか・・・・・・。

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2008年9月 9日 (火)

青春の光と影

今日古本屋に行ったときに、懐かしい顔に出会った。中2の頃に残念ながら私との約束を守れず、塾を辞めてもらったM君と、受験前に辞めて行ったS君である。

二人とも学校での素行に問題があり、いずれの高校にも入ることが出来なかった。個人的に接すると茶目っ気があり、可愛い生徒なのだが、仲間同士で群れると、手が付けられない暴走を時にする。

M君はおそらく体感温度が40度を越すだろう屋根の上で、ペンキ塗りの仕事をしていた。ダボダボの作業ズボンと頭に巻いた日よけのタオルがさまになっていた。塾生から、M君が働いているようだという話は聞いていたが、1年ぶりに目にしたM君はたくましくなっていた。

ぷらりぷらりと塾に来ては、何をするでもなくぼ~としていた面影は今日の彼にはなかった。確かに勉強は苦手で、何かと学校では問題を起こす生徒ではあったが、働くことで自信をつけたのだろう。日焼けした顔がたくましく、元気そうだった。

そんなM君の姿を見、塾に戻る途中今度は偶然にもS君とすれ違った。こちらは髪を黄色に染め、数人の似たような髪の色をした仲間連中と、自転車でつるんでいる。昨年入試前、塾にやって来た時と変わらず、視線をあちこちに漂わせ、ふらりふらりと改造しまくりのチャリをこいでいた。

働くこともなく、毎日ふらついている様子が残念ながら瞬時に伝わってくる。彼らがまっすぐ道を進んでいけば、屋根の上で一生懸命ペンキを塗っている、同じ年のM君の仕事場を通るはずである。どんな気持ちでS君は、M君を見ただろうか。

夜も10時を過ぎる頃、高校を中退した若者や、その取り巻きの連中が駅前近くの空き地にたむろしている。中学校よりPTAに対して、「下手に注意をすると危害を加えられますので、かかわらないでください」と言われている連中である。たまに、かつて縁あって私の塾に在籍した少年がいたりする。

未成年にもかかわらず、ビール缶を片手にタバコをふかしている。「おう!○○君じゃないか、久しぶりだな」 と私が声をかけると、回りの連中の視線が私に絡んでくる。「あのひげオヤジお前の何なんだ」 などという声が聞こえてくる。「俺が行っていた塾のセンコウ」 「へ~おめえ塾なんか行ってたのかよ」 

そんな会話のやり取りがあって、彼等はうざい大人が来たとでも言うように舌打をしながら場所を移動していく。

今日、汗を流し一生懸命仕事をしていたM君が、どうか真っ直ぐに道を進んでいくことを祈らずにいられない。そして髪の黄色いS君も、人生の大切さに一日でも早く気づき、更生して行くことを願わずにはいられない。彼らと直接かかわることは出来ないかも知れないが、かつて私を先生と呼んでくれた少年達である。幸多き人生であることを祈りたい。

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2008年9月 8日 (月)

そろそろやって来る

そろそろやって来る季節だ。何がって?稲刈りの季節、それもある。台風のシーズン、それもある。実は推薦の季節である。

大学推薦受験の校内審査が、そろそろ最終段階に入る。高校入試に置いても、私立高校の野球部をはじめとする運動部活の推薦が動き始める季節である。

スポーツの特別推薦には、それぞれの段階があるのをご存知だろうか。たとえば仮に特待Cというのがあるとすれば、授業料や入学金が免除される。特待Bと言えば、授業料の他に部費や遠征費が免除される。特待Aと言えば、すべてが免除される他に寮もあてがわれ、食費が支給されるケースもある。

特待Aに該当する選手は、全国大会でベスト4、ないしはそれに準じる実力の持ち主であったり、地方大会の優勝常連者である。

スポーツ推薦が来たからと言ってすべてが喜ばしい話ではない。推薦で授業料免除で高校に入ったものの、海外遠征や合宿費用が払えず、リタイヤーしてしまう生徒もいる。競技によっては、年間200万から300万の遠征費や大会費がかかる部活もある。親が財産を投げ打って、子どものスポーツ育成費にあてるケースもあるという。

