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2008年8月 3日 (日)

自由ノートの変遷

今年また教室に自由ノートを置いている。塾生の落書き帳である。5年ほど自由ノートを置くのをやめていた。その理由は、誹謗中傷の落書きがあまりにも増えたからだ。

かつて、と言っても10年ほど前は、中高生が書く自由ノートのレベルは高かった。自分の苦悩を綴ったり、日常の風景を詩に綴ったり、私も読んでいて勉強になったし楽しかった。ところがある時期を境に、他人を非難したり揶揄(やゆ)する文章が増えた。

そのある時期とは、子ども達が携帯電話を持ち始めた時期である。

本来ならば耳に入らなくてもいい情報が、携帯を通じて入って来るようになった。メールや電話のやり取りは、ある種子ども達から忍耐を奪ってしまった。

「○○ちゃんがこんなこと言ってたよ」的噂話は昔からよくあったが、人の噂も何とやらで、時がたてば感情も沈静化しうやむやになるものを、今の中高生は直接携帯で確かめる行動にでてしまう。他人がどう傷つくかなどは、おかまいなしである。真実を確かめるという名の暴力が横行する。

個人と個人の繋がりが濃密になったぶん、他人を排斥する負のエネルギーが増加した気がする。携帯を通じての仲間意識が、時に人間関係をせばめ、社会性を損なうケースが頻発しているように思えてならない。

常に他人を誹謗することで、自分を防御しようとする。俗にいうギャクギレなどと呼ばれる現象もその一形態だろうが、非を認めたがらない傾向は大人の世界も同じである。プライドが高いと言うより、子どものままの精神性から脱却できず、年を取ってしまった大人が多いのだろう。

モンスターペアレンツという新しい英語が生まれ久しいが、自己主張をすることと難癖をつけることを混同した若い世代の誕生は、まさに精神性の幼児返りとしか言いようがない。自由だ、平等だという教育の旗印のもと、単に我がままに育てられ、苦労も知らず、他人を思いやれない人間が増えたという現実が、モンスターを増殖させているのだと思う。

私の塾にも2年に一人、二人、凄まじい親御さんが登場する。公教育と違って、無視をしようと思えば出来ないわけではないが、子どもが私の塾で勉強したいという限りにおいて、私は紳士的かつ控えめに対応させて頂いている(体や顔つきが十分威圧的なので・・・笑い)。

子ども達の落書きノートもさることながら、常識という文字の意味を思わず考えさせられる大人が多いのは、時代の変遷なのか、単に私が年を取ったせいで新しい常識を理解できないのか、とにもかくにもこの変革に対応していかなければ、塾業界も大変になって行くのだろうと思う。

ちなみに今年の塾生の親御さん方は、実にすばらしい親御さん方である。感謝である。

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