トップに行けば行くほど、お金がかかる。卓球の福原愛ちゃんや、ゴルフの石川遼君のように、企業のスポンサーがつき、高校時代からすべての費用をまかなって貰える選手など、奇跡に等しい。ほとんどのアスリートは親がスポンサーである。

学問もスポーツもそして芸術も、趣味でやっているうちはお金がそれほどかからない。職業としたり、一流を目指そうとすれば、とたんに経済力の問題が絡んでくる。そのことに専念するためには、おのずと生活費やもろもろの費用が必要となる。

才能ある若者の経済的支援のシステムが、日本はまだまだ後進国である。企業におんぶに抱っこの状況である。学歴や実務資格がなくても、芸術や音楽や、スポーツの分野で生きて行ける道を国が作っていってあげなければ、教育の多様化は生まれていかない。

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2008年9月 7日 (日)

大吉in駒形神社

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今日は半年振りで奥州市水沢区の駒形神社に行ってきた。毎年塾生の合格祈願でお世話になっている神社である。我が家からは自動車で40分以上かかるのだが、平泉バイパスが開通し、精神的にだいぶ近くなった気がする。

妻とドライブするのも何ヶ月ぶりだろうか、夏期講習やらブログの日常に没頭していて、一関市を出たのは本当に久しぶりであった。

080907_153010 おみくじは見事大吉であった。『心をかたくもって、一時の不運にあわてさわぎ思い迷うてはいけません。本業をよく守って静かにときの来るのを待ちなさい。開運うたがいありません』という神様のお告げであった。

私かねごんは、4年前の11月の早朝に倒れ、救急車で市内の県立病院に搬送された。若干の後遺症も残り、その時から体の体調が今一つだったが、この夏の痛風の発作を除けば、ほぼ体調も全盛期の頃に戻りつつある。

080907_153102 駒形神社の大吉も久しぶりのことであった。ちなみに妻は吉だった。おごり高ぶることなく、本業に驀進せよとの励ましを受け、明日からまた怒涛の受験指導パワー全快で頑張って行きたいと思う。

ところで最近私のブロブの内容が、サイキックなものが多いとの指摘を塾生より頂いた。宇宙人かねごん先生は、どこに行こうとしているのかとの、ご意見も頂いたが、どこにも行きません。明日も間違いなく塾です・・・・・・。

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大学生協の試み

今年山形大学に入学したT君が塾に遊びに寄ってくれた。声楽を専攻しているT君は、音楽の先生を目指している。最近ジャズを聴き始めたと言うので、コーヒーを飲みながらアートペッパーのCDをかけてあげたら、ジャズ喫茶ですねと目を細め笑っていた。

一人暮らしの故、ご飯はどうしているのか尋ねたところ、とても面白い情報を提供してくれた。大学生協で、年間15万円払うと、一年間使える食事カードが買えるのだという。彼はそのカードで朝、昼、晩と三食、一日1100円で済ましているということだった。

「栄養は偏らないのか」という私の心配に、食べた食品がパソコンにすべてインプットされ、保護者の自宅に毎月送られるのだという。私は驚いた。聞くところによると、地方の国立大学ではこのようなシステムが多く導入されているとのこと、時代の流れを感じたかねごんである。

バイトのお金が入ると、緊急用にとインスタントラーメンを買い込んだ我々の時代とは、雲泥の差である。お金に困って、ろくなものを食べてないのではないかと心配し、親がお米を頻繁に送ってくれるのを良いことに、それを後輩に売りつけて、飲み代にしていた私は、本当に罰当たりな息子であった。

我々昭和30年代生まれは、給食で脱脂粉乳というスキムミルクを飲まされた。まずかった。中学校の弁当にはきまって鯨の焼肉が入っていた。今では高級食材であるが、当時は一番安い肉として重宝がられたおかずである。

そんな世代ゆえ、大学時代の食生活など本当にひどいものだった。私は面倒くさがりや故、毎日納豆ご飯を食べていた。3年ほどして、納豆を見ると吐くようになってしまった。さすがに、365日納豆の生活が3年も続くと、体が拒絶し始めたのである。食べたいのだが吐き気が襲うのである。普通に食べれるようになるまで、3年の月日を要した。

もちろん今はおいしく頂いているが、たまに納豆を見て激動の時代を思い出すことがある。T君の話を聞いて、本当に至れりつくせりの時代になったものだと思ったしだいである。

実はT君は、私の倅と同級生なのだが、我が息子は日々上げ膳据え膳の日々である。やはり子どもは一度は旅立たせないといけない、そんなことを考えた一日であった。

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2008年9月 6日 (土)

ちょっと神がかっています

我が家の裏庭に、江戸時代から鎮座する御明神様と呼ばれる石宮がある。年に何度か草刈やら、周りの木々の剪定をし、正月にはしめ縄を飾り餅やお神酒を供えている。

石宮のお札は、あるじが交代するたびにそれぞれが信奉する神社のお札が祭られてきた。祖父の代までは、平泉の三峰神社のお札が祭られていたが、今は私の代になって、塾生の合格祈願に訪れる奥州市の駒形神社のお札を祭らせてもらっている。

今日は神社にまつわるジンクスと言うか、エピソードについて語ってみたい。

「掃除をすると運が良くなる」等の本が最近多く出版されているが、実は私がこの石宮がある裏庭を掃除した日に限って、必ず塾生が入会してくるのである。不思議なことに、20年近くそれは続いている。昨日も2ヶ月ぶりに午前中、草刈機械で庭の草を刈り、伸びた木々の剪定をした。夕方新入会者が3名あった。月末の申し込みなら分かるが、この時期にである。

家内から、毎日草刈をすればと言われるのであるが、草とて急に伸びるわけでもなく、初夏から秋にかけてせいぜい4回ほど、半日をかけてやる作業である。毎日というわけにはいかない。

商売をやられている方ならば、店の家相とか商売の方位を気にする方も多いかと思う。実は石宮のある場所は、我が家の中心から見ると鬼門と言われる北東の方位にあたる。不浄にしてはいけない方位である。昔からトイレや風呂場を作ってはいけないとされてきた。鬼門の方位を綺麗にすることで、運がやってくるのかどうか定かではないが、不思議である。

神社の総代役を引き受けている私は、実は神社オタクでもある。私は毎月一日の日には、家の神棚や、塾の神棚の前で祝詞を奏上する。仕事がなければ、近隣の神社に詣で、やはり祝詞を奏上している。このブログでも紹介したが、近年神社オタクの私は龍神関連の神社にはまっており、龍神が祭られている近隣の神社にはちょっと詳しい。つまり龍神オタクでもある。

4年前のことである。三陸のとある町の小学校に、講演を頼まれ家内と出かけた日のことであった。地図を見ると小学校の近くに竜王神社という名前の神社があった。海の近くなので、大漁や海の安全を祈願する神社として龍神を祭っているのだろうと思い、ちょっと早めに出かけ、家内と地図を頼りに行ってみた。

ところが社(やしろ)は跡形もなくなっており、土台石だけが点在するのみだった。海を見下ろす杉林の傾斜地であった。せっかくきたのも何かの縁と思い、私はその場で祝詞を奏上した。次の瞬間である。静まり返っていた杉林に突然疾風ともいえる風が巻き起こったのである。

初めての経験ではなかった。私が祝詞を奏上するとよく突然風が吹くのである。まるで賢治の「風の又三郎」のような風である。単なる偶然かも知れない。しかし不思議である。

ブルースと聖書を愛し、神社で祝詞を奏上する実に変な塾教師である。この風を塾生の受験合格の追い風に出来るならば百人力なのだが、塾生の第一志望校全員100%合格を、過去20年間で一度きりしか達成できていない私は、まだまだ修行が足りない塾教師である。

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2008年9月 5日 (金)

トップの資質

企業や組織体の浮き沈みは、トップに立つ人間の力量が左右する。国家に置いてもしかりである。先進国の中でこれほどまでにめまぐるしく国のトップが交代する国もない。

交代するたびに、国が良くなって行くのならまだしも、国債という名の借金は増え続け、国民の経済格差は旧社会主義国家のように広がり、保険問題や、教育問題が山積している。何一つ抜本的な解決策が講じられることなく、またバトンタッチである。

国や国民のための政治ではなく、自分達の政権を守るための政治、議会制民主主義の本管が完全に揺らいでいる。

かつて私は、なぜ繁栄した家系は3代で傾くのかというテーマを書いたことがあるhttp://daiken.cocolog-nifty.com/blog/2008/04/post_1102.html。簡単に言ってしまえば、お金に不自由がなく、苦労することの本質を学ばないで三代目が育てられてしまうので、生き抜くパワーが不足してしまうという、ありきたりの結論に到達してしまうのだが、まさしく今の政治家はその状況である。

苦労を知らないのである。今回の福田氏、前回の安部氏、その前の小泉氏、共通点は明白であろう。自分で政治の道を開拓してきた人間は一人もいない。二世、三世議員である。親もしくは祖父が築き上げた政治の基盤を引き継いできただけである。お坊ちゃま育ちである。従って辛くなるとダダをこねてすぐ辞めてしまう。困ったものだ。

学問だけで学んだ政治理論が通用するほど、現実の社会は甘くない。それは教育にも言える。机上の学問は、所詮それだけのことで、人情や振り子のように揺れ動く人間の感情や情念、そして社会状況を把握する力量は、経験値がなければ最後の砦は越えられない。私はそう考えている。

社長職もしかり、学校の校長職もしかりである。トップに立つ人間には、トップに立つ人間の資質が要求される。

まず想像力である。他人の気持ちや社会が醸し出す時代の空気が読める人間でなければならない。

次にリーダーシップである。人を魅了する個性がなければならない。知性や感情の豊かさは言うまでもなく、人と接する時の、言葉の強さ優しさがなければならない。

勝負運である。このブログで何度も繰り返してきたが、日頃の思いや言葉はその人間の運命を形作る。絶対的な強運を引き付ける人間は、未来のピジョンが常にインプットされている人間である。

いつでもどこでも自分の進むべき道を描ける人間、それがトップに立てる人間の資質であり、気質であると思う。総理候補にそれぞれが名を連ねてきたが、明確な日本の進むべきピジョンを持っている人間、世界の空気感がしっかり読める人間にぜひなってもらいたい。

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2008年9月 4日 (木)

ライブ中継

塾生(中学女子)が自習室で、他の生徒が居ないこともあって、大きな声で盛り上がっていた。指導室で実力テストの下原稿を作っていた私も思わず噴出したくなるトークだったので、ライブでお届けします。

A子 「ありえない、テスト返ってきたけどどうしよう。親に見せられないよ~」

B子 「いつもそんなこと言って結構とってるじゃん」

A子 「正直、高校決めかねているんだけど・・・でも将来は大学行きたいしな~」

B子 「大学行くんだったら○○高校に行くしかないんじゃないの」

A子 「応援きついし、勉強もきついんじゃん、どうしようかな」

   数十秒経過・・・・

A子 「すげ~ここに全国大学一覧なんていう本あるよ。こんなに大学ってあるんだ気もい」

B子 「将来A子何やるの・・・・」

A子 「ちょっと待って、この本面白いよ。在籍数が1万人の学校だってよ、気もくない。うじゃうじゃいるんじゃん。慶応義塾大学って何?やたら偏差値高いんだけど」

B子 「嵐の桜井翔が入った大学じゃん」

A子 「慶応のことか、塾なんてついているから紛らわしいよ。桜井って頭いんだへ~」

B子 「儲かる仕事ないかな~」

A子 「お父さん言ってたけど、歯医者さん儲かるらしいよ。知ってる人で年収8000万稼ぐって」

B子 「でも金かかるんでしょう。大学に入って開業するまで何億ってかかるらしいよ」

A子 「そう~か、そんなに金かけて患者さん来なかったら破産じゃん。それに毎日人の口の中見るのやだよね。やめとこ・・・」

B子 「じゃ公務員がいんじゃないの。親戚で夫婦で市役所に勤めているだけど、二人で年収1000万は超えるらしいよ」

A子 「いいな~、公務員なろうかな・・・。それにしても楽して金持ちになる仕事ないかな~」

B子 「将来金持ちになりて~」

 以上ライブ中継でした。0.3パーセント程度の脚色はございますが、ほぼ検閲なしです。あえてコメントはしません。あしからず。

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思い込みのエネルギー

人間の思いというものが、どれほど強烈なパワーを発揮するかということを身をもって経験したことがある。

10年前のことである。私の書斎になっている離れの物置の外壁をペインテングしていた時のエピソードである。午前中に白のペンキを使い果たし、ホームセンターから急いでペンキを買ってきて、塾に行く前、一生懸命塗っていた。

いつもより塗料がシャープじゃないな~と思いながらもだいぶ塗り終わり、刷毛や缶の掃除をしていた。その時である、自分が水性だと思っていたペンキが実は全部油性であることに気づいたのである。不思議な感覚だった。

午前中私は、油性のペンキを使った刷毛をなんと水で洗い落としていたのである。あろうことかきれいに流れ落ちていた。揮発油でしか流れ落ちないものがである。

私は100%水性であることに疑いがなかった。だから水で洗い流せたのである。油性だと気づいた瞬間、油性のペンキは当然のごとく水をはじき、洗える状態ではなくなってしまった。まぎれもない本当の話である。

その時、私は人間の思いというものがどれだけの力を持つものかということを、本当に実感することができた。

私はこれを教育に応用することにした。塾生の長所に着目し、「この子は出来る。絶対伸びる」。そういった暗示を自分にかけることにしている。出来れば家族の方々にもやっていただくと、相乗効果は加速するものと確信している。

口癖のように「うちの子供は勉強が出来なくて・・」と嘆かれるご父兄がおられるが、はっきり言ってやめたほうが良い。思いはエネルギーである。プラスにもマイナスにも強く働きかけるものである。

ある種、誰にでも超能力は備わっている。あとはプラス思考の習慣を、いかに保てるかが勝負どころではないだろうか。

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2008年9月 3日 (水)

読書体験パート2

9月に入り、いっきに日も短くなってきた。中学1,2年生は新人戦を前にして部活延長が始まった。部活が終わるのは夕方6時。生徒が塾に集い始めるのは7時ごろである。一方中3生は運動部活が終わったものの、合唱が盛んな我が一関は、多くの生徒が特設合唱部に入っており、これまた帰りが遅い。ゆえに塾生がなかなかやって来ないため、私は毎年この時期になるといつもまったりしている。

夏休みの忙しさがまるで嘘のような静かな日々である。本当は読書などにはうってつけの季節だが、近年どうも本を読む気力が衰えた。特に新刊本の小説のたぐいはほとんど読まなくなってしまった。

パソコンで新刊の評論に目を通すぐらいで、受賞作品や巷で話題の作品はほとんとご無沙汰している。近年読んだのは田口ランディさんの作品ぐらいだろうか。45歳を過ぎた辺りから読書量は本当に停滞してしまった。

最近読んでいるのは聖書と、そしてブログの記事ぐらいである。毎日90分ぐらいはブログを読んでいる。教育ブログはもちろんだが、オヤジブログなどもとても面白い。またスピリチャル系のブログも、「これマジでかいているのかな~」という怪しげなるブログが多々あり、時間つぶしには実に面白い。

早い話が今まで本を読んでいた時間帯が、ブログを書いたり読んだりする時間帯に取って代わってしまったのである。従って10年ほど前まで年間に費やしていた20万円ほどの本代が、2,3万程度になった。帳簿を見ると一目瞭然である。

かつてこのブログでも書いたが、高校生の頃目標とした生涯読書量1万冊の目標は、ほぼ半分の冊数で頓挫してしまった。正直言って、今後伸びる要因はなさそうである。仕事上必要な本を読むぐらいで、触手が動かなくなってしまった。

私が本を読まなくなった分、家内の本代がだいぶ増している。アマゾンのインターネット通販で買うわ買うわ・・・・たまっていく請求書が恐ろしい

我が息子達はどうかと言うと、来年成人式を迎える長男は、ほとんど本を読まない。理工系の人間だからというわけではないだろうが、日々ラップの音楽を聴き、ヒマさえあれば寝ている。一方中学生の次男は、勉強は嫌いだが本は好きなようで、少なくとも私の中学時代よりは多くの本を読んでいる。

あの読書の集中力の10パーセントでもいいから家庭学習に向けて欲しいと思うのであるが、なかなか現実は難しい。実は次男は、真言密教を広げた空海や日本にキリスト教を布教したザビエルと誕生日が同じである。宗教に興味があるのだろうか、私が茶の間に置いている聖書をたまに読んでいる。13歳の彼の感性が、聖書をどのように捉えているのかちょっと興味があるが、やっぱり英語や数学をもうちょっとは勉強して欲しいと思う、父としての立場のかねごんなのである。

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2008年9月 2日 (火)

筆箱で分かる自己管理度

塾にやってきて勉強を開始する時に、塾生が最初に机の上に出すものは筆箱である。私はさりげなくいつも生徒達の筆箱に着目する。

筆箱の状況で、その生徒の自己管理度がだいたい見えてくる。自己管理度がすぐれているということは、おのずと勉強も出来るわけで、生徒が入塾してきた時などの、生徒のバロメーターになる。

「先生消しゴム忘れた」 「シャープペン貸してください」 等を連発する塾生がいるが、やはり残念ながら成績はなかなか上向かない。長年の塾教師生活で、成績が良い生徒の筆箱はこうですよと言うのは多様性があってなかなか難しいのだけれど、「勉強はちょっと苦手です」という生徒には驚くほどの筆箱の共通点がある。

プリクラを貼りまくっている筆箱。女子生徒に多いが、ふと気づくと集中力がこときれて、ペンケースに張ってある、お気に入りのプリクラに視線が行っている。お気に入りのアイドルの写真を貼ってあるペンケースもそうであるが、集中力欠乏タイプの生徒にこの種の筆箱が多い。

ポーチ型の巨大な筆箱。これも100%女子生徒だが、化粧ポーチさながらで、使いもしない色とりどりのサインペンやらマーカーペンが入っているかと思いきや、時としてリップクリームや、まつ毛をカールするビューラーのたぐいまで入っている。異性超意識タイプで、勉強よりは恋人募集中で~す的な生徒が多い。

ボコボコのカンペンケース。男子生徒が使っている缶の平べったいペンケースであるが、いったいどうすればこれほどボコボコになるのだろうと思うくらいつぶれている。そして中身はというと、シャープペン1本と消しこむぐらいしか入っていない。落ち着きのない男子生徒に見られるペンケースである。

ストラップ付きガチャガチャ筆箱。これでもかと言うくらい様々なストラップやキャラクターグッズが付いている。ペンケースもガチャガチャうるさいが、所有している生徒も口数が多くにぎやかである。必要以上にしゃべるので、あまり人の話を聞かないタイプの筆箱である。

以上が筆箱から見た私の勝手な分析である。だいたいお分かりいただけたと思うが、つまり出来る生徒の筆箱は、シンプルで必要なものは入っているし、不要なものは入っていないのである。不安なご父兄の皆さん、お子様の筆箱をちょっと垣間見てはいかがでしょうか。

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2008年9月 1日 (月)

読書体験

ルビなしの本を一冊初めて読み終えた時、これから生きて行く道がとてつもなく長いものに感じられた。

そして10冊の本を読んだ時、心の中に今までになかった場所ができたような気がした。うまく口では言えないけれど、何か落ち着きというのか、安らぎというのか、そんな場所だった。

100冊の本を読み終えた頃、一見バラバラになっていた人間というものの存在が、実はきれいに編みこまれたタペストリーのように、つづれ織りなす存在であることに気づいた気がする。そしてなんだか、自分の存在がとても小さく見えて仕方がなかった。

300冊の本を読み終えた頃、人間が生まれ死んで行くということはどういうことだろうと、考えることが多くなった。人生という文字が、やたらとちらつき始めた。この頃、自分の好きな思考形態とか思い癖のようなものが構築されたような気がする。

1000冊の本を読み終えた頃、私は恋の季節を迎えていた。人を愛することの切なさと、いとおしさを味わっていた。私はジャズを聞き始め、青春というなの季節に立ち向かおうとしていた。

3000冊の本を読み終えた頃、私は家庭を持ち父親になっていた。愛する人の死や、尊い命の誕生を目の当たりにし、もはや小説のプロットを追いかけることはなくなっていた。人間そのものが文学に感じられた。人生そのものが哲学に感じられた。

5000冊の本を読み終えた頃、私は中年になっていた。そしてそれが現在である。毎日人目をはばからずブログを更新し、塾という職場で子ども達と孤軍奮闘する日々である。

本を読んで何が変わるのか・・・私は想像力だと思う。本を10冊読めば、10冊分の想像力が蓄えられる。1万冊読んだ人は、1万冊分の想像力が蓄えられるのではないだろうか。そしてその想像力は創造力に変わっていく。本は思いの力の根源であり、本はその思いを現実化する人類の遺産であると思う。

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